表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

1 again

 原題 奴隷ゾンビは悪女に虐げながら下剋上の夢を見る ですが、こっちのタイトルの方がいいかなと。

奴隷ゾンビは氷の城を夢見る dream again


1 again


 少年はかつて氷の城を見た。水晶のように透き通る壁が、あの手で温めると溶けてしまう氷でできているなんて信じられない。決して解けない永久凍土の城。少年はそんな城に憧れを抱いた。俺はいつか、決して解けない氷の城のようになってやる。そう、心に誓った。


 人生の転機とは突然訪れる。彼を主人公とする物語は殊に、彼の転落から始まった。

 燃え盛る自らの体。ぐるぐると回る自らの視界。彼の首は彼から離れ、今、地面に落ちようとしている。燃え盛る体の前には一人のコートを着た男がいる。その時、何故その男が最強と謳われているのかを彼は知った。その男は彼の種族がもっとも不利とされている属性の能力を有しているためである。

 彼の頭はゴムボールのようにポンポン跳ね、そして、止まった。

 それでも彼は死ななかった。彼はゾンビである。でも、死ぬのは時間の問題でもあった。ゾンビは死なない。一度死んでいる。だから、死ぬという表現は滑稽この上ない。ただ、腐敗するのみ。ゾンビには腐敗ゲージというものがあり、それがなくなると腐敗してしまう。それはゾンビが死ぬことを意味する。

 彼が死ぬのは時間の問題だった。今は無様に路地裏に転がっている。影が差すかび臭い路地裏では、彼は一日生きることができるだろう。それが彼にとってもどかしかった。日光にさらされれば、すぐに死ぬことができるのに。彼は二度目の生に固執しているタイプではなかった。

 ゾンビには二つの人種が存在する。生前の生にに固執するかしないかである。でも、そのどちらにしても、生前の呪いに縛られる。碌な死に方をしなかったものは、殺した相手を殺し、そうでもなかった者は、最愛のものを殺す。

 彼がどちらを殺したかというと、そのどちらでもなかった。最愛の人を殺す勇気もなく、また、殺されたというより見捨てて死に追いやった者を殺すほどの能力を彼は持っていなかった。


あなたの頭はどこにある

 ころころころころ転がって

 ころころころころどこにある

 私の嫌いなおにいちゃん


 それは不吉で、それでいて壊れた歌だった。歯車のかみ合わないゼンマイ仕掛けのような女の声が彼の耳に到達する。

「頭、みぃつけた。」

 まだ成人に達していないであろう少女が姿を現す。衣服はぼろぼろで、ところどころ焼け落ちていて黒い。元は白い衣服であったのがかろうじてわかる程度である。その焼け落ちた所から、白い肌が見え隠れしている。

 彼は最初、女が侵されて狂っているのだと思った。だが、女が荷物のようにして首のない死体を手にしているので、ことの異常性に体を、いや、頭を震わす。

 女は彼の首を持ち上げた。そして、宝物を抱くように胸に抱く。

 止めてくれ、と彼は思った。人間の体温で腐敗が早まってしまう。だが、少女はすぐに首だけの彼を離し、首のない死体に彼を載せる。

「ブサイク。」

 そう言いながら少女は針と糸を取り出し、チクチクと彼の首を少女の持っていた体とを縫い合わせる。

 彼は迷った。このまま生きるべきかどうか。

 そんな時、彼の祖国の氷の城を思い出す。遠い大陸の決して溶けない城。

 彼は夢見てしまったのだ。

 彼は再び夢見ることを決めた。

「お前、なんのつもりだよ。」

 首を再生して密着させた彼は少女に聞く。その瞬間ぶたれた。

「お人形はしゃべらないものよ。」

「お前・・・」

 だが、彼はどうすることもできなかった。彼の新しい体は自由には動かない。それは自分の体ではないからで、いくらレベルアップしようとも、かつての自由な動きはできそうもない。

「さあ、お人形さん。行きましょ?」

 少女は彼に首輪をつけた。

「早く行きなさい。」

 彼は少女に思いっきり蹴り飛ばされる。もとの体の彼であれば、赤子の手をひねるより簡単に少女を殺せるはずなのだが、今の彼には抵抗の余地はない。

「なんでこうなるんだ。」

 彼は今さらながら後悔した。


 少女が彼を連れてきたのは、悪趣味な場所だった。どこかのパブなのだろうが、客席であった場所は死体の山が積み上げられている。そして、死体を蝕むのは無数の蛆。その光景を見て、彼は生きることを諦めなくてよかったと思った。

「おい。日光に当たらないところに連れて行ってくれ。」

「奴隷のくせに生意気ね。」

 少女は文句を言いながらも、パブの裏手の暗い暗室に向かう。

「まあ、いいベッド。」

 少女はそのままベッドにもぐりこみ、眠った。

「はあ。眠っちまったのかよ。」

 それは彼にとって羨ましい限りのことだった。ゾンビである彼は眠ることができない。目を閉じることはできるが、眠たくはならないのだった。

「まだ起きてるわよ。」

 だが、呂律が回っていない。すぐに寝てしまいそうだった。

「あんた、名前は?」

「俺か?俺は――」

 彼は長い間自分の名前を忘れていた。ただ、ゾンビの中の別種の呼称で呼ばれる期間が長かったためである。

「メンドーサ。」

 ようやく自分の名前を思い出して少女に告げる。

 少女は吐息を立て、眠っていた。

 やれやれ、とメンドーサは肩をすくめる。だが、腕は動いてくれず、肩も数センチ移動する程度だった。

「また、殺してレベルアップしないとな。」

 そのためには、目の前の少女と行動を共にする必要があるとメンドーサは感じた。


 ゾンビは夢を見ない。だから、メンドーサは瞬時に、それは夢でないことを悟った。それは彼の体の記憶。

 三頭身の少女がぱたぱたと草原を駆けて行っていた。そして、ぼてん、と転げる。

『おいおい。ミラリー。大丈夫か?』

 彼の視点である人物は少女の元へと駆け寄る。少女は泣き出した。

『よしよし。泣かないで。ミラリーが泣いちゃうと俺も悲しくなってくる。』

 少女は一層泣きわめく。少女はあの女に似ているとメンドーサは思った。


『なあ、ミラリー。そんな豪華な服を買ったら食べ物に困ってしまうよ。』

 今の少女より少しだけ若い少女は彼に目を向けずに言う。

『私はこんな貧乏な生活嫌なの。だから、綺麗にして貴族に拾ってもらうのよ。』

『お兄ちゃんを一人にしないでくれ。』

『つべこべ言わず、さっさと仕事に行きなさい。』

 最悪だな、とメンドーサは思った。

『分かったよ。』

 そう言いながら男の視点は家の外を出る。男が出てきた家はぼろっちく、今にでも風で吹き飛びそうだった。

『俺が頑張って働けばいいんだ。そうすれば、ミラリーを幸せにしてあげられる。』

 メンドーサは男をバカだと思った。


 今度は暗い部屋だった。

『兄さん、死んだはずじゃなかったの?』

『生き返ったんだ。一緒にミラリーと暮らすために。』

『どうして生き返ったの?』

『わからない。でも、もう一度あえて嬉しいよ。』

『なんで?訳が分からない。どうして死んだままでいてくれなかったのよ。』

 性根が腐っている、とメンドーサは思った。この男がどれだけお前のために汗水たらして働いてきたのかと思うと、メンドーサは自分のことのように腹が立つ。

『私は兄さんが死んだから、兄さんを殺してしまった貴族からお金を一杯もらったの。そして、養子にしてくれるって言われたの。でも、兄さんが『アンビシュは生きています。妹のミラリーを探しています』なんて広告を出すから、金を取り上げられて追い出された!私がこんな貧乏生活嫌だったって知ってるでしょ?折角ぜいたくな暮らしができると思ったのに。なのに邪魔ばかりして。いっつもそうだったじゃない。死んでくれてせいせいしたのに。』

