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25話

「ただいま~」


 仕事を終えてアパートに戻ると、あぐりが玄関で待っていてくれた。


「おかえり」

「なさい」


 無表情に見えるが、ほんの僅かに上がる口角は俺が帰宅したことに対する喜びを示していた。

 それを見るたびに心が温かくなり、嫌なことを忘れてしまう。

 部長から殴られた痛みなんて遥か遠くに吹き飛んでしまった。


「今日はトイレを掃除しました」

「今日は玄関を掃除しました」


 そして、日課であるあぐりの報告を聞く。

 大したことはないことでも報告するのは。


「お、やっぱりか。玄関が綺麗になったと思ったんだ」

「……」


 俺に褒められて嬉しそうだが、どこか物足りないというようにじっとこちらを見てきた。

 すると、天井の電気が点いたり消えたりを繰り返した。

 一瞬だけ垣間見える闇の中であぐりの目だけが怪しい光を放っていた。


「邪眼やめて。言いたいことは口に出してくれ」


 俺との生活に慣れてきたあぐりは小さな不満が生まれるようになった。生前は何もかもが精一杯で喜怒哀楽が生まれるほどの余裕がなかったのだろう。

 喜びや楽しみを知り、悲しみや怒りも生まれてきていた。

 今みたいに不満を表現することもでてきた。不器用なやり方だが。


「ひそひそひそ」

「ひそひそひそ」


 ぬいぐるみとあぐりの定例会議。『言っていいのかな?』『言っていいんだよね』といった単語が聞こえる。やがて、結論が出たらしく俺に向き直った。


「私もしました」

「この子も褒めてあげてください」


 すぐさまぬいぐるみも自分の仕事を主張してきた。……掃除したのはあぐりだが、ぬいぐるみもあくまで別人として扱ってほしいのだろう。


「おー、偉いなー。トイレを使うのが楽しみだ」


 ぬいぐるみを撫でると心なしか笑ったようにも見えた。


「むふー」


 頬を紅潮させて満足そうに頷いたあぐり。俺に褒めてもらえたことで欲求が満たされたようだ。


「今日のご飯はなんだ?」

「今日はハンバーグです」

「今日もハンバーグです」

「……そうか」


 これで一週間連続ハンバーグだ。

 そろそろ飽きてもいいころだと思うが。幽霊だから味に飽きるってことがないのかな。

 ……まぁ、ソースで味を変更できるから、しばらく耐えられるが。


「……じー」

「……じー」


 なんか妙に見つめられてる。……しまった。


「いやぁ、ハンバーグ嬉しいなぁ!」


 てっきりハンバーグに飽きてしまったことが悟られたかと思ったが。


「……じー」

「……じー」


 俺の言葉を無視して、更に見つめてきた。いや、見つめているというより、観察している?

 観察されるようなことなんて……。


「鼻を怪我してます?」

「鼻が傷ついてます?」

「え、あ――」


 慌てて部長に殴られた鼻を押さえる。幸い少々の鼻血だけだったから、特に手当はしなかった。

 目立った外傷もないから、あぐりには気づかれないだろうと思っていたが。


「なんでわかったんだ?」

「いつも見てるから?」

「お兄ちゃんのことは何でも知ってるから?」

「マジで?」

「嘘です。ある程度しか知りません」

「嘘です。ほくろの数くらいしか知りません」

「そこまで知ってれば十分だろ!」


 ほくろの数なんていつ知ったんだよ。風呂か? 俺が知らない間に覗いてるのか?


「それも嘘です」

「それも嘘でした」


 あぐりが俺の鼻にそっと手を伸ばす。


「それくらい簡単にわかります」

「それくらいすぐにわかります」

「な、なんで?」


 当たり前だと言うようにごく自然な表情で言い放った。


「怪我を隠すことは私もよくあったので」

「怪我を隠さないとご飯が食べられなかったので」


 その言葉を聞いて、俺は言葉を失ってしまった。虐待がばれないようにしなければご飯を食べされてもらえないあぐりの虐待の一端に触れたこと。

 そして、なによりも虐待されていたことをあぐりがなんとも思っていないことにショックを受けた。

 未だにあぐりにとっては虐待されたことは『怒り』や『悲しみ』に繋がらない日常なのだろう。


「そんな辛いことを当たり前のように言うなよ」


 俺のほうが逆に泣きそうになりながらあずりの頭を撫でる。


「当たり前のことなので」


 不思議そうな顔をしながら、あぐりは俺に頭を撫でられ続ける。なぜ俺が悲しそうなのか。なぜ頭を撫でられているのか。

 あぐりにはまだわからないのだろう。


「それよりも怪我は大丈夫ですか?」

「それよりも怪我は酷いですか?」

「あ、ああ、えっと、転んでちょっと鼻血が出ただけだから」


 心配させまいと慌てて嘘をついた。なんとか上手く誤魔化せたと思ったが。


「……」

「……」


 不思議そうな顔でこちらを見つめるあぐり。どこまでも見透かすような瞳に俺は気圧されてしまった。

 もしや、転んだわけじゃなくて、殴られたせいで鼻血が出たってバレたか?

 ――そう、思ったが。


「あの」


 あぐりの言葉はその先に続かなかった。


「なんでもありません」

「なんてことありません」


 すぐに視線を外した。……珍しいな。あぐりが言いよどむなんて。

 バレたわけじゃなさそうだけど。


「じゃあ、ご飯にしようか!」


 話を打ち切り、食卓に向かう。その後ろをあぐりがついてきた。まるで背後霊のようにへばりつきながら。


「歩きにくいんだけど」

「おかまい」

「なく~」


 結局、この日のあぐりは俺にひっついたままだった。

 怪我を心配してる?

 いや、それなら怪我をした鼻を見てくるはずだけど。

 あぐりの意図がつかめないままだった。




「面白い!」



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