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36話


 時刻は夕刻。

 ちょうど黄昏時だった。

 こんなに早い時間に帰れたのは久しぶりだ。

 最近はずっと残業ばかりだったからなぁ。

 駅の構内を走り抜ける。帰宅途中のサラリーマンや授業を終えた学生たちと時間がかぶらなかったとはいえ、思った以上に人がまばらだった。

 どこか別の場所でイベントでもやってんのかな。

『ダァ、シマリマス』と訛りがある駅員の言葉が拡声器から聞こえてきた。

 や、やばい!

 速度を上げて、電車のドアに滑りこもうとしたとき。


「やめたほうがいい」


 すぐ近くからあぐりの声が聞こえてきた気がした。

 迷いから一瞬だけ速度が落ちる。

 この電車を逃せば次に来るのは十分後、しかも、快速じゃないから家に着くのはもっと時間がかかる。

 あぐりが待っている以上、時間をかけられない。

 迷いを振り切り、ぎりぎりで快速の電車に乗り込んだ。


「はぁ……!」


 間に合った安堵から息が口から零れた。

 電車の中は更に閑散としていた。

 暗い雰囲気の学生、疲れた表情の主婦、死にそうな中年男性。みんな目が死んでる。……なんだか俺が一番場違いみたいに感じた。

 空いた席に座り、流れゆく景色を見つめる。

 あぐりは元気がなかった。

 なにか元気が出るものがあればいいんだけど。

 幽霊って何が一番体にいいんだろう。

 早苗は精気って言ってたけど。

 ……精気ってどこで手に入るんだよ。

 まさか体から取り出すわけには……。

 一瞬、下品なことが頭をよぎった。いやいや、あれは精力だし。ただのセクハラだろ。

 頭を振って変な考えを頭から締め出した。

 ふと、妙なことに気づいた。

妙に駅の到着が遅く感じて仕方ない。


「この電車どこまで行くんだ?」


 電車の外は夕暮れに染まる川だけしか見えない。

 え、川なんてあったっけ?


