27話
結局残業が終わったのは終電間際だった。
重い足取りで帰路につく。電車からアパートまでの道のりがやけに遠く感じる。
ようやくアパートの前にたどり着いたころには。
「はぁ……」
身も心もボロボロだった。頭に浮かぶのは寝ることとあぐりに会うことだけだった。
だから、気づくのが遅れてしまった。
街灯が消えており、人影がなくなっている。
妙だと思い、周りを見渡すと近くの家の明かりすら消えはじめていた。
「え?」
やがて、完全な闇に包まれた。
足を止めてスマホでライトをつけようとしたそのとき。
目の前の街灯がいきなり点灯した。
そこには誰もいなかった……はずなのに。
再び街灯が消えて、すぐについたとき。
街灯の下にはぬいぐるみを持った女の子が佇んでいた。
「うわぁぁぁ!」
あまりにもホラーな登場に我ながら叫び声を上げて逃げ出そうとするが。
「おかえり」
「なさい」
聞き覚えのある声に足を止めた。薄暗くて顔はよく見えなかったが、手にしていたぬいぐるみはあぐりがいつも持っているものだ。
「あ、あぐり?」
街灯に照らされて、ようやくあぐりの顔が見えた。
「はい、あぐりです」
「いいえ、あぐりではありません」
そりゃお前はぬいぐるみだからな。
「驚かせましたか?」
「驚きましたか?」
「え、いや! 全然!」
「その割には」
「叫んでいたような」
「ま、まさか。俺があぐりに驚くわけないだろ。どうしてここに?」
「遅かったので」
「心配しました」
「迎えに来てくれたのか。ありがとうな」
ほっと安堵した俺は笑みを浮かべた。疲れた心を癒してくれる清涼剤のようなあぐりの存在は今の俺にとってはありがたい。
今日はあまりにも疲れた。
部長のことを思い出すとため息が出そうになってしまう。
駄目だ駄目だ。
あぐりに心配をかけるわけにはいかない。
「よっし、じゃあ一緒に家に戻ろうか!」
無理やり元気な声を出すが。
「ひそひそ」
「ひそひそ」
なぜかあぐりとぬいぐるみが囁き合っている。たまにこちらを観察しているような視線を向けてきた。
「どうかしたか?」
やましいことは何もないというようにいつもより優しい口調で問いかけた。すると、あぐりの視線がますます鋭くなったような気がした。
いや、元気がないことを隠している俺の負い目でそう見えているだけだと思うんだが。
「元気がないのでは?」
「精気がないのでは?」
ば、バレてる。
「い、いいや、そんなことはないけど」
「いつもより帰りが遅いのでは?」
「いつもより精気固めオーラ少なめ顔色やばめでは?」
ラーメン屋みたいに言うな。
「げ、元気一杯だって」
「じー」
「じー」
『じー』『じー』言いながら俺の周りを回る。まるで月が地球の周りを回っているのかのような動きだ。
もう誤魔化しきれないか。
「ちょっと仕事で失敗してさ」
心配させないように元気よく言った……つもりだった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ではないのでは?」
「大丈夫だって。ちょっとした失敗だからさ。全然気にしてないって。ははは」
「……お兄ちゃん」
「……お兄ちゃん」
「は、はは」
部長の叱責を思い出して声が枯れてしまった。このままではますます心配かけるだけだと思いながらも声は元気を失っていった。
俺が思っている以上に部長とのやりとりが効いていた。
仕事への不安、部長の激しくなるパワハラ、何も言わない同僚たち。
不安に押しつぶされそうになる中であぐりに縋りつきたくなる。
「いや、ほんと大丈夫だって」
でも、年上の俺が泣きつくなんて情けないことしたくない。男のプライドが弱音を吐くことを許さなかった。
強がる俺を見て、あぐりは僅かに小首を傾げた。
相変わらずの無表情だが、何かを言いたそうにしていることはわかる。
「……」
「……」
あぐりは何も言わなくなってしまった。明るい雰囲気にするつもりだったのに思った以上に重い雰囲気になってしまった。
「きょ、今日のご飯はなにかな?」
場の空気にたえきれず話題を変えたが。
「今日はトマト煮込みハンバーグです」
「今日はトマト煮込みハンバーグでした」
「なんで過去形?」
俺の問いには答えず、あぐりの姿がすぅっと消えていった。
「え、ど、どこいったんだ?」
見渡したがあぐりの姿はなかった。どうやら機嫌を損ねてしまったようだ。
参ったな。なんで消えたんだろう。
あぐりが怒るなんて初めての経験だ。謝ろうにも姿が見えないとなぁ。
……でも、あぐりの様子から考えると、怒っているというわけでもなさそうだ。
何かを俺に伝えたくて言えなかった。
それがもどかしくて逃げ出した。
そんな風に思ったのは『あぐりは怒っていない』と思いたい俺の都合の良い妄想だろうか。
「面白い!」
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