12話
「ただいま~。約束通りハンバーガー買ってきたぞー」
仕事を終えて、我が家に戻る。いつもならあぐりが「おかえり」と言ってくれるのだが。
「あれ?」
いつまで経っても返事が来ない。
「おーい。もしかして、いないのか?」
声をかけながら居間に入った。……あぐりはいなかった。そして、人の気配もしない。元々幽霊だから人の気配がするかわからないが。
ふと、テーブルの上を見ると『お隣の家に行ってきます』とだけ書かれたメモが置かれていた。
お隣ということは吉田さんの家か。いつの間に家に呼ばれるくらい仲が良くなったんだろう。
俺以外と交流をもったあぐりのことが嬉しくて。ほんのわずかに寂しい。
……だが、今の時刻は夜の九時を過ぎている。
いくらなんでも遅くないか?
よほど話に熱中しているか。それとも。
『精気を吸い取ってる』。
結局、あぐりの精気の問題はわからないままだった。俺じゃなくて他から吸っているとしたら説明はつくが。
あぐりは俺に対しては家族のように扱ってくれるが、他の人間に対しての対応は見たことがない。
もしも、他人に対して冷酷でいられるなら。
……いや、それなら俺と出会ったときに精気を吸い取っているよな。
ばかばかしい考えだ。早苗が言っていることが全て嘘の可能性だってあるんだ。
そう思いながらも、不安と焦燥感にかられた俺はスマホを手に取り、あぐりに電話した。
数度の着信音が鳴り、やがて留守番サービスに繋がった。
……まさか。
不安は徐々に大きくなっていった。
※※※※※※
吉田の部屋のチャイムを鳴らした。『ブー』という音がして、数秒後、ドアが開いた。
「あら、お隣の……」
「こんばんは。あぐりがお世話になりました」
顔色が悪そうな吉田が出てきた。この前見たときは元気そうだったのに。もしかして……!
「あの、気分悪そうですけどあぐりが何かしたんですか?」
半ば祈るような気持ちで吉田に問いかけた。本当に精気を吸い取っていたとしたら俺は――!
「へ? あ~、気にしないでください。ちょっと食べすぎただけなので~」
「た、食べすぎ? え、じゃあ、あぐりも?」
「あぐりちゃん、すっごくよく食べますね~。びっくりしちゃいました」
「はは、育ち盛りなので」
愛想笑いを浮かべながらも、吉田を観察した。顔色は悪いが、会話に不自然な点はない。どうやら、あぐりを庇って嘘をついてるわけではなさそうだ。……よかった。精気を吸い取っているわけじゃなくて。
「すみません、夕ご飯ご馳走になったみたいで」
「いえいえ。私が好きでやったことなので~」
「今度、改めてお礼に伺います」
あぐりのせいじゃないとわかったお陰で心が軽くなった。でも、気になることがまたひとつ出来た。
幽霊なのにそんなにお腹が減ってたのか?
今まで一緒に暮らしてきたのにそんなに食べるとは知らなかった。
「それであぐりは?」
「え、もう帰りましたけど」
おかしいな。行き違いになったかな。
「結局上手くいかなかったのでまた今度来るそうです」
「上手くいかなかった? え、何かしてたんですか?」
「あ、いえいえ、なんでもありません~。それでは」
無理やり話を切り上げた吉田。何かを隠している様子だった。
腑に落ちない気持ちのまま再び帰宅した。
「ただいま~。あぐり帰ってきてる?」
暗い廊下の先。やはり人の気配はない。だが。
「おかえりなさい」
ぼうっと浮かび上がるようにあぐりが目の前に現れた。相変わらず心臓に悪い登場だ。
「吉田さんのところに行ってたんだな」
「はい、少し用事があったので」
「はい、少し遊びにいってたので」
なぜか目をそらしながら答えるあぐり。明らかに何かあるような仕草だが、本人に話す気がない以上、問い詰めることはしない。
「……ふぅ」
「……はぁ」
が、俺には聞こえないような小さなため息を吐いたため、気になって仕方ない。よく見れば、無表情ながらも落ち込んでいるようだった。
「何かあったのか?」
「何がですか?」
「何もないですよ?」
いつもの無表情で小首を傾げるあぐり。いやいや、明らかに何かあっただろ。
「明日もお隣さんの部屋に行ってきます」
「明日もお隣さんに用事があります」
「へぇ~、仲良くなったんだな。それなら明日は俺も仕事が休みだから一緒に行ってもいいか?」
にこやかに言ったつもりだったが。
「……」
あぐりはしばらく沈黙して、ぬいぐるみとこそこそと相談を始めた。辛うじて『どうしよっか』などの単語が聞こえてきた。
あれ? もしかして歓迎されてない?
いやいや、そんな馬鹿な。俺とあぐりは家族だ。迷惑なんてことは――。
「すみません」
「次でお願いします」
世界が一気に色あせて見えるほどの衝撃。まさにクリティカルヒットだ。
「そ、そうか。じゃ、じゃあ、また今度」
内心では絶叫していたが平静なふりを装った。家族の俺にまで秘密にするなんて一体どんな用事なのか。
先ほど問い詰めることはしないと思ったが、ここまで秘密にされるとかえって気になってしまう。
聞きたい! めちゃくちゃ聞きたい!
「それでは」
「今日は早めに寝ます」
「え、でも、ご飯は?」
「今日はいいです」
「今日は見たくありません」
そう言って、あぐりは溶けるように消えていった。……後に残されたのはわけもわからず呆然とする俺だけ。
あぐりの気持ちがわからない。それとも俺が何か知らない間に失敗してしまったのだろうか。
いくら考えても答えは出なかった。
仕方なく冷えたハンバーガーを食べる。……なんだか妙に味気なかった。




