1 気になる新人君
「恋愛なんて所詮初めは勘違いなのよ」
そう言ってのけるのは、恋愛経験も豊富な智美。
そんなこと言ったって…
智美はアシンメトリーなショートボブに華やかな顔立ち。元がはっきりした目鼻立ちなので、少し色をのせただけでぐっとキレイになる。それでいて決して嫌みに見えないのは、彼女のおおらかで気さくな人柄の為せる業だろうか。
そんな彼女はめちゃくちゃモテる。あたし達が知り合った高校時代から、あたしが知ってる限り、智美に告白してきた男性は10人は下らない。
けれども智美はそうして告白してきた男の子と付き合ったことはほとんどない。
一度理由を聞いたら、「トキメかないんだもん」とあっさり。
「いくら向こうが私を好きでも、私が好きになれなかったら意味ないじゃない?」
智美の言うことはもっともだ。やっぱり付き合うのは、自分が好きになった相手がいい。
…でも、そんな贅沢が言えるのは若いうちだけ。
あたしみたいな三十路はそんなこと言ってられない。
好きになった相手に彼女がいるなんて当たり前。容姿端麗な智美ならともかく、ごく平均的なルックスのあたしが若くて可愛い彼女に敵うはずもない。
前に珍しく告白されたりもしたけど、ルックスも性格も好みじゃなかった。だからといってただ「ごめんなさい」するのも気が引けて、「今は仕事が恋人なんです」なんて古くさい理由で断ってみたりもした。
そろそろ、『人を好きになる』なんていう感覚がどんなものか忘れそうになっている自分が怖い。
『案外、優良物件は身近にあったりしてね』なんていう智美のお気楽な文字が踊る携帯の画面をパチン、と閉じる。
「…そんなんだったらとっくに見つけてるっての」
あたしはため息交じりに呟いた。
「探し物ですか?」
いきなり後ろから声をかけられて、思わずびくっとしてしまう。独り言を聞かれるなんて、何だかばつが悪い。
「そういうわけじゃないよ」
振り返るとそこには、声の主が立っていた。
「そうですか?もし探し物なら僕も手伝いますよ?」
紺野雅人、25歳。昨年うちに入社してきた新人くんだ。
彼の同期はなぜかイケメン揃いで、彼だってルックスも性格も悪くないけれど、どうしても比較されてしまうせいで女子社員からは中の下くらいに評価されている。
けれども、誰にでも優しく、手伝いを頼んでも嫌な顔一つしない彼をあたしはそれなりに評価している。顔だけで中身の薄い彼の同期とは大違いだ。
「紺野君って優しいよね」
あたしが言うと、彼は「そんなことないですよ」と笑った。
黒縁の眼鏡の奥の目が少し照れ臭そうに細められる。
…あ、可愛い…
25の男性に『可愛い』も失礼な気もするが、彼は本当に『可愛い』タイプなんだ。
小柄でスリム。柔らかい物腰。入社したての頃には、もしかして『オネエ』なんじゃないか…なんて噂が立ったくらいに中性的。
だから余計に同期のあか抜けたイケメン達と比べられちゃうんだよね。
…紺野君のほうがよっぽどいいと思うんだけどな…
そんなことを考えている自分にふと気付き、自分の中で慌てて訂正する。
…あのイケメン達に比べれば、ってことだからね。
「疲れちゃったからコーヒーでも飲もっかな」
「あっ、じゃあ僕いれましょうか?」
すかさず彼が言う。
「ううん、いいよ。自分でやるから」
うちの社は基本色々セルフサービスだ。他所では新人の女の子がお茶係をやってるなんて話も聞くけど、うちはそんなのは無縁。お茶を飲みたかったら自分でいれればいい。
あたしはデスクの引き出しから、コーヒーのドリップパックを取り出した。
「あれ?岡本さん、コーヒーの銘柄変えたんですか?」
「え……」
驚いた。そんなとこ見られてたなんて。
「よくわかったね」
「だっていつも青色のパック持ってるから」
何でもないことのように言っているけど、そんなとこまで見てるなんて…
…もしかして、あたしのこと、好き?