 そして、極めつけはこうだった。

『死んだままでいてくれればよかったのよ。』

 男の中の最後のタガが外れたのだとメンドーサは悟った。

 男は少女の悲鳴の中、家具を倒す。少女は倒れた家具の下敷きとなり、気を失ったようだった。男は少女にとどめを刺そうと、少女の首に手をかける。だが、殺せなかった。

 男の目から涙は出ない。この時になってメンドーサは男がゾンビなのだと悟った。ゾンビは涙を流さない。

『なあ、友よ。』

 入ってきた少年に男は言った。

『俺を殺してくれ。』

 少年は持っていた剣で男の首を切り落とした。メンドーサは少年に見覚えがあった。

 ぽとん、と首が落ちた後、少年は家に火を放った。男は一瞬で死に絶えた。

『ミラリーをよろしく頼む。』

 これは、体の記憶ではなかった――


「もう朝?」

「昼だな。」

 のっそりと起きてきた少女は寝ぼけまなこでメンドーサに言った。

「はあ。いつまでもこんな格好してられないわね。」

 少女はかけてあった踊り子の衣装を手に持ち、ベッドに投げ出す。そして、服を脱ぐ。

「おい、待て。俺がいるんだぞ。」

 メンドーサは慌てて目を逸らす。

「奴隷なんて家畜以下だもの。恥ずかしくもなんともないわ。」

「兄貴が泣くぞ。」

 ピタリ、と少女は衣服を脱ぐ動きを止める。白い下着を見に纏っていた。

「なんで知ってるの?」

「体の記憶が飛び込んできたんだよ。」

 少女が目を見開き、恐ろしい表情をしているので、メンドーサは恐る恐る言った。

「兄さんのことは言うな!」

 少女は下着のままメンドーサを蹴り飛ばす。そして、裸足の足の裏でごんごんと何度も何度も踏みつけた。

「止めろって。」

 メンドーサは痛みを感じない。ゾンビは死体であるから痛みなど無縁なのだ。でも、体に傷がつけば、腐敗は早まる。

「あんたが、あんたがいるから!」

 ぽつり、とメンドーサの頬に何かが落ちる。少女の目から涙が出ていた。少女は泣きながらもメンドーサを蹴り続けている。

「ミラリー。」

「そんな名前で呼ばないで。」

 ガシガシ。

 幾分か経って、少女は疲れたようにベッドに沈む。

「私のことはお嬢様と言いなさい。」

「なんで――」

「もう一度首を切り落とすわよ。」

「かしこまりました。お嬢様。」

 メンドーサは恭しく動かない体で礼をしながら、早く着替えろよ、と内心思っていた。


「さあ、町に出かけるわよ。」

「お待ちください。お嬢様。」

 首輪を引っ張るミラリーをメンドーサは必死で止める。

「今は昼でございます。」

「それがどうしたの?」

「俺、腐って死ぬだろ!」

「はあ?何言ってんの?」

「俺はゾンビだから日光に当たると早く腐敗しちゃうの!」

「ゾンビ?寝言は寝てから言いなさい。」

「寝れないし。」

 メンドーサを引っ張っていこうとしたミラリーは、ふと、動きを止める。

「そう言えば、なんであんた生きてんの。普通、首だけだと死ぬでしょ?そもそも、どうして首を引っ付けたら生き返るの?」

「今さらかよ。」

 メンドーサはなんだか疲れてしまった。

「ゾンビはよっぽどのことがない限り、死なないの。で、首を糸で繋げただけじゃあ普通は元に戻らないけど、俺は能力で自己修復できるの。」

「なるほど。分からない。」

 ミラリーはメンドーサを連れて出て行こうとする。

「待てって。俺死ぬから。」

「死んでるんでしょ?」

「そうだけどさ。」

 ミラリーは呆れたように綱を投げる。メンドーサは難を逃れた、と胸をなでおろす。

「つまり、夜にしか出歩けないってことね。」

「一人で出かけろよ。」

「嫌よ。」

 ミラリーは険しい顔をする。

「みんな私のことを嫌っているもの。私が何をしたって言うの?何も悪い事なんてしてないじゃない。」

 いや、十分兄貴にひどい事してたよな、とメンドーサは思った。

「でも、夜になるとあの化け物が出てくる。」

「化け物?」

「動く死体よ。」

「ああ、俺のシ骸のことか。あれはもう全部死んだというか、腐り果てたよ。」

「何言ってるの?あなた。」

 少し説明が必要かとメンドーサは思った。

「あれは俺が作った俺の手足だ。」

「つまり、あなたがやったのね、あれを。」

 ミラリーの目が不気味に輝くのを見て、メンドーサは補足する。

「いや、もう作り出せない。」

「何よ。役立たず。」

 やはり、碌なことを考えていなかったか、とメンドーサは胸をなでおろした。

「でも、この町も荒れるわね。」

 ミラリーは再びベッドにもぐりこんで言う。

「どうして。」

「どうしてってあなたが町の人を殺しまくったせいでしょ?多分、この分なら、マフィアも壊滅ね。」

「じゃあ、よかったじゃないか。」

「いいえ。最悪よ。」

 ミラリーは苦虫をすりつぶしたような顔で言う。

「外から厄介なものが入ってくる。」

「魔物か?」

「いいえ。人よ。」

 そう言うと、ミラリーは再びベッドで眠り始めた。


 夜の帳が下りた。

「ようやく夜ね。」

 ミラリーは起き上がる。

「さて、どうしようかしら。」

「何も決めてないのかよ。」

「ええ。誰かさんのおかげで町は壊滅だし。このままじゃあ、魔物も入り放題だわ。」

 メンドーサは町を壊滅に追いやったことになんの悪気も感じていなかった。自分が生きるために他人を犠牲にするなど当たり前のように感じていたからである。

「でも、お金が必要ね。楽して稼げる方法はないかしら。」

 悪女よりも、だらしのないだけの女のように感じた。

「奪う他ないだろ。」

「そんなの捕まってしまうわ。」

 ミラリーは深くため息をついて、メンドーサの首輪の縄を引っ張り、夜の町に出た。


 夜の町はしんとしていた。人の気配はなく、夜の活気はない。

「そんな格好で寒くないのか?」

「着るものがないんだから仕方ないじゃない。」

 ミラリーは踊り子の衣装の上から、壊れたガラスケースから引っ張り出してきたコートを羽織っている。

「雪が降りそうね。」

「そんなに寒いか?」

 メンドーサは寒さを感じることができない。ゾンビだからだ。

「ええ。とっても。」

 ミラリーは歯をがたがた言わせていた。

「早く食べ物をかっさらって逃げましょう。」

「それよりも俺はあんな場所に戻るのは嫌なんだが。」

「でも、私たちは盗みをしているの。それは悪いことで、悪い事って分かった瞬間にこの町の人は容赦なく私を傷付けるわ。」

 元が人間であるメンドーサにもそのことはよく分かっていた。

「でも、このままではな――」

 氷の城になれそうもない。

「あなたは何を目指しているの?」

 ミラリーは興味なさそうに聞く。

「なんて言うか、誰にも負けない存在というか、決して溶けない氷というか。」

「つまんない。」

「なんだと?」

「バカよ、あんた。」

 バカにされることを言った覚えのないメンドーサは怒りをあらわにする。だが、今の彼には抵抗する余地はない。

「溶けない氷ってどういうことか知っているのかしら。氷が溶けないのは、周りの環境が冷たいせいよ。それは見当違いだわ。目指すのなら、冷たい気候ね。」

「とりあえず、決して揺るがない存在になりたいんだよ。」

 確かにミラリーの言うことは一理あるとメンドーサは思いつつも言った。

「でも、俺、早く人間を殺さないと腐っちまう。」

「どのくらいもつのかしら。」

「あと半月ってところだろう。」

「何人殺すの?」

「十人かな。」

 メンドーサはもうすぐでレベルアップという段になってから、ハンターに敗れたのだ。

「ふうん、ゾンビって大変ね。残酷だわ。」

 メンドーサはミラリーは自分の兄がゾンビだったことを知らなかったことに気が付く。

「そうだな。大変だ。」

 メンドーサは他人事のように呟いた。


 メンドーサはこの町の地理について熟知してた。いや、熟知というほどではない。大通りなどの明るみに出る場所は出て行く機会がなかったので、意外と疎い。だが、裏道は熟知していた。

「こっちだ。」

 メンドーサは二人に指示する。そして、裏路地のさらに狭い路地に身を隠す。そして、息を潜めて追手をやり過ごす。

「いやあ、助かった。」

 ホセと名乗った男はミラリーとメンドーサに帽子を取って礼を言う。

「お前、何者なんだよ。」

「包み隠そう、俺は情に熱い男、ホセだ。」

「この人、マフィアよ。」

 ミラリーは素っ気なく言う。

「黒いハット。あなた、ハット組ね。」

「ばれちまったか。」

 壮年の男は顔を皺だらけにして笑う。

「なんで追われてた。」

「そりゃあ、組が潰れたんだ。俺たちに恨みのあるやつの仕業さ。」

「あれは普通の市民。まあ、仕方ないわよね。あんたらが抗争をするたびに町が潰れかけたのだもの。」

「でも、治したのは俺たちだぜ。」

「壊さないでよ。」

 マフィアと言うと、もっと怖いイメージがあったメンドーサは少し拍子抜けしていた。

「だが、確かな筋だと、この町に隣の国からギャングが入ってきているみたいだな。恐らくそいつらがけしかけたんだろう。」

「こんな男にかまっている暇はないわ。おいて逃げましょ。」

 ミラリーは周りの様子を窺いながら、路地から出る。

「この町もその内無法地帯となるさ。」

 ホセはその場にとどまって言った。


 町の中心部にかけてはひどい有様だった。

「まあ、こうなるわよね。」

 諦めに近い口調でミラリーは言った。

 町は略奪の後が目立った。ガラスは破壊され、品物が路地に散乱している。これはシ骸によるものではないとメンドーサには分かった。人を襲うことよりも、品物をかっさらうことを目的とした有様。数人が路地に転げている。流れた血はもう黒く、すでに息絶えていることが分かった。

 と、夜にも関わらず、まだ店を漁っている者たちがいた。

「おい、何見てやがる!」

 ドスを効かせた声が夜の廃墟に響く。

「ここは俺たちのシマウチだ。文句あんのか。」

「外から入って来たギャングが何を言ってるの?」

「ああん?ケンカ売ってるのか、小娘が!」

 いかつい恰好の男はミラリーに殴りかかろうとするが、動きを止める。

「よく見たらいい女じゃねえか。まだまだ未熟だが、俺は好みだ。」

 ミラリーに手を出そうとする男の間にメンドーサは割って入る。

「なんだ、お前。」

「お嬢はこれでも人気でね。相手をするならそれなりに払ってもらわねえと。」

「ちっ。」

「そっちにも筋ってもんがあるだろ。この町のマフィアが力を無くした今、この業界はなかなか狙い時だと思うぜ。」

「持ってけ。」

 男はミラリーにジャラジャラと金の入った布袋を渡す。

「これで三晩は楽しめるだろ。」

 男はいやらしい笑みを浮かべて、ミラリーに手を伸ばす。

 その時、銃声が響いた。

 ミラリーとメンドーサは急いで男から逃げる。

「くそっ。」

 男は血の噴き出す腹を抱えてうずくまった。


「あんた、私を売ろうとしたわね。」

 ミラリーはメンドーサを蹴り飛ばす。

「でも、金は手に入っただろ。」

「金なんてこの町では何の意味もないわ。」

「まあ、俺のおかげで助かったんだ。いいじゃねえか。」

 合流したホセが言った。手には拳銃を持っている。

「このおっさんが何とかしなかったらどうするつもりだったのよ。」

「まあ、何とかなっただろ。」

 メンドーサは誰かが潜んでいることに気がついていた。確かに一か八かだったが、気配の消し方が、暗殺者のそれと似通っていたので、確率は高いと思ったのだ。

「でも、この町も終わりだな。恐らく、奴らはかっさらえるだけかっさらって、あとは自分の町に帰るんだろ。」

 ホセは険しい顔で言った。

「どうして助けてくれたのかしら。」

「まあ、さっきのお礼さ。俺はなんだかんだでこの町を愛してる。そりゃあ、人様に迷惑をかけることも多かったとは自覚しているが、それでも、俺たちはこの町を守ろうとしてきたんだ。あんな奴らに好き勝手されちゃあ、俺たちのプライドが傷付く。」

 情に厚いというのは意外と本当のことなのかもしれない、とメンドーサは思った。

「だが、嬢ちゃん、どうする?これであんたらもギャングに狙われる羽目になったぜ。」

「そうね。」

 ミラリーは焦る様子もなく、何か考え込んでいるようだった。

「決めたわ。」

 ミラリーは立ち上がる。

「私がこの町のボスになる。」

 メンドーサは唖然とした。


「どうせあんたたちのことだから、いち早く、どこかに集まってるんでしょ?案内なさい。」

「おい、冗談だろ。」

 メンドーサはようやく塞がった口で言葉を紡ぐ。

「はっはっは。おもしれえ。」

 ホセはなんだか喜んでいるようだった。

「いいだろう。案内してやるよ。」

「ホセ!」

 メンドーサはホセを責めるように言う。

「ちぐはぐな兄ちゃん。」

 ホセは拳銃で帽子をくい、と上げ、メンドーサに言う。

「嬢ちゃんはアンタと違って度胸がある。この決断は吉と出るか凶と出るかは分からねえ。だがな、お前さんみたいにジーっとしててもドーにもならねえぜ。」

 なんだかメンドーサは自分だけが置いて行かれたような気がした。

「ほら、行くわよ。」

 そんなメンドーサをミラリーは縄を引っ張り連れて行く。

「だが、まずは敵情視察と行こうじゃねえか。」

「どこに行くの?」

「俺たちの元事務所さ。」

 とんでもないことに巻き込まれたのかもしれない、とメンドーサは自分の運命を呪った。


メンドーサがこっそりと影から首を出し見たのは、普通の建物だった。周りの建物より少し高さがあって大きい以外は、周りの建物と大差はない。どこかの会社の事務所と言われれば信じてしまいそうな感じであった。

