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8 僕の想い−side K−

ここのところしばらくの紺野君目線です。

とばして頂いてもけっこうです(^_^;)

「ねえ紺野君、今度一緒にカラオケ行こうよ!どこか暇ある?」


耳元で同期の藤咲さんがいつもの甘えたような声で言った。


「う〜ん…」


花見の時にみんなでカラオケに行って以来、何だかやたらとカラオケに誘われるようになった。

今回も、藤咲さんからカラオケに誘われていたところだ。




でも、僕にはそんな約束より気になる出来事があった。


それは…岡本さんと葉山君のこと。


葉山君が『岡本さんに振られた〜(泣)』とラインで呟いてたのは先週の金曜。

葉山君は岡本さんを落としてみせると意気込んでいたけれど、そんな強引さが苦手だと岡本さん本人は言っていた。だから、彼が振られてしまったのは仕方ないな…と思っていた。




それなのに。


今目の前で展開されていた光景はとてもそうは見えない。


いつもはボーイッシュなカチッとしたシャツを着ている彼女が今日は珍しく淡いピンクのふわっとしたリボンつきのシャツを着ているだけでも驚きなのに、振られたはずの葉山君がやけに親しげに話しかけていた。



…なんだ、振られたなんて嘘だったんだ…



葉山君を見る彼女の視線も少し照れ臭そうで、何だか初々しい恋人、という感じさえした。


「じゃあ、今週の金曜ね?ちょっと!紺野君、聞いてる?」


藤咲さんが反応のない僕にイラッとしたのか、少しトゲのある声で言う。


「あ…ごめん。聞いてるよ。金曜でいいよ」


気まずそうな岡本さんと目が合ってしまい、何だかいたたまれなくて目を逸らす。

僕の隣にはやたらと嬉しそうな藤咲さん。


「じゃあ、楽しみにしてるから!」


彼女は一人で盛り上がってデスクへ戻って行った。




…彼女にはあのお花見のカラオケの後で一度告白されている。


一応同期だから知らない仲ではないけれど、特に親しくもなかったはず。


げんきんなものだと思う。


それまでは僕のことを何の取り柄もなく、他の同期の男子に比べたらちっともさえない男だと思っていたのに、少し歌が上手いとわかったら急に見る目を変える。


…どっちも僕なんだけどな。


それに、僕自身に好意をもっているというより、カラオケが上手い僕だけを求めている気がして、「カラオケが下手だったら僕を好きになっていたわけ?」と聞きたくなってしまう。


そんなわけで、僕は彼女の申し出を「ほとんど話したことがなくて藤咲さんのことを知らなすぎるから付き合えない」と断ったんだ。


…少なくとも僕は断ったつもりだった。


でも、彼女はそれをどうやら「知らないから付き合えない」だけであって、「知ったら付き合えるかもしれない」ととても前向きに解釈した様子。それで何だかんだと話しかけてきたり、今みたいにカラオケに誘ってきたりする。



