左腕の意義
「なあ、軍隊ってーのはどこもこんな感じなのかね?」
連続歩調を行っている若い軍人達を横目に、宗冬が楽し気に尋ねてくる。
「そうですねー。僕の母国でもこんな感じでしたよ」
宗冬の言葉にこたえるジェレミーは、自らの祖国に少しだけ思いを馳せるのだが──
(あんまり懐かしいとか、戻りたいって感覚がないんですよね……)
それは自分がドライなだけなのか、それともこの世界に愛着を抱いているのか……もしくは、そのどちらでもあるのか。
「若旦那は元軍人だろ? やっぱり懐かしくなったりするのかい?」
「それはもう。何せここが、僕の最初に赴任した基地だからね」
言ってから懐かしそうに眼を細めるロイなのだが、どうにも彼が元軍人という印象がないのも事実だ。
若旦那という宗冬がつけたあだ名は、なんだかんだ言ってもロイには合っているものだと思う。
大人しそうな容姿に、柔和な態度は、軍人というイメージからはかけ離れているだろう。
しかし──
(実際のところは……“過激”な人なんですよね)
それに関しては、同僚の一人である宗冬も同様だ。
また、女性陣ではフロールとニーナも、ああ見えて“過激”と言えるだろう。
(いや、ニーナさんの場合は……天然というやつかもしれませんが……)
とにかく、このチームにおいての“歯止め役”は自分とマヌエラであると自負している。
もちろん、歯止めではあるが、必ずしも止められるというわけではないが。
「若旦那の最終階級ってーと、大尉だったか? エリートなんだよな。そのまま務めてた方が良かったんじゃねーか?」
「いやいや、エリートだなんてことはないよ」
「そうかい? 陸軍士官学校って倍率も高いって話を聞くぜ?」
「僕が受験したときは、倍率だけは上がってたかな」
「そんな倍率を潜り抜けたんだから、なおさら勿体なかったんじゃねーのか?」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、局長から直接オファーがあったら断れる?」
「──そいつは無理だな」
そんな会話をしている二人を横目に見ていると、なんともアンバランスな二人だと思う。
なにせ片方は元ヤクザであり、今現在も尖った雰囲気を隠さない人物。
そして、もう片方はあだ名通りの若旦那といった容貌の青年なのだが──
(無駄なまでに息がぴったりなんですよね……)
今回の事件では、その“息がぴったり”な部分が発揮されないことをジェレミーは願っている。
「っと、目的の人がいたね」
そう言ったロイの視線を追っていくと、目的の人物であるミラー上等兵の姿があった。
「ミラー上等兵だね? ADCの特別捜査官、ロイ・ウォーターズだ。後ろの二人は、特別捜査官の萱場宗冬と、ジェレミー・クルーズ」
笑顔を浮かべたロイが、IDを提示しつつミラーに声をかける。
「……ADCが、何の御用ですか?」
警戒の二文字がありありと浮かぶ表情で、ミラー上等兵はロイたちを観察する。
ただでさえADCは陸軍軍人に警戒されるものだ。
そして、それが……不正を犯した者ならばなおさらだろう。
「ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「お前さん、オルセン伍長という人が殺されたのは聞いてるかい? ニュースでやってるとは思うが」
とりあえず、今回はロイと宗冬の二人に任せることにして、ジェレミーはミラーの様子を観察する。
事前情報通りに彼の左腕は、肘から先が無くなっている。
その姿を見ていると、ニーナを思い浮かべるのは仕方のないことだろう。
「ええ、もちろん。受勲予定の優秀な兵士だそうですので、非常に残念に思っています」
その言葉には嘘はないだろう。これでも人の嘘を見抜く力には、ジェレミーは自信を持っているのだから。
「それで、そのオルセン伍長の件で、私に何か?」
「いや、大したことじゃねーよ。オルセン伍長とは、個人的に親しかったのかい?」
「……面識すらありませんよ」
「それなら、どうしてオルセン伍長は、殺される5日前から頻繁に、君に電話をかけていたのかな?」
嫌らしい聞き方をするなぁ、と内心でミラー上等兵に同情するジェレミー。
「親しくないのにこんなに電話するっていうのも、ちょっとおかしくねーか?」
「それは……何かの間違いでは?」
「間違いのはずはないんだ。伍長のスマホには、君への発信履歴が残ってるから」
ミラー上等兵の視線が頼りなくさ迷い、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
「ぶっちゃけた話をすると、お前さんが最有力容疑者ってわけだ。変にしらばっくれるし、素直に捜査に協力しようとしねーし」
「わ、私はオルセン伍長を殺してなど……!」
「こちらとしても、そう思いたいんだけどね。しかし、状況がそれを許してはくれないんだ」
爽やかな笑みを浮かべつつ、腰につけた手錠に手を伸ばすロイ。
「なあ、正直に話しちまえよ。わりーようにはしねーから」
「…………」
しかし、ミラー上等兵は言葉を発しようとはしない。
その表情に浮かんでいる感情は──
(恥……? どうして?)