「ねぇ、逢魔が時って知ってるかしら?」


 気が付けば隣には金髪碧眼の女の子が座っていた。

 年はあぐりと同じくらいかな。

 でも、あぐりよりは随分と大人びた表情している。


「え、俺に言ってる?」


 見覚えはない。そのはずなのに妙な親近感だ。


「くすくす、もちろん。だって、この場にはお兄さんしかいないでしょ?」

「え?」


 周りを見渡せば俺しかいない。

 他の乗客はいつの間にか別の車両に移動したらしい。……全然気が付かなかった。


「どーんかん」


 馬鹿にするような言い方だが、不思議と腹は立たない。

 まるで自分よりも格上の相手に言われているような感覚だ。

 言い回しや言葉の含みに知性や品性を感じる。身なりだって意匠がきめ細かく高級そうな洋服だ。

 とてもこんな電車に乗っているような身分とは思えない。


「確かに、あんまり鋭いほうがじゃないかもしれないな」


 あぐりのことも最初は妹だと思ってたもんな。


「変わったお兄さん。子供にそんなこと言われたら普通は馬鹿にするなって怒るものでしょ?」

「え、でも、事実だしなぁ」

「それに周囲の状況が変わったのに不安に思わないの? 風景だってずっと川が続くなんて変じゃない?」

「快速ってあんまり乗らないからこんなもんかと思ってた」


 言われてみれば妙なことばかりだ。でも、この状況には覚えがある。


「つまり、霊関係ってことか」


 驚いたように口元に手を当てて少女が俺を見つめる。


「まぁ驚いた。わかったのに慌てないの?」

「驚いてはいるけど慣れてるから」

「お兄さん、変わってるね」


 家族に霊がいるから慣れているだけなんだけどな。

 それに……この少女はあぐりにどこか似ている気がする。

 性格や容姿は似てないんだけど。

 でも、雰囲気というか、身にまとった独特の気配が似ている。

 だから、今の状況にも恐怖は全く感じなかった。


「で、逢魔が時って何?」

「聞きたい?」

「聞きたい」


 そう言うと、少女はにまーっと笑みを作った。


「ふーん、聞きたいんだー。どうしよっかなー」


 本当は聞かせたいのに俺が頼む姿がもっと見たくて、あえて焦らしているように見えた。

 ……『俺が』というよりも『大人が』頼む姿かもしれない。

 正直、そこまで興味はないんだけど。

 でも、少女に付き合ってやるか。どうせ暇だし。


「頼む。教えてくれ!」


 必死に頭を下げると、少女は満足そうにふふんと鼻を鳴らした。


「お兄さん、大人なのに知らないんだねー。夕暮れって逢魔が時っていうんだって」

「へー、そうなのか」

「それでね。逢魔が時に電車に乗ると悲しいことが起きるんだって」


 あー、そう言えば、朝の電車で女子高生たちが逢魔が時魍魎電車の噂をしてたな。

 具体的なことは知らないけど。


「ね、怖くない?」

「悲しいことって具体的には? 日本の朝食の標準メニューがコオロギ食に変わるとか?」

「えー、コオロギなんて食べ物じゃないじゃない」

「いや、コオロギは食べると意外にイケるんだ。昆虫界の牛肉と言っていいよ」


 昔、好奇心で食べたことがある。最初はまずいと思ったが慣れるとコオロギは決して不味くない。

 それだけは伝えたかった。


「そうなのね。普通の牛肉とどっちが美味しいの?」

「牛肉」


 どこか呆れたように少女が肩をすくめた。


「確かに悲しいけど、そういうことじゃないわ」


 そんなことだろうと思ってた。


「じゃあ、悲しいことって?」


 問いかけると、少女がいたずら好きな子猫みたいににまーっと笑った。


「昔々のお話です。あるところに外国人のお父さんと日本人のお母さん、ハーフの可愛らしい娘の三人が仲良く暮らしていました。家族は電車でお出かけするのが大好き。貧乏なので遠くには行けませんでしたが。それでも隣の駅に冒険したり、知らない電車に乗って見たりしていました」


 いきなり何の話だろう。

 疑問に思ったが、どうやら話には続きがありそうだ。


「でも、お父さんが仕事で成功してからお父さんは家に帰ってこなくなりました」


 少女が言い終わった瞬間、辺りの夕暮れが更に深まった気がした。


「寂しくなったお母さんは街に遊びにいくようになりました。娘は広い家でひとりぼっちになりました。誰とも話さず、一日が終わり、学校でもいじめられるようになって考えることは自殺する方法ばかり」


 いつの間にか少女の顔が暗くて見えなくなる。でも、少女の口元の笑みだけははっきりと見えていた。


「ある日、少女が学校の帰りに電車の前で待っていると子猫が線路の中に蹲っているのが見えました。少女はその場にいた皆に助けて欲しいと言いましたが、子猫を助ける人はいませんでした。少女の話を聞いてくれる人はだーれもいませんでした」

「それで?」

「少女は子猫を助けようとして電車にひかれて死んじゃいました」


 なんとも救いがない話だ。他人事のように話しているが、なんとなく少女本人の話のように聞こえた。


「それ以来、逢魔が時の電車に乗ると……少女の話相手をするため地獄に連れていかれるんだって」

「それが悲しいことか」


 よくある怪談だと思ったが、妙な真実味がある。

 急に車内が寒くなってきたようにも感じた。冷房効きすぎじゃない?


「ねぇ、お兄さん」

「え? なんだ?」


 再び少女に視線を戻した。少女の肌は先ほどよりも白く、唇は血のように赤く染まっていた。

 ホラー映画に出てくる幽霊みたいだ。


「例えばね。その少女が私だとしたらどうする?」

「え?」


 ということは俺地獄行き?

