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6 紺野君

「なあんだ、もったいない」


日曜日。

久しぶりに智美とショッピング。お昼に立ち寄ったカフェで葉山君とのことを智美に話したら、案の定そう言われた。


「だって…」


「わかってるわよ、恵美にはそんな器用なことできないくらい」


「もう、智美ってば!」


「これでもう後は恵美が紺野君?とのことをどうするか、よね」


「うん…」


そうだ。

あたしはこのままでいいの?ダメかもしれないって怯えて何も動かないままでいいの?


ただ、ここのところ彼は前より冷たい気がする。同時に、藤咲さんをはじめ、女の子たちと話している姿をよく見かけるようになった。


そこにあたしの入り込む余地なんてあるんだろうか。


「あのね、そんなマイナス思考してたらダメなの。もっとプラスでいかなくちゃ」


「うん…でも…」


「『でも』じゃない!…そうだ!恵美、ちょっとイメチェンしよう!」


「え…?」


「ちょっと雰囲気変えたら気持ちも変わるし、彼だって興味を引かれるはず!」


雰囲気変えれば、って智美は簡単に言うけど、あたしにとってはそれって結構勇気のいることで。


それでも智美は「どうしよう…」と悩んでいるあたしの手を強引に引っ張ってとあるショップへと連れて行った。


そこに置いてあったのは、普段あたしが好んで着ているようなシンプルでややボーイッシュな服とは正反対だった。

やわらかそうな生地でできたフリルつきのカットソーやブラウス。色だって淡いパステルカラーが多く、いかにも女子!って感じの服ばかりだ。


「こんなの着たことないし…」


あたしがしり込みしていると、智美はさっさと数枚の服を選んできてあたしに当ててみる。


「うん、思った通り!恵美はこういうピンクも似合うよ」


「えぇっ?!」


智美の勢いに押されながら、何着かを試着してみる。


「智美〜…」


「あ!それもステキかも!今までの中で一番いいかなぁ。会社でも着れそうだし!」


胸元に大きなリボンタイのついたブラウスは、淡いピンクであたしも好きな色だ。リボンタイも大きい割には目立ちすぎないところがいい。


「これに、しようかな…」




そんな時だった。


「岡本さん?」


聞き覚えのある声に、心臓が倍速で脈打つ。声のほうに目を向けると…


「…紺野、君…」


智美が一瞬驚いた顔をしてあたしと彼を交互に見た。それから納得した顔でニヤッとした。


「こんな所で会うなんて珍しいですね」


「あ、う、うん…」


「お友達とお買い物ですか?」


「うん」


返事をすることしかできない自分が我ながら情けない。


やっとのことで言葉を絞り出す。


「紺野君も?」


言っておきながら、ここは女性向けの店だった事に気付く。


それなのに買い物って…


嫌な予感がする。




「雅人〜!」




向こうから来たのは、この店は彼女のためにあるんだろうと思えるくらい、店の雰囲気にぴったりな女の子。


栗色のロングヘアーにパステルカラーのワンピースがよく似合っている。


「雅人、急にいなくなるから心配したんだから」


「ああ、ごめん」


長年付き合ってきたことがうかがえるそのやり取りに、心が凍りつく。



…なんだ、彼女、いるんだ…そうだよね、いないわけないか…すごくお似合いだな…あたしなんてやっぱり釣り合わなかったんだ…告白しなくてよかった……


気を抜くと涙が溢れそうだ。


彼女は彼があたしと話していたことに気付いて、慌てて「すいません」と頭を下げた。


「雅人のお知り合い?」


「うん、会社の先輩。すごく色々助けてもらってるよ」




あ、あたしって彼女にそんな紹介されちゃうのか…まあ実際先輩だから仕方ないか…




『先輩』という響きがやたらと年上っぽくて切なくなってしまった。


彼女は見た目は彼と同じくらいか少し下かな?でも『雅人』って呼んでたとこからして少しだけ年上かもしれない。


彼はこの人を愛しているんだな…と思うと苦しくなる。考えたくないのに、彼が彼女をハグする姿や、キスする姿が勝手に思い浮かんでしまう。


そうして一人であれこれ妄想しているあたしに、衝撃的な一言が告げられた。


「いつも『弟』がお世話になってます」


「え…?」


今、『弟』って言ったよね?


