勇者になれない勇者
彼、島袋悟は高校の校舎で昼食後の午後の授業を受けていたはずだった。それが、何をどうしたらこんな場所にいることになったのか?さっぱり訳が分からない。
「……ここはどこだー!!」
叫んでみた所で分かる筈もない。
始まりは数ヶ月前のことだった。悟は休日を有効に使うべく、今日も惰眠を貪っていた。休日というからには読んで字の如く、休むためにある日なのだと言わんばかりに。扇風機やエアコンをつけなくても過ごしやすい季節になっていたのも、悟の行動に拍車をかけていた。
ふと気がつくと、どこかで話し声がする。家族は、今日はいないはずだ。みんな悟と違って行動的なので、友人と出かけていたり、自分の用事を片付けたりと外で過ごしているはずだから。
「早く帰ってきたのか?」
二階の自分の部屋を出て階下へ降りてみるも人影はない。玄関を確認してみるが、鍵は閉まっている。おかしい、と首を傾げながらも部屋へ戻ると、先程よりも大きな声で人の喋るのが聞こえる。時々、ザッ・・・ザーッと機械的な雑音が入る。音を辿ってみると何のことはない、ラジオだった。しかし、流れて来るのは番組ではないようで、何か無線が混線しているような。
「……こち……た……て……」
内容はさっぱりで要領を得ない。そもそも、ラジオをつけた覚えもない。気のせいだと自分を誤魔化してラジオを消す。その後は何も起きないので、暫くそのことは忘れていた。そして一週間もして、記憶にものぼらなくなった頃にまた同じことが起こる。回数を重ねる毎にラジオの音も大きくなり、内容もはっきりしてくる。
「……こちら……○×△国より……!……てくれ!もう……きれな……れでもいいから……!応答し……」
どうやら助けを求めている声のようだ。しかし、○×△国なんて聞いたこともない。誰かのイタズラだろう、初めはそう思っていたのだが、回数を増す毎に声は大きくなり真剣さが増してゆくのだ。一言でイタズラと切って捨ててしまえない程に。
気味が悪いので毎回すぐに消すようにし、十回目を超える頃になるとただ電源を落とすだけでなく、ラジオの裏の電池を抜いて物理的に音が聞こえなくなるようにした。その後暫くは平穏だった。ノイローゼになるかと思う程の不気味な音に悩まされないだけで、こんなにも違うのかと思った程だ。ただ、今思えばそれは始まりに過ぎなかったのだ。
以前の様に、不気味な音に悩まされずに惰眠を貪れるようになった悟がこの世界へ訪れる直前。夢と現実の間で確かに聞いたのだ。ここ暫く悩まされることのなくなった、ラジオからのあの声を。周りにラジオなどなかったにも関わらず。
目を開くと、森だった。マイナスイオンとか、木漏れ日といった爽やかさとは縁のなさそうな、鬱蒼と草木の生い茂る昼間でも薄暗い森だ。なぜ昼間と分かるのかと言えば、木漏れ日とも言えないようなうっすら、本当にうっすらとした光が本当に数えられるだけ時折見えるからだった。こんな不気味な場所に長居は無用、とさっさか足を動かせて立ち去ろうとしたその時。ガサガサッと大きな物音がした。
さては獣かと首を竦めつつゆっくり振り返ると、兎だった。いや、正確には兎のような生き物、だ。長い耳、ふわふわの毛皮、小動物そのもののくりっとした目。それらはまさに兎そのもの、しかし。
「人間より大きな兎なんていてたまるか!」
そう、大きさだけは悟の知る兎とは似ても似つかなかった。
「可愛くない!やなかーぎーだ!俺はやーをうさじとは認めんからやー!じぇったい認めん!人間を喰おうとするうさじなんていてたまるかや!」
悟は大きな兎の様な生き物に追いかけられながらも何かを主張していた。悟は昨今の現代っ子らしく方言とは縁遠くなり、時々訛りや語尾がそれらしくなる程度。それが追いかけられて余裕が無くなったせいなのか支離滅裂な主張を繰り返していた。
それもそのはず、その兎のような生き物の歯は物語でよく描かれるヴァンパイアの牙のように鋭く尖っており、長い前歯のある口元からはダラダラと涎を垂らしていた。明らかに悟を食料と見なしているのである。その上、ふわふわの筈の毛皮も良く見ればゴワついて薄汚れており、やはり悟がイメージするペットショップで見かけるような兎とは異なっており、野生の生き物なのだ。目も金色で爬虫類のように瞳孔が縦長で金色をしており、薄暗い森の中で爛々と光を放っていた。辺りを見回してみても武器になりそうなものは何一つない。木を武器にしようにも兎の大きさからしたら小枝のようで簡単にポキッと折れてしまいそうだし、なにより腐っているものが多くて使い物にならない。いよいよ追いつかれた。悟は一瞬で覚悟を決めた。いや、やっぱり喰われる覚悟なんて決まらない。
