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7話


 ガヤガヤと騒がしい近所の公園。窓から差し込む真昼の陽気。

 あぐりは生前と同じように体育座りでテレビを見ていた。

 ほとんど学校に行かせてくれなかったあぐりはこうして暇をつぶすことが多かった。だが、最近はテレビの内容が頭に入ってこないことが多かった。

 気を抜けば意識すらおぼろげになっていく。

 理由はわかっている。……存在を維持するための精気が不足していた。

 最近は実体化など精気を使うことばかりだった。

 いくら強い力を持つあぐりとはいえ限界はある。

 このままだと消滅もありえる事態だ。


「お腹すいたね」

「ね」


 あぐりがぬいぐるみに声をかけるとおうむ返しのように声が返ってきた。

 死んでからもお気に入りのぬいぐるみ。

 いつの頃から声をかけると応じてくれるようになった。

 口下手な自分の意思を代弁してくれたり、困ったことがあれば解決してくれる大事な存在。いや、もはや半身にも近しい。

 今回も。


「大丈夫」


 ぬいぐるみが自分から話しかけてきた。


「そろそろだから」


 あの子がそう言うと、いつの間にか元気になっていることが多かった。

 だから、いつでも安心できるのだ。

 再びテレビを見ていると。

 ピンポーンとチャイムが聞こえた。

 ぬいぐるみと顔を見合わせる。廉一郎からは来客の対応しなくてもいいと言われていた。

 でも、家族として居留守をするのはどうなんだろう。

 彼の役に立ちたいという気持ちも大きい。でも、廉一郎に怒られるかもしれない。


「……」


 葛藤を抱えたあぐりをぬいぐるみは黙って見つめる。


「大丈夫。あの人とは違うから」


 ぬいぐるみの言葉であぐりの胸の内から勇気が湧いてきた。


「うん」


 さぁ、行こう。

 初めての家族として役に立たなければ。


「どちらさま」

「ですか?」


 玄関のドアを開けると、そこにはエプロンをつけた優しそうな微笑みを浮かべた女性がいた。廉一郎よりも年上に見える。おそらく二十代後半だろう。大人の知り合いは母親と前に住んでいた人以外知らないあぐりに見覚えはない。


「可愛い!」


 花が咲いたような笑みを浮かべた女性が両手を広げながらあぐりに近づく。

 抱きしめる瞬間、あぐりがさっと横にずれてかわした。女性の手は空を切り、自らを抱きしめるように両手を回した。


「あららら」


 あぐりのすげない反応に、女性は手を頬に当てて困ったように小首を傾げる。


「ふしんしゃ」

「ですか?」


 ぬいぐるみをぎゅっと抱いて、警戒するあぐり。不安な気持ちに呼応してぬいふぐるみの目も怪しく光る。

 不穏(ふおん)な雰囲気に気づかず、女性はのほほんと頭を下げた。


「ごめんなさい。あまりに可愛らしくて。つい」


 可愛いと言われたのは嬉しい。あぐりの警戒度が目に見えて下がった。


「許してね」

「ゆるして」

「あげます」

「ありがとー!」


 女性は両手を合わせて、飛び跳ねるように喜んだ。女性のポニーテールも嬉しそうにゆらゆら揺れている。悪い人間には見えない。でも、油断は禁物だというようにぬいぐるみがじっと見つめてきた。


