37話
「おい、エリサ?」
声をかけるが返事はない。というか、いつの間にか犬のぬいぐるみもなくなってる。
あれ? 落としたか?
周囲を見渡すが、見当たらない。
というか、足元すら黒い靄で見えにくい。
もしかして、エリサが持っていったのか?
妙に意味深に見てたからなぁ。
「おーい。ぬいぐるみ返してくれ!」
やはり返事はない。
エリサのやつ、様子がおかしかった。
特にさっきの言葉は冗談としても面白くなかった。あぐりを殺すなんて絶対に許さない。
席を立ち、エリサを探そうとしたが。
アォォォーンという犬の鳴き声がどこからか聞こえてきた。
え、電車に犬?
とりあえず、声がした方向に向かってみる。すると。
「いいじゃない。頂戴? 私気に入ったの」
「殺す」
「殺す? もう死んでるのに? くすくすくす。おかしなお犬さん。飼い主に似てるのかしら? 愚かな愚かな飼い主に」
「…………」
「あら? 怒ったの? 事実を言われたから?」
エリサと黒い靄が会話をしながら、何かが激しくぶつかり合う音が聞こえてきた。
まさか……戦ってる!?
「ちょ、ちょっと待った!」
慌てて声をかけてエリサと黒い靄の間に割って入った。
「あら、お兄さん。危ないじゃない。それとも死んで仲間に入りたかったとか?」
「そんなわけあるか」
俺は憮然とした顔のまま、エリサの両頬を引っ張った。
「ひゃにするの?」
「あぐりを殺そうとするなんて許さないからな」
「へぇ、ひょんなこといっていいにょ?」
エリサの目が鋭くなった。
「ほんきょをひゃしたらおにいしゃん、しんひょうよ?」
「何言ってるかわかんないな」
「……はなしひぇ」
離してと言っているのがわかる。そんなに強い力で引っ張っていないから、離れようとすれば離れられるんだが、それをしないということは俺の意に反する行為はしたくないということだ。
つまり――。
「もしもあぐりに手を出したら俺にも考えがある」
エリサは俺に嫌われたくないはずだ。
「へぇ? ひょんな」
へぇ、どんな? とあくまでも上の立場のような余裕な態度を取るエリサ。もしかすると、俺の希望的観測かもしれない。
でも、上手くいけばエリサはあぐりに手を出さないはずだ。
「そんなことしたら嫌いになるぞ」
「え」
エリサが縋るような目で見つめてきた。ほんの少し心が動いたが、屹然とした態度で答えた。
「本気だ。そうなったら家族にはなれないな」
重ねて言うと、諦めたように息をついた。
「わかった。それは困るわ。諦めることにするわ」
俺はほっと胸を撫で下した。
「自分で言っておいてなんだけど、そんなに俺が気に入ったのか?」
「まっさかー。お兄さん、うぬぼれすぎじゃない? ……と言いたいけど、すっごく気に入ったわ」
「なんで?」
「だって、お兄さん、話を聞いてくれたじゃない」
「え、それだけで?」
「ここに来る人って大体怯えるか逃げるんだもの。お兄さんだけね。こんな場所で話を聞いてくれたのは」
確かに普通の人ならもっと慌てるか怖がるだろう。
「だから、ゆっくりと家族になるわ。それならいいでしょ?」
「家族にするかどうかはわかんないけど。それならいいか」
「……それにあの黒犬と戦うのはちょっと面倒かも」
「? 黒犬?」
「なんでもないわ」
「ところでさ。ぬいぐるみを返してくれ」
「ぬいぐるみ? それならその黒い犬が――」
「黒い犬?」
エリサが指さした方向を見る。そっちには確か黒い靄がいたはずだけど。
「あら、逃げちゃった」
黒い靄が黒犬だったのか?