「喰われたくない!こんなところで死んでたまるかぁ!!」
悟が大声で叫び、目を思いっきり瞑った途端、辺りは眩いばかりの光に包まれた。
五秒、十秒と目を閉じたまま数を数えても一向に喰われる様子が無い。どこも痛くないのだ。恐る恐る目を開くと、兎は跡形も無く消え去っていた。ただそこには焦げ後と焦げ匂いだけが残っていた。
「なんだ……?何が起こったんだ?」
訳が分からず放心していると、またしても物音が。
ガサガサガサッ。
随分大胆である。大きな物音は鳴り止まない。こんなに物音を出していては獲物は逃げてしまうのではないか。余計な心配が一瞬頭を過ぎる。天敵が居ない余程大きな生き物なのか、凶暴な生き物か。またあの兎モドキというのは勘弁して欲しい。
「いや~!アンタすごいなぁ!オレばっちり見ちゃったよ。あんなの初めてだ!」
こちらの警戒を他所に、現れたのは何とも純朴な感じの青年だった。こちらを警戒する様子も見せず、親しげに近づいてくる。
「アンタこの辺の人じゃないだろ。見ない顔だし、あの力!」
バシバシッと馴れ馴れしく叩かれる肩が痛い。
「あの……ここはどこですか?」
まずは場所を把握しておかねばなるまい。明らかに日本ではなさそうなのだが。なんだったら地球でさえもないかも知れないと覚悟を決める。
「あぁ~!やっぱり!アンタもかぁ。かわいそうになぁ。もう〝喚ぶ〟必要もない筈なんだがなぁ。未だに喚ばれてくるヤツがいるんだ。うん」
青年は腕を組み、一人勝手に納得をして頷く。
「あの……」
悟が返事を促すと、
「まぁ、何だ。取りあえず村に来いよ!歓迎するぞ」
一人で勝手に決めて先を歩き、悟が着いてこないのを見て後ろを振り返ったまま手招きする。人懐こい青年の様子を見て、彼になら着いていっても大丈夫かもしれない、と歩を進める。
村に着いてみると、中々明るい雰囲気で歓迎されている様子が見て取れる。金が無いのを知っており、宿もタダでいいからとの言葉に甘えて温かい感じの店を宿に決めた。
青年について村に入ってすぐ、案内されたのは村長の家だった。見知らぬ人物を連れてきた時は、まず何を置いても村長と顔を合わせる必要があるらしい。
村長の家で聞いた話によると、悟のように〝声〟に〝喚ばれ〟て世界を超えてやってくる人物は意外と多いようだ。それというのも、遥か昔、この世界が魔物によって危機を迎えた時、時の王様は多くの魔力を有していたらしい。そんな彼でも魔物を一掃することはできず、追い詰められた王様は界を超えて救世主(協力者)を募る事を思いつく。魔物を一掃することはできなくても界を超えて〝喚び〟掛けることはできた王様は、魔物討伐の協力者を異世界からの呼びかけに応えてくれるような力のあるものから募ることにしたという。
「はた迷惑な……」
思わず漏れた悟の声に、村長が苦笑いを見せた。
「しかし、それももう過去のこと。近年では魔物など数える程しか見かけませんし、村の力自慢総出で掛かれば倒せる程度のものばかりです」
「何のために喚ばれたんだ、俺……」
「でも、すごいんだ、村長!サトールはあのウッサーを一撃で倒したんだぜ!」
お約束のように異世界の名前は言いにくいようだ。村まで案内してくれた青年、アルトールの言葉に村長は顔色を青ざめる。
「まさか……!ウッサーなんてまだいたのか!」
どうやら悟が出会った兎モドキは滅多に出会わないレア中のレア魔物で、ここ数年見かけることは無かったらしい。
「召喚数分でそんなレア中のレア魔物に遭った俺って……」
レアはレアでもこんな運はいらない。悟が落ち込んでいる間も村長は対策を取るため、アルトールに男たちを呼ぶように申し付けた。
村長は、悟への対応が疎かになってしまうことを詫びながらも、ゆっくりしていってくれ、という内容のことを言い残してスタスタと足早に部屋を出ていった。
