19話
「お、お、お邪魔します」
早苗は警戒するようにきょろきょろしながら。
「お邪魔します」
ハレルヤは怖いものなどないというように堂々と部屋に入る。あぐりに繋がる痕跡は何もない。
そのはずだが、ハレルヤは鋭い視線をあぐりがいつも座っている椅子に向けた。
「あの、何か?」
俺が声をかけると視線を外して俺に向き直った。
「いいえ。なんでもありません。それよりご挨拶が遅れました。私は伴天連ハレルヤと申します」
「は、はい、俺は二階堂廉一郎です」
「この度はこちらの早苗様から除霊の依頼を受けました。霊能力者の間で話題のマンションだと存じております。微力ながら全力でこの務めに励ませていただきます」
丁寧なお辞儀に釣られて慌てて俺も頭を下げた。
「あ、はい……。で、でも、俺はあんまり困っていないので」
「霊障というのはご存知ですか?」
「……さぁ?」
「霊障というのは霊による淀みによって心身に影響が出ることを言います。霊障は目に見えるわけではないため、意外と気づきにくいものです。ですが、放っておくと大変な悪影響を及ぼす可能性があります」
「もしかして、その霊障が俺にも?」
「……もちろんです」
マジかよ。知らない間に俺の体にも霊障ができてたのか。たまに体調が悪いことがあったが、もしかしてそれの影響だったのだろうか。
「今、こうして説明している間に、五体ほど除霊しました」
「そんな『校長が静かになるまで五分ほどかかりました』みたいな感覚で除霊すんの!?」
「弱い霊なら余裕です。……この部屋にいるものすごい霊力を持つ霊はこんなに簡単に除霊できませんが。まずは集中してその元凶を探ってみます」
それだけ言うとハレルヤは目を閉じて集中を始めた。彼女の額に流れる汗がこの部屋の霊気の凄さを物語っていた。
……俺は全然感じないんだけど。
この部屋にあぐりがいないとわかったら諦めて帰ってくれるだろうか。
緊張した雰囲気の中、息苦しくなった俺は救いを求めて早苗のほうを見た。
あいつの図々しさでこの空気を壊して欲しい。
だが。
「うぅ」
身を震わせた早苗がハレルヤの背中に隠れる。ますます空気が重苦しいものに変わっていく。
「だ、大丈夫か?」
「やばいやばいやばい」
ぶつぶつと呟く早苗を見て、俺まで肝が冷えてきた。
「え、こ、この部屋そんなにやばいの?」
「霊気の中にいるせいで霊がいるかぜんぜんわからなくて……。いつ襲われるか怖いです」
「いや、襲ってはこないけど」
「そんなこと先輩にはわからないですよね」
一緒に暮らしているからわかるんだけど。
それにしてもあぐりはいないから霊気はないはずなんだけど。……残留した霊気ってことか?
「早苗さん、こちらを」
ハレルヤが何かを懐から取り出すと、早苗にそっと手渡した。
「これって! まさか!」
「はい、ハレルヤ特製お守りです。これがあれば多少は和らぐかと」
「あ、すごい。ほんとに気持ちが和らいできた。ありがとうございます!」
「いえ、一個一万円ですので」
金取るのかよ。
「は、はい、じゃあ、これで」
「一万円ちょうどですね。ありがとうございます。ついでにこちらもいかがですか? 特製のパワーストーンです」
ただの小石にしか見えないが。
「これがあればある程度の霊障なら退けられます。今なら特別に五千円ぴったりです」
「買います!」
「他にも色々と持ってきてますが」
早苗がネックレスやペンダントなどを懐から取り出した。あの巫女服は四次元ポケットか?