微細な表情の動きも、ジェレミーにとってみれば言葉以上に雄弁なものだった。
前の世界における仕事で学んだスキルが、今でも役に立っているのは複雑でもあった。
「個人的には、君が伍長を殺害したとは思ってないんだよ」
努めて穏やかな声で言いつつ、ロイはミラー上等兵の様子をうかがう。
「とは言っても、何か疚しいことがあるんじゃないかな?」
ロイの視線に耐えられなかったのか、ミラー上等兵は苦しそうに目を逸らした。
「ミラー上等兵。君の所属は陸軍歩兵第12連隊だよね?」
「ええ……元、ですが」
左腕を失ったことにより、彼は前線の精鋭部隊から後方へと配置転換となっていた。
それが彼にとって、どれほどの意味を持つのか、文官でしかないジェレミーは推し量ることすらできない。
「だとしても、モットーは失ってないだろ?」
「──我に名誉を祖国に忠誠を」
苦しそうな表情で、第12連隊のモットーを口にするロイ。
「例え元だとしても、片腕を失ったとしても……名誉を重んじる限り、第12連隊なのでは?」
ロイの言葉は空虚にも思えるが、その空虚を重んじるのが軍人の美徳であるともジェレミーは理解している。
「…………」
揺れている、と直感する。
あと一押し……今度は情ではなく、実利に訴えればきまりだろう。
「まあ、さっきも言ったように悪くはしねーよ。素直に協力するなら、場合によっちゃ穏便に済ませるのもやぶさかじゃねー」
「不名誉除隊は、君も避けたいよね?」
宗冬とロイの言葉が最後の一押しとなり、ミラー上等兵は小さな声で告白を始める。
「シュルム共和国のザクシンに赴任していた時です……」
ミラー上等兵が口にした地名は、オルセン伍長の叙勲理由となっている戦闘が行われた地域でもある。
「放棄された民家から、いくつかの金品を盗み、休暇で帰国した際、それを売却しました」
まるで殺人を告白するかのようなミラー上等兵の口調だったが、ジェレミーは内心で拍子抜けしていた。
もちろん、彼の行ったことは犯罪ではあるが、予想していたものよりも断然軽いものだった。
よくて戦地での強姦。
悪ければ一般市民の虐殺。
それが彼の予想だったのだから。
「魔が差したというのは言い訳になりません。左腕を失ったのは、その天罰なんでしょう」
左腕を揺らしつつ小さく皮肉気に笑うミラー上等兵。そんな彼に誰一人として同情も同意の言葉もかけることはなかった。
「ということは、それをオルセン伍長が気づき、君を脅したということかな?」
しかし、そのロイの質問に首を振るミラー上等兵。
「伍長が聞いたのは、ただ一つです。盗んだ金品……その中でもペンダントをどこに売ったのか聞かれました」
「うん? オルセンがあんたにそんなことを? 理由は分かるかい?」
「いえ、それは……」
「まあ、聞けるはずねーか。盗みがばれただけでも死ぬほど焦るだろうしな」
自分の言葉を否定してから宗冬は、質問を重ねる。
「それで、売っ払ったのはどこなんだい?」
「ロータウンの東63番街にあるゴヤ質店ですが……」
質店とは言ってもまともなものではないだろう。
というよりも、その店が古物販売許可証を取得しているのかすら怪しい。