あっけに取られているあたしを見て、紺野君が言った。


「岡本さんには姉がいるって言ったことなかったっけ?」


「うん、今初めて聞いたよ…」


「あ、じゃあ改めて…うちの姉です」


「すいません、失礼な弟で…会社で迷惑かけてませんか?」


お姉さんは若そうだけど、話ぶりはまるで彼のお母さんみたいだ。


「いえいえ、そんな…」


「姉さん、俺だってもう子供じゃないんだからさ、そういうのやめてよ」


『姉さん』『俺』…

驚くことが多くて頭がパンクしそうだ。


「だって雅人はぼーっとしてるから心配なんだもの」


どうやらお姉さんは弟思いというか、やや過保護なほうのようだ。



「あの…紺野君、とても頑張ってるので何も心配ないですよ。色んなことやってくれるので、すごく助かってるんです」


あたしが言うと、彼は照れ臭そうな顔をした。


「今日は二人でお買い物ですか?」


「そうなんです」


「姉さんの誕生日に何かプレゼントしようと思って、一緒に買い物に来たんだよ」


お姉さんが言おうとしたのを遮るようにして、彼が言った。


「そうなんだ、仲いいんだね。彼女かと思っちゃった」


「そんな…」


言いかけた彼を、今度はお姉さんが遮る。


「うちの弟に彼女つくる甲斐性なんてないですよ」


「姉さん…」


「だって雅人、あなたの浮いた話なんてここ何年聞もいてないわよ。実際彼女だっていないんでしょ」


「それはそうだけど…」


二人の話を聞いて、あたしはほっとしていた。


今、紺野君に彼女はいない。


それだけであたしの心は温かくなる。もう少しだけ、頑張ってもいいかな…?


