プロローグ:ヤクザ、殺し屋、スパイ、テロリスト
ある世界の地球という星に、ある四人の男女がいた。
男性が二人、女性が二人。
四人の間には直接の面識はなく、彼らのうちの幾人かは、
互いの存在すら知らないだろう。
このように関係性が極めて薄い四人であったが、彼らには二つの共通点があった。
一つは、あまり他人に誇れるような職業に就いていないこと。
いや、正確に形容するならば、何人かは職業とは認識していないのだが……。
何にせよ、他人には誇れないし、大っぴらにできない行為に手を染めてきたことだけは確かだ。
そして、もう一つは……彼らが等しく生命の危機に直面していることだろう。
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一人目の人物は、地球の日本という国の東北地方と呼称される地域の地方都市にいた。
人気のない寂れた漁港の一角には、30人弱の男たちがいた。
彼らは一様に暴力的な空気を身にまとい、少なくとも真っ当な一般市民だけではないのは確かだ。
男たちは、二つのグループに分かれて対峙している。
いや、正確に表現するなら一人対その他全員となるだろう。
その“一人”の方の男性は、萱場宗冬という。今年で21歳になる青年だ。
身長は同年代の男性と比較すれば、頭一つ高いだろう。
細身の体格なのにどこか人を威圧するような雰囲気があり、それを隠そうともしない。
目つきは鋭く、一般人ならば声をかけることはおろか、近づくことすら忌避するだろう。
それもそのはずであり、彼の職業……というよりも、所属は日本独特の反社会的組織。
一般的には暴力団、もしくはヤクザと形容されるものだ。
彼が所属しているのは、東北の地方都市に根付くような、ごくごく小さな組織だ。
かといってどこかの団体の二次、三次組織でもなく、よく言えば独立独歩の暴力団だっただのが──表の世界も裏の世界も、業界の再編という波からは逃れることはできなかった。
「まあ、こんなもんかね……」
煙草をふかしながら、萱場宗冬は自虐的な笑みを浮かべた。
しかし、それが笑顔だと認識できるのは、彼と親しい者だけだが……そのような者は既にこの世にいない。
親代わりだった会長はいの一番に殺された。
尊敬していた若頭の消息は今をもって分からないが、生きているということはないだろう。
遺体が見つかれば幸運というレベルなのは、宗冬も理解している。
「最後の花道としては、上出来ってとこか」
吐き出した紫煙が、生ぬるい夜風に消えていく。
夜空を見上げれば、憎らしいほどに綺麗な天の川。
幼いころ、人は死んだらお星さまになるなんて、会長から教えられた覚えがある。
ヤクザの親玉が何を言っているのかと、今では笑える話だが……
(とはいっても、地獄に落ちるのは確定だとは思うんだがね)
宗冬の所属していた組織は、今どき珍しい昔気質のものだった。
違法薬物の売買はお題目ではなく、正真正銘の御法度。
堅気に迷惑をかければ、即破門。
大昔の仁侠映画に出てくる、正義の極道などいう矛盾した存在を地で行く組織だった。
(……だからこそ、こうなっちまったんだがな)
だからこそ、組織としては脆弱だった。
だからこそ、地域社会からは恐れられても、受け入れられていた。
だからこそ、畜生道を地で行く組織からの杯を拒んだ。
だからこそ、数の力に圧倒され残る組員は宗冬一人となった。
「しかし、弾よりも敵の方が多いってーのも、なかなかだよな? そう思わねーか? 」
右手に持った拳銃で、目の前に跪かせた男の後頭部を小突く。
「て、てめぇ! こんなことしてタダで済むと思ってんのか!」
唾をまき散らしつつ叫ぶ男は、宗冬が所属していた組織を潰すべく派遣された一団のリーダーと言える者だった。
幸運に幸運が重なり“捕獲”できた彼を人質として、家族とも言える人々を殺害した面々を呼び出したのだが……
「うるせーよ。先に仕掛けたのはそっちだろ」
