すぐ頼ってくる妹に婚約者を奪われたら、『炎の貴公子』との婚姻が決まりました ~旦那様は「最早君を愛するしかない!」と宣ってきます。とりあえずかたちから溺愛を始めるそうです~
「……なっ」
「あっ、お姉さま。えへへ、遂にバレちゃったか」
「よぉ、久しぶり、ナディヤ」
実の妹がベッドで男と睦み合っている場面というのは、人生で最も見たくないものの一つだろう。
しかもその相手が自分の婚約者だとしたら、嫌悪感は二倍どころか二乗だ。
「これはどういうことなの、二人とも……」
「ごめんなさいお姉さま! 私どうしても、ディオンが好きなの!」
「ナディヤ、俺とロミーは真実の愛で結ばれているんだ。どうか理解してほしい」
「真実の愛、って……」
そんな綺麗事で誤魔化せる状況じゃないことくらいわからないの……?
「ロミー、あなた自分が何をしてるかわかってるの? あなたはアルベルト様の婚約者なのよ?」
ロミーは国内でも筆頭の貴族、ブラウンフェルス公爵家の長男、アルベルト様と婚約しているのだ。
アルベルト様は大層お忙しい方なので、ロミーも私も一度もお会いしたことはないものの、高額の贈り物をロミー宛にいくつもいただいているうえ、我が家はブラウンフェルス家から多額の資金援助まで受けているのだ。
もしもこのことがブラウンフェルス家にバレたら、我が家は破滅よ……。
「うん! 本当に悪いことをしたと反省してるわ! でも、お姉さまならなんとかしてくれると思って」
「……!」
ロミーはいつもの無邪気な笑顔を投げてきた。
ああ、またこれだ……。
ロミーがまだ幼い頃に母を病気で亡くして以来、私は母親代わりとして、ついついロミーに甘く接するようになってしまった。
お母様は、大層ロミーのことを溺愛していたから……。
でもその結果、ロミーは都合が悪いことはなんでも私に頼るように。
挙句が今回のこれだ。
私は完全に、ロミーの教育を誤った。
もう今更、後の祭りだけれど……。
「安心してくれよナディヤ。実は俺とアルベルトは旧知の仲なんだ。俺が上手くアルベルトに言っておくからさ。円満にアルベルトとロミーの婚約を解消してみせるぜ」
「やったぁ、やっぱディオンは頼りになるわね!」
「へへ、そうだろそうだろ」
「……」
まったく悪びる様子もなく、私の前にもかかわらず甘い空気を醸す二人。
そもそもディオンからは、妹と浮気したことに対する謝罪の言葉すらない。
二人とも、悪いことをしたという自覚がないのだろう。
なんだかめまいがしてきた……。
控えめに言って最悪な状況だけれど、何もできない自分が心底情けなく、震える拳を握った――。
ディオンが裏でどんな言い方をしたのかは不明だけれど、なんとかアルベルト様とロミーの婚約自体は、大きな問題もなく解消することはできた。
当然私とディオンの婚約も同じく解消。
ロミーは新たにディオンと婚約を結ぶことになった。
「本当にありがとうお姉さま! 私、とっても幸せよ!」
「……そう、ただし、今度は絶対にディオンと生涯を添い遂げるのよ」
「もっちろん!」
二つ返事で無邪気な笑顔を浮かべているロミーに、一抹の不安を抱かずにはいられなかった。
だが、事態は思わぬ方向に転がることとなる――。
「わ、私が、アルベルト様と結婚、ですか!?」
「ああ、その通りだ」
お父様から告げられた衝撃の事実に、思わず声が上擦る。
「どうしてそんなことに……」
意味がわからない。
ロミーとの婚約が解消された以上、アルベルト様が他の令嬢と結婚すること自体は、まったく不思議ではない。
だがその相手が私というのだけは腑に落ちない。
普通、不祥事を起こした元婚約者の姉と結婚しようなどと思うだろうか?
「うむ、それがな、アルベルト様は社交界では『炎の貴公子』と呼ばれている真っ直ぐな方でな。良く言えば実直、悪く言えば融通が利かない方なのだ。本来ならロミーとの婚約の解消も、こっそり書類を改竄すれば表沙汰になることはなかったのだが、アルベルト様は律儀に国王陛下に奏上してしまってな……」
「そ、そんな!?」
では我が家の醜聞が、国王陛下にもバレてしまったということ!?
