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第一章 決意 ──欠意── (1)



──ごめんね。

何が?

──ごめんね。

泣いてるだけじゃ、分からないよ。

──ごめんね。


気持ち悪い。心底からそう思った。しかし、それを声に出そうとしても、喉が震えるだけで、その震えは決して外に漏れ出ない。ただ内側で、霧散する。

少女は、ただ泣いていた。泣いているだけだから、何もわからない。そもそも、分かろうとも思わなかった。そんな自分は果たして、低俗な人間なのだろうか? 泣いている少女を目の前にして、しかし何も、本当に何も、道場めいた感情が湧いてこないのだから、自分は冷酷非道な人間なのだろうかと、不安にさえもなる。

──冷酷、なのだろう。

それでもやはり、だからどうしたと、そんな感想しか浮かばない。

少女は泣くのをやめない。謝罪もやめない。そんな少女のことを、考えてみようと、思考を働かせるものの、しかし、考えることが、なんだか馬鹿らしくて、考えることはしなかった。

あれ? と、疑問がふと、浮かぶ。浮かんで、消える。少女の涙に、違和感を覚えたというわけではない。少女の鳴き声に、心が震えたという事でも、勿論、ない。

ならば。

何だというのだろうか。

そう。

違和感を覚えたのは、言葉だ。

言葉に対して、違和感を覚えたのだ。

違和感──しかしその違和感を説明できるような能力を、持ってはいない。何故なのかと問われれば、答えは一つと言って良いだろう。

馬鹿なのだ。

少年は、馬鹿なのだ。

どうしようもなく馬鹿な少年は、少女の涙の意味にさえ、気づくことが出来ない。それはしかし、知らぬが花とでも言うのか。知らない方が、少年は幸せなのかもしれない。だがそれでは、少女の心は、浮かばれないというのもまた、事実だ。

少年の為に、少女は泣いていた。

少女──寛木休未は、少年の為に涙を流していた。否、少年の為にという言葉は恩着せがましくなってしまうか。兎角、少女が泣いている理由は、少年なのだ。

しかし、少年は気づけない。『愛すべき人形』と名付けられた少年の残骸は、涙の理由はおろか、寛木休未の事さえも、しっかりと認識できていないのだから。

図書塔内部は薄暗い。

寛木休未は一通り涙を流し終えた後、立ち上がって少年を見下ろした。少年の意識は、少年の中に在って無い。理屈は不明瞭だが、しかしそれが現実である以上、それは受け止め難くとも受け取らなければいけないのだ。

いつも通りの、指定席に腰を掛ける。息を吸うと、少し埃っぽいうような気がした。こまめに掃除をしていたはずなのに。何故だろうと疑問に思う。机に置かれていた古ぼけた本が、その答えを示唆していた。

そういえば、上の段から取ったこれのせいで、埃がまったんだっけ。

気が付かなければ大したことではないのだが、しかし気が付いてしまえばそれはどうしても意識に潜り込んで離れなくなってしまう。寛木は塔内の壁側に立てかけてある小型掃除機を手に取って、机の場所まで移動した。距離はあるものの対外学校という施設内には一体それ程の長さが本当に必要なのかと疑問を呈したくなるような、まるでホースのように長い延長ケーブルが存在している。私立頭角学園もその例に洩れてはいない。延長ケーブルをコンセントに差し込んで、掃除機を延長ケーブルとつなげる。機械的な駆動音を立てて、掃除機は床の埃を吸い始めた。

少年は、少年の亡骸は、虚ろな目でそれを眺めている。

やがて、掃除機の音が止むと、図書塔内はいつも通りの静寂を取り戻した。掃除機を片付けて、寛木はもう一度椅子に座る。今度は、埃は気にならなかった。それでも、塔内の空気が淀んでいるように感じる。図書塔ある窓は小さい。そして、鍵がかかっている。職員室まで行けば鍵は借りれるのだが、しかし職員室まで歩くのはしんどい。

