警察だから許される-I'll be back-
「皇国でも、この季節の風物詩なのかねー」
ふとそんな声が、ジェレミーの耳に入ってきた。
後部座席からルームミラーに目をやり、声の主である宗冬の表情をうかがう。
「風物詩? 何がかな?」
助手席に座ったロイが、ジェレミーと同じ疑問を口にしてくれる。
「あれだよ、あれ」
宗冬の視線を追っていくと、そこには大掛かりな道路の補修工事の光景があった。
「年度末になると、慌てて予算を使い切る恒例行事だよ」
「あー、確かにそうだね。ジェザ君の国でもそうだった?」
「僕の国では、そこまででもなかったですねー」
祖国に思いを馳せてみるが、そういうイメージは余りなかった。
「こういう工事ってーのは、俺達にとって美味しい仕事だったな」
「それに関しては、僕の国でも同じでしたね」
ジェレミーの国でもマフィアの表向きのシノギと言えば、ごみ処理、風俗、土木工事と相場は決まっていたものだ。
「こう見えて重機の運転は得意だったんだぜ?」
「え? 現場で働いてたんですか? というか、免許持ってるんですか?」
思わず問い返したジェレミーだったが、宗冬は唇をニヤッと歪める。
「免許がなくても運転はできるんだよ」
「……さすがジャパニーズマフィアですね。法律なんてチリ紙程度の価値もないようで」
「若旦那は、正規の免許持ってたよな?」
「陸軍の教習所で無料で取らせてもらったよ」
「あれ? ロイさんって工兵じゃないですよね?」
「何かの役に立つかと思ってね。ほら、言うでしょ? 免許と資格に賞味期限はないって」
そういうところは意外にしっかりている。
とは言っても、若旦那というあだ名がしっくりくるロイが、重機を運転している光景は想像できないが。
「っと、ここだったな……」
ミラー上等兵が証言した質屋の前で、宗冬がブレーキを踏んだ。
平屋建ての質屋だが、醸し出している雰囲気は胡散臭いものだった。
特に出入り口に鉄格子が張られているところなど、ヘネシーの治安を考えれば過剰とも思える。
「さて、行きますかね」
宗冬の言葉を合図に車から降りて、質屋に向かうジェレミー達。
捜索と押収の令状は既に取っており、店主が捜索を拒んでも強制的な手段に出ることは可能だ。
とは言っても、穏便に済むに越したことはない。
特に、隣にこの二人がいるのならばなおさらだ。
「ラウル・バルガスさん、いらっしゃいますか?」
インターフォンを鳴らしつつ、ドア越しに内部に呼びかけるジェレミー。
「……何の用だ?」
やがてドアを開けて顔を出したのは、無精ひげを生やした短髪の中年男性だった。
落ちくぼんだ目に、ヤニがこびり付いた黄色い歯。
そして、警戒するような刺々しい雰囲気。
間違いなく叩けば埃が出るような人物だ。
前科こそないものの、それはただ単に検挙されなかった、というレベルでしかないはずだ。
「こんにちは、ラウル・バルガスさんですね。私はADCのジェレミー・クルーズ捜査官です。後ろの二人は、同僚のロイとカヤバと申します」
「ADC? 知らねーな」
「国防省警察陸軍局のことです。まあ、マイナーな組織ですけどね」
愛想笑いを浮かべるジェレミーだが、自分たちの組織が非常にマイナーなことはよく知っていた。
「それで、そのマイナーな組織の奴らが何の用だ?」
「本日はお宅の質店を捜索させていただくことになりました。あっ、令状はこちらになります」
努めて穏やかな声で、ジェレミーは相手を刺激しないようにする。
もちろん、そうする理由はラウルが抵抗するのを恐れたわけではないのだが。
「さっさと帰れ、政府の犬ども」
早速投げつけられる暴言だが、ジェレミー自身は大して気になどしてない。
しかし、隣の二人がぴくっと反応するのだけは理解できた。
最悪の事態になるの何としても止めなければ、という義務感がわいてくる。
「こちらも仕事ですし、判事から頂いた令状もあるわけですから。一応、強制的な手段も取れるわけでして」
「そんなの関係ねーよ。そもそも、どんな理由があって捜索するんだ?」
「戦場での盗品の捜索と押収です」
「あん? 戦場での盗品?」