あたしは慌ててそんな可能性を頭から振り払った。
ないない。そんなわけない。ただたまたま覚えてただけだろう。あたしも結構コーヒー飲むし。
「どっちのほうが美味しいですか?」
「これ、初めて飲むからわかんないや。友達はこっちのほうが美味しいって言うけど、飲んでみなくちゃわかんないな」
「そうですか。もし良ければ僕も少しもらってみたいなぁ」
そんなふうに言われたら、分けてあげないわけにはいかない。
「いいよ、紺野君のマグ、あの水色のでいいんだよね?」
「あ、僕も行きます」
給湯室へ向かうあたしに、紺野君はついて来た。
隣を歩く彼は、思ったより背が高い。あたしの目線は彼の喉仏の少し下くらいだ。
…何か、やっぱ男の子なんだなぁ…
案外高い身長や、思いの外はっきりしている喉仏に、改めて紺野君が男性であることを認識した。
「岡本さん?僕の顔に何かついてます?」
言われて彼の横顔をじっと見ていたことに気付いてハッとする。
「あっ、ごめん…そういうわけじゃなくて…」
何て言っていいかわからず、口ごもってしまう。
「あ、案外背が高いんだな、とか思って…」
…ウソはついてないよ、うん。
「あはは。何か僕って実際より小さく見られるんですよね。何ででしょうね」
それから、彼はあたしを見て言った。
「岡本さんは、こうして並んでみると、思ってたより小さいです」
うっ……どうせあたしは小さいですよ。
でも、『思ってたより』ってことは、もっと大きいと思われてたんだ。
それって……
「どうせ普段から態度だけは大きいですよ」
「いや、そういうわけじゃないですよ。ばりばり仕事もこなして堂々としてるからそう見えたんですよ、きっと」
「…フォローありがと」
彼はあたしを『ばりばり仕事もこなして堂々としてる』と思ってるんだ…そんなできる人間じゃないのになぁ…
「フォローとかじゃなくて、ホントにそう思いますよ」
彼は柔らかく笑った。
「うん、ありがと」
そんな会話をしているうちに、給湯室に着いた。
「紺野君のマグ、これだよね」
あたしが水色のマグを手に取ると、彼は少し驚いたように言う。
「よく知ってましたね」
「だってしょっちゅう使ってるじゃない」
コーヒーの銘柄変えたの当てるより楽だと思うけど。
あたしはドリップパックを彼のマグにセットした。
「あ、僕は後でいいですよ」
「ううん、違うの。普通に淹れると少し濃い気がして、あたしあんまり好きじゃないんだ」
「そうなんですか?」
「うん。だからいつも2杯分淹れて小さい水筒に入れるようにしてるの」
「そう言えば水筒で飲んでることありますよね」と彼は頷いていた。
「薄めて飲むなんてコーヒーの味のわからないヤツだ!って原口先輩には言われちゃったんだけどね」
原口先輩は、あたしと一回りほど違う先輩だ。厳しいときもあるけれど、ユーモアのセンスもある優しい先輩で、みんなから慕われている。
「岡本さんは原口先輩と仲がいいんですね」
「いやいや、そうじゃないよ。原口先輩は誰とでも仲がいいよ」
原口先輩は本当にそういう人だ。すぐに誰とでも仲良くなれる。年齢の為せる業…というだけではなさそうだ。
「原口先輩と何かあった?」
「いえ、全然そういうわけじゃないですよ」
そんな話をしているうちに彼の分のコーヒーがはいった。
「はい、どうぞ。ミルクとお砂糖はセルフサービスね」
「あ、ありがとうございます」
自分の分を淹れながら彼の様子を見ていると、お砂糖もミルクも多目に入れていた。
甘党なんだ…可愛いな…
彼のほんわかした雰囲気と甘党な事実が絶妙にマッチして、何だかきゅんとしてしまう。
…って、何トキメいてるの、あたし!相手は10も年下なんだから!
でも、そっか…10も違うんだよね…そしたら彼からしてみればあたしなんて『おばさん』か…
「岡本さん!」
「え?…あっ、うわぁっ!」
考え事をしてたら、お湯を入れすぎてドリップパックからお湯が溢れ出していた。
マグカップが多少受け止めてくれてはいたものの、ポットが置いてあるテーブルにこぼれたコーヒーが広がっていた。
あたしは流しにあった雑巾でこぼれたコーヒーを拭き取った。
「あ〜あ、やっちゃったなぁ…」
「岡本さんらしくないですよ?何かあったんですか?」
「いや、ちょっと考え事をね…」
まさか、君のことを可愛いと思ってたから、なんて言えない。
「悩み事?僕でよければ聞きますよ?」
「あ、ううん、大したことないから…熱っつ!」
捨てようと思って持っていたドリップパックから熱い滴が手に落ちた。
こんな情けないとこばかり見せてしまう自分が嫌になる。
「岡本さんって…可愛い」
10も年下の彼は、湯気の立つマグカップを両手で持ちながら、眼鏡の奥の目を優しく細めてにっこりと笑った…