日本有数の反社会的組織からもたらされた、協力関係を構築しようという提案。
もちろん、それは表向きであり、実質的には傘下に加われという強迫に他ならない。
(親父が断るってーのも、織り込み済みだったんだろうが)
それからは一方的な“侵略”が始まった。
先述した通りに宗冬一人となるのに、一週間しか必要としないほどに、苛烈で迅速な侵略だった。
(まあ、5、6人くらい道連れにできればってところかね……)
「約束通り、兄貴を解放しねーか!」
そんな怒鳴り声が聞こえて、宗冬の思考は中断する。
(ああ、そう言えば……そんな約束もしてたかね)
どこか他人事のように思いつつ、宗冬は唇を歪める。
その表情をどう勘違いしたのか、彼の正面に立つ男たちの緊張が少しだけ緩んだのを宗冬は感じていた。
「さて……」
そう宗冬が呟くと同時に、パンッという軽い乾いた音が響いた。
銃口を突き付けられていた男の頭が激しく前に傾き、その体がゆっくりと前のめりに倒れていく。
「──っ!?」
さすがに人質をいきなり殺害するとは想像だにしなかった男たちが、一様に息を飲む。
「それじゃあ、始めようかね」
軽い口調で言ってから宗冬は、咥えていた煙草を吐き出した。
銃弾の残りは8発。
それが無くなれば、会長の遺品である段平が一振り。
そして、それさえ使い物にならなければ、手と足がある。
それもダメなら、この口で敵の喉笛を噛み切ることくらいは……できれば格好良いだろう。
利口な方法じゃないのは宗冬が一番よく知っている。
それでも──
「物事には三つのやり方がある。正しいやり方、間違ったやり方、俺のやり方だ」
意外にも映画好きだった親父が、特に好んだものの名言を口にしてから、宗冬はくわえていた煙草を吐き捨てた。
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二人目の人物は、南米という地域にいた。
彼女の名前はマヌエラ・スアレス。今年で19歳になる女性だ。いや、女性というよりも少女と形容してもいい年齢かもしれない。
彼女の職業はテロリスト。
本人としてはそこまで大仰なものではないと思っているが、少なくとも政府を始めとする機関にはそう認識されれている。
実際問題として、彼女は所属している組織の思想や理想などには興味がなかった。
ただ、衣食住を求めた結果でしかない。
言われたままに人を殺し、言われたままに人を浚い、言われたままに人を痛めつける。
彼女個人としては、そういったことは嫌いであり、決して好きでやっているわけではない。
それでも、背に腹は代えられぬという言葉の通り、それしか生きる道は存在していなった。
気づけば組織にどっぷりと浸かり、引くことは許されるはずもなかった。
さらに悪いことに、彼女には実力があった。
もちろんそれは、政治的実力などといった上品なものではなく、文字通りの“実力”という意味でだが。
そして、どの時代でもそうだが、突出した力を持つものは、得てして反感と危機感を抱かれるものだ。
「いやー……まともな死に方はしないと思ってたんですけどねぇ……」
困ったように頬を掻いているマヌエラだが、状況は絶望的という表現以外にないだろう。
廃墟ビルの最上階。伏射の姿勢を取っているマヌエラの背後には、無言のままの男たちが7人。
彼らは一様に銃を構え、尖った殺気をマヌエラに向けている。
状況を簡単に説明すると、上記のようになる。
何がどうなってこうなったのかは、簡単に想像できるだろう。
(しかし、ここで裏切られるとは……)
いつかはこうなるかも……と予想しないではなかったが、それがこのタイミングだとは。
いや、もちろん想定していなかった自分自身が悪いとは理解している。
「いやいや、だとしても気を抜きすぎでしょ自分……」
呆れ半分悲しさ半分で呟いたマヌエラだったが、すぐに思考を切り替える。どうにかして、この危機を脱する方法はないだろうか?
