上部約束
放課後、夕焼けに染まった廊下を歩く。教室から少し離れたこの場所は、昇降口へと続く道の途中にある。
「奏汰、一緒に帰ろう」
ふと後ろから声をかけられて振り返ると、咲良が軽やかに駆け寄ってきた。制服のリボンを少し緩め、肩にかけたカバンを揺らしながら歩く姿は、相変わらずどこか柔らかい雰囲気を持っている。
「珍しいな。悠人は?」
「生徒会の手伝い。だから、今日は私一人」
そう言って、彼女は並んで歩き出す。靴音が廊下に心地よく響く中、少しの沈黙が続いた。
「そういえばさ、夏休み明けてから、悠人とあんまり話してなくない?」
咲良が不意に問いかける。
奏汰の足がわずかに止まりかけたのを、咲良は見逃さなかった。
「……別に。話す機会がないだけだろ」
「あの日のこと、気にしてるんでしょ?」
廊下に差し込む夕陽が、奏汰の横顔を赤く染める。
「そんなこと——」
「じゃあ、どうして避けてるの?」
「……別に、避けてるわけじゃ」
「悠人もね、何も言わないんだよ。でも、分かるの。なんとなく、二人とも無理してるって」
咲良の声は優しかった。でも、その目には真剣な色が宿っている。
「奏汰、あの日、何があったの?」
立ち止まる。夕焼けの光が校舎の窓をオレンジ色に染める中、奏汰は少しだけ息を吐いた。
——あの日のことを、どこまで話せばいいのか。
悠人の秘めた何か。自分が感じた違和感。殴り合った拳の重み。
それを言葉にするのは、簡単ではなかった。
「……別に、大したことじゃないよ」
「それ、本当に?」
咲良の瞳が、まっすぐに奏汰を射抜く。
「悠人のこと、嫌いになった?」
「……そんなわけないだろ」
即答だった。それだけは、間違いなく言えた。
咲良はふっと微笑む。
「じゃあ、もう少しだけでいいから話してくれない?私は……二人に仲直りしてほしいんだ」
奏汰は少しだけ迷い、咲良の視線を受け止めながら、ゆっくりと息を吐いた。
「あの日、何があったのかは……今は話せない」
正直に言うしかなかった。
咲良の表情が少しだけ曇る。
「そっか……」
「でも、悠人とは仲直りするよ」
そう言った瞬間、咲良の目がぱっと輝いた。
「本当に?」
「ああ。……ずっとこのままでいるわけにはいかないしな」
それが本心だった。悠人と話せなくなってから、どこか自分の中に空白ができたような気がしていた。いつものように他愛ない話をして、時にはからかい合って、そんな時間が当たり前だったはずなのに。
でも今は、悠人と顔を合わせても、お互いに何を言えばいいのかわからない。
——このままでいいわけない。
そんな思いが、心の奥底で膨らんでいた。
咲良は、ほっとしたように微笑む。
「よかった……。ずっと気になってたんだよ。奏汰と悠人が前みたいに話さなくなってから、千尋も気にしてたし」
「……千尋も?」
「うん。言わないけど、見てたらわかるよ」
そうか、千尋も。
あの日のことを知っているのは自分と悠人だけ。千尋も、咲良も、何も知らない。でも、何も言わなくても、周りは気づいてしまうものなのかもしれない。
「いつ仲直りするの?」
咲良が軽く微笑みながら聞いてきた。
「……まだわからない。でも、必ずするよ」
奏汰はまっすぐに答えた。
それが、今の自分にできる精一杯だった。
咲良は安心したように頷き、そして少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「じゃあ、その時はちゃんと報告してよね?」
「……考えとく」
そう言いながら、奏汰も少しだけ笑った。
夕焼けの光の中、二人はゆっくりと昇降口へ向かって歩き出した。
——仲直りはする。
その言葉に嘘はなかった。でも、どうやって? どんな顔で悠人と向き合えばいい?
まだ答えは見つからないまま、それでも、奏汰は前へ進もうとしていた。