「ええ、心当たりはありませんか? 幾人か軍人らしき人が、ここに南方大陸由来の品物を持ち込んだことがあるはずです。その一部が、盗品であるとの疑いがありまして」
追加調査でこの店には、ミラー上等兵以外にも幾人かの軍人が盗品を持ち込んでいることが判明していた。
「軍人? ああ、そんな奴らもいたかもしれねーな」唾を吐き出しつつ、鼻で笑うような口調のラウル。「例えそいつが持ち込んだ物が盗品だとしても、こっちには責任はねーだろ? わりーのは、火事場泥棒した奴らで、罰を受けるべきはそいつらだ。まあ、もしかすっと、戦死か腕の1、2本も天罰として持っていかれてるかもな」
ゲラゲラと汚い笑い声をあげるラウルとは対照的に、問題児二人の雰囲気が冷たいものになっていくのが分かった。
「ああ、そう言えば、傷痍軍人が社会問題になってるんだっけ? かはっ、その中にうちで盗品を盗んだバカもいるかもしれねーな」
(やばい……これは、やばいですよ)
戦地での窃盗を揶揄する言葉は……まあ、セーフで済むだろう。
しかし、その次の発言はマズい、大問題だ。
傷痍軍人とは祖国に忠誠を尽くした人々のことであり、彼らを侮蔑することは最も卑劣な行為の一つだ。
そして、そういった英雄達への侮辱を何より嫌う者が、ジェレミーの隣には二人もいるのだから。
「と、とにかく、中に入れてもらえませんか?」
「は? バカなこと言ってんじゃねーよ。誰が入れるかよ、クソみてーな役人を。俺のプライバシーを侵害するのか?」
「ですから、こちらには令状が……」
「令状? だから何だ? どうしても入りたいなら、ここをぶち破ってみろよ」
挑発と侮蔑のこもった言葉を向けられて、ジェレミーは諦めた。
この場を穏便に収めることを。
「なあ、ぶち破ってみろって言ったけど構わねーんだな?」
ジェレミーは今すぐにでも、この場から逃げたくなる。
これから始まることは簡単に予想できたし、その後始末をするのは間違いなく自分なのだから。
「おお、言ったぞ。令状ってーのは、それも許されるんだろ? やれるもんなら、やってみろ。腰抜けどもが」
中指を突き立てて、こちらに唾を吐きかけるラウル。
この世界に来て驚いたのだが、このサインは異世界共通らしい。
「そうですか、分かりました」
(──終わった)
ジェレミーはロイの無駄に明るい声を聞いて、小さくため息を吐いた。
「宗冬さん。ここはラウルさんの言うことに従いましょう」
「ああ、ここまで言われちゃ仕方ねーな」
そう言ってから、ジェレミー達に背を向けて歩き出す問題児二人。
「あの……二人とも何をするつもりですか?」
どうせ止めても無駄なことは理解している。
それでも、何が起きるのかくらいは知っておきたい。主に自分の精神衛生的な意味でだが。
「そうだな……I'll be backがヒントだ」
「……あっ、そうですか」
あまりにも有名な映画のセリフを口にして、手をヒラヒラ振る宗冬を見送りつつ、ジェレミーはラウルに語り掛ける。
「まずいですよ……どうしてくれるんですか。ぜーったいに後悔しますよ?」
ジェレミーは真剣な口調と表情で、必死に説得を試みる。
「とにかくすぐに逃げてください。もしくは、ここを開けてください。それなら、まだ間に合いますから」
そう、まだ間に合う……はずだ。多分……おそらく……間に合うはず。
「貴方が二人を怒らせた大きな理由は、傷痍軍人を侮蔑する言葉ですから、そこを真摯に反省すれば良いはずです。そうすれば、5分後に後悔することはないはずですから。そう! 土下座です! ジャパニーズ土下座をして、禅の精神的な深い反省を示すんです! 後悔する前に早く!」
「はっ、てめーらに俺を後悔させられるはずねーだろ?」
「何言ってるんですか!? あの二人は本当に危険なんですよ? 目つきの悪い方はジャパニーズマフィアって言って……ああ、ラウルさんは知らないでしょうが、とにかく野蛮で好戦的で、常識が通じない組織の元構成員なんです。好きなものは荒事と脅しっていう人格破綻者の癖に、無駄に教養があって頭も切れるし、ゲラゲラ笑いながら人をいたぶるサイコパスなんですからね!」
まあ、盛った部分はあるにせよ、四捨五入すれば間違えてはいないはずだ。
