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七話 ニルヴェルヘーナの狂姫

 私は当時十二歳で、十歳の弟がいました。

 その日、弟や友達と遊んでいたら、街が赤く染まりました。

 みんな怖がって家に帰って、私も弟を連れてお家に逃げ帰りました。

 私は床下にある収納場所に隠れて、弟を抱えて震えていました。それは、お母さんが慌てて飛び込んできて、床下に隠れていなさい、絶対に出てきてはいけないと言ったから。

 すぐにお父さんも戻ってきて私と弟は床下に押し込まれ、床板が元通りになりました。

 最後に見たのは、二人の優しい笑顔。そして静かになりました。

 遠くから爆発の音がして、とても恐ろしかったのを今でも覚えています。

 しばらくして人の足音がして、床板がはずされました。

 そこにいたのはお父さんでもお母さんでもなく、黒い髪のお兄さん。

 見知らぬ人の姿に、私も弟もついに泣き出してしまいました。

 その人は優しく、不思議なお兄さんでした。あっという間に弟を宥めると、私も抱えて街の外へと走っていきました。周りは炎ばかりで熱くて仕方ないのに、ぜんぜん熱くなくて。

 街の外にはたくさんの人がいて、そこにお父さんとお母さんもいました。

 二人はお兄さんにお礼を言い続けます。私達を一度隠したのは、私達を悪い魔女から守るためのものだったようです。なのに自分達だけが街から、引っ張り出されてしまったそうです。

 周囲を振り切り助けに行こうとしていたところに、お兄さんがやってきたのです。

 お父さん達はお兄さんに、私達の救出を頼み込んだのでした。

 彼は二人組みで、一人はエルフ種の女の子でした。

 お兄さんは一人の女の子を呼び止めると、そのまま街へ走っていきました。ちょっとあのことケンカしてくるよ、と笑って。お兄さんは女の子が呼び止めても聞かず、行きました。

 そして街は跡形もなく燃え朽ちて、何も残りませんでした。

 お兄さんも悪い魔女も、誰も何も残りませんでした。

 みんな、あのお兄さんが何かやったに違いない、といっていました。お父さんやお母さんや一部の大人は、あの人は守ろうとしてくれたと言ってくれたけど、みんな信じてくれません。

 こうして、お兄さんは悪者にされて、みんながそれを当然のように口にしました。

 けれど私は信じています。

 誰が彼を悪魔だと罵ろうも、あのお兄さんはここを守ってくれたと。

 私は信じています。




 ――『メルフェニカ王国ランドール領の歴史 アンジェリア・ランドール著』

「死ねっ、ニルヴェルヘーナの狂姫っ!」


 風が刃となり、ファリの肌をなでる。

 それを身を捩るようにかわし、ファリは声の主に背を向けた。楽しいことは好きだが、楽しくないことは嫌いだ。あの魔女との殺し合いは、どちらかというと『楽しくない』。

 だから去る。

 逃げるのではなく、いなくなる。

 もちろん、相手はそんなことはお構いなしに、遊んでほしいとせがむのだが。

「……シェルシュタインのくせに、ずいぶん乱暴な魔女ね」

 ぼそり、とつぶやき視線を向けたのは、黒い髪の小柄な少女だ。やたれ気味の長い耳は彼女がエルフ種であることを示し、名乗った名はその身分が魔女であることを示す。

 しかも――癒しなど、非戦闘に特化した一門の出身である。

 にもかかわらず、パメラと名乗ったその魔女はファリに手傷を与えた。それはかすり傷のようなもので、傷と称していいのかすら迷うほど小さなもの。しかし、久方ぶりの赤だった。


 ――だから、そのお返しをしよう。


 そう、赤には赤を。

 痛みには痛みを。

 とん、と地面を蹴って宙へ舞い、ファリはくるりと回転する。魔法式を用い、高速で飛ぶように追いかけてくる、黒髪の魔女が見えた。自分と同じ赤い瞳が、殺意の色にゆれている。

 ――認めるのは腹が立つけど、とってもキレイ。

 だから、丁寧に相手をしてあげようか。気に入ったのだから、丁寧に壊さないといけないような気がしていた。大事なものは、大事に愛でる。なでるような指先で、切り裂くように。

 かわいい、かわいい。笑みを浮かべたファリの指先が、空気を裂く。その隙間を埋めるように滾る炎が走り、一泊置いて、小柄な少女に向かって走った。

 一瞬、彼女――パメラと名乗っていた、その少女の目が細められて。

「――【赤色魔法式】展開!」

 すぐさま、打ち消すための炎が呼び出された。

 パメラ――パメラ・シェルシュタインは、その名が示すとおり、シェルシュタインという魔法使い一門の出身だ。長い耳はエルフ種の証で、それに違わぬ魔法の才に恵まれている。

 ゆえに、彼女はありとあらゆる魔法を扱うことができた。治癒など、非戦闘の魔法に特化した一門であるにもかかわらず、だ。いずれは時間すらも克服するだろう、と言われている。

 まさに文字通りの天才。

 そして、彼女が相対する魔女――狂姫ファリ・ニルヴェルヘーナもまた、天才だ。触媒がなくとも魔力さえあれば魔法を紡ぐことができる血統を持つ、突然変異とも言うべき天才。