「国王陛下はこの件を大層重く考えてらっしゃるらしく、ブラウンフェルス家と我が家の結婚はなんとしても成立させるべきだとのことなのだ。だが今更ロミーと再度婚約というわけにはいかない。そこで陛下からお前が指名されたというわけだ、ナディヤ」
「……」
確かに我が国では貴族同士の婚約は、基本的に一度結ばれたら余程のことがない限り解消することはあってはならないとされている。
何故なら貴族の結婚は、家と家を結びつかせるためのものだからだ。
そこが簡単に綻んでしまうと、貴族の威厳に関わり、ひいては国が傾くことにも繋がりかねない。
なので、陛下の仰ることもわからないでもないのだけれど……。
「これは王命なので、残念だが覆すことはできない。どうか覚悟を決めてくれ」
「……ですが、私がブラウンフェルス家に嫁ぐとしたら、この家の家督は……」
「……うむ、ロミーに継いでもらうしかないだろうな。まあ、今まで遊び呆けていた分、これからはロミーにもしっかりと勉強してもらうから、心配はするな」
「そう、ですか……」
私が長女として、家督を継ぐために長年死に物狂いで勉強してきたことを、甘えん坊のあの子に本当に務まるのかしら?
まあ、とはいえこうなった以上、お互い自分に課せられた使命を果たすしかない。
私はフウと深く息を吐いてから、何もない天井を見上げた。
――そしてそれから一ヶ月後。
私はブラウンフェルス公爵領の一角で、アルベルト様からの迎えを待っていた。
今日は私とアルベルト様の結婚式当日。
王命で急遽決まった私たちの結婚は、当然のことながらまったく準備はできておらず、この一ヶ月は本当にてんやわんやだった。
今日の結婚式も、私とブラウンフェルス家の人間だけで行う略式的なものだ。
遂にアルベルト様との初対面だと思うと、緊張で全身がこわばる。
私が事前に知っているアルベルト様の情報といえば、『炎の貴公子』と呼ばれていること。
若くしてブラウンフェルス公爵領騎士団の団長を務められている、バリバリの武闘派だということ。
その悪く言えば脳筋気質な性格故か、長男であるにもかかわらず、家督は次男であるクリストフ様が継ぐ予定なこと。
だが、騎士団長としての数々の実績を国から認められ、既に子爵位を譲渡継承済みだということくらいだ。
ハッキリ言って嫌な予感しかしない。
本当にこんな方と、円満な夫婦関係を築けるのかしら……?
「ん?」
その時だった。
地平線の彼方から、数百にのぼる屈強な騎馬が地響きを上げながら、こちらに向かって来るのが見えた。
ま、まさかあれが――!?
騎馬の一団は私の目の前で止まると、先頭で指揮していた一際背の高い男性が私の前にフワリと降り立った。
男性は仕立てのいい白のタキシードに身を包んでいるものの、何故か顔中にド派手な隈取がされており、背中は孔雀の羽のようなもので、これまたド派手に装飾されていた。
夜中に子どもが目撃したらトラウマになりそうな風貌だ……。
「ナディヤ嬢だな?」
「は、はい」
「俺がブラウンフェルス家長男にして、ブラウンフェルス公爵領騎士団【百腕巨人】団長、アルベルトだ。こいつらは俺の自慢の部下たちだ。どうかよろしくな」
「「「よろしくお願いしますッ!!!」」」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いいたします……」
早くも先行きが不安だわ……。
一応結婚式自体はつつがなく終わった。
アルベルト様のご両親のブラウンフェルス公爵夫妻と、次男のクリストフ様は、アルベルト様とは真逆の温和な方々だった。
格好もアルベルト様とは違って普通だし。
明らかにアルベルト様だけ空気感が異なっている。
本当に血が繋がっているのか疑わしいくらいだ。
そうこうしているうちに迎えた初夜。
私は複数のメイドたちに浴槽で入念に身体を磨かれたうえで、薄手の部屋着一枚で、寝室にてアルベルト様を待っていた。
ブラウンフェルス家の嫁になった以上、アルベルト様との間に子をもうけることこそが、私の至上命題であることは自覚している。
だが、今まで男性経験が一切ないうえ、元婚約者に実の妹と浮気されたことが若干トラウマになっており、さっきから手の震えが止まらない。
「ナディヤ嬢、入るぞ」
「は、はいッ!」
が、私の躊躇いとは裏腹に、アルベルト様は一切の迷いなく寝室に入って来られた。
ええい、こうなったら覚悟を決めるのよ、私!
