4話
それから俺とあぐりの生活が始まった。
家族。という言葉を甘く考えていたわけではない。むしろ、俺自身ある程度の覚悟を持って言ったつもりだった。
ただ俺が思っているよりも、あぐりにとっては特別な言葉だったらしい。
休日の朝は俺が一番幸せを感じる時だ。なぜなら昼まで寝ていられるからだ。――そのはずだったが。
「まだ寝てる」
「寝てる」
「ね」
「ね」
「もう朝なのに」
「ね」
早く起きろと言わんばかりにさっきから小声で話してる。あぐりは幽霊だから惰眠の素晴らしさが理解できないようだ。
もう少し寝かせて欲しいというように毛布を頭からかぶった。
「ひそひそ」
「ひそひそ」
「くすくす」
「くすくす」
少女の囁きがサラウンドで聞こえてくる。……すごく落ち着かない。しかも、妙に不安になってくる。
精神攻撃かな? と疑ったが、いくら俺を起こすためとはいえ、あぐりはそんなことしないだろう。
俺はあぐりを信じる。
「眠れるように」
「子守歌を歌います」
思った通りだ。あぐりは優しいところがあるんだよな。
「か~ごめかごめ」
「か~ごのな~かのと~り~は~」
やっぱ嫌がらせだわこれ。
完全に眠気が消えてしまったため、もう一度眠る気にはならなかった。
しぶしぶベッドから起き上がった。
「あ」
「起きた」
正確に言うと起こされたなんだけど。
朝ご飯を食べるためにリビングに向かう。
「……」
「……」
あぐりがぴったりと後ろにくっついてきていた。
こんな近い距離間は初めてだ。それほど俺に対しての信頼度が高くなったのだろう。妹でもこんなに懐いてこないのに。……嬉しくもあり、少し恥ずかしい気持ちもある。
ただ、言わせてもらえば。
「距離が近すぎじゃないか?」
ほぼゼロ距離だ。はっきりいって歩きにくい。
「そんなことは」
「ありません」
「……背中に顔がくっついているのに?」
「「気のせい」」
「ね」
「ね」
離れるつもりはないらしい。
それなら別に無理に離す必要もないか。そのうち飽きるだろう。
――だが、それは俺の浅はかな予測だった。
※※※※※※
朝、子供たちが近所の公園で遊ぶ声が聞こえる。
あぐりはトースターでパンを焼いている間、フライパンで目玉焼きを作る。穏やかな朝の光景だ。
……フライパンが宙を飛んでること以外。
「ほんとに初めて?」
テーブルに座って待っていた俺はキッチンで甲斐甲斐しく動くあぐりに声をかけた。
「初めて」
「かも」
「すごいな」
「むふー」
「むふふー」
あぐりは無表情のまま胸を張る。だが、すぐに俯いてしまった。
「でも、難しいものは」
「できません」
「ハンバーグとか作ってみたいけど」
「無理かも」
「それでも十分すごいけどな」
はっきりいって俺は料理が下手だ。だから、基本的にコンビニ食かカップ麺がメインだ。
目玉焼きだって黄身がつぶれてぐちゃぐちゃになる。
そんな俺からすれば綺麗な目玉焼きを作れるだけでもすごいと思う。
「……」
無表情のままあぐりが小首を傾げる。
「どうかした?」
「ちょっと」
「いきなり褒められたので」
そこで言葉を切ったあぐりは宙に視線を彷徨わせた。自身の中の言葉を探しているようにも見えた。
やがて、出てきた言葉はあぐり自身すらもどこからでてきたかわからないというような響きをともなっていた。
「恥ずかしい?」
「合わせる顔がない?」
合わせる顔がないのは意味が違うと思うけど。
「褒められることに慣れていないので」
「どうすればいいかわかりません」
ごく普通の感想のつもりだった。
たったそれだけのことなのに。
「でも」
「嬉しいです」
ほんの僅かにほほ笑んだあぐりが胸に手を当てた。まるで宝物みたいに俺の言葉を大事にしまいこんでいるような仕草だった。
今までどれだけ褒められなかったのか。それを想像すると胸が痛くなる。
「いつでも褒めるからな!」
感極まった俺は涙目であぐりの頭を撫でた。
「いつでもは困ります」
「何もしてないので」