まあ、ちょうどいい機会かもしれない。今度こそ、ちゃんと彼女には断ろう。


僕には、好きな人が、いる。




僕は自分のデスクへ向かった。斜め前には複雑な表情で僕を見る岡本さん。


彼女は、さっきの僕をどんなふうに見てたんだろう。




「おはよう」


彼女が申し訳なさそうに声をかけてきた。朝から僕が藤咲さんといちゃついてるのを見てしまった、とでも思っているのかもしれない。


「おはようございます」


何を話していいかわからず、僕はとりあえず仕事に没頭することにした。




…が。


ポケットに入れている携帯が震える。そっと取り出して送信者を見る。




…ぼんやり光る、『藤咲莉子』の文字。




何を考えているのだろう。こうしてアピールすればするほど僕は呆れてしまうというのに。


僕はそのまま携帯の電源を切った。


そして再びパソコンの画面に向かい、仕事を進めた。




こうして一日が過ぎ、定時になる。


仕事をしていたようで、集中力に欠けていた僕は凡ミスを繰り返し、思ったより進んでいない。これは残ってやっていくしかなさそうだ。


幸い、藤咲さんは定時であがるようだ。僕はわざと忙しそうにして人が寄り付かない空気をつくった。

藤咲さんは僕に話しかけたそうにしていたけれど、仕事の邪魔はできないと思ったのか、おとなしく帰って行った。




ひとしきり賑やかな集団が出て行くと、オフィスは急に静かになった。


カタカタというキーボードを叩く音だけがオフィスに響く。


あまりにも静かすぎて耳が痛くなる。仕事してるんだから当たり前なんだけれど、何だか居心地が悪い。




ガタッ




顔を上げると、岡本さんがオフィスを出て行く後ろ姿が見えた。


集中力が切れ気味だった僕は、彼女の後を追うようにゆっくりオフィスを出る。


岡本さんは、自販機やテーブル、イスがある休憩スペースにいた。

大きく伸びをすると、彼女は深呼吸して言った。


「体も心も固まっちゃいそうだよ…」




彼女も僕と同じように感じていたんだ。それが何だかとても嬉しい。


「そうですね」


僕が声をかけると、彼女はひどく驚いた様子で振り向いた。


「驚かせる気はなかったんですけど…すいません」


僕はゆっくりと彼女に近づいた。

少しほっとしたような、恥ずかしそうな顔が胸を温かくする。


「何かあの空気が窮屈すぎて、僕も出てきちゃいました」


「そっか…」


ふわっと微笑む彼女。

今日のピンク色のブラウスによく似合う笑顔だ。


この笑顔を葉山君にも向けているんだろうか。

振られた、と言っていたのに親しげな二人の様子が頭に浮かび、僕は胸がきりきりと痛んだ。



「と、ところで、何か飲む?」


「岡本さんは?」


「う〜ん、アップルティーにしようかなって思ってるとこ」


僕は、少し彼女に意地悪をしてみたくなった。


「じゃあ、僕もそれでいいです」


「そう?別に何でもいいのに」


「ううん、そんなに沢山飲みたいわけじゃないから、岡本さんのを一口貰えればいいかなって思って」


あえて何でもないことのようにさらりと言う。




「…え?」




案の定、彼女は驚いた顔で固まる。

僕は何も言わずに彼女を見つめる。それはほんのわずかな時間だっただろうけど、僕にはとても長く感じた。


そして、彼女は言う。


「う、うん、わかった」


僕に背を向けて、お財布から小銭を出そうと焦る彼女の背中がとても愛しく見える。


表情が見えなくてもわかる。


彼女はきっと焦っている。


僕の言葉の意図するところをわかろうとして必死なんだろう。


でもそれは仕掛けた僕も同じ。彼女はなぜ反対しなかったのか?それはつまりそうしたかったってことなのか?




ピッ


ガコンッ




考えている間に彼女がアップルティーを買う。


「熱っ!」


彼女が思わず手を引っ込める。

その頑張っている後ろ姿が何とも愛しくて、思わずくすりと笑いが漏れる。


「僕が取ってあげますよ」


僕はわざと彼女のすぐ左側から手を伸ばして缶を取り出す。


「あ…ごめん。ありがとう…」


申し訳なさそうに言う彼女の上目遣いにどきりとする。わざとじゃない分、その甘えたような視線は危険だ。


僕は少し目を逸らして言う。


「いいですよ。岡本さん、熱いの苦手?」


「うん…結構猫舌なんだよね」


「じゃあなんでホット買ったの?」


僕は思わずツッコミを入れてしまう。

こういうちょっとドジなところが岡本さんの魅力なんだろう。ついいじってしまいたくなる。


そして、僕は自分でもよくそんなことをしたなと思うくらい大胆な行動に出た。


「それじゃあ…」


プルタブを開けるプシュッという音がやけに大きく聞こえる。


彼女は途方にくれたような目で僕の行動を見ている。


「先にもらっちゃいますね」


そのまま僕は軽く缶の口をふーふーして冷ましてから、ぐいっと一口アップルティーを飲む。


彼女は驚いたように目を見開いて僕の行動を見つめている。それにはおかまいなしにもう何口かアップルティーをいただく。


そして。


「先にもらっちゃってすいません。はい」


僕はそのまま缶を彼女に返した。

そう、わざと飲み口を拭わないで。


「あ、うん…」


彼女は目をぱちぱちしながら缶を受け取ると、手の中の缶をじっと見つめた。


…彼女は今何を考えているんだろう?