「ちなみに、そのペンダントに関して、何か怪しいところは?」
「女性と赤ん坊の写真が収められた、純銀製のペンダントでした。それ以外には、特に……」
得られる情報はこの程度だろう、と考えたのだろう。宗冬がロイに無言で頷く。
「協力ありがとう。では……」
とロイが言葉をつづけようとするのだが──
「はい。お手数をおかけします」
そう言いながら、神妙な面持ちでミラー上等兵が両手を差し出す。
「あー……もしかして、逮捕されるとでも思ったのかな?」
基本的にはまじめで誠実な人物なのだろう。
それこそジェレミーが、思わず吹き出しそうになるほどに。
「はい。それが、当然のことだと」
「まあ、お前さんがやったのは犯罪ではあるが……」
確かに、逮捕起訴するのが筋なのだろう。実刑を食らうかは微妙なところだが、ミラー上等兵の不名誉除隊は確実だろう。
しかし、たった一度の過ちで、片腕を失った国の英雄を路頭に迷わせるのが、果たして国益に適うのかは甚だ疑問だ。
それに何より──この程度の戦地での犯罪を一々立件していたら、ADCは機能不全に陥るだろう。むしろ、こちらの方がジェレミーたちの本音だった。
立件される戦場での犯罪は、殺人、強姦などの重大犯罪だけであり、放棄された家屋からの窃盗は微罪と形容できるものだ。
もちろん決して褒められたことではないのだが、それが厳然たる事実でもあった。
「協力すれば穏便に済ますと宗冬君が言ってたように、逮捕起訴はしないよ」軽く肩を竦めつつ、ロイが柔和な笑みを浮かべつつ続ける。「とはいっても、罪を犯したのは事実だから、除隊するのが筋だと思う」
名誉除隊をして穏便に済ませろということなのだが、ミラー上等兵にとっては酷なことだろう。
「名誉除隊なら年金も満額支給されるだろ?」そう言ってから、宗冬は一枚の名刺を取り出す。「もしも、除隊してなお、この国に尽くしたいってー言うなら、ここに連絡しな」
彼がミラー上等兵に手渡した名刺は、ACD局長であるレインのものだ。
尋常ではないコネクションを持つ彼女なら、いくらでもミラー上等兵に新たな職を用意してくれるだろう。
そして何より、戦地における犯罪を“穏便”に済ませたことも、彼女にとってはプラスなのだから、協力は惜しまないだろう。
「そんじゃー、達者でなミラー上等兵」
宗冬の言葉を合図とするかのようにミラー上等兵に背を向けるジェレミーだが──
「ああ、そうだ」
やがてロイが何かを思い出したように、ミラー上等兵を振り返る。
「先ほど腕を失ったのは、罰だと仰いましたよね?」
「は、はい……」
急に敬語を使い始めたロイに、ミラー上等兵は面食らったように答える。
「それは罰ではなく、国に尽くしたためだと私は思います。犯した罪と、それまでの行為は別に論じられるべきものです」
それはミラー上等兵への敬意だけではなく、罪を償うとしたらこれからだ、という意味も含まれているのだろう。
「──あなたの忠誠に敬意を表します」
ロイが流麗な仕草で敬礼をするのに合わせて、宗冬とジェレミーも姿勢を正す。
「ありがとう……ございます……」
答礼しつつ口にしたミラー上等兵の声は、途切れ途切れであっても、震えることはなかった。




