第十話 甘美貫く、起死回生の一手
「ふ、ぁ……ふわあ」
もぞもぞと蠢く少女が一人。
錆びた鉄のようなくすんで髪の、痩せ細った少女がゆっくりと目を開く。ぼんやりとした様子で身体を起こして、周りを見渡して、自分一人であることを確認する。
昨日の出来事は丸々夢だったのでは? ともぼんやりと思ったが、布団に残る甘い匂いが証明となっていた。公爵令嬢にして第一王子の婚約者、つまりは未来の王妃と一夜を共にしたのは紛れもない現実なのだ。
「れい、ひゃんはあ……?」
まだ半分寝ているような状態なのだろう。ろれつが回っていない。もう一度周りを見渡すが、やはり目的の人物はいない。そのことを認識したピーチファルナの両手が虚空を舞う。まるで迷子の幼子が親を求めるように。
と。
猛烈な食の匂いと、それに匹敵する濃さの甘い匂いが漂ってきた。びくん、と肩を跳ね上げたピーチファルナが匂いを辿る。赤ん坊がはいはいするように、四つん這いの形で。
そう広い家でもないため、赤ん坊スタイルでもすぐに目的の人物を見つけることができた。
厨房で鍋をかき混ぜている、漆黒のドレスを纏った後ろ姿。黄金のように輝く金髪に、槍のように鋭く整ったスレンダーな肢体。
つまりは、
「レイひゃんだあっ」
がばり、と這って移動していたピーチファルナが漆黒の美女の足に縋りつくように抱きついた。……まだ半分くらいは寝ているようなものであるがゆえの行動だった。
「ひうっ!? ぴ、ピーチファルナちゃん? どうしたのでごぜーますか? なんだか積極的でごぜーますね」
「うぇへへ……レイひゃん、レイひゃん」
「くふふ☆ これはこれで最高で──」
「しゅきい!」
…………。
………………。
……………………。
「ぴゃ!?」
「あのね、あのね、わたしね、レイひゃんのこと、だいしゅきなのお」
「ぴゃっ、ぴゃひっ、ぴゃあー!?」
びくびくびっくうん!! とレイ=レッドスプラッシュの蠱惑的な肉体が痙攣する。なんというか、落雷をしこたま浴びたかのような有様だった。
ひ、ひふっ、ひうう、と熱い吐息を漏らし、今までのそれより遥かに甘ったるい匂いを振りまく漆黒の美女。簡単に言えばでれんでれん状態であった。
「ぴ、ピーチファルナちゃん。もう一回、もう一回言って欲しいのでごぜーますっっっ!!!!」
「にゃむうー……」
「ピーチファルナ、ちゃん?」
「むにゃむにゃすぴー……」
「嘘でごぜーますよね? ここまで昂ぶらせておいて、そんな、寝落ちなんて嘘でごぜーますよね、ね!?」
「むにゃふにゃむにゅうー……」
「ピーチファルナちゃあああん!!」
美女の足にしがみつき、ドレスをはだけさせ、生足にこれでもかと頬をすりつけるピーチファルナは完全に眠りに落ちていた。おそらくハジメテ漆黒の美女に一矢報いた(?)奇跡的瞬間であった。
ーーー☆ーーー
「ふにゃ……?」
甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
ごしごしと目元をこするピーチファルナは後頭部に柔らかな感触があることに気づく。寝起きでぼやけている視界が徐々に色を取り戻す。現実を視認する。
彼女はレイ=レッドスプラッシュの顔を見上げていた。というか、俗に言う膝枕というヤツだった。
「わ、わわっ、なんか凄いことになってるう!?」
「……、ちぇ。二度も奇跡は起きないでごぜーます、か」
どことなく残念そうに呟くレイだが、混乱状態なピーチファルナが気づくことはなかった。
慌てて起き上がろうとするピーチファルナの額にひんやりとした感触が一つ。静かに、柔らかく、優しく──それでいて絶大な強制力を秘めた人差し指が触れたのだ。
たったそれだけでピーチファルナは痺れたように動きを止めていた。起き上がろうと微かに浮かばせた頭部がすとんと膝の上に戻る。
「しばらくこのままでごぜーますよ」
「にゃ、にゃんで!?」
「……、あんな寸止めかましてきたのでごぜーますもの。せめて代わりとなるものを欲するのは当然でごぜーます」
ぷいっと、どこか拗ねたように視線を逸らす漆黒の美女。いつも甘く、余裕を持って微笑んでいるレイの子供っぽい様子に、ピーチファルナは思わず口元に手をやっていた。
ふふっ、と。
笑みがこぼれる。
「む。何がおかしいのでごぜーますか?」
「あ、ごめんね。ただ、わたしね、レイさんのこと何事にも動じない、天の上のすっごーい人だと思っていたんだ。だけど、違うんだなって。その、なんで拗ねているのかは分かんないけど、そーゆーのが顔に出ちゃう人なんだなって分かったら、なんだか嬉しくて。だって……あれ? なんでだろうね??? わたしにもよくわかんないや」
それで、なんでそんなに拗ねているの? と問いかけるピーチファルナ。対してレイ=レッドスプラッシュはぶにぃっと膝の上の少女の頬を掴み、一言。
「ピーチファルナちゃんがかわいすぎるのがいけないのでごぜーます」