「ん?」
が、アルベルト様の格好を見た瞬間、そのあまりの衝撃に、私の覚悟は霧散した。
アルベルト様は服こそ薄手のガウンといういかにもなものだったが、顔には昼間と同じくバッチリ隈取がされていたし、背中の孔雀の羽も健在だった。
アルベルト様は隈取と孔雀の羽はマストなの???
「ナディヤ嬢、俺の話をよく聞いてほしい」
「は、はぁ」
アルベルト様は私の困惑をよそに、至って真剣な表情で私を真っ直ぐに見つめながら、こう言った――。
「俺は――最早君を愛するしかない!」
「っ!?」
と仰いますと???
「君も知っての通り、俺たちの結婚は王命によるものなので、絶対に覆ることはない」
「は、はい」
それは重々承知しておりますが……。
「だからこそ君とは、できるだけいい関係を築きたいと俺は考えている」
「……」
なるほど。
これは契約婚というか、体面を重んじる意味でのビジネスパートナー的仮面夫婦の打診ということかしら?
まあ、そういうことなら、それはそれで……。
「故に、かたちから溺愛を始めてみる! とりあえず!!」
「????」
あ、やっぱりちょっと違った。
この方は、そんな打算的にものを考えられる方ではないのだわ。
ただ純粋に、自分に課せられた夫という使命を果たすため、溺愛することを義務付けようとしているだけ。
ふふ、別に溺愛することは、夫の義務ではないのに。
ロマンス小説でも読んで勉強されたのかしら?
本当に面白い人――。
「まずは手始めに腕枕なんかどうだ? 溺愛といえば、やはり腕枕だろう?」
「――!」
そう言うなりアルベルト様はベッドに豪快に横になり、その丸太のように逞しい右腕をずいと差し出してきた(孔雀の羽が完全に背中に潰れてるけど、気にならないのかしら?)。
オォフ……。
血管が浮き出ている、筋張った武人の腕だわ……。
私の胸がドクドクと早鐘を打つ。
「で、では、失礼して……」
おずおずとアルベルト様の腕に頭を下ろすと、あまりにも硬くてお世辞にも枕に適しているとは言えないものだったけれど、アルベルト様の体温を直に感じて、顔がカッと熱くなる。
「どうだ!? 俺は溺愛できているか、ナディヤ嬢!?」
「あ、は、はい。結構な溺愛かと思われます」
「ハハッ、そうかそうか!」
太陽みたいにクシャッと笑うアルベルト様に、私の体温が益々上がる。
「俺がキッチリと溺愛を果たせるまで、君を抱くことはないから安心してくれ」
「え?」
そ、そうなんですか??
「溺愛する前に抱いてしまったら、溺愛にならないからな!」
「あ、はぁ……」
わかるような、わからないような……。
とにかくアルベルト様がクソ真面目な方だということだけはわかるけど。
「ナディヤ嬢――いや、ナディヤ、今後は俺のことはアルベルトと呼び捨てにして、敬語もやめてほしい。お互い言いたいことはなんでも言い合って、少しずつ夫婦になっていこう」
「――!」
アルベルト様……。
「わかりました――いや、わかったわ、アルベルト」
「ああ、ナディヤ。……ぐがぁ、ぐががぁ」
もう寝たの!?
ふふ、少しずつ夫婦に、か。
この人となら、いつかなれるかしら。
私は硬い枕の感覚を頭で堪能しながら、そっと目を閉じた。
「あら?」
翌朝目が覚めると、ベッドにアルベルトの姿はなかった。
汚い字で置手紙があったのでそれを読むと、【百腕巨人】での仕事があるのでもう出たとのこと。
今日は夜から王家主催の夜会に私たち二人で出席する予定があるので、それまでには戻ると書かれている。
こんな朝早くから仕事なんて、本当に忙しい人なのね。
ベッドに少しだけ残っていたアルベルトの体温を手でなぞり、一つ溜め息を吐いた。
「ナディヤ、夜会に向かうぞ!」
「っ!」
そして迎えた夜。
アルベルトの格好は、服こそ上質な燕尾服だけれど、隈取と孔雀の羽は相変わらずの標準装備だった。
その格好で夜会に出るの!?