「すいません、みっともないとこ見せちゃって。姉は親以上に僕に過保護なんですよ」


「弟思いでいいお姉さんだね」


「そうかなぁ…そろそろ行きますね。また明日」


「また明日」と手を振るあたしに智美がそっと近づく。


「よかったじゃん、恵美。彼女いないみたいよ」


「うん…でも」


「『でも』禁止!やってみなくちゃわかんないって。まずはイメチェンねっ」


紺野君本人を見てますますイメージがわいたのか、智美はさらに服を選び始める。




…うん、智美の言うように頑張ってみようかな。


あたしは少しだけ、前向きな気持ちになる。智美がいなかったらこうはなってなかったと思う。智美に感謝しなくちゃかな。




「恵美、これは?」


智美は次々とあたしに服を押し付けてくる。


よし、イメチェン、挑戦してみようっと。




月曜。


あたしはいつもより少し緊張して出社した。

なぜなら、智美の選んだ服を着てみたから。


家を出るときに鏡で見てみたけど、何だか自分じゃないみたいで落ち着かない。


昨日買った胸元にリボンタイのついたブラウス、白いスカートに茶色の細ベルト。今までのあたしならしなかったコーディネートだ。




「…おはよ…」


おそるおそるオフィスに入る。


「恵美!」


一番にくいついてきたのは唯だった。


「え〜、超カワイイっ!恵美、どうしたの?」


「いや、あの…ちょっとイメチェンしよっかな…なんて…」


「ちょっとなんてもんじゃないよぉ〜!」


唯は上から下まで眺める。


「恵美、何でもっと早くこうしなかったの〜?」


「いや、そう言われても…」


唯に手放しで褒められて何だかくすぐったい。


「へぇ〜、今日はまたすごく女性らしいねぇ」


「原口先輩、それっていつもはあたしが女性らしくないってことですか」


「いやいや、そうじゃなくて」


苦笑する原口先輩は言った。


「岡本ちゃんはいつもだって女性らしいけど、今日はさらにってことだよ」


先輩は目を細めて慈しむようにあたしを眺める。


「じゃあ誉め言葉として受け取っておきます」


「素直じゃないなぁ、岡本ちゃんは」


そんなやり取りをしながらあたしはたった一人、ある人の視線だけを気にしていた。


紺野君は今日のあたしの格好をどう思っているだろうか。


席に戻りながら彼のデスクのほうをさりげなく見る。



…あれ…いない…



いつもはあたしより早く来ている彼が、今日はまだのようだ。

オフィスに入って来る彼はどんな顔をするだろうか。緊張もあるけど、唯や原口先輩の反応もあって、少し楽しみでもある。


「岡本さん」


後ろから声をかけられた。振り返らなくてもわかる。この声は…


「葉山君…」


何となく顔を合わせにくいな、と思っていたけど、まさか向こうから声をかけてくるとは思わなかった。


「そのブラウス、よく似合ってますよ」


彼はあたしに近づくと、前屈みになって耳元に囁いてきた。


「そんな格好されたら、やっぱり強引に奪いたくなっちゃいますよ」


「!」


あたしの驚いた様子を見ると、彼はふっと笑って言った。


「冗談ですよ。半分はね。あと半分は本気ですけど」


こんな格好つけた台詞でも似合ってしまうのが葉山君なんだ。モテるのもわかるなぁ…あたしがしみじみ彼の顔を眺めていると、視界の端に紺野君の姿が入った。


「あいつ、ちゃんと気付くかな…?」


葉山君は独り言のように呟くと、「またね」と自分のデスクに戻った。



…完璧バレてる…



紺野君はというと、複雑な表情であたしを見ていた。


ただ。


その隣には笑顔の藤咲さんが。


「じゃあ、今週の金曜ね?ちょっと!紺野君、聞いてる?」


「あ…ごめん。聞いてるよ。金曜でいいよ」


彼はすっと視線を藤咲さんに戻した。


「じゃあ、楽しみにしてるから!」


藤咲さんはキラキラした笑顔で席に戻って行った。

一方の紺野君は、何を考えているかわからない表情のない顔でデスクにやってきた。


「おはよう」


何とか声をかけてみる。


「おはようございます」


それだけ言うと彼は黙って座り、さっさと仕事の準備を始めてしまった。


うう…何かいつもの紺野君じゃない…それに、さっきの藤咲さんとの話…二人は付き合ってるんだろうか。


重苦しい不安が心にのしかかる。


結局定時近くなっても彼と話す機会がないまま終業を迎える。


結局…話せなかったな…


紺野君と藤咲さんのことが気になってあんまり仕事が進んでない。仕方ない、残ってやってこう…


あたしは小さくため息をついた。


「お先に〜」


ほとんどの人が定時で帰って行く。


「岡本ちゃん、無理すんなよ」


原口先輩が言ってくれる。


「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ〜」


「その元気があれば大丈夫か」


じゃお先、と先輩はオフィスを去って行った。




少しすると、オフィスの中はさっきの賑やかさが嘘のように静かになった。

残っているのはあたしを含め、ほんの数人。


そして、その中には…






紺野君も、いた。






パソコンのキーボードを打つカタカタという無機質な音だけが響いている。


静寂に耐えきれず、あたしは一旦休憩を取ることにした。




「はぁ……」


自動販売機の前に小さなイスとテーブルがある休憩スペースで、あたしは大きく伸びをしながら深呼吸をする。


「体も心も固まっちゃいそうだよ…」






「そうですね」


「!!」




誰もいないと思っていたので、思わず体がびくっとなってしまう。


「驚かせる気はなかったんですけど…すいません」


そこには、柔らかく苦笑する紺野君がいた。


「何かあの空気が窮屈すぎて、僕も出てきちゃいました」


「そっか。…と、ところで、何か飲む?」


「岡本さんは?」


「う〜ん、アップルティーにしようかなって思ってるとこ」


疲れた体と心がほんのり甘いフレーバーティーを求めている。


「じゃあ、僕もそれでいいです」


「そう?別に何でもいいのに」


「ううん、そんなに沢山飲みたいわけじゃないから、岡本さんのを一口貰えればいいかなって思って」






「…え?」


それって…それって…!


あたしは頭をフル回転して考える。でも、どう考えてもその言葉を実行にうつすと『間接キス』になるわけで。それでもいいと彼は言っているわけで。


いやいや、彼はそういうことにこだわらない人なのかもしれない。うん、きっとそうだ。だってカラオケのときだってそうだったんだから。


何とか無理矢理理由をつけて自分を納得させてみる。


「う、うん、わかった」


あたしはドキドキを抑えつつ、自販機に向かう。


ここで緊張してるのがバレたら自意識過剰なヤツだと思われちゃうよね…


背中に視線を感じつつ、自販機にそっと硬貨を入れ、アップルティーのボタンを押す。


ピッ


ガコンッ


取り出し口に出てきた缶を取ろうとしたその時。


「熱っ!」


思ったより熱くて思わず手を引っ込めた。

そんなあたしの背中でくすっと笑う気配がした。


ああ…情けない…


「僕が取ってあげますよ」


耳元で声がしたかと思うと、あたしの左側、肩を抱かれてるんじゃないかと錯覚するほど近くに紺野君があらわれて、自販機の取り出し口からアップルティーの缶を取り出した。


「あ…ごめん。ありがとう…」


「いいですよ。岡本さん、熱いの苦手?」


「うん…結構猫舌なんだよね」


何でホットを買っちゃったんだろう…と自分で自分が不思議だ。


それは紺野君も思ったようで。


「じゃあなんでホット買ったの?」


苦笑する紺野君。


…笑われちゃった…


がっかりするあたしをよそに、彼は「それじゃあ…」と言いながらプシュッと缶を開ける。

あたしがどう反応しようか悩んでいると、彼は「先にもらっちゃいますね」とあたしの返事も待たずに缶に口をつけた。




…え?


今…口、つけたよね?あれをあの後あたしが飲むんだよね?