「これだけあれば」
早苗の目の色が変わる。ガチャで課金したけど目当てのキャラが出なくてもうちょっと課金すれば出て来ると思い込んでいそうなガチャ中毒者のような目だ。
早苗のやつ、いつもよりテンションが高い。尊敬しているハレルヤがいることで興奮しているようだ。
「そうだ! 先輩も買いませんか?」
「俺はいいや」
「え、でも、これから除霊ですよ。霊が一番暴れるときじゃないですか」
それはないだろう。なにせあぐりがいないんだ。危険なことなんて起きようがない。
「大丈夫だって。今までこの部屋にいて無事だったんだから」
「で、でも」
「早苗だって、お守りは二個もあれば十分だろ」
同じ一般人である俺が気楽にしているのを見て、早苗はほっとしたように胸を撫でおろす。今まではハレルヤの雰囲気や部屋の霊気にのまれていたが、どうやら落ち着いてくれたようだ。
「それはそうかも」
「ちょっと! 何邪魔してんの!?」
そのとき、声を上げたのはハレルヤだった。今までの冷静沈着な面持ちとは、真逆の激情にかられた表情に俺たちは絶句してしまった。
一瞬の沈黙。
最初に我に返ったのはハレルヤだった。
「失礼しました」
さっきのことなどなかったかのような振る舞いに早苗が慌て出した。
「す、すみません! ハレルヤ様! 除霊の邪魔でしたね!」
「こちらこそすみません。この部屋に満ちる霊気につい気が張ってしまいました」
早苗を安心させるように表情を引き締めたハレルヤ。霊気のせいか? 違う気がする。……お守りを買おうとした早苗を止めた俺に対して怒っているようだった。
気のせい、だろうか。
一瞬、そう思ったが、ハレルヤが俺を睨みつけていた。まるで商売の邪魔するなと言わんばかりの視線だ。
俺が視線を向けると、ハレルヤはふいっと視線を逸らした。
……今まで感情を見せないからあぐりと同じような無表情タイプかと思ったが、あぐりとは違って意図的に感情を出していないようだ。
力はあるかもしれないが、かなりの銭ゲバのようだ。
「なぁ、早苗」
「はい、なんです――」
ハレルヤのことを警告しようとした瞬間、
「霊のことは大体わかりました。少し準備をしますのでお待ちください」
会話に割り込むようにハレルヤが間に入ってきた。どうやらハレルヤのことを言おうとしたことに気づいたようだ。
「いよいよ本番ですね! まさかハレルヤ様の除霊が生で見られるなんて!」
興奮したような早苗に、俺は適当な相槌を打った。
「……そうだな。俺も除霊を見るのは初めてだ」
「ハレルヤ様の除霊は独特なんですよ。見ててくださいね」
「除霊なんて大体独特だと思うんだけど」
俺と早苗が見守る中、ハレルヤがおもむろにスマホを取り出した。そして、ビデオ機能をオンにして自分に向けると。
「今宵は皆様を恐怖の世界にお連れしましょう。ハレルヤ!」
いきなり撮影が始まった。どういうことかと早苗を見ると、小声で『ユーチューバーなんでまずは撮影から始まるんですよ』と教えてくれた。
「ここはかの有名な『呪いのマンション』と呼ばれている場所です。この部屋には沢山の怨霊がひしめきあっています。恐ろしい。この部屋にかかわったせいでいろんな人間が死んでしまったようです」
……おかしいな。あぐりはこの部屋の住人を追い出しただけと言っていたけど。
「ご紹介しましょう。彼がこの部屋の住人である二階堂さんです」
段取りを聞かされていない俺は慌てて頭を下げた。
「彼にも死相が出ているのがよくわかりますね? そう、凶悪な霊障は人にも害を及ぼします」
失礼だな、おい。
「今回はかなり危険な除霊になります。番組をご覧の皆様にも影響が出てくるかもしれません。それでも、ご覧になりたい皆様は……どうかご覚悟を」
凛とした表情で顔を上げるハレルヤ。どこか冷たい雰囲気を醸し出しいるが、カメラに目線を送っているあたり、どこか番組っぽいチープさを感じた。
夏にテレビでやっているホラー番組を見ている気分だ。
「生配信! はぁ~、尊すぎ! ハレルヤ様!」
どこからともなく取り出したペンライトを早苗は振り回す。アイドルかよ。
「先輩! あぁ、こんなに近くで見られるなんて。一度見て見たかったんです。先輩の名前で応募してよかった!」
霊に憑りつかれた俺のことが心配だったというのは口実だったんじゃないかと疑わしく思えるほど早苗ははしゃぎまくっていた。
「それでは、除霊を始めましょう」
そう言うとハレルヤは紙がついた棒を取り出した。神社の神主がよく持っている祓い棒というやつか。
自己流だと聞いたが本格的なんだな。
「はんにゃ~は~ら~。悪霊退散。六根清浄」
ハレルヤは祓い棒を振り回しながら部屋の中を練り歩く。今のところ、何かが起きる様子は微塵もない。
五分ほど呪文のように呟きながらたまに祓い棒を虚空へと向ける。正直、少し飽きてきた。
ぼけーとしながら聞いていると。
「出前迅速。落書無用~」
なんか適当な呪文になってきてないか?