普通こういう時は口を拭うべきで、それをしなかった僕は失礼な奴だと思われてるだろうか?

それとも、このまま飲んだら間接キスになっちゃう、とか考えてくれてるんだろうか。


それは僕の都合のいい妄想だろうか?




このまま黙っているのも間がもたないので、僕は直球な質問を彼女に投げる。

「ところで岡本さん、葉山君をフッたんですか?」


彼女の体がびくんと跳ねる。


「う、うん…」


あまり聞かれたくないことだったんだろう。声は小さく遠慮がちだ。


「本人がラインで『勝負かけたけど、ダメだった』って言ってたから」


葉山君は良くも悪くも正直だと思う。見た目がクールだから誤解を受けやすいけれど、とても真っ直ぐな心の持ち主だ。


「そうなんだ…」


少し驚いた様子の彼女に、さらに突っ込んで聞いてみる。


「何て断ったんですか?」


「え…」


やっぱり彼女は動揺した様子を見せる。

当たり前だよね…こんなことまで聞いたら、デリカシーのない奴だと嫌われてしまうかもしれない。


「あ、言いたくなければ別にいいですよ」


これ以上追求して嫌われたくはなかった。

ここまでだって、今日の僕は相当嫌な奴になっている。


だけど…


「…あのね、断ったっていうより、あたしが言いかけたら葉山君のほうから『お付き合いはできない?』って先に結論を言われたの」


彼女は遠慮がちに、おそるおそるそう言った。


「そうなんだ。あんなに岡本さんを落としてみせるって意気込んでたのに…何ででしょうね」


下手に出てくる彼女に、何だかもやもやした気持ちが渦巻いて、僕の意に反するように意地悪な言葉が彼女に投げかけられる。


「それは……あたしの態度から感じたんじゃないかな…?」


怯えたような表情の彼女が言う。


こんな追求をすればするほど彼女にとって僕は嫌な奴になっていく。


もう、やめなくちゃ。


暴走しそうな気持ちを抑え、僕は「ふ−ん…」とだけ言う。それ以上言ったらまた嫌なことを言ってしまいそうで。


だから僕は「そっか…」と無理矢理結論を下したみたいな顔をして、暴れる気持ちを飲み込んだ。


そして、できるだけいつも通りの僕を装って言う。


「すいません、何か立ち入ったこと聞いちゃったみたいで」


「ううん、大丈夫」


彼女の頼りない微笑みがずきんと心に突き刺さる。


こんな顔をさせたのは、僕だ。




「そろそろ戻って仕事しないとね」


無理に明るくしようとしている彼女に気付かないふりで僕は「そうですね」と彼女に続く。


静かな廊下にカツ、カツ、と二人の足音が響く。


この廊下がどこまでも続いてたらいいのに…なんてありもしないことを想像してしまう。

隣を歩く、僕より少し背の低い彼女を横目で見ながら、葉山君もこんな光景を見ていたんだろうと思った。


そしてきっと彼も僕と同じように思ったに違いない…


良かったのか悪かったのか、僕が悩む間にオフィスに着き、彼女は「じゃ、頑張ろうね」と席に戻る。


僕も自分の席に戻る。ただ、斜め前には彼女がいて。

気持ちのざわつきを抑えるには時間がかかりそうだ。


とにかくなるべく彼女が視界に入らないよう、僕はパソコンの画面に集中してみる。



…ケホッ、ケホッ…


静かなオフィスに彼女の咳が聞こえた。


空調のせいで空気が乾燥しているのだろう。

そこで僕は気付いてしまった。


「岡本さん」


「ん?」


「そろそろ冷めてると思いますよ」


「え?」


「さっきのアップルティー」


彼女はびくっと驚いた顔をした。


「…あ、そ、そうだね…ありがとう」


彼女も気付いているのだろう。僕の前で飲もうとしないのがその証拠だと思う。


そして、人のいい彼女は、缶の口を拭うのをためらっているのかもしれない。


そんな人の良さにつけこむ僕は、やっぱり悪人なんだろう。