身内だけの結婚式とは、訳が違うのよ……。
「ん? どうしたナディヤ? 俺の顔に何かついているか?」
「い、いえ、なんでもないわ、アルベルト」
強いて言うなら隈取がついてるけど……。
「フフ、そうか、では行くぞ! さあ、俺の腕を掴んでくれ!」
アルベルトは曲げた左腕を、グイと私に突き出してきた。
エスコートということなのだろう。
私はその左腕をそっと掴む。
相変わらずカチカチでダイヤモンドみたいな腕だ……。
「どうだ!? 溺愛できているか、俺は!?」
「え、ええ、そうね……」
この時、私はなんとなく嫌な予感がしていた。
「オイ見ろよ、炎の貴公子様がいらっしゃったぞ」
「プハッ! 今日も安定の炎の貴公子っぷり、ホント安心するわぁ」
「やあみんな! 今日もいい夜だな!」
会場に着くなり、アルベルトの知り合いと思われる令息たちから、露骨な揶揄を浴びせられた。
みんなの言い方的に、『炎の貴公子』というよりは、『炎の貴公子(笑)』といった感じだ。
まあ、隈取に孔雀の羽をしているので、さもありなんといったところだけど……。
「よぉアルベルト、今日もイカした格好してんな。カカカカ」
「はじめましてアルベルト様、ロミーです。お姉さまのこと、末永くよろしくお願いしますね」
「――!」
その時だった。
仲睦まじく腕を組んだディオンとロミーが、私たちの前に現れた。
スマートでそつのないイケメンのディオンと、可愛らしくてお人形みたいなロミーは、傍から見てもお似合いの美男美女カップルだった。
それに対して『炎の貴公子(笑)』のアルベルトと、地味女の私は、完全にピエロ役……。
「お前も元気そうで安心したぞディオン! ロミー嬢も、ナディヤは俺が責任を持って溺愛するから、心配しないでくれ」
「カカカ、責任を持って溺愛ってお前」
「うふふ、とてもユーモアに溢れた方ですのね、アルベルト様は」
「ん? そうか?」
今確信した――。
アルベルトが『炎の貴公子(笑)』になった一因は、間違いなくディオンだわ。
アルベルトが言葉の裏を読めないのをいいことに、こうやってみんなでアルベルトのことを揶揄する空気を作ってきたに違いない。
元婚約者ながら、なんて小さい男なのかしら……。
この後に行われたダンスでも、アルベルトは力任せに私を振り回すばかりで、そのたびに周りから冷笑が聞こえてきた。
それに対しディオンは、ダンスのフォローは相変わらず完璧だった。
まだまだ拙いロミーのダンスを華麗に支え、令嬢たちから黄色い声が何度も上がっていた。
私は心底惨めな思いを胸に抱えながら、夜会を後にしたのだった――。
「ナディヤ、気分でも悪いのか?」
「……!」
その帰り道の馬車の中で、隣に座っているアルベルトが、キョトンとした顔でそう訊いてきた。
「……いえ、大丈夫、なんでもないわ、アルベルト」
あなたのせいで気分が沈んでるなんて、とても本人には言えないもの……。
「……ナディヤ、俺は人に気を遣うのが苦手だ」
「――!」
アルベルト?