「これで霊気消えるのか?」
そっと小声で早苗に聞いてみた。
「今のところは消えてません。でも、これからが本番ですよ」
「随分と長いんだな。除霊って普通はこんなものなのか?」
「ハレルヤ様の除霊は色んな宗派が混じっているそうですよ。普通なら上手くいかないはずですが、そこをなんとかするのがハレルヤ様です」
祓い棒で五芒星を描きながら『南無阿弥陀仏』と唱えるハレルヤ。適当すぎるだろ。
「霊が見える早苗が言うんだからちゃんと除霊しているんだろうけど。ちょっと心配だよ」
「? チャンネルの画面越しなんで霊は見えませんよ。それに今だって霊気が濃すぎてよくわかりません」
「……え。じゃあ、本当に祓えているかはわかんないのか?」
不安になった俺を安心させるように早苗が自信満々に答えた。
「大丈夫です。お祓いした場所を他の人が訪れると霊による現象はなくなっていたそうなので!」
でも、早苗自身は霊が消えた場所を見ていないということか。
おかしいなと思いはじめたとき。
「はぁぁぁぁぁ! 霊よ! その姿を現せ!」
ハレルヤが大声で叫んだ。隣の吉田さんの部屋まで聞こえないか心配になる声量だ。もしも、聞かれたらなんて言い訳しよう。
「来ました」
ハレルヤが顔を上げた。釣られて俺たちもハレルヤが向いた方向に見たと同時にカシャンと何かが落ちた音が反対方向から聞こえた。
「今の音ってまさか!」
怯えたように身を震わせる早苗。あぐり? いや、あぐりはそんないたずらはしない。
ということは幽霊の仕業じゃないはずだ。
それはハレルヤもわかっているはずだ。
そのはずだと思ったが――。
「これは霊の仕業です」
ハレルヤは妙にきっぱりと断言した。
そんなはずはない。
「いや、ちょっと待ってくれ」
「なんでしょうか?」
「霊の仕業だと決めつけるのは尚早じゃないか? 何か部屋の物が落ちたのかも。ちょっと見に行ってくるよ」
そう言ってこの場から離れようとしたが。
「動かないでください!」
鋭い声で制止されて俺は動きを止めた。ハレルヤの真剣な表情に場が静まり返った。
「物が落ちたということは霊が怒っているんです。これ以上、刺激したら何が起きるのかわかりません」
何も起きないと思うが。
だが、俺の予想は裏切られた。
「……ぁ……ぁ……」
どこからともなく聞こえる男の声。まるで怨霊の嘆きのようにも聞こえた。
「やはり怒っているようですね。おそらくはこの部屋の主です。これから本格的な除霊に入ります」
神妙な顔つきでハレルヤは印を切った。今までのはなんだったんだ。
そもそもさっきの声は明らかに男性だった。
つまりあぐりの仕業じゃないということだ。
「ァ……ァァ……」
よく聞けばくぐもった声をしており、録音された声のようにも聞こえる。
種がわかれば怖くはない。
平然としている俺とは対照的に早苗は明らかに怯え始めた。
「せ、先輩。や、やばくないですか?」
「そんなことないだろ」
「えー! な、なんで平然としているんですか!?」
「……だってさぁ」
今のところ例の仕業だと断言できる事態は何もない。
むしろ、自作自演の可能性すらある気がする。
それを伝えようとしたとき。
ピンポーンと来客を告げるチャイムが鳴った。
「まさか! 霊!? 開けると黒髪の女が出てくるんですよね!?」
「いえ、ただの来客ですが」
狼狽える早苗とは対称的に冷めた目でハレルヤはため息を吐いた。そして、印を止めて睨みつけてきた。
「今は撮影中なんですが」
「仕方ないだろ。俺だって予想外だよ」
おかしいな。配達も今度にしてもらったし、今日は早苗とハレルヤの他に誰かと会う予定はないんだけど。
ドアホンの画面を見ると、吉田さんだった。何の用事だろうかと不思議に思ったが、すぐにハレルヤが叫んでたせいだと思い至った。
「すみません、うるさかったですか?」
「ううん、うるさくはないけど」
ちらりと自分の背後に視線を送る吉田。後ろに誰かいる?