僕の見ている前で、彼女は覚悟を決めたのか、ゆっくりと缶を手に取り、こくりと一口飲んだ。


…何だろう、この気持ち…これだけで何だか嬉しいなんて、僕はおかしいんだろうか…


「冷めてるでしょ?」


心の中を悟られないよう、そっと微笑む。


「うん、大丈夫」


ぎこちない笑顔で彼女は言う。その笑顔に罪悪感を覚えつつ、僕は何事もなかったようにパソコンに向かう。




画面を見て指を動かしているふりをしているが、仕事は全く進まない。というか、それどころではない。




僕はわかってしまった。




僕は、葉山君に負けた気がして焦っていたんだ。


先に告白し、いい返事は得られなかったと言う割には彼女と仲良くしていた葉山君。


彼女を葉山君に奪われてしまうんじゃないかと不安に押し潰されそうだった。



背が高くて、男の僕から見てもイケメンで、クールに見えて本当はとても優しい葉山君。僕は彼には敵わないと、心のどこかで思っていた。

だから、彼が岡本さんを好きだと言ったときにすごく焦った。


そんな不安な気持ちが僕をおかしくさせていたんだ。




でも結局、彼女が誰を好きになるかなんて、彼女が決めること。僕が葉山君に勝とうとしても、それを彼女が気に入るかなんてわからない。


むしろ、今日の僕は嫌われても当然なことをしている。


…情けないな…


今さら遅いのかもしれないけれど、今まで通りの僕で接しよう。それで彼女が僕を好きになってくれなかったら仕方ないじゃないか。無理したっていつかばれてしまう。


僕は、僕らしく。


そう思ったら、何だかふわっと心が軽くなった。


岡本さんがパソコンをシャットダウンする音が聞こえた。


「岡本さん、あがり?」


「あ、うん」


「そっか。僕はもう少しかかりそうかな」


「そうなんだ。大変だね。頑張ってね」


懐かしい。

いつもの会話だ。

当たり前のことがこんなに嬉しいなんて。


「ありがと」


「じゃあ、お先に…」


「うん、お疲れさま」


僕は前にもよくやってたみたいに、彼女に手を振った。彼女もおずおずと振り返してくれた。


彼女がオフィスを出て行く小さな後ろ姿を見つめながら、僕は僕らしく、彼女のために頑張ろうと改めて決意を固める。




でも、『僕らしい』って何だろう…





『僕らしさ』を模索しながら一週間が過ぎていく。


岡本さんとは微妙な距離ができていたけれど、仕方ない、ゆっくり元に戻していけるよう努力するつもりだ。




「紺野君、今日だからね?覚えてる?」


突然藤咲さんに話しかけられてびくっとしてしまった。もう少し優しく声をかけてもらいたいものだよ…


「あ…ああ、うん」


そうだ、今日は金曜。藤咲さんとカラオケに行く約束したんだっけ。


正直、二人で行くのは気が進まない。ただ、一度告白して断られた相手にここまで積極的になれるのは、僕には絶対できないことだから尊敬に値する。


でも、僕にその気がないことをそろそろ感じて欲しい。




定時で藤咲さんからメールが来た。


『外で待ってる♪』


僕は小さくため息をついて、まだ作り途中だった書類を上書き保存してパソコンを閉じた。


「お疲れさま」の声に押し出されるように僕はオフィスを出る。

扉を出るときにちらっとだけ見えた岡本さんの少し寂しそうな目に後ろ髪を引かれる思いだけど仕方ない、行くしかない、と気合いを入れた。


「遅いぞ〜」


外にはぷっと頬を膨らませて不満そうな顔をした藤咲さんがいた。


かわいらしいと言えばかわいらしいのかもしれない。


…が。


今の僕には少し重たい。

だけど彼女をこれ以上怒らせても仕方ない。僕は一応謝る。


「ごめんごめん。ちょっと手間取っちゃって」


「しょ−がないなぁ。さ、行こっ」


彼女はくるりと向きを変えると歩き出した。僕もそれに続く。