「人が本心では何を考えているか推察するのが、昔から不得手でな。だから家督は弟に譲って、身体を動かすことが専門の騎士として生きていくことを選んだんだ」
「……」
「その選択自体に後悔はない。ただ、そのせいで知らず知らずのうちに誰かを傷付けてしまっているのではないかと考えると、時々怖くなる」
「……! ……アルベルト」
アルベルトは憂いを帯びた瞳を、窓の外に向ける。
そう、アルベルトもアルベルトで、心の底では悩んでいたのね。
「だが、逆に君は人に気を遣いすぎだと俺は思うぞ、ナディヤ」
「え?」
いつもの真っ直ぐな瞳で私を見つめてくるアルベルト。
「そ、そうかしら?」
「ああ、昨日会った時から薄々感じてはいた。君は常に場の空気を窺って、自分を押し殺しているだろう? 昨日も言ったじゃないか。お互い言いたいことはなんでも言い合って、少しずつ夫婦になっていこう」
「――!」
何よ、ただの脳筋かと思ったら、案外人のこと見てるじゃない。
――この瞬間、私の中で長年つかえていたものが取れ、心がフワリと軽くなった気がした。
「――じゃあこの際だから言わせてもらうけど、なんでいつも隈取と孔雀の羽をつけてるのッ!?」
「っ!」
私が突然声を荒げたのが意外だったのか、それとも私の投げた疑問が予想外だったのか、はたまたその両方か、アルベルトは大きく目を見開いた。
「こ、これは……、以前蛮族の長から譲り受けたもので……」
アルベルトの説明はこうだった。
以前【百腕巨人】と蛮族とで、三日三晩に渡り激しい戦となったことがあったらしい。
最終的にはアルベルトと蛮族の長とで一騎打ちの末仲良くなり、友好の証として、蛮族の長だけがすることを許されている隈取と、孔雀の羽を譲り受けたとのこと(因みにこれ以降、蛮族からは貴重なニャッポリート鉱石が取引可能になり、国から爵位を譲渡継承されるキッカケになったとか)。
せっかく戦友から譲ってもらったものなので夜会に身に着けていったところ、ディオンたちから大層褒められたので、大事な場面ではいつも勝負服の如く扱うようになったということだった。
『炎の貴公子』と呼ばれるようになったのも、この頃からだという。
やっぱりディオンのせいだったか……。
つくづくひとの人生の邪魔しかしない男ね。
「アルベルトの言い分はよくわかったわ。その上で言わせてもらうけど――その隈取と孔雀の羽、クッソダサいわよッ!!」
「――!!」
アルベルトは青天の霹靂みたいな顔になった。
ごめんなさい、私も本当はこんなこと言いたくないの。
でも、これはあなたのためでもあるのよ、アルベルト。
「ク、クソダサいか……」
「ええ、致命的なほどにね」
「致命的なほどにか……」
いつもは大きなアルベルトの背中が、シュンと小さくなった。
そのギャップにちょっとだけ萌えつつも、私は畳み掛ける。
「あと、ダンスのフォローも革命的に下手だわ」
「か、革命的にか!?」
あらあら、最早子犬並みにちっちゃくなっちゃったじゃない。
これなら私でも抱っこできそう。
「でも安心してアルベルト。今後はあなたのファッションは私が全面的にコーディネートするから。あとダンスもビシバシ厳しく教えてあげる。――私があなたを、どこに出しても恥ずかしくない、スマートな男に仕上げて見せるわ」
「お、おお! それは心強い! よろしく頼む、ナディヤ!」
あ、一瞬でいつものサイズに戻った。
うふふ、これは忙しくなるわね。
こうしてこの日から、私のアルベルトに対する地獄の特訓が幕を開けた。
アルベルトはお世辞にも物覚えがいいとは言えなかったけれど、それでも根が真面目なので、根気よく教えていけば少しずつだが、確かな成長を遂げていった。
今ではダンスのフォローも完璧で、女性に対するエスコートも百点満点。
何より意外だったのは、隈取を落としたその素顔だ。
アルベルトの素顔は、女の私でも嫉妬しそうになるほど美しいものだったのだ。
ハッキリ言ってディオンよりも数段上のイケメンだった。
この素顔で夜会に参加していれば、『炎の貴公子(笑)』なんて呼ばれることもなかったはずなのに。
ともあれ今のアルベルトは、道行く人誰しもが思わず振り返ってしまうくらいの美丈夫に仕上がったのである。
「どうだナディヤ? 最近の俺は、上手く溺愛できているか?」
「えっ!? え、ええ、なかなかの溺愛だと思うわよ」