(いやー……無理っす)
1秒にも満たない思考で導かれた結論は、彼女自身すら呆れるほどに軽いものだった。
(そもそもっすよ、こんな狙撃銃で後ろの人たちを無力化なんて、映画の中じゃないと無理ですって)
(まあ、それでも……この人たちがあたしを滅茶苦茶に犯しちゃうぞーって感じなら、可愛らしく腰を振ってる間に殺せるかもっすけど……)
そんなマヌエラの願いは幸か不幸か実現しそうにない。
背後の男たちが抱いている感情は二つだけ。
恐怖心と殺意。
これは狙われているマヌエラにとっては、非常に厄介な感情だと言えた。
(はぁ……それでも一人で死ぬのも嫌っすからねー)
嫌というか悔しいというか……まあ、そんな感じだ。
とにかく、気に食わない。
このまま、自分が一人で死ぬのは割に合わない。
殺されても仕方ない業を背負っているのは、マヌエラも理解している。
何せこの世界で最も大事な人を殺してしまっても、のうのうと生きている外道なのだから。
それでも、納得できないものは納得できないのだ。
(それじゃあ……やりますか)
そして、呼吸を整えつつ、マヌエラはこの世界での最後の行動に移るのだった。
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三人目の人物は、中東と呼ばれる地域にいた。
長きに渡る内戦により、かつての姿すら想像できない廃墟となった都市。
その一角……そこでは若い男性が両手を挙げつつ、溜息を吐き出していた。
彼の名前はジェレミー・クルーズ。
職業はある国の情報機関職員。
平たく言えば、スパイ、工作員……といったものになるだろう。
そんな彼は母国から遠く離れた地で、いくつもの銃口を向けられていた。
(あー……ここまでってやつですか)
両手を上げつつ苦笑を浮かべるジェレミー。
目の前にいる十数人の男性の指に、少しでも力が込められれば、彼はすぐにでもハチの巣になるだろう。
(しかし、誰が情報を漏らしたのやら……)
彼の存在、任務内容などの一切は、最上級の機密となっている。
というよりも、彼の顔を知っている人間など、本国においてもほとんどいないだろう。
ジェレミーの今回の任務は、ある人物と接触し、彼の母国に有益な情報を手段を問わずに持ち帰ることなのだが──
落ち合う場所に来てみれば目的の人物などおらず、代わりに銃を構えた男性達に取り囲まれているという状態だ。
(こうなった理由の予想はつきますけど、今更ってやつですし……)
そりの合わない無能な、とある上司の顔が脳裏に浮かんでくる。
全財産を賭けても良いが、彼を裏切るとすれば、その人物だけだろう。
彼以外にジェレミーを知る人間は、決して裏切ることはない。
なぜなら、ジェレミーの有用性をしっかりと理解しているからだ。
得てして裏切りというものは高尚な謀略の一環ではなく、嫉妬や恐怖と言った人間の根源的感情に起因するものなのだ。
(無能で臆病な上司ほど、最悪なものはありませんよね……)
少なくともジェレミーが生きて本国に帰ることはないだろう。
彼に銃口を向けている男たちにそのつもりはないだろうし、何より彼をハメた人物がそれを望んでいないのだから。
(拷問されても耐える自信しかないですけど……)
もちろん、拷問に耐えたとしても殺されるのだから意味はないのだが。
しかし、何よりジェレミーが気に入らないのは、自分を裏切った者のことだ。
こんな仕事をしている自分が、まともな死に方をするはずないとは理解している。
それでも、これはちょっと……いや、かなり気に食わない。
こんな終わり方は、あまりにも納得できない。
軽佻浮薄な性格だし、真面目な勤務態度とは言えなかっただろうが、ジェレミーは常に母国に忠誠を抱いていた。
にもかかわらず、この仕打ちだ。
到底承服できかねるというものだ。
それならば──
(少しでも、僕を裏切った奴らに復讐しますか……)
もしも掴まって拷問を受けたのなら、うまい具合に裏切者の不利益となる情報をぶちまけてやろう。
他にも色々とささやかな復讐が浮かんでくるのだが──
(あー……これは、ダメか)
男性たちの表情を見て悟る。
彼らはジェレミーを痛めつけるつもりなどないようだ。