「今週は忙しかったね〜」


「うん」


目的地まで他愛ない話をしながら歩く。彼女が少しつまらなそうにしているのは、見て見ぬふりをする。

彼女には申し訳ないけれど、みんなでカラオケならまだしも、二人だけでカラオケは気が進まない。



そうこうしているうちにカラオケに着き、彼女が慣れた様子で受付を済ませる。


「こっちこっち!」


案内された部屋は小さく、モニターに向かい合うように小さなテーブルとソファーがあるだけ。だからソファーに二人並んで座ることになる。


「何か…珍しい部屋だね」


「うん。でもこういう少人数用の部屋って、今、結構人気なんだよ」


「そうなんだ…」


この部屋はカップル用なのかもしれない。

体が触れてしまうくらい近くに座る彼女を見ながら思う。



「私、ビール。紺野君は?」


「え?」


「せっかくだから飲もうよ」


きらきらした瞳で見上げるようにして言う藤咲さん。こういうのを計算された上目遣いと言うんだろうか。


僕はとても飲む気にはなれず、「烏龍茶でいいや」と断る。


「飲まないのぉ?」とやや不満そうだったが、彼女はそれ以上は言わなかった。


ピザやサラダなど、ちょっとつまめる物も注文して、夕飯がわりにする。



「お〜いし〜い」


彼女は幸せそうにビールを飲む。このあっけらかんとした明るさは、彼女の魅力でもある。


サラダやピザをつまみ、指先についたピザのチーズを舐める仕草は、男ならどきっとするだろう。


でも僕は、申し訳ないけれどこの時間が早く終わりになることを願っていた。

自分が一度振った女性と二人きりになる気まずさといったらない。彼女は何とも思っていないんだろうか。


「もったいないから歌おっか」


リモコンをいじりながら彼女は言い、さっさと曲を入力する。


「はい、紺野君も何か入れてよ」


ぽん、とリモコンを渡される。


気は進まないけど、このまま彼女に歌わせっぱなしもよくないので、無難な定番曲を入れる。




しばらくはそんなふうに何曲か歌った。


僕はちらりと時計を見る。もうすぐ時間だ。


「ねえ、紺野君」


リモコンを渡しながら体を寄せてくる。体の左側に彼女の体温を感じる。


「この前の曲、歌ってよ」


リモコンの画面に表示されていたのは、お花見の日に歌ったバラードだった。



断る理由もないので、僕は「わかったよ」とそのまま転送ボタンを押す。


「やったぁ!この曲大好きだから嬉しいっ!紺野君、ありがとっ」


彼女に少なからず好意を抱いていたなら、こんな風に言われたらどきっとしてしまうだろう。


…でも、僕はとてもそう思えない複雑な思いを抱えているわけで、彼女のその態度が何だか切なく思えてしまう。


彼女に僕がしてあげられることはこの歌を精一杯歌うだけだ。



僕が歌い始めると、彼女はモニターを食い入るように見つめながら真剣に聴いていた。

何を考えているのか、僕にはわからないけれど、楽しい思いでいないことは伝わってくる。






歌い終えた僕を、切羽詰まったような彼女の瞳が捉える。


「紺野君…」



「やっぱり私、紺野君のこと、好きだよ…!」


…きた…


薄々勘づいてはいたけれど、やっぱりそういうことか…


「ごめん…前にも言ったけど、僕は藤咲さんのことあんまり知らな…」


「だから!…だからこうして少しでも知ってもらおうとしてるの。私のこともっと知ってもらって…」


「藤咲さん…」


自分でも結論はわかっているのに食い下がる彼女が痛々しくさえ見える。


これは中途半端な態度を取った自分の責任なんだろう。

僕が、ちゃんと終わらせてあげなくちゃいけない。


「あのね、聞いてほしい。僕は…」


プルルルルル


時間を告げる部屋の電話が鳴る。


「……」


「……」


「先に外に出ようか」