「なるほど。中々に厳重ね。」

 建物の前には猟銃を持った若者たちが立っている。

「あれはこの町の若者か。」

「左様。」

 ホセは呑気そうに言葉にする。

「じゃあ、集会所に行こうか。」

「ここはいいのか?」

 少し面食らってメンドーサは言う。

「ああ。ただの見学だ。そうだろ?嬢ちゃん。」

「ええ。あれはこの人数ではどうにもならない。もっと中にいるでしょ?」

「隣の建物にもいる。」

「数人単位じゃどうにもならないわね。」

 メンドーサはまだ迷っていた。本当にミラリーはギャングなんかになるのかどうか。

「なあ、ミラリー。本当にギャングなんかになるのか?」

「ええ。あんなよそ者に食い荒らされるくらいなら、私はこいつらと組むわ。どれだけ気に食わなくってもまだマシだもの。」

「そう・・・か。」

 メンドーサは去っていくミラリーをただただ眩しすぎると目を細めてみていた。


「やあ、諸君。今日もやさぐれているかね。」

 未だ営業しているのが奇跡だと思えるほどのバーにメンドーサたちは入って行った。

「ホセ。いつもと変わらず騒がしいな。」

 そう言ったのはバーの親父だった。

「さて。生き残ったのは君らだけだね。俺も生き残りを探していたんだが、ヌートリアファミリーに追われてしまってね。」

「ご口上はいい。そいつらはなんだ。」

 若い男が沈み気味に口にする。チンピラらしき男たちは十人ほど、それぞれ暗い顔で酒をチビチビ飲んでいた。

「新しいボスだ。」

「ふざけてんのか。」

 男たちは顔を伏せたままだった。

「ボスが死んだ今、我々にはボスが必要だ。こんな有様でいいと思うのかい。」

「私がボス。だから、私に仕えなさい。」

「ふざけんじゃねえ。」

 そりゃそうだとメンドーサは思った。

「まあ、こういう時は俺たちのやり方でやるのが流儀だろ。」

「おい、それはどういうことだ。」

 メンドーサは唾を飛ばしてホセに訴える。

「黙りなさい。」

 こんなときでもミラリーは憮然としていた。

「何をするの?」

「銃に弾を四つ込める。これは五つ球が入る訳だから、一つだけ空砲だ。それを頭に向けて撃つ。度胸試しだな。」

「度胸試しってもんじゃねえだろ!」

「黙れって言ったでしょう?」

 ミラリーはメンドーサを蹴り飛ばす。

「はい。貸しなさい。」

「まずはきちんと弾が入っているかだ。」

 ホセは球を込めた拳銃を男たちに渡し、男たちは虚ろな目でそれを覗き込んで、次の男たちに渡す。

「おいおい、ここにまた死体を増やさないでくれよ。」

 本気で怒っている風ではなく、注意と言った感じでマスターは言った。

「おい、俺がやる。」

「あんたがやってどうするのよ。」

 ミラリーは踵でメンドーサをがしがし踏みつける。

「さあ、渡しなさい。」

「待て。」

 そう言って銃を引っ込めたのはホセだった。

「今なら引き返せる。俺たちも死体を見たいわけじゃない。」

「やると言ったらやるの。渡しなさい。」

 ミラリーは無理矢理ホセから拳銃を奪い取る。そして、リボルバーを三回しした後、銃口を自分のこめかみに当てる。

 ミラリーは目を閉じ、息を大きく吸い吐いた後――

「待て!」

 男たちがミラリーを止めようと席を立った瞬間、ミラリーは引き金を引いた。

 かちゃり。

 その音を聞いて、一同は深いため息を吐く。

「さあ、お嬢ちゃんの運は証明された。どうだ、これで――」

 かちゃかちゃかちゃかちゃ。

「私も嘗められたものだわ。」

 ミラリーはキツイ目つきでホセを睨む。

「まさか、全弾撃つとは・・・」

「ミラリー。分かっていたのか?」

「いいえ。でも、どうせ甘ちゃんでしょ?私は死ぬ覚悟なんてとっくにできてるの。そこらへんの尻軽と一緒にしないで。マフィアのボスになるって言うんだから、とっくに女も捨ててる。」

「お、俺が言いたかったのは・・・」

 ホセは顔面蒼白で、唇を震わせながら言った。

「嬢ちゃんには嬢ちゃんなりのやり方があるってことさ!」

 メンドーサは俺以上に軽薄な奴だ、とホセを見ていた。

「そうね。」

 ミラリーは決してホセを許したわけではなかった。

「いい?私はこの町を救うの。だから、あなたたちの力を貸してほしい。お願い。」

 ミラリーは男たちに頭を下げる。

「これで断ったら男が廃るだろう?」

 ホセは言う。

「ああ。分かったよ。だが、心臓に悪いのはこれだけにしてくれよ。」

 男たちはくたびれて息をついたり、机に突っ伏したりする。

 だが、次にミラリーが言った言葉は男たちのそんな安寧を吹き飛ばす。

「もう一つのファミリー、キャップファミリーを仲間に入れるわ。」


「でも、どうするんだよ。こいつらはもう一つの組と仲が悪いんだろ?」

 メンドーサは顔をしかめてミラリーに言う。

「そうね。具体的指示がなければダメよね。」

 メンドーサはそう言う意味で言ったのではなかった。ただ、ミラリーが諦めてくれるかと思ったのだ。

「ホセ。あんたが仲介役ね。向こうの居場所を知ってるんでしょ?」

「知る訳ないじゃないか。」

「じゃあ、調べなさい。今日中よ。」

 ミラリーは次に男たちに目を向ける。

「あんた達は敵のギャングの戦力を調べなさい。この町の人間んと外の人間を分けた詳細をね。」

「分かる訳ないじゃないか。」

「私より見る目があるでしょ。文句言わない。」

 メンドーサはミラリーの視線から逃れようと体をゆっくり動かす。

「メンドーサ。」

「はい!」

「もうすぐ日が上るわ。私たちは帰りましょう。」

「みんな起きてるんだろ?」

「私たちは次の晩からが勝負。あなたたちも落ち着けば休みをあげるわ。だから、それまでは死ぬほど働きなさい。速く動いたもの勝ちなのはあなたたちもよく知っているでしょう。全て明日までに終わらせることを要求するわ。それまでにキャップファミリーとの席を設けてちょうだい。」

「ははは。俺たちはとんだボスの下についたようだな。」

 陽気に笑っているのはホセくらいだった。


「後悔はしてないのか?」

「ええ。」

 死体のつもるバーに帰ってきて、メンドーサはミラリーに聞いた。ミラリーはベッドに寝転がっている。

「私がやらないといけないと思ったから。男って、どうして急な状況変化に弱いのかしら。」

「度胸があるな。」

 メンドーサは大きく息をついて、冷たい床に転がる。

「まあ、これは度胸のあるなしではないかもしれないわね。」

「どういうことだ?」

「さあ。どういうことかしら。」

 ミラリーはもう言うことはないとでも言う風に、布団に潜り込んだ。

 メンドーサはただ、目をつぶった。


 ゾンビという存在がいつ生まれたのかを誰も知らない。ただ、それはいつの日か、死者が甦る現象として、生まれていた。少なくとも、世界が生まれた時にはゾンビは存在していなかったという。

 彼には生前、別の名前があった。それをもう、彼は覚えていない。

 彼は孤独だった。親には恵まれていたし、生活も氷の大陸においてはまだいい方であった。でも、どこからか湧いてくる孤独には耐えられず、彼は悪い仲間とつるむようになっていた。いわゆるギャングというものである。

 彼の最後の仕事は、荷馬車を襲うというものだった。それはいつも続けていたから、別に難しいものでもなかった。

 バキューン。

 耳をつんざく音。そして、彼は冗談だろ、と内心笑いながら、荷馬車から転げ落ちた。銃を放った商人は何事もなかったかのように馬を走らせ去っていく。

「くそっ。失敗だ。」

 彼の仲間は忌々しそうにつぶやいた後、彼を見捨てて去っていく。

「待ってくれ。」

 彼の傷は致命傷ではなかった。だが、仲間たちは彼を見捨てて、去っていく。

「今まであいつが生き残っていた方がおかしかったんだ。」

「あんなチビ、足手まといでしかなかったぜ。」

 そんな言葉を吐きながら、仲間たちは彼をおいて帰っていった。

 体の感覚がなくなる。吹雪が吹き荒れ、体に雪が積もる。

 ああ、死ぬな、と彼は思った。

 そんな時、見えるはずもないものを彼は見た。大陸の遥か北にあるという、幻の氷の城。冬が住むとも、魔女が住むとも言われる、誰もたどり着けない城。そんな氷の城を彼は見た。

 彼は心打たれた。決して揺るがない、氷の城。自分とは違い、決して誰にも壊すことのできない永久凍土。その時、虚ろな頭の中で彼は心に決めた。

 もし次の人生があるのなら、誰よりも強くなる。あの氷の城のように決して壊されず溶けない城となろう、と。

 そして、彼は決意の中、一度目の人生を終える。


 彼は目を覚ました。

「あら、お目覚めなのね。」

 彼に語りかける者がいる。それは、修道服に身を包んだ女だった。

「俺は死んだはずだ。」

「ええ。でも、ゾンビとして生き返ったのよ。」

「ゾンビ?」

 聞きなれない言葉に彼は戸惑った。

「細かいことはおいおい分かるわ。とにかく、あなたは生きるには誰かを殺さなくてはいけなくなった。それはとっても残酷で喜ばしいことなの。どう?自害する?」

「それだけは嫌だ。俺は氷の城になるんだ。絶対に誰にも負けない強さを得る。」

「氷の城?ああ、あなたもあれを見てしまったのね。いいわ。それならあなたにうってつけね。ゾンビは人を殺す度、強くなっていくもの。そうね。もし他のゾンビにも負けない強さが欲しいのなら、東の大陸に渡ることね。そこでワイトの王に会うことができれば、あなたもゾンビの上の存在、ワイトになることができるわ。」