十中八九、彼を裏切った者の指示なのだろうが──
(こういうところだけ、抜け目がないのもいかがなものかと思うんですよね)
溜息を吐きつつ、中東の青空を見上げる。
そして、それこそが……彼が目にしたこの世界の最後の光景だった。
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そして、最後の一人は萱場宗冬と同じ日本という国にいた。
彼女の名前は……彼女すら知らない。
彼女は単に27番と呼称されている存在にすぎないのだから。
「困った……」
27番は可愛らしく小首をかしげて見せた。
そう、とても可愛らしい少女だ。
それも美少女という表現が、陳腐になるほどに美しい容貌だ。
「……任務は達成できたけど……これはミス」
27番の容貌は息を飲むほどに美しいが、何より人の目を引くのは、彼女の左目は潰れ、左腕の先がないことだろう。
しかし、その欠損とも形容できるものが、さらに彼女の美しさを引き立てているのだから不思議なことだった。
「やはり……射殺にすべきだったか……」
彼女の右手には男性の頭部が無造作に握られていた。
頸部の断面は非常に滑らかであり、切断に使用された道具の質と、切断する技術の素晴らしさを教えてくれる。
27番の腰には一振りの日本刀があり、それが凶器であることはだれの目にも明らかだろう。
人間の頭部は意外に重量があり、27番の細腕では難しそうに見えるのだが、彼女にとっては大したことがないようだ。
無造作に髪をつかまれた頭部は、当然ながら表情筋や皮膚などが、引っ張られる形になる。
それによって、頭部の表情は、この場にそぐわないほどに間抜けだった。
例えるなら、ストッキングを被った時の表情に似ているだろうか。
「どうしよう……警察の人を殺すのは……よくない」
この平和な日本という国では、めったにお目にかかれないほどに“大量”の警察車両が、27番の目の前に存在していた。
その車両を盾にするように、警官たちが彼女に向けて拳銃を構えている。
彼女の職業……というべきかは不明だが、彼女は人殺しだ。
「殺すのは……悪い奴……だけ」
彼女の素性は彼女自身すら知らない。
気づいた時にはある宗教団体……世間一般で言うところのカルト教団の施設で育てられ、27という番号で呼ばれていた。
それ以降は、非常に簡単な人生を歩むこととなる。
件の宗教団体の施設で徹底的に、人を殺すための技術を叩き込まれた。
「……弱った」
むぅ、と唸りつつ27番は考える。
残された右に映るのは、数えるのも嫌になるほどの警官と警察車両。
残された右腕一本で、この危機を乗り越えられるだろうか?
隻腕隻眼の少女は、未だに生き残ることは諦めていない。
「仕方ない……」
今まで組織の指示に従って殺してきた人間は、27番自身が“殺すに値する”と判断した者達だ。
端的に言うなら、“悪人”となるだろう。
とにかく、そういった人物を殺し続けてきた。
もしも、それ以外の指令が来たのならば、即座に彼女は組織に反旗を翻していただろう。
しかし、今回は相手が悪すぎた。
なにせ相手はこの国の権力の中枢にいる政治家の一人。
彼を殺すこと自体は、問題はなかった。
気づかれぬように住居に侵入し、標的を殺害。
ここまでは良かった。
しかし、ここで“厄介な相手”が現れることとなった。
「子供を殺すのも……よくない」
事前の調べてでは確認できなかった、標的の子供に現場を目撃されてしまっていた。
目撃者である子供をその場で殺しておけば、騒がれなかったし、通報もされなかっただろう。
さらに言うならば、恐慌状態に陥っている子供をどうにか落ち着かせようと四苦八苦していたのも良くなかった。
「うん……ちょっとだけ後悔」
彼女が後悔しているのは、子供を殺さなかったことではない。
子供に父親の殺害現場を見せてしまったことだ。
基本的に27番は優しい人間だ。
良い人、と表現しても差し支えないだろう。
子供好きだし、善人には大きな敬意を払う人物だ。
だからこそ、悔やむ。
もっとうまいやり方があったのでは、と。
「それにしても……困った」
可愛らしい口調で言ってみせる27番に対して、取り囲む警官たちは「その場にひざまずけ!」と怒鳴り続けている。
