ヒューストン、問題が発生した
「もしもーし、ルイ・クレメンテさーん」
ドアをノックしながら、中にいるはずの家主の名を呼ぶマヌエラ。
タチアナから教えられた住所は、そこそこ高級なアパートの一室であった。
腕利きのニンベン師となれば、稼ぎはかなり良いらしい。
まず間違いなくマヌエラよりも収入があるはずだ。しかも、所得税をまともに払っているはずもないだろうから、可処分所得で言えばもっと差はあるだろう。
「もっしもーし、いるのは分かってるっすよー。タチアナさんの紹介で来ましたー」
アパートのドアマンの話では、昨夜帰宅してから外出してはいないそうだ。
もちろん、裏口を使うなど彼の目をごまかす方法はいくらでもあるのだが……。
「うーん、居留守っすかねー」
背後の二人を振り返りながら、軽い口調で問いかける。
「何としてでも話を聞かなければ、ならないのですが……」
「ルイは……事件のキーマン」
「とは言っても、無理やり押し入るのはアウトっすよ?」
「ええ、もちろんです。我々は皇国の捜査官ですよ?」
「順法精神を……最も要求される職業……」
「さすがです、ニーナ! この仕事に就いて……いえ、この世界に来て間もないのに、その心構え。貴女の上司として、友人として誇りに思います」
「……照れる」
白けた視線を二人に送ってしまうマヌエラだが、二人は別にふざけているわけじゃない。
ガチのマジなのだ。
だからこそ、性質が悪いとも形容できるのだが……。
「しかし、弱りましたねニーナ」
「うん……弱った。ロイ達は……成果を出したのに……」
つい先ほどロイから連絡があり、彼らはミラー上等兵の供述を元に質屋から様々な盗品を押収したらしい。
「捜査は競争ではないといっても、遅れて良いというわけではありませんから」
「まあ、ここは大人しく令状を請求するのが一番だと思うっす」
「しかし、令状の請求理由が問題ですね」
「……とても、面倒……じゃなくて、その時間がもったいない」
チラリとニーナの本音が見えた気がしたが、ここはあえて無視することにする。
「──となると、プランBですね」
「凛々しい表情で言ってますけど、つまりは正規の手続きを踏んで、令状を取るっていうことっすよね? お願いだから、そう言って欲しいっす」
しかし、友人兼上司は、マヌエラの言葉に答えてくれない。
「マヌエラ。念のために確認しますが、令状なしで突入して良いのは、どのような状況でしょうか?」
突入という不穏な単語が出てきて、マヌエラとしては嫌な予感しかしない。
ニーナに視線を向けるのだが、そっと目を逸らされてしまう。
「えっと……ざっくり言えば、緊急事態っすね」
「さすがです、マヌエラ。緊急事態においては、令状なしでも認められますね」
「あ、あの……フロールちゃん……? ここは遵法義務という言葉をもう一度思い出すべきっす」
難しそうな表情であごに手を当てているフロールに声をかけた時だ──
「きゃ~……たすけて~……」
「……えっと、ニーナちゃん……?」
いきなり棒読みで悲鳴を上げたニーナに視線を向けるのだが……
「~♪」
すっとぼけた表情で視線を逸らしつつ、わざとらしく口笛を吹いている。
「──マヌエラ、聞こえましたか?」
「……ニーナちゃんの棒読みの悲鳴なら」
「──緊急事態です」
「あたしの話を聞いてます? ていうか迫真の表情で言っても、変わらないっすよ」
呆れつつ返したとき、再び悲鳴らしきものが聞こえた。
「きゃー……ころされるー……たすけてーADC-……」
再びニーナに視線を向けると、先ほどとまるっきり同じ仕草をしてみせる。
「──大変ですマヌエラ。一刻の猶予もないようです」
「大変なのは二人の頭と演技力っす。ニーナちゃんは棒読みだし、フロールちゃんは無駄に上手過ぎです。というか、そもそも一般市民がマイナーなADCに助けを求めるはずないっす」
言っていて悲しくなるが、ADCのマイナーさは皇国の警察組織の中でも群を抜いているのだ。
「というわけで、大人しく令状を……」
「……マヌエラ……今は緊急事態。助けを求める市民の声は……無視できない」
「この状況で悠長に令状を取る時間があるのでしょうか?」
「いや、ですからね……」
じーっとこちらを見つめる二人の視線に、やがてマヌエラは白旗を上げることになる。
なんだかんだ言っても、自分は二人に大甘らしい。
「あー、もう分かったす! 今からカギを開けますよ」
ヤケクソ気味に言ってから、マヌエラは常備している開錠ツールを取り出そうとするのだが──
「では……行きますよ、ニーナ、マヌエラ。カウントは3で」
「ん……了解……3、2、1……」
そんなことを口にしつつ、二人が腰のホルスターから銃を取り出すのが分かった。
「え? ちょっと二人とも……」
何のつもりっすか? とマヌエラが尋ねる前に──
「……てい」
可愛らしい気合の声と共に、ニーナがドアを蹴破る。
そして、それとほぼ同時に──
「──ADCだ!」
自らの所属機関を無駄に元気よく口にしながら、銃を構えたフロールが室内に突入する。
そして、それに続いてニーナも駆け出していた。
しかも、二人とも子供のようにウキウキな表情でだ。
「あーーーーーーーーーもう! 何やってるんすかー!」
慌てて銃を取り出してから、マヌエラも二人に続いて突入する。
「二人とも頭のネジが飛んでるっすよ!? せっかく自分がカギを開けるって言ったじゃないっすか!? そもそも二人の中ではドアって開けるもんじゃなくて、蹴破るものになってませんか!?」
何度も見てきた光景だ。
ニーナが嬉々としてドアを蹴破り、嬉々としてフロールが突入する。
何度も見てきて分かっていたはずだ、こうなる運命だったと。
「……そんなこと……ない……」
「緊急事態ですよ? それなのに、悠長にピッキングしてる方が不自然です」
「いや……確かに、そうっすけど……」
フロールの言う通りではあるが、その正論は非常に承服しかねるものだった。
「ニーナは左を、私は正面、マヌエラは左です」
フロールの指示に従って、マヌエラは向かって左にあるバスルームに向かう。
銃を構えつつ死角を潰し、慎重に室内を捜索する。
「クリアっす」
バスルームには誰もいないことを確認してから、他の二人にそれを報せる。
「こちらもクリアです」
「むぅ……もしかして、本当に留守なんすかね?」
同様に捜索を終えたフロールと合流した時だ──
「ヒューストン……問題が発生した」
小さいながらもはっきりとした声が聞こえた。
「ヒューストン?」
「自分達が前にいた世界の都市の名前っす。多分、どっかの映画か小説のセリフかなんかでしょうけど」
「なるほど、後で聞いてみることにしましょう。ニーナが話してくれる、向こうの世界の作品は面白いですからね」
ニーナ、宗冬、ジェレミーの三人は、何かにつけて映画や小説、偉人の名言を引用することが多い。
恐らく、先のセリフもそうなのだろうが、残念ながらマヌエラが知っているものではなかった。
「ニーナ、どうしました?」
そして、フロールと二人でニーナの声がした部屋である書斎に入ると──
「…………あー、これは」
「確かに、問題発生ですね」
書斎に入るなり、むわっとした血液の香りが鼻孔を刺激した。
何度も嗅いだものではあるが、我慢できることはあっても、慣れることはないだろう。
「うん……死体は助けを求められない……」
書斎の真ん中には椅子に縛り付けられ、凄惨な拷問を受けたルイ・クレメンテの死体が、悪趣味なオブジェのように設置されていた。




