42話
「うぷ」
なんとかハンバーグは全部食べ切ったが、腹が膨れて一歩も動けなくなった。何度か催促したが、結局あぐりは一口も食べなかった。
一緒に食べたくないのかと思ったが、どこからか飛んでくる視線は見守るような温かい視線だった。
今もまた背後から視線を感じた。振り返ると視線は消える。
仕方なくスマホに視線を移して――。
「今だ!」
咄嗟に振り返ると慌てて消えたあぐりが一瞬見えた。あぐりの姿に異常はないように見えた。どうやら霊力が少ないから出てこないというわけではないようだ。でも、あぐりの表情は――。
「うぐっ」
きゅ、急に動いたから吐き気が。口元を押さえて座り直した。そんな俺を気遣ってふわふわとお茶が飛んできた。
「……ありがとう」
お茶を一口飲むと少し気分が落ち着いてきた。
こうして気遣ってくれることを考えると、あぐりは俺のことを嫌っていない。料理だっていつもよりも気合が入ったものだった。
だけど、一瞬見えたあぐりの表情は冷たい無表情のままだった。
いつも無表情だけど、多少は感情が見えてきたと思っていた。
それなのに、どうしてあんな目をしてるんだよ。
ブリザードのような視線は俺の気持ちを惑わせるのに十分だった。
やはり、あぐりが霊だから気持ちがわからないのだろうか。
「なぁ、あぐり。なんで姿を見せてくれないのか俺にはわからない。でも、俺が嫌じゃないなら、一度顔を見せてくれないか?」
いや、そんなことはない。
霊でもきっとわかりあえる。顔さえ見れば――。
「頼むよ」
もう一度真摯に頼むと、あぐりの気配を背後に感じた。
「あぐり?」
振り向いたとき、あぐりはすぐそばで立っていた。
「ありが――」
すぐに違和感に気づいた。
「なんで横向いてるの?」
なぜかあぐりは俺の顔を見ないように視線を逸らしていた。
「そんなことはありませんが?」
「いつもどおりですが?」
いや、絶対嘘だろ。
「横に誰かいるのか?」
霊感がないからわからないが、霊でもいるのか? 目をこらしてみたが、壁のシミしか見えてこない。
「いるような?」
「いないような?」
どっちなんだよ。
でも、このやりとりもなんだか久しぶりのように思えてきた。
いつもの日常に戻った安心感から優しく声をかけた。
「いないならこっち向いてくれよ。それとも俺の顔は見たくない?」
ぎぎぎぎと機械仕掛けの人形のような動きであぐりの顔がこちらに動いた。
こちらを向いたあぐりはまるで初めて出会った人を見るような目をしていた。
「あ、あぐり?」
声をかけても返事はない。いや、反応自体なかった。
「……」
人形のように整った顔立ちは無表情と相まってまるで作り物のように見えた。怒っているようにも見えたし、何も感じていないようにも見えた。
――いや、じっと見つめていると瞳が震えていた。
というか、徐々に瞳の揺れが激しくなっているような。肌の色だっていつもは雪のような白さなのに赤みが増している。
俺が見ている間に変化は徐々に大きくなっていく。
「だ、大丈夫か?」
軽く肩に手を置いた瞬間、
「――っ!」
あぐりはぴょんと天井までジャンプした。えぇ、驚くにしても飛びすぎだろ。幽霊だから簡単なんだろうけど。
ここまで驚いたあぐりは初めて見た。
どうやら人形のように感じたのは俺の勘違いだ。単純に固まっていただけみたいだ。
「え、えっと驚かせてごめん?」
普通に声をかけたつもりだったんだけどなぁ。
「もちろん、大丈夫ですが?」
「もちろん、大丈夫でありませんが?」
言い終わった瞬間、あぐりとぬいぐるみがお互いに睨み合った……ような気がした。
「大丈夫です」
「大丈夫じゃありません」
「そんなことないです」
「そんなことなくないです」
「そんなことなくなくなくないです」
「ないことが一個多いですが?」
ぬいぐるみのツッコミにあぐりは頬を膨らませた。どうやらあぐりなりにかなり怒っている表現らしい。
「むぅ」
「むぅ」
可愛らしい怒り方にほんわかとした気分になった瞬間、戸棚のコップが割れたり、椅子が激しく揺れ始めた。
や、やばい、声は可愛らしいが被害は甚大だ。
感情豊かなあぐりをもう少し見て見たいが、止めに入らないと家の中がやばい。
ぬいぐるみのことが本音だとしたら『大丈夫ではない』ということになる。
つまり何か言いたいことがあるんだろう。
「落ち着いてくれ。何か言いたいことがあるなら俺は逃げないから言ってくれ」
あぐりは何かを言いたそうに俺を見つめるが、すぐに視線を外して俯いた。しかし、すぐにまた覚悟を決めたように顔を上げた。
「言いたいことあるんだろ? 言ってくれ。俺は君の力になりたいんだ」
俺はそっと跪いてあぐりの視線を合わせた。一分ほど沈黙していたが、躊躇いながらも口を開いてくれた。
「実はうまく顔を見れないです」
「実は恥ずかしくて顔を見れないです」
そう言った瞬間、再び視線を外した。自分でもどうして視線を外してしまうのかわからないというような戸惑いをあぐりの揺れる瞳から感じた。
「え、なんで急に?」
昨日はそんなことなかったのに。
「夢でお兄ちゃんを見たからです」
「夢でお兄ちゃんに会ったからです」
夢? 所詮、夢なのに――。
そう思った瞬間、あることが頭に浮かんだ。
『これからもっとドキドキさせてやるよ』
ま、まさか。
「も、もっとドキドキさせてやる?」
俺が呟いた瞬間、
「――っ!」
「きゃー」
ぼんっと音が聞こえるくらいあぐりの顔が赤くなった。そのまま両手で頬を押さえてぴょんぴょんと跳ね始めた。
こんなにアグレッシブなあぐりは初めて見た。
しばらくぴょんぴょん跳ねた後、ちらりと視線を俺に向けると、黙って見守っていた俺と目が合った。
すると、再びきゃーと跳ね始めた。
普通の女の子みたいな仕草に可愛いという感情しか生まれてこない。
しばらく恥ずかしがるあぐりを呆然と見つめていたが、やがてあることに気づいた。
え、つまりは俺と目を会わせなかったのは恥ずかしかったから?
そして、その原因は俺の台詞のせい?
俺自身も頬が赤くなったのを感じた。まさかあの言葉が聞かれていたなんて。あんなイケメン台詞が俺の口から出たと思うと。
「あぁぁぁぁぁぁ! 記憶を消したい!」
夢だから耐えられたのに!
「――っ」
「きゃー」
無表情ながら頬を赤く染めて走り回るあぐりと。
「ぁぁぁぁぁーー」
恥ずかしくて悶絶する俺。両者共にパニックになっていた。
俺たちが落ち着いたのはそれから十分後だった。
「面白い!」
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