学校の外へ出て、生きる。
リアリティ重視。ドラマティックな描写が欲しい人には向かない。
僕には、同じクラスの人気者グループが眩しく、同時に疎ましく思えた。だってそうだろう。テレビを見て好きなお笑い芸人の話をして、面白い話をしようと躍起になっている。バカなことをして女子を笑わせることにも真剣だ。滑稽だと思いつつも、そこまで自分をさらけ出せることに憧れを抱いていたし、いつかその中に混ざりたいといつも思っていた。
高校デビューしようとも思っていたが、失敗に終わった。人気者グループに近づけば、そこに溶け込めると思っていたが、まず話が合わない。僕にはテレビを見る習慣がない。バラエティ番組に出てくる芸人の話が分からなかった。初めはそれでも話を合わせて一緒にいたけれど、苦痛でしかなかった。ものの2、3ヶ月で僕は彼らについて回るのを止めた。
代わりにのめり込んだのは、本だった。休み時間にはいつも図書室に行った。古い本と新しい本の匂いが混じった、どこか懐かしい感じがする図書室が好きだった。おばあちゃん家の匂いというか。決してとてもいい匂いではないのだが、僕は好きだった。年間で本を借りた数で表彰があったが、僕はいつも上位に入っていた。
人気者グループに入るのを諦めたわけじゃない。できるなら、女の子にもモテたい。でも現実問題、僕はバラエティ番組が好きではなく本の虫だった。本では、様々な世界が広がっていた。現実に沿った話もあれば、全く現実とか関係ない世界観で描かれる物語もあった。それらは僕を引きつけ、僕はクラスの人間関係より本の中の物語を好んでいた。
クラスの中で、自分がどういう立ち位置なのかは分からない。でも少なくとも僕が学校を休んだとしても、困る人はいない。さながら、クラスの中を漂っている幽霊のようだった。不登校になった子が、びくびくしながらまた登校した最初の日、驚くほど何もない、何も言ってこないというのを聞いたことがある。好きの反対は嫌いではなく無関心というが、いまの僕はそれに近い状態だった。
あるとき、ふと思ったことがある。もし今地震が起きて、クラスのみんなを地震から救うために僕が命を落としたとしたら、みんな僕の方を向いてくれるだろうか、僕を認めてくれるだろうかと。きっと、答えはノーだと思う。その時には感謝してくれたり、悲しんでくれたりする人もいるかもしれないが、1週間もすれば忘れてしまうのではないか、と。
どうして、人と仲良くするのはこんなに難しいんだろうと思う。何から話せば良いのか。仲良くなりたくて、クラスメイトの男子に話しかけてみたこともある。答えてはくれたが、向こうはびっくりしたようだった。なんとなく傷ついて、僕はそそくさと逃げ出した。それ以来、人に話しかけるのはどうも苦手だ。
図書室にいる、司書のお姉さん(かなり年上だ)に悩みを相談したこともある。彼女は「晢くんは考えすぎなんだよ。考えるのも素敵なことだけど、とりあえずやってみるのも大事だよ」と言っていた。僕がなんて返したかは覚えてないけど、それは難しいと思った。
だって、相手が何を考えているなんて分からないじゃないか。仕草や表情を見ると、戸惑っているように感じる。会話が終わった後の、なんとなく気まずい沈黙が怖い。こいつといるとつまらないって思われるのが怖い。だから話しかけるのも億劫になるし、だんだん話しかけ方を忘れてしまう。
小説であれば、ふとしたきっかけで出会った音楽や、自分を認めてくれる友達、女の子との出会いがあるかもしれない。でも現実は残酷で、僕を変えてくれる出会いには今の所巡り会えていない。
進路について考える時に、「自分がやりたいことについて真剣に考えろ」「10年後に自分がどうなってたいのかを考えろ」と言われた。やりたいことなんて無かった。ここまで僕は、ふわふわと生きてきた。やれと言われたことはやったし、なんでも試してみたけれど、特別に好きなことややりたいことは無かった。
唯一好きなのは本だけど、それも読むのが好きなだけであって自分で書きたいとか、雑誌の編集をしたいとか思うわけではない。親からうるさく言われることもなかったので、僕は流されるままに生きてきた。将来は普通に大学を出て、会社に入って、結婚して、子供ができてという生活ができればいいと思っていた。
だから、美大や調理師学校に行くんだ、と目をキラキラさせているクラスメイトを見ると素直にすごいなと思う。だって専門学校に入るということは、それを頼りにこれから生きていくんです、って宣言してるようなものじゃないか。それが途中で嫌になったらどうするんだろう。やっぱり大学行っとけば良かったと思うんじゃないだろうか。そういうのを全部しょい込んで、自分はこれがしたいんです、と宣言できるのがすごい。僕にできない。
いや、それは違う。僕は宣言したいんだ。何かをする、この先これで頑張っていきますと宣言したい。でも、そこまで好きになれるものがない。一生好きでいられるものなんて、ない。本を仕事にして嫌いになるのが嫌だ。好きな時に読めるから楽しいのかもしれない。失敗するのが、そうして周りの人たちを白けらせるのが怖いんだ。
何かをしようとして、目をキラキラさせている人たちはすごい。同時にとても妬ましい。だって、何かに打ち込めるって一種の才能だ。飽きっぽく怖がりな僕は、何かに真剣に打ち込むのが怖い。だから逃げる。うまくいきそうになったら、もうこれで十分って言って止めてしまう。それがいけないっていうのは分かっているけど、できあがった習慣は簡単には変えられなかった。
少しでも自分を変えたくて、文章を書いてみることにした。文章を書くのは怖い、自分が思っていることが記録に残るから。でも、話すとしどろもどろになったりうまく伝わらないことが、自分の言葉で伝えられるのはいいと思った。まだまだぎこちないけれど。この文章たちが、僕を、僕の目を変えて欲しい。そう、願っている。