 女は吹雪の中へと出て行く。その時になって、彼は、自分が洞穴にいることに気が付いた。

「助けてくれたのか?」

 彼は警戒して女に言う。女に彼を助けるメリットはない。そう判断して、彼は女を警戒した。

「いいえ。死体だと思って運んだのに、ゾンビになってしまったから。まったく見当はずれだわ。」

 彼は警戒を解く。女は失敗したようだった。

「この気候だと、あなたは三日は生きることができるでしょう。でも、三日以内に殺さないと、あなたは腐敗する。それはゾンビにとっての死、よ。覚悟なさい。」

 そう言って女は吹雪の中に消えていった。


 まだ、陽が上る前に彼は家に帰ってきた。

「ただいま。」

「あら、どうしたの。そんな格好で。」

 起きていた母親が心配そうな口調で、彼の頭に積もった雪を退ける。途端、彼は後ろに飛び退いた。

「どうしたの?」

「いや、自分でするから。」

 母親が彼の体に触った途端、彼の体を焼かんばかりの痛みが彼を襲っていた。これが腐敗なのだと彼が身に染みて感じた瞬間だった。

「そう、そんな格好だと風邪ひいちゃうわ。着替えたら暖炉に当たりなさい。」

 とんでもない、と彼は身を震わせる。

「いや、今日は疲れたから寝るよ。」

 確かに、瞼は重たくなりつつあった。彼はレンガ造りの家に入って行った。


 部屋のカーテンを閉め、絶対に陽が入らない一角で彼はうずくまる。そして、物思いにふけった。自分はどれだけ愚かだったのだろう。彼の頭の中にはそんな思いしかよぎってはこなかった。両親は彼がギャングの仲間になっていることを知っていた。でも、いつかは抜け出し、真っ当な仕事に就くと信じて疑わなかった。

 明日から真っ当に生きていこう、と彼は心に決めた。

 だが、彼は死んでしまっているのだ。


 彼は日中、部屋から出ることはできなかった。日が当たる時間はだんだんと短くはなってきているが、外には出られない。彼の両親は部屋から出ず、何も食べない彼を心配した。

 彼はゲージを見た。頭上に乗っている、ゾンビの印。それはどうも自分にしか見えないということを彼は理解していた。

 そのゲージはあと一日でなくなりそうであった。家の中は外よりも温かい。それ故に早くなくなるのだろう。もう、猶予はなかった。

 その日の夜、彼は殺すことを決意した。両親と暮らしていくには誰かを殺さないといけない。

 夜に歩くのは魔物か吸血鬼である。それ故に不気味がらせないように、彼はゆっくりと階段を降りていった。

 そんな時、明かりの灯った部屋から、両親の声が聞こえてきた。

「あの子、もしかして、吸血鬼になってしまったんじゃないかしら。だって、物も食べないし、部屋から出てこないのだもの。」

「一度、教会に相談した方がよさそうだ。」

 その言葉を聞いた瞬間、彼の家はもう彼の居場所ではないということを理解してしまった。彼は拳を強く握りしめる。彼の中に渦巻いていたのは怒りと恐怖。どうして自分を信じてくれないのかという怒り。こんな姿になってしまったという怒り。そして、吸血鬼殺し専門の殺し屋に追われるのではないかという恐怖。家族を危険な目に遭わせるのではないかという恐怖。

 彼は自分の両親を殺してしまおうか、と考えた。そこに戸惑いなどなかった。それが彼に真の恐怖を味合わせた。

 もう、自分は人間ではないということを理解した彼は、勢いよく家から飛び出していた。


 雪が降り積もり、時折その真っ白な雪に足を取られ、転がりながら、彼は駆け抜けた。行く当てなどない。寒さを感じなかった。それはゾンビが故である。

「俺はどうすればいい。」

 そう、ゾンビにありがちな言葉を吐く。だが、彼は気がついていたのだ。それは彼が生前持っていた悩みの根源であることに。

 北の大陸はいつも死と隣り合わせで、油断ならず、それが彼の生を支えていたといってもいい。死の恐怖のみが人を人足らしめ、活かす。それを失われた彼は、ゾンビとして生きていく意味を失っていた。

 目の前に、獲物を狩らんとする魔物の群れが彼を囲んでいた。彼は、死を覚悟した。

 その瞬間、再び、氷の城が彼の目に浮かんだ。

 死んでたまるか。俺は生き抜いてやる。いつか氷の城になってやる。

 死に瀕して、彼はようやく生きる意味を見出しつつあった。

 体の能力は生前とあまり変わらない。だが、生き抜く意志は皮肉にも生前の彼を凌駕していた。迫りくる魔犬の顎を掴み、容赦なく引き裂く。それを合図に魔犬は彼を襲う。彼は獣の勘と言うべきもので攻撃を避け、そして、踵落としで魔犬を殺していく。

 十匹ほど殺した時、戦いは終わりを告げた。

 テレレレッテレー。

 今までの死闘が冗談であったかのような音が彼の脳内に響く。

 レベルアップ!

 彼の剝がれた体は徐々に元の姿に変わっていく。

「ははは。なんだよ、これ。」

 彼は泣いてしまいたかった。でも、ゾンビは涙を流さない。流せない。

「俺は強くなる。俺は俺のために生きる。誰にも邪魔はさせない。」

 彼は虚空を睨む。速く流れる雲に隠されながらも、大きなまあるい月が彼を哀れむように見ていた。彼の地面の白い雪は、黒く変色している。魔物の出す血は黒く、彼は一切血を流さない。

「もうすぐ陽が上らない白夜が来る。そして、俺は東の大陸に渡る。」

 何も残っていない彼には、もう、その目的しかなかった。ワイトになって、誰にも負けない、誰にも見捨てられない存在へとなること。もう、彼は考えることを止めてしまっていた。

 彼の人生は女と出会ったときに、もう、運命づけられていたのかもしれない――


 メンドーサはミラリーの首に手をかける。彼女の美しい首筋は幻術品を思わせる。だが、彼女の首筋は彼の冷たい血の通っていない手には焼けるほど熱い。

 そして、メンドーサは体重をかけようとして、止めた。

 今の彼は無防備な彼女をやっと殺せるほどの力しかない。レベル30の名が泣くな、とメンドーサはおかしくなり、熱い、血の通った彼女の首筋から手を離す。

 その時、メンドーサはミラリーに嫉妬していることに気が付いた。ミラリーは生前自分ができなかった、氷の城になるという夢を見つけ、叶えようとしているように思えてしまった。

 だが、メンドーサはそんなミラリーを危うく思っている。

 彼女は自分のために町を救おうとしているのだろうか。

 そうでなければここまでできないにも関わらず、メンドーサは今はもう動いていない心臓が何故か締め付けられる思いがした。


「ボス。起きてるかい?」

 部屋にホセが入ってくる。

「よくここが分かったわね。」

 感心するようにミラリーは言った。

「まあ、人より町のことを知っているというのが俺の個性さ。」

「ところで、どうだった?」

 いつもと同じ険しい顔でミラリーは言うが、メンドーサは微かにミラリーから不安の色を感じ取っていた。

「ああ。向こうも面白がるような、バカにするような感じだった。場所を指定されたから、少し用心は必要だろう。向こうもボスが死んで、若いのが頭っぽくなってるが、古株は認めてないみたいだな。今回来るのは若い連中ばかりだろうよ。」

「そう。」

 一瞬、ミラリーの表情が緩んだ。

「だから、コイツを持っておけ。」

 ホセがミラリーに差し出したのは拳銃だった。ミラリーは拳銃を受け取ると、メンドーサに投げる。

「おい、どういうつもりだよ。」

「あんたが持ってなさい。」

「でも――」

「武器を持っているってバレたらひとたまりもないでしょう。それに、頼んだわよ。」

 最後は消え入りそうな声だったので、メンドーサは耳を澄ましてようやく聞き取れるほどだった。

「時間は大丈夫?」

「ああ、今から出ればばっちりだ。」

「じゃあ、行くわよ。」

 ミラリーはメンドーサの縄を引いて、バーを出て行った。


 不気味なほど輝く星空の元、キャップファミリーの男たちは、火をくべて、騒いでいた。しかし、場違いな少女が現れると、急に気配を消すように静まった。

「お前がハット組の新しいボスか。」

 リーダー格らしき男がゆっくりと前に出る。

「人を散歩させるとはいい度胸じゃねえか。」

 ひゃっひゃっひゃ、と冷ややかな笑いが起こる。

「そっちは二人だけか?」

「ええ。」

 ミラリーは男から微塵も目を逸らさずに言う。

「私は話しあいに来たの。戦いなんてまっぴらだわ。」

「で、何の用なんだ。」

 男は重々しい口ぶりを見せる。

「私の傘下に入りなさい。」

 瞬間、この世界から音が消えた。そして、吹き抜ける木枯らしが音を立てた瞬間、男たちは一斉に笑い転げる。邪悪な笑い。メンドーサは胸が苦しくなった。そして、少しづつ感情を取り戻し始めている自分に驚きを隠せない。

「冗談だろ?」

「本気よ。」

 まだ、笑いは止まないが、ミラリーの尋常ではない雰囲気に笑いは収まりつつあった。

「私はこの町を外からの無法者に好き勝手させたくない。だから、力を貸してほしい。私はこの町をどこにも負けない町にして見せる。だから、私の下につきなさい。」

「なるほど。度胸はあるようだ。ハット組の奴らが認めるだけはある。だが、仲間にはなれない。俺たちは長年抗争を繰り広げてきた。今さら、はいよろしく、と頭を下げるわけにはいかないんだよ。」

「バカじゃないの?」

 その言葉に男たちは唖然とする。

「今さら組がどうの言ってどうするの。確かに、この中には十年前の抗争に巻き込まれて不幸な目にあった人だっているのは承知よ。でも、本当はあなたたちも争う理由なんてないでしょう?本当は疲れてきてるんじゃない?だから、こんなところで毎日現実逃避してるんでしょ?」

