不安明日
準備の最終日。夜遅くまで残って作業していたクラスメイトたちが、ようやく片付けを終えて帰路につこうとしていた。校門を出ると、すっかり夜の気配が深まり、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。
「うわ、もうこんな時間……」
千尋がスマホの時計を確認しながら、小さくため息をつく。時刻は夜の九時を過ぎていた。学校にこんなに遅くまで残ることなんて、そうそうない。文化祭の準備ならではの特別感があるとはいえ、さすがに疲れが溜まってきていた。
「帰るの、俺も同じ方向だから送るわ」
奏汰が何気なくそう言うと、千尋は少し驚いた顔をした。
「え、いいの?」
「別に危ないってほどじゃないけど、まあ、遅いしな」
そう言って、奏汰は歩き出す。千尋は「そっか」と呟いてから、その隣に並んだ。
学校を出ると、秋の夜風がひんやりと頬を撫でる。街灯のオレンジ色の光が、二人の影を長く伸ばしていた。
「……明日、いよいよ本番だね」
沈黙を破るように、千尋がぽつりと呟く。
「ああ。ここまで準備頑張ったし、あとは楽しむだけだろ」
「うん……そう、だといいけど」
千尋は少し不安げな表情を見せた。
「なに、緊張してんのか?」
「だって、お化け屋敷って結構ハードル高いじゃん? 怖がってくれるかなとか、うまく案内できるかなとか、いろいろ考えちゃって……」
「そこはもう、楽しんだもん勝ちだろ。お前、ホラー苦手なんだから、お客さんより先にビビるなよ」
「うっ……それは気をつける……」
奏汰の軽い冗談に、千尋は苦笑いを浮かべた。確かに、文化祭の準備中にも何度か悲鳴を上げてしまったことがある。明日もお客さんより先に驚いてしまったら、確実に笑われるだろう。
「奏汰はさ、文化祭の中で何が一番楽しみ?」
気を取り直すように、千尋は話題を変えた。
「んー……まあ、うちのクラスの出し物がどうなるかってのもあるけど、普通に他のクラスの企画も回りたいよな。あと屋台。たこ焼きとか食いたい」
「分かるー! 食べ物系、三年生しかできないのちょっと悔しいよね」
「ま、来年の楽しみにしとけばいいだろ」
そう言いながら、奏汰はふと千尋の顔を見た。
「お前は?」
「え?」
「お前は何が楽しみなんだよ、文化祭で」
「あ……私はね……やっぱり、うちのクラスの出し物が成功するかどうか、かな」
千尋は少し考えてから、そう答えた。
「みんなで頑張って準備したし、たくさんの人に楽しんでもらえたら嬉しいなって」
「真面目か」
「ええ!? 真面目なこと言っちゃダメだった!?」
「いや、別に。でも、まあ、お前らしいっていうか……」
奏汰は少し笑いながら言った。その声には、どこか柔らかい温かさが滲んでいた。
千尋は「そっか」と頬をかきながら、ふいに夜空を見上げた。街の明かりが多くて、星はあまり見えない。それでも、明日への期待感は確かに心の中で膨らんでいた。
「ねえ、明日の休憩時間、一緒に文化祭回らない?」
突然の千尋の提案に、奏汰は少し驚いたように目を瞬かせた。
「ん? ああ、別にいいけど」
「やった!」
千尋がぱっと表情を明るくする。
「明日は忙しいだろうけど、せっかくだし、クラス以外の出し物も見たいしね」
「そうだな」
そんな風に話しているうちに、千尋の家が見えてきた。
「じゃあ、また明日な」
「うん。今日は送ってくれてありがと、奏汰」
「別に大したことじゃねーよ」
そう言って、奏汰は軽く手を上げると、そのまま来た道を引き返していった。
千尋は少し名残惜しそうにその背中を見送り、そっと玄関のドアを開けた。
文化祭はもうすぐそこまで迫っている。
明日はどんな一日になるだろう――。