しかし、27番に投降するという選択肢はない。
かといって、警官たちを傷つけるつもりなど、毛頭ない。
「警察は……とても尊敬するから……殺せない……」
となれば選択肢は一つだけ。
「頑張って……逃げるか……」
どのような結果になるかは火を見るより明らかだが、それ以外に選択肢がないのだから仕方がない。
27番の思考回路は、このように単純なものだった。
「よし……やろう……」
褒められた人生でないことは27番も分かっている。
いつ死んでも不思議じゃないし、まともな人生の終わりなど迎えられるはずもないと理解している。
だとしても、決して死にたいわけじゃない。
今まで散々人を殺めてきたのに、と自分でも笑えるが、こればかりはどうしようもないことだった。
「でも……」
小さな言葉は、他の誰も聞き取ることはできなかっただろう。
「それでも……」
27番は今年で14歳になる少女だ。
もちろん、自らの年齢など彼女が知るはずもないが。
「生まれ変わったら……もっと良い人になりたい……」
それは自分の年齢も知らない少女が口にした、この世界での最後の言葉だった。
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アメルス皇国最大の都市であるヘネシーの一角では、大掛かりな規制線が張られていた。
問題となっている地点から周囲5ブロックは完全に閉鎖され、上空をマスコミのヘリが飛ぶことすら禁止しているほどに、厳重な体制であった。
「それにしても、この時代に異世界召喚なんて……」
その規制線を張った張本人であり、この場の指揮官でもあるレイン・オズボーンは自らの顎を静かに撫でていた。
彼女がいるのはいわゆる「指揮車両」と呼ばれるものであり、その車のサイドには「国防省警察陸軍局:ADC」と書かれている。
国防省警察陸軍局に関して、細かく述べる必要はないだろう。
読んだまま、そのままの組織なのだから。
とにかく、レインという女性は、その組織において「局長」という地位にいる点のみがこの場において重要だ。
「割に合わないし、そもそも召喚がうまくいく可能性も低いし……」
顎を撫でていた手が、今度は彼女の“細長い耳”の耳たぶを撫ぜる。
ちなみに、これは彼女の二番目の夫の癖が移ったものであり、先の顎を撫でる癖は最初の夫の癖である。
「まあ、狂信者達の理論なんて興味ないし、詳しい話はあとで聞けば良いわね」
考えても仕方のないことは保留するに限る。
これは約400年生きている彼女が導き出した、一つの真理でもあった。
「問題は、万が一成功した場合よね。134年前みたいに送り返せば良いとは思うけど」
召喚魔法というものが、この世界には存在する。
読んで字のごとく、異世界から生物を召喚するというものなのだが、はっきり言って役に立たない魔法の典型例だろう。
なにせ、呼び出せるのは“この世界に適応できる生物であり、かつこの世界の生命に遺伝子的に近い存在のみ”なのだから、役に立たないことなど子供でも分かるだろう。
どこぞの漫画や小説のように魔王や悪魔などを呼び出せるならば、使い道もありそうではあるが……
しかし、それ以上に大きな弱点を異世界召喚魔法は抱えているのだが──
「レッドチーム、スタンバイ完了」
「ブルーチーム、スタンバイ完了」
レインの思考を打ち切るように、指揮車両のスピーカーから部下たちの静かな声が聞こえてきた。
思った以上に突入態勢が整うのが早いのは、ポジティブな意味で予想外だった。
これならば、召喚前に被疑者を確保できるはず。
「了解。被疑者はなるべく生かして確保。万が一召喚が成功してしまった場合は、被害者を穴の向こうに突き飛ばしちゃって。そうすれば、無事に元の世界に戻れるわ」
そう……それこそが異世界召喚魔法の最大の弱点なのだ。
時空の裂け目から召喚されたとしても、それが即座に消えるわけではない。
数少ない実例から分析するに、どうやら5分程度は残ってしまうらしい。
そのため召喚された者たちが、即座に引き返してしまえば、全く無意味な魔法の行使となってしまうのだ。
「話には聞いてましたけど、ぞんざいな対応ですね」