「てめぇ!」

 男は激情し、ミラリーに殴りかかろうとする。メンドーサは咄嗟にミラリーの盾になり、殴られた。

「あなた!」

 男はミラリーの見せる威圧感に負けそうになっていた。思わずミラリーに殴りつけようとした手を収める。

「大丈夫?メンドーサ。」

「バカ。今は俺に構っている暇なんか――」

 そんな時、メンドーサの夜でもよく見える目は潜む魔犬を捉えた。

「お前ら、逃げろ!」

 男たちはメンドーサの声に、咄嗟に反応できない。敵から逃げるように言われるなど、普通ではあり得ないからだ。

 耳を塞ぎたくなるほどの悲鳴が夜に響く。男が魔犬に襲われて血を噴き出している。

「う、うわああ。」

 だが、もう遅かった。ミラリーたちは囲まれている。この時は、敵味方を忘れて、広場の中央に身を固めている。

『美味しそうな人ばかりだ。』

『我らを殺し、虐げた罪、今償う時だ。』

 メンドーサは声を聞いた。それは反響していて、その場の震えている誰かが発している声とは思えない。もしかして、とメンドーサは魔犬に話しかける。

「おい、お前ら。聞こえているか。」

 メンドーサの声が響くと、襲おうとしていた魔犬が動きを止める。

『どういうことだ。人間の言葉が分かる。』

『向こうにも聞こえているのか。』

「ああ、聞こえている。」

「ねえ、メンドーサ。何を言ってるの?ねえ、ってば。」

 ミラリーはメンドーサの体を揺さぶり尋ねるが、今のメンドーサには聞こえていなかった。

「俺たちを襲うのはよしてくれないか。こいつらは銃を持っている。今にでもお前らを襲うだろう。こちらが全滅しても、お前らも無傷では済まないぞ。」

『詭弁だな。』

『騙されるな!』

 魔犬は再び、臨戦態勢に入る。はあ、はあ、と吐く獣の息が荒くなる。

『うろたえるな!小僧ども!』

 そう言って建物から飛び降りてきたのは、一際大きな魔犬だった。

『お前らは下がっていろ。俺はコイツと話したい。』

 魔犬たちは大きな魔犬の言葉とともに、路地に消えていく。

『お前は何者だ。我々と同じ魔の匂いがするが。』

「俺はゾンビだ。」

『なるほど。我々と同類というわけだ。どうして人間に味方する。』

「別に理由なんてない。もともとは人間だったってことだ。」

『そうか。見逃してほしいか。』

「是非とも。」

『それがならんことも理解出来るな?』

 メンドーサは魔犬の言葉に息を詰まらせる。そう。危機的状況には違いはない。

「どうして町の人を襲う。」

『それは奴らが我々を貶めるからだ。数日前、城壁近くで我々の仲間が百匹も殺されている。それは許せぬ事態だ。』

「それは俺たちがやったことじゃない。」

『ぬかせ!貴様ら全員、同罪だ!』

 魔犬は吼えるように言った。

「メンドーサ。メンドーサ!」

 ミラリーは返事がないメンドーサを思いっきり蹴飛ばす。

「おい、何すんだよ。ミラリー。」

「あんたが返事しないからでしょ。」

 ミラリーはいつもと同じく、メンドーサを踵で踏み潰す。

「あんた、犬と話せるのね。」

「どうもそうらしい。」

「じゃあ、私の言葉をそのまま通訳なさい。」

「そんな無茶な。」

 ミラリーはメンドーサの鼻を思いっきり蹴り飛ばす。

「いい?このままだと、どちらも死ぬし、争えばそれだけ犠牲が増える。だから、森に帰って頂戴。私がボスになれば、あなたたちに手を出させない。むしろ、いろいろと協力できると思うの。過去の因縁なんて何にもならない。肝心なのは今でしょう?殺されたのだから、許せないのは分かる。でも、これ以上犠牲を増やせば、お互い滅びるわ。もし、他の国のものが来たら、魔犬に国は滅ぼされたと勘違いして、あなたたちを根絶やしにする。このバカの後始末をあなたたちがつけることになるわ。」

 ミラリーはガシガシとメンドーサを蹴りつける。

『なるほど。』

 魔犬は納得したように言う。

『確かに俺たちの恨みは消えない。だが、いい交渉はできそうだ。嬢ちゃんもそうだが、ゾンビ。お前も気に入った。人間とのビジネスか。面白い。』

 そう言って魔犬たちは去り、気配も消えた。

「おい、お前ら・・・何者なんだよ。」

 キャップファミリーのリーダーは恐ろし気に聞く。

「さあ、魔犬との契約を果たすには、私のボスになるほかないわね。」

 ミラリーはいたずらな笑みを浮かべた。



「あなたたちはあのギャングの悪行を調べなさい。」

 それだけ言うと、ミラリーは去っていく。メンドーサは綱を引っ張っていくので、メンドーサは仕方なくついていく。

「あなた、あんな特技があるなら言っておきなさいよ。」

 だが、メンドーサはあの時初めてあの能力の存在に気が付いたのだ。

「あれは俺の能力じゃない。」

 メンドーサの結論はこうだった。

「はい?」

 ミラリーは何をふざけたことを、という顔をしてメンドーサを見る。

「あれは、お前の兄貴の能力だ。」

「・・・・・」

 ミラリーはそれ以降黙ってしまう。

「これからどうするんだ?」

「さっきはあなたのおかげね。素直に感謝するわ。」

「これは・・・」

「それ以上言わないで!」

 ミラリーはメンドーサに唾を飛ばして言った。

「次はギャングに肩入れしてる若い衆を仲間に入れる。」

「それは難しいんじゃないか?」

「いいえ。今回のミッションよりは難しくはない・・・と思うわ。今回は本当に無策だったから。策を弄したギャングに感謝しないと。」

「どういうことだ。」

「煙のないところに火は立たないでしょう?まあ、元キャップの失態でもあるんでしょうが。恐らく、あの中にギャングと通じてた者がいるわ。」

「じゃあ、危ないんじゃ・・・」

「いいえ。きっともう、愛想は尽きたんじゃないかしら。」

 メンドーサは何事も無いように言うミラリーが信じられず、そして、この時、本気の畏怖を抱いた。

 この女の中に、自分の命は勘定に入っていない。

 それはかつての彼を想起させる危うさだった。


 ミラリーが部屋の中に入っている中、メンドーサはバーの外にいた。まだ、夜は長く、彼は眠ることができない。

「よう。旦那。」

 愛想よく、顔を皺くちゃにしてホセがメンドーサに歩み寄ってくる。

「ああ。お疲れ様。」

 メンドーサは疲れたように言った。

「どうした。元気ないな。俺たちなんてお嬢にこき使われまくりで、ひいひい言ってるぜ。」

 その割には陽気だった。

「俺はミラリーについていけない。」

 メンドーサはずっと胸の中に詰まっていた思いを吐き出す。

「お前の話を聞かせてくれないか?お前、人じゃないんだろ?」

 メンドーサは一瞬ためらうが、それでもいいと思い、口にする。

「町を化け物が襲っただろう。あれは俺がやったんだ。」

「そうか。でも、そのことにお前さんは何も感じていない気がするがな。」

「ああ。後悔とかそう言うものはない。俺に人間の理論は当てはまらない。だから。生きるために何かを犠牲にするのは当たり前だ。」

「そうだな。その虐殺はお前さんにとっては有意義な事だった。だから、まだマシだ。意味がある死に方をすれば、死んだヤツもまだ浮かばれるさ。」

「そんなわけ、ないだろ!」

 メンドーサは吐き気を打ち消そうと大声を張り上げる。

「俺は悪いことをしたんだ。でも、でも、それを悪い事だと認識できない。もう、壊れてしまっているから・・・」

「お前、お嬢の何を見てきた。」

 それは普通の声量ながら、しっかりと、大地を踏みしめるように発する言葉だった。

「お嬢は前を見ている。お前みたいに過去がどうとか言ってるうちにお嬢はさっさとお前を置いて行っちまうぜ。

 俺はな、お前がやったことは結果的にいいことだと思ってる。犠牲の上に何もかも成り立つってえのなら、特にな。今はお嬢のような身寄りのないやつにでもチャンスはできる。俺たちマフィアはお嬢みたいな身寄りのない奴がなるもんでよ。今以上にチャンスなんてない。ただ、負け犬になるだけだ.。

 町をぶっ壊したお前がお嬢の力になってる。これは奇妙な運命のめぐりあわせかもしれないが、れっきとした運命さ。」

「俺は、氷の城になりたかった。誰にも負けない力が欲しかった。でも、それは叶わなかった。」

「でも、諦めてないんだろ?多分、お嬢も言ったはずじゃないのか?氷の城なんて意味がないって。」

「ああ、その通りだ。」

「氷の城を成り立たせてるのは周りの寒さだろ?で、お前さんは氷の城にはなれない、ときた。なら、どうするか。もう、答えは出てるじゃないか。」

「どういうことだ?」

「それは本気で言っているのかい?なら、本当におバカさんだ。でも、自分を誤魔化しているだけならまだ救いはあるな。それはとっても難しいけどな。ま、頑張れよ。」

 そう言ってホセは去っていく。

 いつでもどこでも困難に現れて、助けて去っていく。西の大陸の大陸の伝説――ロングレッグおじさんのようだとメンドーサは思った。


 夜が明けて、そして、陽が沈む。

 バーを出た時話しかけてきたのは魔犬の長だった。

『よう、元気か?』

「まったくな。」

『あいまいだな。人間は分からない。さて、仕事はまだか?』

「あんた達にも言っておくわ。」

 傍らのミラリーは口を開く。

「誰も死んだら許さない。あんたら化け物もね。」

 メンドーサはそっくりそのまま魔犬に伝える。

『ははは。面白い嬢ちゃんだ。お前もいい主人を持ったな。』

「俺は奴隷じゃない。」

『誰も奴隷とは言っていないが?』

「揚げ足取りめ。この・・・」

 そこでメンドーサは犬に名前がないことに気が付く。

「お前、名前はあるのか?」

『そんなものあるわけなかろう。』

「ポチ、ね。」

「おいおい、それは・・・」

『俺は気に入ったよ。いいな、ポチか。何故かしっくりくる。』

「いいのかよ、それは。」

 メンドーサは呆れてものが言えなかった。


「さあ、また勝負ね。」

「勝算は?」

「やってみないと分からないじゃない。」

 まったく、度胸が据わっている、とメンドーサは思った。

 場所は昨日の広場。そこには若者が集まっているが、その中に何人敵が混じっているのか分からない。そんな状況で前に立とうとするのだから、恐ろしい。

「みんな。聞こえているかしら。」

 ミラリーは打って変わって、柔和な笑顔を見せている。

「私は、ハットファミリーとキャップファミリーのボス。ミラリーよ。」

 途端、数十名の集団にどよめきが起こる。

「もしかして、あのミラリーか?」

「貧乏人のくせして貴族の真似事をしていたか。」

 どうも、ミラリーの評判は良くないようだった。だが、ミラリーは怖気づかず、続ける。

「確かに、こいつらはみんなにひどいことをした。でも、あのギャングよりはマシじゃないかしら?きっとあなたたちにひどいことを要求したはずよ。例えば、身寄りのない子どもを馬車に乗せろ、とかね?」