アルトールは悟の世話を任されており、村長が出て行く前に数分居なくなったのみで、戻ってきてからはその場に残った。恐らく居なくなった数分の間に誰かに男たちを集めるように言いつけたのだろう。
「アルトールは集会にいかなくていいのか?」
悟が尋ねると、
「いいんだ。オレが任されたのは悟の世話だから」
と気にした様子もない。一度ある事は二度ある、ということでレア中のレア魔物の対策といったら結構な一大事だと思うのだが。まぁ、本人が良いというのだからいいのだろう。レア魔物の対策は彼らに任せてアルトールに村の案内をして貰う。女たちは集会の内容を未だ知らされていないからか、明るい表情で悟を出迎えてくれた。見た目に痛いカラフルな果物や何の肉か分からないが肉汁はたっぷりで匂いだけは食欲をそそる串物など、色々な食べ物を勧めてくれる。どれも初見は口に入れるのを躊躇うが、そこを超えていざ口にいれてみるとどれも美味しかった。
暫くして男たちも参加するようになると、しっちゃかめっちゃかな宴会が催され、至る所に死屍累々とアルコールに負けた者たちが無造作に転がされるようになる。誰もベッドへ連れて行くなどということはしない。よって酒臭い人間の塊は増えてゆくばかりだ。誰かの顔に誰かの足が乗っかっていようが、誰かの背中を誰かが蹴飛ばそうがお構いなしである。
勿論、未成年で良い子の悟はこれまた目に痛い程のカラフルな果汁で乾杯しているので酔いとは無縁だ。周りでは迷惑な程アルコールの匂いがぷんぷんしているが、悟は一滴も口にしてはいない。そろそろお開きにしようとの村長の鶴の一声で、意識のある者たちはめいめいフラついた足取りで会場を後にする。赤ら顔で酒の匂いを撒き散らしながら。ちなみに倒れた者たちはそのまま放置である。
宿に着いた悟は先程の宴会を振り返る。悟が異世界、魔物とくればドラゴンや勇者なんてのもいるのか、と軽い調子で聞けば、アルトールが
「ドラゴンなら、山を越えた向こうの街のそのまた向こうの森で……」
と答え掛けたその瞬間、アルコールで上機嫌になって動きも鈍くなっていた男たちが慌ててアルトールを羽交い絞めにし、口を素早く塞いだ。
「い、いやっ!!ドラゴンなんてものはいねぇ!〝喚ばれ〟てくる異世界人にもよく聞かれるが、ドラゴンなんてものはいねぇし、平和だから勇者なんてのもここ数百年は見ねぇ!」
と言って笑った。その笑顔はどこか引き攣っていた。
魔物によって危機を迎えていたこの世界で勇者という存在が認知されているのは分かるが、ドラゴンがいないと言いながら、ドラゴンがどのような存在か良く知っていそうな様子だったのが気に掛かった。その上、あの慌てよう。
「まぁ、いいか」
特に救世主や勇者なんていう代物になる気もない悟はスルーして関わらないことに決めた。
だから悟は知らない。この世界には未だに〝喚ばれ〟てくる人が大勢いて、勇者なんて存在も今も沢山いて。
「なぁ、悟!おれ、昨日もあの夢見ちゃったよ!勇者になってばかすか魔物倒す夢!遂にドラゴンまで倒しちゃったし!いやぁ~!気持ちよかったぁ!村人にもめちゃくちゃ尊敬されちゃってさぁ、あんまりお礼がしたいって言うもんだから、色々貰っちゃったよ」
毎日そう嘯くクラスメイトの彼が見ているのは夢でもなんでもなく、現実に起こっている事で。
「おいっ!アルトール!口を慎め!異世界人には〝勇者〟なんて存在になって貰っちゃ困るって前の集会で決まったろうが!来る度来る度、村の物根こそぎ掻っ攫って行きやがって!」
「その上、マリーちゃんの心まで射止めていきやがる!」
「メルルもだ!」
「うちのアイナもだ!」
「……お前んとこのアイナちゃんはまだ三歳だろうが」
村人たちが必死に勇者やドラゴンといった、冒険に関わる一切の事を悟に知らせないようにするのはこのクラスメイトのせいだということも。
そして悟は理通りクラスメイトと同じ様に、異世界での一日、現実世界での睡眠時間(八時間寝ていたなら八時間。現実世界で寝ていたのが何時間であろうとも、異世界での一日分である)を終えると現実世界へと帰っていった。
よって、悟には勇者をやって村に迷惑を掛けているクラスメイトよりも魔力があることも知らず。
そして悟はその後何度かこの世界に来ることになるが、村人が必死で勇者にさせまいとする為、この後も勇者に関わる一切のことを知らないままであった。
終