なんで俺には見えなかったんだろう。
霊的なものだからか。それとも――。
「ちょっと探しに行ってくるから――」
「大丈夫よ。また戻ってくるわ。それよりお話しましょう?」
ぬいぐるみを探しに行こうとした俺の手を掴むエリサ。戻って来るって……本当の犬じゃないんだから。
そう言おうとしたが、エリサの表情は確信に満ちたものになっていた。俺の知らない何かを知っているようだ。
「わかったよ」
「さてと。それじゃあ、駅に着くまでの間、もう少しお話ししましょう?」
「それくらいならいいか。……でも、本当に駅に着くのか? なんか窓の外は三途の川みたいな風景なんだけど」
「大丈夫。座っていたらそのうち着くから。それとも闇が怖いのかしら?」
時間が経つにつれて闇は深まり、外の川は赤黒く染まっていく。かろうじて見えた人影は骨のようにやせ細って見えた。
まさに地獄だ。
本音を言うと普通に怖い。でも、それを言ってしまうのは男のプライドにかかわる。
「うふふ、仕方ないわね」
俺の逡巡を察したエリサがそっと俺の手を取ってきた。あぐりと同じくらい冷たい手。でも、どこかほっとする。
「ほら、座って? お話を聞かせて?」
椅子に座り、話を促すエリサ。こうしてみると、人間の少女にしか見えない。あぐりもそうだけど、とても霊とは思えないほど生き生きしている。
「生き生きしているのは、きっと死んだ実感がないからよ」
「心が読めるのか!?」
「まっさかー。お兄さん、単純だから読みやすいだけ」
……そんなにわかりやすい表情をした覚えはないんだけど。どうやらエリサはいじめられていたせいで人の顔色を読むのが得意になったのだろう。
「わかっていないってどういうことだ?」
「だって、私の死因って電車にひかれて即死よ。死んだ実感なんてぜんぜんないの。きっとあなたの家族の霊も死んだ実感がないから生きた人間みたいに振る舞ってるのね」
言われてみれば、あぐりは普通にご飯も食べるし、寝ることもある。まるで生きている人間みたいに。
もしかすると、あぐりはいつか自分が死んだことを実感するのだろうか。
そうなったら、あぐりは成仏してしまうのだろうか。
霊に詳しくない俺には先のことが想像できない。
でも、辛い結末になってしまうだろうことは容易に想像できた。
「ふふふ、悲しい顔ね。霊に同情するなんて変な人。霊は怖いものなのよ。知らないの?」
「知ってしまったなら怖がらないって」
あぐりの環境を知った。エリサの環境を知った。
二人とも望んで死んだわけじゃない。
その境遇を考えると怖さよりも同情のほうが優先されてしまう。
「えー、本当に? ほらほら、もっと怖がってもいいのよ」
からかうように俺の頬をつんつんと指でつつくエリサ。いつもならからかうなと言うが、今はそんな気分じゃない。
「辛かったんだな」
優しくエリサの頭を撫でた。絹のような柔らかな手触りの髪だ。
「……」
エリサの動きが止まり、俺の手に委ねて目を閉じた。どこか猫が甘えるような仕草に似ていた。
あぐりが子犬だとしたら、エリサは子猫だな。
内心でくすりと笑い、しばらく頭を撫でた。
「気持ちいいか?」
「まぁまぁかもね」
と言いつつも、エリサの表情は満足そうだ。その表情は砂漠にオアシスでも見つけたかのような安らぎが見て取れた。
気が付けば、窓の外の風景は見慣れたビル街に戻ってきていた。
周囲も少しずつ明るくなり、この時間が終わることを示唆していた。
手を離すと、エリサは寂しそうに俺の手を見つめた。その姿があぐりと重なって見えた。
「他に何かしてほしいことあるか?」
気が付けば、あぐりに接するときのように優しく声をかけていた。
「いきなりどうしたの?」
「いいだろ。別に。……今はまだ家族にはなれないけど放っておけないんだよ」
「へぇ、優しいんだ。……そうね。だったらお休みのキスをして頂戴」
「は!?」
「じょーだんよ。それとも本当はキスしたかったの?」
「からかうなよ」
電車の速度が落ちてきた。どうやら駅についたようだ。
「それなら、またお話を聞いて」
「そんなことでいいならたくさん話を聞いてやるよ」
そう言うと、エリサは満足したように笑みを作った。
「約束よ」
「ああ、約束だ」
互いに笑い合う。あぐりに続いて二人目の霊との会話だったが、やはり危険な霊ではなかった。
話せばわかりあえる。
早苗もハレルヤも霊に対して大げさなんじゃないだろうか。
電車が止まり、ドアが開いた。日はすっかりと落ちていたが、駅とビルの明かりで闇は払われていたお陰で恐怖は取り除かれた。
「それじゃあね。お兄さん」
「ああ。またな」
先に席を立ち、満足したような笑顔のエリサに俺は軽く手を振って応えた。
小さな笑い声を残して消えていくエリサ。退場の仕方が怖いのはあぐりと共通してるんだな。
「あ、しまった」
そのとき、ふとぬいぐるみのことを思い出した。
結局帰って来なかったな。
……駅の忘れ物センターに届けられるかな。
途方に暮れていると。
「あ、それと彼のこと忘れないでね」
「うわぁ!」
いつの間にかエリサがすぐ横に立っていた。
「び、びっくりしたな。彼って誰だよ?」
エリサは黙ってドアの近くの席を示した。いつの間にかそこには犬のぬいぐるみが座席に置かれていた。
本当に戻ってきた。
「エリサ。これって――」
視線を戻したとき、エリサは消えていた。
なんで戻ってくることがわかったのだろうか。
不思議なぬいぐるみだ。このぬいぐるみからはたまに視線を感じることもある。ときに守られていると感じることも。
気のせいだろうけど。
考え込んでいると、『ダァ、シマリマス』という駅員の声が聞こえてきた。
「やばい!」
慌てて俺は逢魔が時魍魎電車を降りた。振り返ると、やはりごく普通の電車だ。あんな不思議な体験があったなんて今でも少し信じられない。
だが、エリサの頭を撫でた感触だけが手のひらに今のことが現実であることを伝えていた。
「また会いに来るかな」
今度会ったときはまた話を聞かせてもらおう。
それだけが今の俺に出来る唯一のことなんだから。
空を仰ぐと、星が瞬いていた。
もう少し仲良くなったらあぐりを紹介してもいいかも。
あぐりだって同年代の友達くらい欲しいだろう。
軽くなった足取りで帰路につこうとした。
「気を付けて。彼女は嘘をついています」
どこからかあぐりの声が聞こえてきた。
「え?」
周囲を見渡すが、あぐりはいない。
空耳だろうか。
それにしては心に残るような言葉だった。
「面白い!」
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