「フフ、そうか」
柔らかな笑みを浮かべながら、私をそっと抱き寄せるアルベルト。
たったそれだけのことで、私の心臓はマックスまで高鳴った。
嗚呼、こうなってはもう自分の気持ちに噓はつけない……。
どうやら私は心の底から、アルベルトのことが好きになってしまったみたいだ……。
夫婦なのだからそれでもまったく問題はないのだけれど、未だに溺愛が果たせていないからと、私に手を付けずにいるアルベルトが、最近少しだけもどかしく感じている自分もいて、ふとした瞬間に恥ずかしくなる――。
「奥様、奥様のお陰で旦那様はこんなにご立派な紳士になられました。心より感謝申し上げます」
家令から涙交じりに深く頭を下げられる。
「いえいえ、私は妻としての務めを果たしただけよ」
どうやらアルベルトがあんな感じだったことで、家人たちは実は裏で大層気を揉んでいたらしい。
それが私が来てから、アルベルトは見違えるように成長したので、最近はほぼ毎日家人たちからお礼を言われている。
「奥様、今日の奥様もお綺麗です! 夜会頑張ってくださいね!」
「ふふ、ありがとう、頑張るわ」
メイドからの褒め言葉も、今の私なら素直に受け取れる。
長年ストレスで荒れていた肌も、なんでもアルベルトに吐き出すようになったことで、驚くほど艶がよくなった。
今の私は地味女じゃない。
アルベルト・ブラウンフェルス子爵の妻、ナディヤ・ブラウンフェルスだと自信を持って言えるわ。
「それでは夜会に向かうとしようか、我が愛しのナディヤ」
「ええ、そうね、アルベルト」
アルベルトに差し出された手に、そっと自らの手を重ねる。
さあて、今日は久しぶりの夜会。
ショータイムの始まりよ。
「なあ、今の溺愛っぽかったよな、ナディヤ!」
「ふふ、そうね」
本当に、可愛い人。
「まあ、なんて素敵なお方なの!? まるで神が生み出した芸術作品のようだわ!」
「うわぁ、隣にいる奥さんぽい人もメッチャ美人じゃね? あんな美男美女の夫婦、今までいたか?」
「やあみんな。いい夜だな」
夜会の会場に入ると、案の定私たちは注目の的になった。
ふふ、さもありなん。
元々ポテンシャルは桁違いに高かったアルベルトを、私が手塩に掛けて磨き上げたんだもの。
こうなることは言わば必然よ。
「ア、アルベルト!? それにお前、ナディヤか!?」
「やあディオン、久しぶりだな」
「うふふ、ごきげんよう、ディオン」
そこにディオンが一人で現れた。
はて、ロミーは一緒じゃないのかしら?
「そ、そんな……。フ、フン、まあイマイチ垢抜けてない芋臭いナディヤを、流行に敏感な俺が手解きしてやったからこんなに綺麗になったんだからな。精々俺に感謝しろよな、二人とも!」
あらあら、この期に及んでそんな負け惜しみ、ディオン?
私があなたから教えてもらったものなんて、実の妹と浮気される絶望くらいだけど。
――まあ、あなたがそういう態度に出るなら、こちらにも考えがあるわよ。
「うふふ、流石ねディオン。うちのアルベルトの個性的なファッションを褒めちぎって、『炎の貴公子』として仕上げたあなたらしいわ。夫に素敵な二つ名を授けてくれて、本当にありがとね、ディオン」
「ぐっ……!」
周りから、「マジかよ、そんなことしてたのかアイツ、最低だな」という冷たい声が聞こえる。
恥ずかしさから顔が真っ赤になるディオン。
ねぇねぇ今どんな気持ち?
どんな気持ちなの、ねぇ?
「俺からも礼を言うぞディオン! こんなに素敵な女性を俺に譲ってくれて、心から感謝している! お陰で俺は世界一美しい妻と毎日同じ時を過ごせて、世界一幸せだ」
「ア、アルベルト!?」
アルベルトは人前にもかかわらず、私のことをギュッと抱きしめてきた。
も、もう……!
「くっ! う、うおおおおおおおおお!!!」
「ディオン?」
血の涙を流しながら、その場に崩れ落ちたディオン。
あらあら、アルベルトったら無自覚にトドメを刺してしまったわね。
こういうところは、相変わらず天然なんだから。
「お姉さまああああああ!!!!」
「っ!? ロミー!?」
その時だった。
今度はロミーが、涙と鼻水でせっかくの可愛い顔を醜く歪めながら、私たちの前に現れた。
「お願いだから、もう家に戻って来てよ、お姉さまああああ!!!」
「はぁ?」
今更何を言っているのかしらこの子は?