 それはミラリーがキャップ組のものから聞いた情報だった。

「あなたたちも、その子がどういう運命をたどるか分かっていたはずよ。でも、自分可愛さに命令に従った。恥ずかしいと思わないの?」

 女性に意見されているせいか、男たちは物も言えない。

「私は、まだ、マフィアの方がマシだと思うわ。確かに、こいつらは身売りぐらいさせたでしょう。恐喝なんて常日頃だわ。でも、町を捨てることはしなかった。ここを食い物にしながらも、なんだかんだで生かしていた。」

「ちょっと待て。俺たちは待ちを捨てるなんて聞いてないぞ。」

「でも、分かってたんじゃない?分かってて、見て見ぬふりをしてた。自分は不幸だからって。仕方ないからって。私はこの町を救うわ。誰一人死人なんて出さない。もう、そんなの、嫌なの。」

「そう言う奴ほど後で裏を返すんだ!」

 男たちは口々にヤジを飛ばす。ミラリーはその声に耳を澄ませていた。

「確かに、信じられない気持ちも分かる。でも、ギャングと私、どちらが町を捨てる可能性があると思っているの?今はもう、町は町としての機能を失いつつある。魔物さえ、たむろしている状態よ。でも、私たちならなんとかできる。」

「そんな確証どこにあるというんだ。」

「ポチ。」

 待ってました、とばかりにポチがミラリーのもとに出て行く。コイツ、のりのりじゃないか、とメンドーサは小さく思った。

「この子は魔犬の長。でも、手名付けている。だから、この町から今すぐに魔犬を遠ざけることもできるわ。」

 民衆は恐怖に慄く。

「ああ、これは脅しじゃない。さっきも言ったでしょう?私は死人を出さない、と。それはギャングの方だってそう。私は血を流さずにこんなつまらない問題を終わらせたいの。」

 次第に男たちはミラリーの言葉に聞き入っていた。大きな獣を携え、民衆に語りかける姿は、まるで異国の神話を思わせる。

「私はこの町を、国として独立させる。誰にも負けない存在に、氷の城にしてみせる。」

 その言葉はメンドーサの心を脈打たせた。通っていない血が脈動している錯覚さえ覚える。ミラリーは自分のことを理解していたんだと、メンドーサは感動でいっぱいになった。

「だから、あなたたちの力が必要なの。氷の城は周りの冷気が冷たくないと、みんなが協力してくれないとすぐに崩れてしまう。だから――」

 その時、民衆から歓声が起こる。数人の人相の悪い男は何が起こったのか、と辺りを見回す。

「今やるべきことは、ギャングをこの町から追い払うこと。一人残らず、ね。でも、殺しちゃダメよ。私たちの国は誰の犠牲も出してはいけない。戦争で流れた血を国旗に刻むのは滑稽だわ。どう?私の理想、みんなも賛同してくれるかしら?」

 うおおおお、と波打つような歓声が沸き起こる。

 その一方で、逃げ出すようにその場を離れる男たちの姿をメンドーサは捉えていた。

「あいつら・・・」

「いいのよ。」

 ミラリーは小声でメンドーサに言う。

「さあ、まだ心の準備ができていないかもしれないけど、私たちは今からギャングを追い払うわ。まず、彼らはどこにいるのかしら。マフィアの元事務所?それとも、あの城かしら。」

「どこにもいるぞ!」

「追い払うんだ。」

「そう。やる気があるのはいいことだけど、殺してはダメよ。二度と歯向かわないようにお仕置きしてあげなきゃ。」

 笑顔のミラリーに観衆は大声を上げるが、メンドーサはただ恐ろしさに震えるばかりだった。


「さあ、向こうも臨戦態勢ね。」

 二手に分かれ、一つはキャップ組の元事務所、ミラリーたちはハット組の事務所の前に来ていた。

「二手に分かれて大丈夫なのか。」

「向こうはポチがいるから楽でしょう。戦力的にこちらに傾いているしね。その理由、分かるかしら。」

 ハット組のものにミラリーは聞く。

「それはきっと、うちが大きな取引をしようとしていたからだな。」

「取り引き?」

 口に出したホセにミラリーは聞く。

「ああ。俺も現物は目にしてはいないが、どうもここ最近、聖圏側の国が古臭い代物を集めているみたいでな。」

「そう。どうでもいい話ね。」

「あいつらはそれを探してるんだろ。のこのこ現れた俺たちから奪うつもりなんだろうが・・・」

「それは今どこかにあるのかしら。」

「いいや。あるとしたら中だろうが、あいつらも見つけられてないから、寄生虫みたいにこの町にいるんだ。」

「そう。ますます滑稽ね。じゃあ、あいつらはその国のエージェントって可能性もあるんじゃない?」

「いや、どうだろうな。あの強国どもなら、軍隊を送りかねないし。」

「じゃあ、その国の人たちもそれほど固執はしてないのね。多分、その品物も使えるかどうか微妙なんじゃないかしら。」

「いや、そんな話をしている場合じゃないんじゃ・・・」

「そうね。じゃあ、行きましょうか。」

 ミラリーは単身で躍り出る。ギャングの男たちは銃を向けるが、突然現れた踊り子に困惑しているようだった。

「あなたたち、何か、探しているのよね。」

 ギャングたちの鋭い銃口はミラリーに向けられたままだった。

「でも、もうこの町にそれはないわ。誰かに盗まれたみたい。」

「ぬかせ。ここにあるはずなんだ。」

「そう。でも、逃げ遅れないようにね。」

 それが合図であったかのように、事務所の入り口周辺に隠れていた仲間がギャングを羽交い絞めにする。

「おっと。」

 ホセがミラリーの前に躍り出て、そのままその華奢な体を路地裏に持っていく。

「ちょっと、銃を使うつもりなの?」

 銃を懐から取り出したホセにミラリーは言う。ホセはにやりと笑って言う。

「俺の本業は医者だ。何、致命傷は負わせない。殺しはしない。お嬢ちゃん。今はちいとばかり、目をつぶっていてくれ。」

 ホセは事務所に躍り出て、銃を放つ。それは、遠くからファミリーを狙っていたギャングの足に命中する。

「さあ、私たちも行くわよ。」

「足手まといじゃないか?」

「大将が前に出ずにどうするのよ。最後に陣地に足を踏み入れて勝利宣言するのは私たちの役目なんだから。」

 メンドーサはズボンのポケットにしまい込んでいた銃を取り出す。

「いざとなったら、だな。」

「ええ。ぶちかましなさい。」

「言ってたことと矛盾しないか?」

「私が死んだら元も子もないでしょう?」

 結局死人を出さないというのはミラリーの本心なのか、そうでないのか、メンドーサには分からなかった。

 ファミリー連合軍は周りのギャングを無力化し、中へと入って行く。

「あら。ひどい有様。これじゃあ、ねえ。」

 辺りは死体で埋め尽くされている。それはシ骸のなれの果てであった。これはあの女の仕業かも、とメンドーサは彼を箒一本で宙に打ち上げた女を思い出しながら思った。

 二階から無数の銃弾が降ってくる。メンドーサはミラリーを突き飛ばし、その弾丸をもろに食らう。

「俺の能力は自己修復だ。他のものには使えないから、弱いけどな。」

 うまく動かず震える腕で銃の照準を合わし、弾を放つ。弾は明後日の方向に飛ぶ。その隙にファミリーは二階へと進行し、二階からは叫ぶ声と、拳が肉を打つ音とが響く。

「お前、やるじゃねえか。」

「お前こそ。」

 キャップファミリーとハットファミリーの男は互いに褒める。そこにかつての確執はなかった。

「さあ、この調子でいくわよ。」

 多少のけが人は出たものの、誰も死人を出すことなく、最上階まで辿り着く。

「ここにこいつらのボス・・・はいないでしょうね。せいぜい現場監督ってとこかしら。」

「おい、そんな大胆に――」

 ミラリーは奥のそこだけが豪華に作られた部屋の扉を開ける。その瞬間、扉から丸い何かが飛んでくる。メンドーサはそれが何であるかを理解し、咄嗟にミラリーの盾になる。

 それは爆弾だった。殺傷用の威力は弱いが、破片が人体を粉々に傷付ける類のもの。

 ああ、これを食らえば俺もすぐに腐敗するな。修復は間に合わない。そう覚悟して目をつぶった時だった。

 苛烈な爆発音が聞こえる。終わったと思い、メンドーサが目を開くと、そこにはメンドーサの盾になったホセが倒れている。

「ホセ!」

 メンドーサはホセを介抱する。腹がぐしゃぐしゃに混ぜられていて、目も向けられない。

「なにぼさっとしてるの。早く制圧するわよ。」

 ミラリーの言葉に、止まっていたファミリーが部屋にいる男を無力化する。

「おい、しっかりしろ。ホセ。」

「ああ、俺はここで終わりだな。」

 苦し気に声を出すホセの顔はこんな時でも笑っていた。

「ホセ!」

「そんな顔するな。虚ろな顔の兄ちゃん。お前が今から、ホセ、だ。俺の代わりに、嬢ちゃんを・・・俺の夢を頼んだぜ。」

 ホセは魂のない抜け殻となった。


 その日の診察を終えて、医者は医院に帰ると、若い人相の悪い男が待っていた。

「補佐。ボスが・・・」

 涙を堪えるように言う男に、医者は碌な事ではないな、と感じる。

「亡くなりました。」

 そこからの医者の行動は早かった。医院に入り、着ていた白衣を脱ぎ棄てると、スーツを着こみ、最後は黒いハットを着こむ。

「事務所に行くぞ。」

「はい!」

 あっという間にファットファミリーの幹部の出来上がりだった。


「状況はどうなってる。」

「キャップファミリーが帰宅中のボスを殺したようです。」

 マフィアたちは補佐の一言を待っていた。弔い合戦だ、という一言を。

 だが、補佐は迷っていた。これはキャップファミリーを一掃する大きな戦いになる。となれば、一般人にも危害が加わる。

「ボスの弔い合戦だ!」

「おう!」

 男たちは待ってましたとばかりに血気盛んな野蛮声を発する。

 俺は周りに流されてばかりだ、と補佐は顔をしかめた。


 戦火は瞬く間に広がった。

「今度のボスはあんただから。」

 と、若い衆は補佐に言ったが、補佐は前線に出た。自分にはボスなんてものは似合わず、常に前に出るべきだと補佐は思っていた。

 一般人が逃げ惑う中、補佐はキャップファミリーのマフィアを撃った。だが、手元が狂い、逃げようとしていた親子に銃弾が当たってしまった。

 父親と娘の二人組。父親は危険を察知して、娘をかばった。そして、血を流して倒れた。

「パパ!パパ!」

 娘は悲痛な叫びを上げる。補佐はキャップファミリーのマフィアを撃ち殺す。

 そんな補佐を娘は恨みのこもった目つきで睨みつける。

 卑怯者。

 補佐はそんな言葉を投げかけられたみたいに思い、自分の弱さを呪った。

 いつも流されてばかり、なんじゃない。俺は自分の立場が危うくなるのを恐れて、少女の父親を犠牲にしてしまったんだ。

 それはマフィアらしからぬ感情だったに違いない。だが、彼は誰よりも町を愛していた。愛していると自負していた。その彼が引き起こしたのがこの大惨事だった。

 この日から、補佐は変わってしまった。

 三日三晩続き、決着がつかなかった戦いの後、補佐は補佐を止めた。幹部から引き下がった。そんな彼をマフィアは弱虫だと蔑んだ。だが、彼はそれでよかった。

 彼らは彼を愚か者の寓話をなぞらえて、ホセ、と呼んだ。そして、彼もホセと名乗るようになった。

 十年も前の話である。

 彼は父親が撃たれた娘が気になり、陰ながら見守っていた。彼女は踊り子となった。それを見て、一度は悲しんだものの、体を売ることなくたくましく生きるその生き方に、ホセは心を強く打たれた。彼女の働くバーの常連となっていた。