「それから、もう一人いたでしょ? とても人の好さそうな、善良な青年っぽい面構えの男性が。あの人の方が、個人的にはヤバいと思ってます。元陸軍の特殊部隊とかっていう中二的前歴があるくせに、あの柔和な笑顔ですよ? 完全に胡散臭いじゃないですか!」
「あ、ああ……そうなの……か?」
一気にまくしたてるジェレミーに気圧されたのか、ラウルが引き気味で言葉を発した。
「ええ、そうなんです! 基本的には優しくて良い人なんですけど、特定の部分では沸点がめちゃくちゃ低いんです。ヘリウムよりも低いって言っても良いくらいで、さらに悪いのは一旦怒ると手が付けられないんですよ!」
これまで散々二人に迷惑を掛けられてきて、ジェレミーの精神は酷く荒んでいるのだ。
「それにさっきの宗冬さん……ジャパニーズマフィアのセリフを聞きました? どうせ、あなたには分からないでしょうけど、あれはヤバいです」
自分の語彙が壊滅的に乏しくなるほどに、嫌な予感しかしない。今すぐ目と耳を塞いで、蹲ってしまいたいくらいだ。
「1984年のターミネーターという映画のセリフ……ああ、他の作品でも主演俳優が口にしてますが、とにかく初出はその映画なんです」
「し、知らない映画だな……確かに」
ああ、そうだろう。そして、知らないことが羨ましい。
「まあ、何が起きるかは吐きそうになるので説明しませんが、貴方は皇国憲法と法律を武器にしたターミネーター二人を敵に回したんです」
そして、徐々に異様な音と振動が近づいてくることに気づく。
それはゆっくりと、しかし確実に近づいてくる破滅の音だ。
そして、その音の正体を知ったとき、思わずジェレミーは呟く。
「──ジーザス……」
目の前に現れたのは二台の重機。
いわゆる“パワーショベル”と形容される、大型の重機だ。
大方、先ほど通りがかった工事現場から借り受けてきたものだろう。
その証拠に遠巻きにこちらを見ている、作業員を確認できる。
「お、おい……マジかよ……」
「ええ、マジですよラウルさん。だから言ったのに……。見えますか? 二人のあの楽しそうな表情が。本当にね、二人にはそのうちカウンセリングでも受けてもらわないと……」
ニコニコでウッキウキな表情で、重機を運転している友人と上司。
ただでさえ最近荒事の少ない日々が続いていた。
その欲求不満な状態で、目の前には気に食わない人物がいて、手元には天下御免の令状がある。
となれば、この状況は当然の帰結とも形容できるだろう。
「ちょ、ちょっと待て! じょ、冗談だろ?」
ゆっくりとアームを振り上げる二台の重機を、ひきつった笑みを浮かべて見つめる哀れな被害者。
「冗談のはずないじゃないですか……」
そうジェレミーが呟くと同時に、二つのバケットが振り下ろされた。
「お、おい! 止めろ! ふざけんなよ!」
そんなラウルの声など聞こえない、というか聞くつもりもないだろう。
二台の重機は質屋の壁を破壊し続ける。
メキメキ、ベキベキ……かなりオブラートに包んだ擬音語なら、こうなるだろう。
とにかく目の前では、質屋が全身複雑骨折を起こしつつあった。
「や、やめてくれ……本当に……頼む……お、俺が悪かった、謝る! 謝るから!」
「あん? なんつったんだ? 若旦那、聞こえたかよ?」
「ちょと聞こえませんでしたね。ラウルさんと距離があるからなのでは?」
「それなら、もうちょい近づけば聞こえるかもしれねーな」
そんなことを言いつつ二人は重機をゆっくりと前進させる。
「や、やめろ! お願いですから、やめてください!」
鉄格子を開け放ち、両手を振りながら叫び続けるラウル。
その姿は、ひどく哀れなものだった。とはいっても、ジェレミーが同情を抱くことはないのだが。
それを見た二人は、ようやく重機のエンジンを止めるが、質屋の外壁は四割ほど破壊されてしまっている。
「こんなこと……許されるのかよ……。あんたら警察みたいなもんなんだろ? つーか、国防省の警察って名乗ったよな?」
がっくりとその場に崩れ落ちるラウルが、震える声で問いかけてくる。
しかし、その問いに対する答えはひどく単純なものだった。
代表して答えるのは、もちろん上司であるロイ特別捜査官。
「違いますよ。私達が、警察だから許されるんです」