あっけに取られているあたしを気にする様子もなく、彼は缶をふーふーしながら熱そうにアップルティーをすすっている。


「先にもらっちゃってすいません。はい」


彼は缶の口を拭うこともなく、あたしに手渡した。


「あ、うん…」


思わず受け取ったものの、これを飲むということは、彼と間接キスをすることになるわけで。

本人が見ている前でそうするのって、どう思われるんだろう…なんて思ってしまう。


ただ、彼はそれを自分で選択したわけだし、そういうことを気にしない人なんだから、あたしが気にするのはあまりにも自意識過剰な反応なんだよね、と考えてもみる。


そんなあたしをさらに驚かせる一言が彼の口から飛び出した。






「ところで岡本さん、葉山君をフッたんですか?」






「!!」


アップルティー飲んでる最中じゃなくてよかった…


「う、うん…」


「本人がラインで『勝負かけたけど、ダメだった』って言ってたから」


「そうなんだ…」


そういうこと、ラインで言えちゃうんだな…と文化の違いに驚いた。


「何て断ったんですか?」


「え…」


「あ、言いたくなければ別にいいですよ」


…何だか今日の紺野君は違う。冷たい態度もそうだし、いつもならこんなこときっと聞かない。少し聞いたとしても何て言ったかなんて聞いては来ないはず。


そんないつもと違う紺野君に、あたしは応えなくちゃいけない、と何となく思っていた。


「…あのね、断ったっていうより、あたしが言いかけたら葉山君のほうから『お付き合いはできない?』って先に結論を言われたの」


「そうなんだ。あんなに岡本さんを落としてみせるって意気込んでたのに…何ででしょうね」


紺野君はあたしをじっと見つめた。


「それは……あたしの態度から感じたんじゃないかな…?」


間違いは言ってない。

でも、真実の100%ではない。


紺野君は「ふ−ん…」としばらく何かを考えていたようだったけれど、独り言のように「そっか…」と呟いた。


「すいません、何か立ち入ったこと聞いちゃったみたいで」


彼が言う。


紺野君は、何でそんなこと聞いたんだろう?

同期の葉山君を応援してた…のかな?それなのにあたしが断ったから、理由が知りたかったとか…?


でもここで「何でそんなこと聞いたの?」とか言ったら、まるで「あたしに気があるの?」って言ってるみたいで恥ずかしい。


結局、あたしは「ううん、大丈夫」と言うしかなかった。


何となく気まずい空気になってしまった。


「そろそろ戻って仕事しないとね」


あたしは取ってつけたように言うと、オフィスのほうへ歩き出した。

すると、紺野君も「そうですね」


と言ってあたしの隣に並んで歩いた。


カツ、カツ、と足音が響く廊下を二人並んでオフィスへ向かう。


…うう…緊張するよぉ…


息を吸う音さえ聞こえてしまいそうで、自然と呼吸が浅くなる。


「じゃ、頑張ろうね」


お互いの席に着いて、再び仕事に没頭する。


そんなあたしの視界の端には紺野君が口をつけたアップルティー。


さっきそれをふーふーしながら飲んでいた紺野君の姿が目に浮かんで、どうしても本人の前で口をつけるのが恥ずかしくなる。

こういう時は席が近いことがかえって逆効果だ。


…ケホッ、ケホッ…


呼吸が浅かったのが災いしたのか、咳が出た。我慢したけど抑えきれず出てしまった咳が静かなオフィスにやたらと大きく響いてしまう。


「岡本さん」


「ん?」


「そろそろ冷めてると思いますよ」


「え?」


「さっきのアップルティー」


「…あ、そ、そうだね…ありがとう」


これは…避けては通れない雰囲気だ…




あたしは覚悟を決めて、当たり前のように缶を手に取ると、口に近づける。


紺野君がふーふーしながらアップルティーを飲む姿が頭の中でフラッシュバックする。


ゆっくりと口をつけると、くいっと一口飲んだ。


とにかく緊張しまくっていて、味も温度もわからない。


「冷めてるでしょ?」


「うん、大丈夫」


ふんわりと微笑む紺野君にそれだけ言うので精一杯だった。




ちゃんと書類が出来上がっているのか心配な面はあったけれど、とりあえずきりのいいところまで仕事を進め、あたしはパソコンをシャットダウンする。


普段は全く気にならないシャットダウンの音が思ったより大きくて驚いてしまう。


「岡本さん、あがり?」


「あ、うん」


「そっか。僕はもう少しかかりそうかな」


「そうなんだ。大変だね。頑張ってね」


「僕も終わるよ」と言われなかったことに何故だかほっとする。


「ありがと」


ふわっと微笑む彼の笑顔を見ながら、あたしの本心を知ったら彼は悲しむだろうか、なんて思ってしまった。


「じゃあ、お先に…」


「うん、お疲れさま」


手を振ってくれる彼に手を振り返しながら、あたしは今後の彼との距離をどうしていったらいいのか悩んでいた…

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