レッドチームのリーダーであり、子飼いの部下の一人である男性がスピーカーの向こうで小さく笑った。
「しかし、本当にその対応で良いのでしょうか?」
疑問を投げかけたのはブルーチームのリーダーであり、これまたレイン子飼いの部下である女性だった。
「良いの良いの。その理論に関しては350年前に証明されているから。興味があるなら、調べてみると良いわ」
これに関しては嘘はない。
その程度のことを部下が知らないはずないのだが……
「それは知っています。私が気にしているのは、送り返した先が安全かどうかです」
「というと?」
「時空の裂け目が、消える前に被害者たちを送り返せば……」
「ええ、この世界の記憶を保持することなく、元の世界に戻れるわね。召喚される直前の状態で……って、そういうことね」
先ほど口にしたことを、どうして部下はわざわざ繰り返すのか疑問を抱いたレインだったが、部下の言いたいことを理解する。
「オルゾンさんが言いたいのは、もしも彼らが召喚されたのは最悪のタイミング……いえ、この場合は最高のタイミングだった場合の話ね?」
「はい。もしも……そうですね、例えば交通事故が発生する直前に、この世界に召喚された場合、元の世界に送り返したら……」
「それは仕方ないんじゃないのかな? それに、極端な例を考える必要はないと思うけど」
言い淀んだフロールに対して、こともなげに言葉を返す男性。
「ロイ、その発言は非人道的では?」
しかし、ロイと呼ばれた男性は、フロールの冷たい言葉にひるむことはない。
「そんなことないよ。そもそも、被害者がそんな状況に置かれたのは、こちらの世界の責任じゃないよね? こっちの責任は、あくまでも呼び出したことにつきるんじゃないかな?」
「だとしても、元の世界に戻ることで、命が危うくなっても良いのですか?」
「良い悪いの話じゃなくて、どうするのが自然かって問題だよ」
「私たちは人命と財産を守り、公共の秩序を保つのが仕事ですよ? 自然かどうかは、それこそ我々の職務の範疇ではありません。せめて、時空の裂け目が消えるまで、彼らの話を聞いても良いのでは?」
レインとしては、どちらの意見も好ましいものだと思う。
どちらにも理があり、どちらも間違えてはいない。
二人の堂々巡りとも思える議論の続きを聞いてみたい気はするが──
「とりあえず、議論は保留にしましょう」
とはいっても……被害者が元の世界で、どのような状況に置かれていたのかなどと考えたことはなかった。
その意味では、フロールの意見は新鮮なものだった。
「ベストは、召喚が実行される前に犯人を確保すること。だけど、もしも召喚が実行された場──」
レインがそう口にした時、彼女の隣に座る部下が小さく声をかけてきた。
「局長。周辺住民の避難が完了しました」
召喚魔法が失敗し、注ぎ込まれた魔力の暴走により大きな被害をもたらした記録が、330年前に一度だけある。
可能性は少ないとは言っても、慎重になるべき部分でもあった。
「ご苦労様。各員──」
時間を合わせるようレインが口にしようとした時、けたたましいアラーム音が車内に響いた。
「召喚魔法の起動を確認。召喚完了まで、残り30秒」
その言葉を聞いた瞬間、魔法が行使されようとしている建物の入り口に待機していた部下へと指示を送る。
「──任務開始」
静かな声がインカムを通して、レインの部下たちに伝達される。
そこからの動きは迅速以外のなにものでもなかった。
突入部隊の各々が装着している小型カメラからは、現場の状況が逐一送られてくる。
「──起動が早すぎる」
技術班からの報告では、起動まで10分はあるはずだった。
マージンを取って7分あれば問題ないだろう、と考えたのは特段の不手際だとはレイン自身も思ってはいない。
「間に合うかは……微妙か……」
異世界の存在が召喚される前に防げるかは、彼女の言葉通りに微妙な状況であった。
映像ではいよいよ部下たちが、召喚魔法が行使されている地下室へと突入するところであった。
無言のままハンドシグナルで意思の疎通を図ったのち、部下たちが突入するのだが──
「冗談でしょ……」
地下室の内部を映し出す映像を目にして、レインは頬を引きつらせるのだった。