我慢しよう。と呟いた。独り言だ。最近、独り言が多くなってきたような気がする。きっと、気がするのではなく、実際に増えているのだろう。

「──話し相手をしてくれるくらいなら、いいじゃないか」

 だったら。と声がした。背後から。少年の声だ。それに寛木は振り返る。振り返って確認すると、声の主は三日前に知り合った一人の男子生徒だった。

羽水礼治。

夜闇新月の、幼馴染だ。

「俺が、話し相手になりましょうか? 寛木先輩」

「ん……。やあ、君か」

「君って呼び方はなんとかならないのかよ……。いや、いいんだけどな」

「それはすまない。だったらそうだね」

 礼治君。と、名前を読んでみる。しっくりと来た。

「はぁ、なんでもいいよ。先輩」

「君も、その先輩と言う呼び方は改めてほしいものだけれどね。それこそ、新月ちゃんの如く私のことを休未ちゃんと呼んでくれると、少しは嬉しいのだけれど?」

 冗談で言ってみると、「それは却下だ」と即答された。思ったことは言ってみるべきだというが、しかし早々、うまくはいかないものであると、そんなことを再確認させられる。

礼治と寛木が知り合った三日前。それから二人きりで顔を合わせるというのは、初めてだった。最近は、実際に面と向かわなくてもコミュニケーションが取れるような技術が幾つも存在しているからだ。携帯メールや電話にとどまらず、インターネット上にあるSNSを使っても、情報交換程度なら可能だ。そんな現代社会において、人と面と向かって本心を曝け出しあうという行為をする機会は、減って言っている。そもそも、人間という生き物が精神衛生を保つ上で、自分の本心を相手に曝け出すということそのものだ、昔から余りないような気もするのだが。

「つーか。呼び方戻ってるしな」

 もういいよ。と言って、礼治は少し真剣な表情を作った。チラリと、視線が『愛すべき人形』へと移ったように見えたが、それについて彼は深く追求する気はないらしい。少なくとも、今は。

「新月は、大丈夫だ。まだ何もありません」

「それは良かった。私は新月ちゃんには、平和な日常を送ってほしいと常々願っているからね」

「というか、本当に何もないですよ。『あれ』以来、まったく、平和も平和。平凡もいいとこですよ。『あれ』がなければ、俺は先輩の話を、多分信じていなかったでしょうけど」

 あれ、と礼治は言った。礼治の言うあれとは、二人が出会った翌日に起こった小さな事件だ。運命という台本に沿ってこの世界が進行を続けているのだとしたら、それは運命の作者──神とでも言えるべき存在の何かが、無理やりにつめこんだとも思えるような、都合の良い、あまりにもタイミングの合いすぎた事件だ。

その事件で、寛木自身も初めて、『グリフレポート』と呼ばれる物──恐らく物なのだろう──の存在を信用させられた。

異能、だった。

そして、異様だった。

ともすれば、異常ですらあった。

 人間が一人、人形になっているというだけで、異常という物が、異常と呼ばれるような現象が起こり得るという事は分かってはいたものの、しかしあまりにも直接的にそれを肌で感じるようなことがあれば、いくらなんでも、怯える。

「ならば、少なくとも最悪ではなかったということかな。あの事件は。それでも、最善ではなかったけれど」

 静かに、寛木は笑った。

笑った意味が分からずに、礼治は小さく眉を動かす。

「それでも、新月事態には危害は及んでいないんだ、やっぱりあれは最善だよ。俺が現状を把握できてたら、それはもっと最善だったんだろうけれど、それでも、危険性は少しでも理解できた、それだけで十分に最善だ」

 その言葉に、礼治自身何か思うところが合ったらしく、彼もまた寛木のように軽く笑みを浮かべた。見ようによっては、照れ笑いのようにも見える。

「ならば、重畳と、言うところかな?」

 寛木の問いかけに、礼治はこくりと頷いた。

──重畳、だ。

と、声に出さないで呟いて、礼治は寛木の隣の席へと腰を下ろした。


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