「どういうことなの、ちゃんと説明しなさい、ロミー」
「どうもこうもないわよッ! 家督を継ぐ勉強があんなに大変だとは夢にも思わなかったわ! もう毎日休む暇もなくてお肌もガサガサ! その割にディオンは全然助けてくれないしッ! 今日だって私を置いて、一人で夜会に出ようとしていたのよコイツッ!」
「まあ」
だからディオンは一人だったのね。
いかにもディオンらしい話だけど。
「い、いや、俺にもたまには息抜きは必要だし……」
「アンタは息抜きしかしてないじゃないッ! ああもう、こんなやつと婚約なんかするんじゃなかった! ねえお姉さま、お願いだから戻って来て! ディオンはお姉さまに返すから、やっぱり家督はお姉さまが継いで! ね?」
「――!」
こ、この子、本気で言ってるの……。
「――それはできないな」
「「「――!!」」」
その時だった。
私とロミーの遣り取りを静観していたアルベルトが、突然会話に割り込んできた。
ア、アルベルト?
「残念だがお姉さんは君には渡せない。今やナディヤは俺の人生に欠かせない存在だからな。ナディヤのいない人生なんて、死んだほうがマシだ」
「アルベルト……」
嗚呼、世界一愛している人からこんな言葉を貰えるなんて、私は世界一の幸せ者よ――。
「で、でも……」
「でもじゃない。そもそも君は相応の覚悟を持って、ディオンと共に家督を継ぐ決意をしたのだろう? だったら貴族の矜持として、最後までやり遂げて見せろ。大丈夫、君ならきっとできる! 自分を信じるんだ!」
「えぇ……」
出た、久しぶりの脳筋思考。
まあでも、アルベルトの言うことももっともだわ。
「ロミー、私もアルベルトと同意見よ。こうなった以上、家督はなんとしてもあなたが継ぐしかないの。今後は私も心を鬼にして、あなたに厳しくするわ。だからあなたも、覚悟を決めなさい」
「お、お姉さまぁ……」
そう、今の私は、甘やかすことだけが愛情ではないと知ったから。
「よし、俺にいい考えがある!」
「「「え?」」」
アルベルトが太陽みたいな笑みを浮かべた。
あ、これ、絶対無茶苦茶なこと考えてるわ。
「ロミー嬢もディオンも、根性を鍛え直すために、しばらく【百腕巨人】で団員として働くといい。うちは過酷な職場ではあるが、その分心身ともに強くなること請け合いだぞ! ハッハッハ!」
「そんな!? 私は女なんですけど!?」
「な、なんで俺まで!?」
あー、そのパターンね。
うん、でも、悪くないアイデアかもしれないわね。
「よかったわね二人とも。私もたまには、差し入れを持って行ってあげるからね」
「なんでもう入団することが決定してるのよ!?」
「勘弁してくれよおおおおお!!!」
うんうん、これにて一件落着ね。
「ナディヤ、さっきはすまなかった」
「え?」
その帰り道の馬車の中。
おもむろにアルベルトが頭を下げてきた。
アルベルト?
「なんのこと?」
「ロミー嬢からのお願いを、俺が勝手に断ってしまったことだ。優しい君のことだ、本当はロミー嬢のことを助けたかったんだろう?」
「――! アルベルト」
ふふ、優しいのはどっちよ。
「でも、さっきも言った通り、俺にはもう君なしの人生は考えられないんだ! どうかこれからも一生、君を溺愛させてほしい――」
「アルベルト……」
熱の籠った炎のような真っ直ぐな瞳で見つめられながら、強く手を握られる。
嗚呼――。
「う、嬉しい……」
「ナディヤ!?」
こうなったらもう自分の気持ちを抑えることはできなかった。
想いは涙に形を変えて溢れ、私の頬を濡らした。
「私も一生、あなたの側にいたいわ、アルベルト。あなたに溺愛されない人生なんて、もう考えられないもの」
「っ! 愛している、ナディヤ!」
「私も愛しているわ、アルベルト」
私たちは馬車の中で抱き合いながら、甘い口づけを交わした。
――この日、やっと私たちは一つになったのだった。