 そんな二人の戦いは、実にシンプルなものだ。

 片方が攻撃を放ってきて、それをもう片方が払いのける。

 だが、これまではパメラが一方的に攻撃を放っていたものが、少し逆転していた。降りかかる火の粉すら気にしない、直接害されても死なない程度なら捨て置く。

 そんなファリが、パメラを『敵』と認識したのだ。

 もしここに、ファリに忠誠を誓う男がいたら、さぞや驚きに目を見開くだろう。

 何にも執着せず、心に入れない。

 孤高といいより孤独な魔女が、珍しく誰かを『認識』しているのだから。

 二人の実力は拮抗する。いくら触媒がなくとも魔法を作り出せても、その魔力には必ず枯渇するときが来る。加えてファリは人間種で、決してその魔力に恵まれているとは言えない。

 反対にパメラは触媒がなければ何もできないが、その触媒のストックは潤沢だ。なにせ相手はかのヴィルドース血統の魔女。そうと知りながら準備をしないなど、決してありえない。

 この魔女をパメラが追いかけ始めて、はや一年。

 専用の触媒などを準備するには、充分すぎる時間だった。

 そして、休息以外に回復することができない魔力が先に枯渇するのは、自然なこと。さすが何度も出くわしている魔女。ファリは、悔しさよりも喜びを感じ、笑みを浮かべる。


 ――でも、ここで遊んでもつまらないから。


 一つを壊しても面白くない。ファリはすぐさま背を向けて、加速する。魔法を用いた移動は得意とするところで、これだけは今だ誰にも負けたりはしないと自負している。

 案の定、パメラがわずかに遅れ始めた。

 それでも食らいついてくるのは、何が何でも相手を倒さんとする執念か。だが、徐々に二人の距離は開いていく。悔しげに、逃げるな、と叫ぶ声が響いた。

「くそっ、その先には街が……っ」

 そんな声の直後、何やら背後が騒がしくなる。

 ちらり、と振り返ったファリが見たものは、誰かに腕をつかまれるパメラの姿。

「は、離せ、このバカっ」

 ぎゃあぎゃあとわめくパメラが、遠くなる。敵ではなくなった彼女に、ファリは用事がひとかけらとしてなくなった。それに……ああいう光景を見るのは、あまりうれしくない。

 特別な力を持つ存在というものは、孤独であることが多いように彼女は思う。

 優れた血統を持つファリと、類まれな天才であるパメラ。自分が孤独であるように、彼女もまた孤独なのだろうと、思い込むように思っていた。だけど現実はたやすくファリを裏切る。


 ――なんだ、あなたにも大事な人がいるんじゃないの。


 羨ましいと思い、妬ましく感じる。

 あたしは、それを喪ったのに。



   ■  □  ■



 ふわり、と舞い降りたのは町の中心。

 周囲が彼女に気づくより早く、彼女はすべてを解き放つ。荒れ狂う魔力は、彼女の怒りそのものだった。すべてを舐るように燃やしつくし、ファリは恍惚とした吐息を宙に放つ。

 悲鳴も。絶叫も。

 すべてがとても心地よかった。

 それらを発するより先に、壊れたファリにはもう出せない音。変わりではない、だけどこうして誰かに同じことをさせていると、なんだがとても心が静かになって、落ち着くのだ。

 まどろみの中にいるようで、彼と一緒にいた頃のようで。

「きもち、いい」

 炎に沈む町並みを眺め、ファリはわずかに笑む。逃げ遅れた人間が、赤く光って面白おかしく踊っていた。大きい踊り手、小さい踊り手。四つんばいになった、もっと小さい踊り手も。

 みんな、みんなもっと踊ればいい。

 踊り狂えばいい。

 自分を『狂姫』へと変えたのがこの世界なのだから、同じになればいい。

 それで、喪ったものが帰ってくるわけでは、ないけれど。でも、喪ったことで生まれた隙間を生める方法がない。どんなピースも入らないから、飢えがどうしても満たされない。


 トウヤだけがよかった。

 彼と一緒に、どこか遠くに逃げればよかった。


 友達も何もかも捨てて。たった二人で生きていけば。そこまでの『弱さ』があれば、少なくともトウヤは死なずにすんだのだ。逃げ出せないという『強さ』こそが、彼を奪っていった。

 なのに、ファリはその強さにすがるしかない。

 その強さがないと、わずかにも満たされなくなっていた。

 誰でもいいけど、誰でもよくない。

 でも、誰でもいいから。

「おなかが、すいたの。一人の食事は、さみしいの。一緒に、彼がいてくれないの。いないと食べてもおいしくないの、満たされないの。楽しくないし……悲しくも、なれないのよ」

 叫ぶように声を発し、足元でじゃれ合う炎を手繰り寄せる。

 ざり、と背後から音がした。まだ誰か、踊りたい人間がいたらしい。

 ファリは振り返りながら、炎を相手へと飛ばす。

 そして、相手を見た。


「――え?」


 黒い目に、囚われたその一瞬。

 ファリは己に腹部に、鋭い切っ先が滑り込んだことを悟る。同時に、自分の放った魔法式が相手の腹を抉り取ったことも。しかし、そんなことはどうでもいい些細なことだった。

 互いに向かって崩れおち、重なりながら炎の中へと消える。

 そして誰も、誰一人としても立ち上がらない。炎はすべてを覆い隠すようにうねり、何もかもが見えなくなっていく。向こうからも、こちらからも。もう相手は見えない。

「離せっ、まだっ、まだ人がいるんだあああああっ!」

 離れたところから響くパメラの声も、次第に遠ざかっていった。

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