「なんの」

「ごようでしょうか?」


 あぐりがまだ固さが残る声で問いかけた。


「先日、隣に引っ越してきた吉田です。よろしくね。……これ引っ越しのご挨拶。つまらないものですが」


 流暢(りゅうちょう)な文字で『そうめん』と書かれた包みを吉田が手渡した。


「実は実家がいっぱい送ってきたの。ご家族と食べてね」

「かぞく」

「かぞく」


 その言葉にあぐりの胸の内が温かくなるのを感じた。

 母親からは『家族ではない』と言われてきた。

だからこそ、家族が欲しかった。

そして、今、自分には家族がいる。


「います」

「最近できました」


 あぐりはふんすと胸を張る。初めて宝物を見せびらかすような態度に吉田に笑みがこぼれる。

 『最近できた』という言葉は妙だったが、吉田は細かいことは気にしない性格だったらしく、聞き返すことはしなかった。


「そうなの。お留守番偉いわね~。きっとご家族も喜んでいるわね~」

「そうだと」

「嬉しいです」


 留守番していても母は喜んでくれなかった。

 だから、きっと廉一郎も喜んではくれないだろう。


「もっと」

「お役に立ちたいです」


 だからこそ、焦ってしまう。

 いずれは捨てられてしまうのではないか。

 それだけが今のあぐりにとっての恐怖だった。


「うーん、なんで焦っているのかわからないけど。あぐりちゃんの家族は役に立たないと捨てるような人なの?」


 あぐりは一瞬、言葉につまった。だが、すぐに結論は出ていた。引っ越してきてから見ていた。


「ちがいます」

「優しい人です」


廉一郎はそんな人じゃない。よく考えればわかることだったが、『捨てられるかも』という恐怖と焦りから考えられなかった。


「良い人なのね~」

「はい」

「ちょっと変わっていますが」


 『捨てられない』とわかった安堵感から少し眠くなってきた。


「よかったね」


 ぬいぐるみが話しかけた。彼にもだいぶ心配をかけてしまったようだ。


「あら、今の声ってどこから?」

「気のせい」

「では?」


 不思議そうな吉田を尻目にあぐりは小さく微笑んだ。


 ※※※※※※


 マンションのエントランスに入ると、知らない女性とばったり出会った。

 パンパンに膨れたゴミ袋を持っている。どうやらマンションの住民のようだけど。……こんな人いたっけな?

 最近引っ越してきたばかりの俺だが、これほどの美人なら絶対覚えてると思うんだけど。


「ども」


 軽く頭を下げて脇を抜けようとするが。


「こんにちは。隣の方ですよね?」

「……え?」

「私、先日引っ越してきた吉田といいます」

「え、そうなんですか。すみません、気づかなくて」


 ああ、そういえば、廊下に荷物があったっけ。引っ越しの時の物音もしてたかもしれないが、あぐりのポルターガイストだと思ってスルーしてた。隣の部屋は俺の部屋と違って、料金は一般的だが、なぜか借り手がいなかったらしい。


「妹さんと二人暮らしなんですね」

「え、妹なんて……ああ、あぐりのことですか」


 妹というわけではないけど。……でも、説明が面倒だから妹でいいか。


「可愛らしい子ですね」

「……え、ええ、まぁ」


 あぐりが幽霊だってことに気づいてないのかな。それなら好都合だ。妹ということで誤魔化そう。


「それじゃあ。今度改めてご挨拶しますので」


余計なボロが出る前に会話を切り上げようとするが。


「あの待ってください。ちょっと気になったことがあるんですが?」

「な、なんですか?」


 や、やばい、あぐりが幽霊だってバレたか?


「あぐりちゃんって」


 吉田さんの意味ありげな溜めに、どきりと心臓が高鳴った。いやいや、早く言ってくれよ。

 緊迫感からごくりと生唾を飲み込んだ。


「さみしがり屋さんなんですね。早くお兄ちゃんに会いたくて仕方ない様子でしたよ」


 背後に花畑が見えるくらいほんわかと微笑む吉田さん。……びっくりさせないでほしい。


「そ、そうですか。ま、まだちょっと家族に甘えたい年頃なんですね」


 すると、吉田さんは表情を険しく変えて、驚くほど冷たい視線を突き刺さした。


「私、こう見えても小学校の教師だったんです。結婚して辞めちゃいましたけど」


 人妻だったのか。言われてみればエプロンといい、母性豊かな笑みといい、人妻の雰囲気を(かも)し出している。


「だから、あぐりちゃんみたいな子を良く知ってます。……虐待されてたんですよね?」

「それは……」

「やっぱり」


 言い淀んだことで吉田さんは確信を得たようだ。しまった。カマをかけられた。見かけによらず鋭い人だな。

 どう誤魔化せばいいか迷っていると。


「あ、別に通報はしないので大丈夫ですよ~。あぐりちゃん幸せそうだったので。今は虐待されていないみたいですね」

「もちろんしてません」

「よかった~。でも、不安になってるみたいです」

「不安、ですか?」


 一度死んで幽霊になってるんだから怖い物なんて何もないように思えるけど。


「もう一度捨てられないかって」

「いや、捨てるわけないじゃないですか」


 語気を強めて言うが、吉田さんは柔らかく微笑んで受け流した。


「それをあの子にも伝えてあげてくださいね」


 思えば、休みの日もずっと俺についてきていた。あれは家族の距離感がわからないんじゃなくて、単純に不安だったからということか。

 そのことにもっと早く気付ければよかった。


「……ありがとうございます。俺だけでは気づきませんでした」

「いえいえ。昔の癖で放っておけなかっただけなので。……あ、私から聞いたということはあぐりちゃんに内緒でお願いしますね。こういうのって本人は気づいてないこともあるので」

「わかりました」

「それでは」


 吉田さんが頭を下げてゴミ捨て場に向かう。

 残された俺は一人で考え込んだ。

 あぐりの不安を消すにはどうすればいいだろうか。

 仕事がある以上、ずっと一緒にいることはできない。

 ……うーん。俺の代わりになるようなもの。

 そうか。あれがあった。

 思い立った瞬間、俺は再びマンションを出て行った。


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