「こいつはどうもな・・・」

 医師である彼に診察を頼んできたのは、その少女と同じ年頃の娘だった。その娘は婚約者であるという若い少年をホセに見せた。だが、ホセは彼が長くないと確信した。今の医学では到底病状も把握できない死病。一日一日、生きていられるのが奇跡だった。

「よろしくお願いします。」

 頭を下げる少女に、ホセは仕方なく引き受ける。

「金の工面はしっかりしろよ。それと、俺みたいな町医者にできるのは、患者の痛みを和らげる薬を打つだけだ。」

 ホセは通常の薬代の十分の一の値段を少女に要求する。だが、それでも、貧しい人にとっては一か月働いて手に入るかどうかの値段だった。

「ありがとうございます。」

 少女は涙ながらにホセに礼を言った。


 ある夜、彼はその少女にたたき起こされた。毎度のことだが、治療費の滞納が続き、ホセは不機嫌だった。彼の貯蓄もそろそろ限界である。彼は焦りを感じ始めていた。

 複数の男が医院の扉を叩き、ホセを起こそうとする。少しいつもと事情が違うな、とホセが思ったときである。

「おらあ。さっさと起きてこんかい!」

 その張りのある声は、ホセの聞き覚えのある声だった。だが、そんなはずはない、とホセは頭を振る。何故なら、もう彼が陰ながら見守っていた少女は生きていないはずだからだ。

「今、何時だと思っているんだ。」

 思わずホセの声に張り合いが出てしまう。あの日以来笑うことのなかったホセは自然と皺くちゃの笑顔を作ってしまっていた。それではいかん、と緩まった頬を手で元の形に戻す。そして、階下に降りてきたホセは唖然とする。医院の窓が割られていたのだ。

 難病を患った少年の婚約者がホセに患者の急変を知らせる。

「ポースはもうもたないよ。何度も言ってるだろう。」

 それはあまりにも残酷な言葉だった。だが、そろそろ現実を受け入れねばなるまい、とホセは思っていた。彼はあまりにも死を見過ぎていた。

「そないなこと、どうでもええから、早くこの娘の家に行け。」

 白い、肌着同然の恰好をした少女がホセに言い放つ。彼が初めて少女と会話した瞬間だった。

「そもそも、きみは金を払っていないじゃないか。どれだけ滞納していると思っている。倒産寸前だよ。」

「バカだかい金を取っときながら何を言っとる。」

「彼のようなどうしようもない患者を見てやれるのは俺くらいなんだよ。」

 ホセは何故だか素直になれないでいた。今すぐにでも抱きしめたいほど愛おしい存在である彼女だからだろうか。

 その場にいた少年の一人が彼に金を渡す。全く薬代には満たないが、あと一日分は自分の貯金を崩して、工面できそうだった。

「さあ。行くぞ。あと、そこの小娘。ガラス代は別だからな。後でしっかり払ってもらうぞ。」

 そう言ってホセは患者の家に行く。婚約者は天性の方向音痴なので、後ろについてきているか確認しながら歩いていった。

 そして、横目に少女を見る。

 それは生前の少女と少し違っているように見えた。身振り手振りはそっくりそのままだが、どこか精気をそがれたような顔をしている。

 バーの惨状をホセは目の当たりにしていた。その少女の怨念が引き起こした、などと噂されているが、現場は誰も見ていないに違いなく、また、バーも当時のまま残されている。死体の山がアーチを作り、蠅がぷんぷん蹂躙しているに違いない。


 その後、ホセがその少女と出会うことは二度となかった。

 化け物が割拠する町を持ち前の、呪うべきしぶとさで生き抜いた彼は、荒れはてた町で少女に再会する。少女はバーで踊りを披露するときの、衣装を見に纏っていた。

 後ろから怒号が聞こえる。

 今の彼はマフィアの恰好をしていた。人を殺すとき、彼は白衣を身につけない。それはホセなりの覚悟であった。

「おい、嬢ちゃんたち!」

 ホセは少女に声をかける。振り向いた少女は、彼の知る少女ではなく、別人だった。だが、それでも嬉しくて、思わず頬を緩めていた。

「俺を逃がしてくれないか?」


「さあ。今度は城攻めよ。」

「待てよ。」

 メンドーサはミラリーを止めた。

「ホセが死んだんだぞ。」

「そうね。尊い犠牲だった。だからこそ、彼の死を無駄にしてはいけないの。」

「ふざけるな!」

 メンドーサは自分の中に爆発的な感情が湧きおこるのを感じていた。

「犠牲を出さないってお前の言葉は嘘だったのか!どうして少しも悲しんでやらないんだ!」

「黙れ!」

 その場の誰もがたじろぐ剣幕でミラリーは怒鳴る。しかし、メンドーサは負けない。負けずにミラリーを睨み返す。

「お前は人間じゃない!俺はもうお前についていけない!」

「あんたは私の奴隷でしょう?私がいなければ野垂れ地ぬだけでしょう!」

「うるさい!」

 それは真実であったが、メンドーサは感情に任せて彼らしからぬ行動をしている。

「そう。」

 冷たい視線をメンドーサに浴びせながら、ミラリーはメンドーサを束縛していた縄を床に放り投げる。

「どこへなりとも行けばいいでしょう?」

 メンドーサはその場から去った。体は木でできているかのように言うことを聞かないが、それでも無理をして、建物から去っていく。


 メンドーサはミラリーが一人で建物を出た後、事務所に戻り、建物の屋上に出ていた。そこは彼を射抜いたハンターが彼を狙っていた場所であるが、メンドーサはそれを知る由もない。

『人間とは全く不自由な生き物だな。』

「ポチ。」

 屋上に現れた魔犬の長にメンドーサは呟いていた。

「ミラリーのところに行かなくていいのか?」

『城というのは通路が狭い。そうなると、我々では太刀打ちできん。あの飛び道具で一網打尽だろうよ。』

「じゃあ、ミラリーは・・・」

『若い市民どもと向かったよ。だが、城では犠牲は免れんだろう。こちら側は物量でケガ人一人出さなかったが。』

「そう、か。」

『お前はあの娘と決別したのであろう。なら、我々もあいつに従う義理もないしな。なにを悩んでいるんだ?』

「お前らはミラリーに従っているんじゃないのか?」

『いいや。人間など信用に足らん。ことが終われば我々も外に出て行くが。俺たちはお前についていくと決めたんだ。』

「どうして俺みたいなつまらない奴に?」

『つまらないから、だろうな。つまらん化け物だが、化け物のくせして人間足らんとする生き方が滑稽でな。楽しませてもらっている。』

「お前、正確悪いな。」

『はっはっは。これでも魔女から生まれた魔獣だからな。』

 ポチは大きく吼える。

『一つ教えてやろう。あの娘は泣かないと思うか?』

「負けず嫌いだから、泣くことなんてないだろ。」

『そうか。だがな、城へと出向くとき、俺に泣きついていた。何も語らずにな。その理由はお前しか分からないだろう?』

「俺にだって・・・分からないさ。」

『まっこと、不自由だな。』

 再び、せせら笑うようにポチは吼える。

『俺は死んだ男のようにお前に答えなどやらん。自分で決めて、自分で動け。手を貸してほしいのなら、そう頼み込め。今のお前は見ていて気分が悪い。今すぐにでも食い殺したいくらいだ。』

 ポチはメンドーサの目の前で大きく口を開けて、メンドーサの顔にかぶりつく。

「おい、なにしてんだ。」

『アマガミだ。』

「結構ガチだろうが。」

 メンドーサは自分の顔を修復し、ポチの涎を袖で拭う。

「でも、俺は・・・」

 その時、城の方から轟音が響いた。城から火花のようなものが散るのをメンドーサは確認する。

「ミラリー!」

 メンドーサは碌に動かない体で前に進むが、足が十分に動かず、前のめりに転んでしまう。

 ポチはその姿を冷ややかな瞳で見つめていた。

「ポチ。力を貸してくれるか。」

『それを待っていたぞ!マスター!』

 ポチは歓喜の雄たけびを上げながら、メンドーサのもとに駆け寄る。メンドーサはポチに跨り、体を抱きしめる。メンドーサと同じ、冷たい体だった。

『さあ、しっかり捕まっていろ。』

 ポチは事務所の屋上から城に向かって飛び上がった。


「くそっ。みんな、逃げて!」

 ミラリーは大声で叫ぶ。その声は、城から放たれる大砲に打ち消される。だが、古い大砲で、弾を撃ちだした瞬間、大砲もろともはじけ飛ぶ。砲手は無事であるはずがない。命をなげうってまでの特攻。

 弾が大地を抉り、ミラリーに砂のつぶてが襲いかかる。

「早く、早く逃げなさい!」

 大砲が地面を抉る中、ミラリーは戦場を駆け巡り、男たちを避難させようとする。

 最初は簡単だと思った。

 敵はハット組を占拠していた人数よりも少ない。それはハット組の調べで分かっていた。十数人に対してこちらは三十人。銃の扱いに慣れていない一般人に銃を渡すのは危険なので、落ちている廃材を武器に、片手には堂々と松明を掲げ、城の前まで行進した。そこを狙い撃ちにされた。ハット組のものも、使えるかどうかも分からない大砲を使うだなんて考えもしていなかったのだろう。町が国でなくなり、城が使われなくなってから百年以上は経過している。当然、大砲は撃った瞬間炸裂する危険があるのはギャングも承知だったはずだ。だが、ギャングたちは、捨て身覚悟で最後の攻撃に出た。

