29話
「お兄ちゃん寝た?」
「お兄ちゃん寝たね」
廉一郎が眠ったことを確認した瞬間、あぐりの胸のうちに黒いものが膨れ上がるのを感じた。
その闇は犬のぬいぐるみと共鳴して更に大きな闇を作り出す。
やがて、現実世界でもその影響は出てしまう。
夜は更に闇に包まれて、深く暗く冷たく淀淀む。
廉一郎が傷ついている。
部長という人のせいで。
そのことを考えるたびに無いはずの心臓が高ぶる。
こんな感情は飼っていた犬を亡くした時以来だった。
『怒り』。
あぐりが怒るともう一人のあぐりである犬のぬいぐるみも怒る。
二人の殺気は周囲に侵食を始める。
あぁぁぁ。
うあぁぁぁ。
声にならない叫びをあげて辺りの浮遊霊は一瞬で消滅した。
あおぉぉん!
わんわん!
ふーっ! ふぅぅぅぅっ!
冷たい霊気に呼応するように近所の犬たちが騒ぎ出した。
「なんか寒くね?」
「そっちも思った? 急に寒くなったよね」
それは人間たちにも影響した。気温が二、三度低くなったような感覚にマンションを通り過ぎるカップルが身震いした。
「んんぅ……?」
無論、廉一郎も例外ではなく、寒そうに身を震わせた。
それを見て、あぐりの気持ちが収まっていった。
同時に闇の浸食も収まっていく。
「あのね」
「あのね」
しかし、心の闇は晴れることはない。
「部長っていう人、嫌い」
「部長っていう人、大嫌い」
あぐりと犬のぬいぐるみが顔を見合わせた。
「意見合ったね」
「意見合うよね」
「同じだものね」
「同じだからね」
「許せないよね」
「うん、許せないよ」
二人のくすくすと笑う声が闇の中でさざ波のように広がっていった。
「面白い!」
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