「うん…」


彼女は僕に促されるように部屋から出る。

会計も済ませ、店の外へ。



ここではできない話なので、手近な公園へ向かう。


夜の公園は、昼間の賑やかな雰囲気とうってかわってしんと静まりかえっている。ぼんやりした街灯が数本立っているだけなので、何だか薄暗い。


僕はそれでも少しは明るいベンチを選んで座る。


彼女は、僕の隣に少しだけ間をあけて座った。


「改めて、言うよ」


「……」


彼女は黙って頷く。


「僕は、その気持ちはありがたいけれど、藤咲さんとは付き合えない」


「……」


「それは、僕には好きな人が、いるから」


ある程度予想してた答えだからなのか、彼女は何も言わずに俯いたまま頷いた。


「彼女が誰を好きかは知らないし、僕のことをどう思ってるかも知らない。でも、僕は彼女が好きだよ。諦めるつもりはないよ。たとえ彼女が僕のことを好きでなくてもね」


僕はそこまで一気に言った。


藤咲さんは黙って聞いていた。



言うことは言ったものの、「それじゃ」と帰るわけにもいかず、僕は黙って座っていた。


どれくらいそうしていたかはわからないが、彼女がぽつりと口を開いた。


「…紺野君は、その人のことが、大好きなんだよね…?」


「…うん」


「その人が誰かを好きで、それが紺野君じゃなくても、紺野君はその人をずっと好きでいるの?」


「うん」


不毛な恋だと思われてもいい。僕はその人を好きなんだからしょうがない。


自分の中にこんなに激しい感情があるのかと思うくらい、嫉妬で胸が張り裂けそうなこともあった。諦めようかと思うこともあった。


…でも、好きなんだ。


僕のそんな気持ちが伝わったのか、彼女は静かに「わかった」と言って立ち上がった。


そして、「ばいばい」とだけ言うと、とぼとぼと歩いて行った。

その後ろ姿はとても頼りなくて、一人で帰らせるのはとても不安だ。


でもここで彼女に優しくするのはどうなんだろう。


僕は激しく葛藤した。





結局、僕の取った行動は…




「家まで送るよ」


「…いいよ、平気」


彼女が拒否するのは当然で。

でも、僕はそんな彼女を一人にすることができなかった。


「じゃあ、勝手についてく。気にしないで帰って」


「なんで…なんでそんなことすんの?」


語尾が震えていた。

だから僕はそれに気付かないふりで、できるだけ優しくならないように言う。


「そんなふらふら帰ってケガでもしたら困るから」


「そんなの、大丈夫だしっ。それに、ケガしたって紺野君には関係ないでしょ」


「そうだね、関係ないかもしれないけど、僕は後で後悔したくないから勝手についてくだけ。気にしないで帰ればいいよ」


僕が引かないので彼女も諦めたんだろう。「勝手にすればっ!」と言うとくるっと向きを変えて歩き出した。


僕も少し遅れてそれに続く。


自分のアパートに着くまで、彼女は一度も振り返らなかった。

僕も、アパートの入口が見えるところで立ち止まる。


アパートに入っていく藤咲さんを確認して、僕はくるりと向きを変える。




その一瞬。




ほんの一瞬、アパートのほうにいる藤咲さんがこっちを見た…気がした。

だけど、もしそうだとしても、手を振るのもおかしいし、気付かないふりをしておくのが一番だと思った。


だから、僕はそのままその場を後にして帰路につく。




帰り道、僕はある人の顔を思い浮かべていた。


もしも僕が藤咲さんの立場で、彼女に同じように言われたら…


想像しただけで胸が痛い。でも、僕はそれでも諦める気はない。


僕は、あの人が好きだ。だから、あの人が幸せに笑っていてくれたら、それでいい。

たとえ隣にいるのが僕でなくても…

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