 こんなはずじゃなかった。

 ミラリーが思わず足を緩めると、その近くに砲弾が激突する。ミラリーは吹き飛ばされる。体中に痛みが走る。すぐに自分の体を確かめ、五体満足であることに安心する。だが、体はもう、動かない。動かすだけの気力が彼女にはなかった。

 敵は標的である松明をかき消してからも、所かまわず大砲を撃ちまくっている。決死の覚悟なのだろう。

 ミラリーは性根尽きていた。それは、目の前でホセが死んでから、始まっていた。

 ミラリーは自分が兄に殺されそうになって、ようやく、自分のしてきたことを悔い始めた。思い返してみれば、最悪な人間だった、と吐き気を催す。全ての始まりは、兄に対する贖罪だった。誰も死人を出さずに町を復興させれば、兄はひょっこり帰ってきて、優しい掌で頭を撫でてくれる。そんなあり得ない理想を彼女は思い描いていた。だが、ホセが目の前で死に、全てが水の泡に帰す恐怖に見舞われた。ホセが死んでから、無理矢理自分を奮い立たせてここまでやってきたが、もう、限界だった。ギャングも半分以上が大砲の巻き添えになって死んでいるだろう。市民も何人か大砲に体を潰されるのを見た。

 こんなはずじゃなかった。

 ミラリーは涙を流す。口は土の味がする。それは敗北の味。砂まみれの彼女の顔は、涙が筋を描いた所だけ、泥となり、彼女の美しい肌を汚す。

「メンドーサのバカ!」

 何故か、出てくる言葉は、ミラリーの兄の体を使用したゾンビへの罵倒だった。

「私一人じゃなにもできない。氷の城は一人じゃどうしようもないの。誰かがいてくれなきゃ、誰かが守ってくれなきゃ、ただの氷なの。誰かが、誰かが美しいって思ってくれなきゃ、いつか溶けてしまうだけの氷でしかないの!」

 まだ大砲の嵐は止まない。

 そして、ミラリーは大砲の一つが自分を狙っていることに気が付いた。

 全ての終わり。でも、自分は何も果たせていない。こんなところで死にたくない。

 大砲は怨嗟の号砲を上げて、ミラリーを殺した。

「え?」

 死んだかと思ったミラリーは自分を抱えて走っている男を見た。その格好は、耳にピアスをつけて、髪を逆立て、肌は白く、鼻は鉤鼻になっている。

 兄とは似ても似つかない、醜悪な顔。しかし、ミラリーはそこに兄の面影を感じ取っていた。

「ったく、しがみつかれると腐敗が進むんだっての。」

 そう言われてミラリーは初めて、自分がメンドーサを思いっきり抱きしめていることに気が付いた。

「離れなさいよ。」

 そう涙ながらにミラリーは言うが、彼女は彼を抱きしめる腕の力を決して緩めようとしない。

『いやあ、お二人さん。悪いんだが、重量オーバーでな。早く降りてくれるか。』

「すまない、ポチ。」

『いやあ、俺はこういう臭いシーンは嫌いじゃない。』

 メンドーサは砲弾の嵐から遠ざかった木々のふもとでミラリーを抱えながら、ポチから降りる。体が上手く動かないが、慣れた手つきで、メンドーサの体はミラリーを運んでいた。

「ほら。涙を拭けよ。お前、ブサイクだぜ。」

 メンドーサはポケットに入っていたハンカチを取り出す。それは血で汚れて変色していたが、もとは白いハンカチだった。ミラリーが気まぐれで兄に上げたものだった。別に要らないという理由であげただけのものだったのに、ミラリーの兄は飛び上がるほど喜んだ。それを死ぬまでミラリーの兄は持ち続けていたのだろう。

「口の聞き方に、気を付け、なさい!」

 ミラリーはメンドーサの股間を思いっきり蹴る。メンドーサは痛みを感じはしないが、バランスを崩して、地面に仰向けに倒れる。目の前にポチの顔があった。

 がぶっ。

「おい、なんで噛みつくんだ。」

 メンドーサはじたばたする。

『すまない。ついマズそうな死体が落ちていたもんでな。』

「じゃあ、かぶりつくんじゃねえ!」

 メンドーサは穴が空いた頬を修復する。そして、ぎこちなく起き上がり、ミラリーの顔を見る。ミラリーは目を赤くして、年頃の女の子のように弱気な恰好を見せていた。

「お前に死なれたら、俺が困るんだよ。」

「じゃあ、もう私から離れるな!」

 ミラリーはメンドーサに抱きついてくる。体が焼けるほど熱い。腐敗が早まってしまっている。でも、今はそっとミラリーの頭に手を載せた。

 メンドーサは氷の城を目指していた。それは、決して揺るがず、誰にも負けない、無敵の象徴だった。メンドーサは氷の城に憧れた。だが、きっとそこから間違っていたのだろう、とメンドーサは思う。氷の城は見る者が感動して敬意を払わなければ、ただの氷なのだ。だから、誰かが氷の城を素晴らしいと感じてあげなければならない。そして、それが自分の役目なのだとメンドーサは気が付いた。温かくて壊れてしまいそうな、自分の胸の中の氷の城。それを自分の冷たい体で守ってやらなければならない。

 ミラリーの兄の体と、ホセの意思、そして、メンドーサの夢。彼はすでに彼でなく、新たな彼に、氷の城を守る冷気になることを決めた。

『俺は行くぜ。』

「どこに?」

 メンドーサは去りゆくポチに尋ねる。

『あの城を落としたのが魔犬だったってことを人間はもう忘れちまったのかい。』

 その言葉の後、号音に交じって、男の悲鳴が聞こえる。

「まさか・・・」

『安心しな。命まではとらねえ。俺だって、その嬢ちゃんが恐ろしい。お前を温めてくれるのは今のうちだけだろうから、しっかりと忘れっちまった人の温かさを思い出しておきな。』

 そう言ってポチはクールに去った。


 陽が上り、陽が沈み、何もかもが終わった後、ギャングたちは町から追放されて、国へと帰る途中だった。

「許さねえ。絶対に復讐してやる。」

 男たちは満身創痍ながらも自分たちをこけにした魔犬と一人の少女に怒りを募らせていた。

「帰ったら軍でもなんでもいいから、襲わせるぞ!」

 男たちの意思は固かった。

「帰ることができたらな。」

 松明を掲げ、夜道を急いでいた男たちは、突如横合いから現れた魔犬に襲われた。だが、男たちは手足を食いちぎられながらも生きていた。そんな男たちを首輪を付けた男が銃で頭を打ち抜き、殺していく。

 冗談みたいな恰好をした男の周りには、魔犬の群れと、彼らを貶めたマフィアの男たちが囲んでいる。その中に彼らが憎む少女の姿はない。

「俺は氷の城を守ると決めたんだ。だから、容赦はしない。」

 夜に銃声が響く。だが、町の城門から遠く離れたこの場所から町までは銃声は聞こえない。

 男たちは全員死んだ。

 テレレレッテレー。レベルアップ!

 男の耳にだけ聞こえてくる音。

 奇妙な恰好をした男、メンドーサは、いや、ホセ・メンドーサはこれでいいのかと迷っていた。凍えるほどの冷気はいつか、少女の温かな体を冷たくしてしまうのではないか、と。

 そんな彼に傍らの一層大きな魔犬が語りかける。

『お前、かまくらって知ってるか?』

「ああ。」

 それはメンドーサの祖国では頻繁に作られているものだった。むしろ、氷で作った家にずっと住むなんて変わり者もいるくらいだ。

『あれって、けっこう中はあったかいよな。』

「そうだな。」

 メンドーサはポチの言わんとしていることが分かった。例え、周りが氷で覆われ、冷たくなっても、ミラリーの中は温かい。燃えるような情熱の炎はメンドーサごときでは消すことさえできないのだと。

「お前、なんでも知ってるな。」

 マフィアたちは二人の邪魔をしないように、と去っていった。その場には一匹のゾンビと一匹の魔犬だけが取り残される。

『まあ、魔物は人間なんかよりも長生きだ。俺は百年以上生きている。』

「まさか。」

『ああ。あの城を堕としたのは俺だ。』

「どうして?」

『さあな。恨みでもあったんだろ。殊に、ゾンビ。お前は自分が何から生み出されたのか考えたことはあるか?』

「さあ。死体だろ?」

『そうか。俺の考えはこうだ。お前と俺は同じように生み出された。だから、匂いも雰囲気も似ている。』

「つまり・・・」

『魔女から生まれたんだと俺は思うよ。』

 だが、メンドーサは何故今、魔犬がこんな話をしているのか分からなかった。

『ゾンビってのは特殊な能力が芽生えるヤツが多いんだろ?それはな、俺たちにも言える。』

「お前が頭がいいのはもしかして・・・」

『ああ。俺は特殊な能力を持っている。食べた死体の記憶を引き継ぐことができる。だから、知能も上がったということさ。俺は知能もない魔犬だったが、ある日、この近くで行き倒れてる人間を食った。そいつはこの町を憎んでいてな。だから、城を襲ったってわけだ。だが、城を襲い、兵士の肉を食うと、また違う記憶を引き継いだ。そいつは町を愛していた。それからというもの、俺は人間の肉を食わなくなった。どちらの男の記憶が正しいのか、分からなかったからな。だが、ある男が俺に答えをくれたんだ。』

「おい、ホセの死体がなかったのって――」

『ああ。俺が食った。悪いとは思ったが、お前らが去ってから、アイツは俺に言ったのさ。俺を食えってな。』

「そんなわけ――」

『ちなみに、俺は人間の言葉を聞きとれる。まあ、嘘かどうかは分からんだろうし、恨んでいるなら今すぐその物騒なもので俺を殺すといい。』

「じゃあ、お前の中にホセが生きているのか。」

『冗談言っちゃいけねえぜ。坊主。今はお前がホセだ。嬢ちゃんをよろしく頼むぜ。ホセ・メンドーサ。』

 その後、ポチはメンドーサに背を向けて森の中に消えていった。

 雪が降ってきた。




ここ最近、能力の衰えか、長い作品を書くことができなくなっている。中途半端に長く、短くもない感じだ。これも、文庫本にして八十ページがいいところだろう。

 さて、こちらは『ゾンビはレベルが上がった!』のスピンオフなわけですが、必然として、ゾンビの方を進めないと先に進まないわけで、多分、四年に一回くらいの更新になります。オリンピックですね。

 ここ最近、忙しくなるような予兆に怯える毎日です。恐らく、今の時期が一番小説を書ける時期なのでしょう。

 就活嫌だな。だれかゴーストライターとして雇ってくれないかな。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