「あぐりちゃん、心配になったみたいで――」
言い終わる前にあぐりが前に出てきた。
「心配になったので」
「心配したので」
「……」
思わず言葉が出て来なくなり、思考が停止してしまった。
「フリーズ中?」
「なうろーでぃんぐ?」
ようやく我に返った俺は画面にへばりついた。
「あ、あぐり!? 今日はお出かけしてくれって頼んだのに!」
「お出かけしました」
「お隣に」
……はっきりとマンションから出て行って欲しいと言えばよかった。
「せ、先輩、妹さんですか? しょ、初対面の人って苦手なんですけど」
別に会わせるつもりはない。特にハレルヤには絶対に会わせるわけにはいかない。
「あ、いや、妹じゃなくて」
必死にアイコンタクトで『話を合わせて欲しい』と合図をあぐりに送る。何の打ち合わせもしていない状況のため、普通なら通じるはずはない。
だが、俺とあぐりの家族としての絆なら。
「家族ではないのですか?」
「家族だと言ったのに?」
通じてませんでした。あぐりの表情は変わらないがとてつもなく悲しんでいることが声色でわかる。
泣くのをこらえているような。しっとりとした雨のような悲しい響きだった。
「……大事な家族です」
あぐりを悲しませるわけにはいかない。
「丁度いいですね。他の家族の方にもこの部屋の霊のことをお聞きしたいのですが」
「あ、いや、それは……」
対面ではなく画面越しのため、あぐりの正体にまだ気づいていないようだが、直接会えばすぐにわかるだろう。
どうやって断るべきか言葉を探していると。
「お兄ちゃんのお客様ですか?」
「お兄ちゃんのお友達ですか?」
先に興味を持ったのはあぐりだった。普段のあぐりなら人見知りするのだが、俺の関係者ということで多少気が緩んでいるようだ。
「ああ、二人とも会社の知り合いだ。このおどおどしているほうが早苗で巫女服がハレルヤだ」
「お茶をお出ししましょうか?」
「コーヒーをお出ししましょうか?」
「いや、それは俺がやるから」
「お茶の場所わかりますか?」
「コーヒーの場所わかりますか?」
……わからない。というか、いつの間にお茶やコーヒーなんて買ってたんだ?
あぐりと暮らしてからそんなに日数は経っていないのに、もううちのことを俺より把握しているようだ。
「い、いや、この二人はもう帰る予定だから」
「え? 帰りませんけど」
空気を読めよ、後輩。だが、早苗だけではなく。
「まだ本日の収録が終わっていません」
ハレルヤも帰る予定はないというように異議を唱えた。
「ここで話をするよりも、よろしければ、こちらで色々なお話をしませんか?」
「お、おい!」
勝手なことするなと文句を言おうとしたが。
「大丈夫です。霊が襲ってきても私が守ります」
そういうことじゃなくて、そもそも会わせたくないんだよ。
本音を言いたいが、これ以上頑なに反対しても逆に不信感を持たれるだろう。
しかし、ハレルヤとあぐりを会わせるわけにもいかない。
なんとかあぐりを遠ざけて、早苗とハレルヤを帰らせない方法を考えないと。
……思いつかない!
黙ったまま俯いていると、ハレルヤは沈黙を肯定だと思ったようだ。
「決まりですね。そちらもいいですか?」
「お兄ちゃんの会社の話聞きたいです」
「お兄ちゃんのこと知りたいです」
「じゃあ、お邪魔しちゃおうかしら~」
「はい、待ってますので」
どう対処すべきか俺が考えている間に通話が終わってしまった。やばい! やばい! あぐりとハレルヤを会わせることだけはさけないと!
「いやいや! ちょっと待てって!」
「なんでしょうか?」
「先輩、どうしたんですか?」
「妹に会うのだけはやめてくれ!」
俺の必死な形相に二人は不思議そうに顔を見合わせる。
「どうしてですか? 別にあなたの妹に危害を加えるわけではありませんけど」
それはあぐりの正体を知らない今だから言える台詞だ。
「とにかく! 会うのだけはやめてくれ! 妹は人見知りなんだ! だから、その――」
かなり強引な主張を聞いて、ハレルヤの目が鋭くなった。警察官が容疑者を見るような視線だ。
「……何か隠していませんか?」
「いや、そんなことは……」
誤魔化さないと! でも、これ以上の言い訳は出てこない!
そのとき、玄関のドアが開く音が聞こえた。
「お兄ちゃん、ただいまです」
「お兄ちゃん、戻りました」
「お邪魔しま~す」
あぐりと吉田さんが部屋に向かってくる足音が聞こえた。
「丁度いいですね。あなたの妹さんに聞くとしましょう」
そう言って、ハレルヤが俺から視線を外した。助かったとは思わない。むしろ、これからだ。
「先輩……」
緊迫した雰囲気の中、状況がつかめない早苗は心配そうに俺を見ていた。
ああ、もう! 仕方ない! 最後の手段だ!
ハレルヤがあぐりを除霊しようとしたら力ずくで邪魔をするしかない!
いざとなったら盾になってでもあぐりを逃がさないと!
決意が固まったとき、リビングのドアが開いた。まるで地獄の門が開いたかのような緊張感。
「面白い!」
という方は、ブックマーク・評価していただけると励みになります。