 冗談には聞こえない。そもそもこんな妙な状況になった時点で信じるしかない。

 でも、俺には焦りがない。なぜなら。


「地獄行きってのは嘘じゃないか?」

「どうしてそう思うの?」

「君は俺の家族に似てるから」

「私に? いえ、そんなことないと思うわ。くすくす、お兄さん、わかってるの? 私は悪霊なのよ?」

「俺の家族も悪霊だからそれは大丈夫だ」


 そう言うと、おどろおどろしい雰囲気は一瞬で霧散した。


「えぇぇ~~~」


 少女が口元に手を当てて驚いた。その上品な仕草はさながら上流階級のようで、先ほどの話を裏付けるのに十分だ。


「お兄さん、悪霊が家族なの? 頭おかしいんじゃない? それとも幻覚でも見てるの?」


 悪霊にまでそんなこと言われるなんて。


「まぁ、悪霊って言っても色んな人が言ってるだけで俺は別に悪霊だって思ってないんだけどな」


 俺なりにあぐりをフォローしたつもりだった。


「悪霊じゃなくても霊なんでしょ? そんなのおかしいわよ」

「霊だから成仏しなきゃいけないっていう決まりもないだろ?」


 ぽかんと大きく口を開けたまま動きを止めた少女。そのまま二秒くらいじっと見つめられた。


「今のは心臓止まったわ」

「いや、ないだろ」

「たとえよ。お兄さん、そんなこともわからないの?」


 いちいち挑発的な物言いだが、不思議と腹は立たなかった。


「そもそもさっきから私が驚いてばかりなんだけど。普通は霊のほうが人を驚かすものじゃないの?」

「そんなこと言われても嘘はつきたくなかったんだ」


 それはやはりあぐりに似ているからだろう。出来れば真摯に接したい。


「じゃあ、お兄さん、さっきの言葉ってやっぱり本気で言ってたんだ?」

「本気だけど」

「ふーーん」


 興味深そうに身を乗り出して、顔を近づけてきた。


「な、なんだ?」

「お兄さん、名前は?」

「廉一郎だけど」

「へー、言いにくい名前ね。私はエリサっていうの」

「エリサか。よろしく」


 挨拶した瞬間、エリサが更に近づいてきた。キスするような距離。西洋人形のような端正な顔立ちに心臓の鼓動が高鳴る。


「な、なんか距離近くない?」

「ねぇ、お兄さん、私のものにならない?」

「は?」

「ずっと守ってあげる。ね? いいでしょ」

「いや、それは……」

「私がお兄さんの家族になってあげる」


 エリサが囁くように呟き、両手を俺の首の後ろに回そうとした。


「ね、いいで――いたっ!」


 突然、何かに弾かれたようにエリサが俺から離れた。


「だ、大丈夫か?」


 声をかけるとエリサが手を押さえていた。ちらりと見えた傷は動物が噛んだような傷跡にみえた。そう、まるで犬に嚙まれたような――。


「だ、大丈夫。でも、痕が残っちゃうかも。お兄さん、傷をなめてくれる?」

「は? い、いや、それは」

「じょーだんだから。なんで赤くしてるの? 舐めたかった?」


 エリサはくすくすと馬鹿にするように笑う。


「からかうなよ」


 心配して損した。


「でも、その子が家族なんだ」

「その子?」

「手に持っている子のこと」


 いつの間にか俺の手元には犬のぬいぐるみが握られていた。エリサの傷ってこのぬいぐるみがしたのか?

 ……じっと観察するが、ただのぬぐるみにしか見えない。

 というか、噛みつけるような牙なんてないしなぁ。


「良い子ね。お兄さんを守ってる」

「確かにこの子も俺の家族だけど、もう一人家族がいるんだ」

「? どういうこと? 二人も霊を家族にしてるの?」


 おかしいな。あぐりは霊だけど、このぬいぐるみは霊じゃないはず。


「それって――」

「ま、いいか。どっちにしろ。その子たちを殺したら家族にしてくれるんでしょ」

「は?」

「くすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくす」


 いつの間にかエリサは消えていた。同時に辺りが一気に暗闇に包まれた。冷たいながらも身近にあるような夜の暗さではない。黒い靄が足元にまとわりつくような不気味な闇だ。



「面白い!」


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