11話
「あら、お隣のあぐりちゃん。こんにちは」
吉田が玄関を開けるとあぐりが暗闇に佇んでいた。
(相変わらず気配がない子ね。でも、それも虐待されていた子の特徴だもの。仕方ないか)
「お願いが」
「あります」
「……何かな?」
真剣なあぐりに応えるように吉田は膝を落としてあぐりの視線に合わせた。
「ハンバーグ」
「食べさせてあげたいです」
「料理」
「教えてください」
怪訝な表情を浮かべ、吉田は問いかけた。
「えっと、それはあぐりちゃんのお兄さんが食べたいって言ったの?」
「言っては」
「いません」
「じゃあ、どうして?」
「私のために」
「泣いていたので」
廉一郎が泣いた理由は予想できた。おそらく彼女の辛い境遇を想像して涙したのだろう。吉田自身も前の職場で虐待された子と遭遇したとき、同じ体験をしたから容易に想像がついた。
「でも、どうすればいいかわからなくて」
「でも、はげましたいです」
「だから、ハンバーグ?」
「今までで一番」
「美味しかったので」
ハンバーグを食べたとき元気が出た。だから、同じようにハンバーグを食べると元気が出るとあぐりは思ったのだろう。
(出来れば力になってあげたいけど)
しかし、大きな問題があった。
「頼ってくれてうれしいけど。その、料理得意じゃなくて~」
吉田は料理があまり得意ではなかった。一人暮らしの際は基本的にコンビニだったし、結婚してからも夫は単身赴任で一人暮らしの延長みたいな生活をしていたからだ。
「どうして私に?」
「他に頼れる人がいないから?」
「料理道具がないから?」
一人暮らしの廉一郎の家には必要最低限の鍋や調味料しか置いていなかった。廉一郎から予備のお金を受け取ってはいたが、外に出ることがないあぐりでは、どこで料理道具を買いそろえればいいかわからなかった。
藁にもすがる思いであぐりは見た目は料理が得意そうな吉田の家を訪ねたのだった。
「確かにうちなら料理道具は一式揃ってるけど~」
嫁入り前に渡されたものが一式、キッチンの奥に眠っていた。
「お願いします」
「手伝ってください」
再度の懇願。そのとき、あぐりの瞳に強い意志を感じた。
ここで断ってしまっても、あぐりは一人でもハンバーグを作ろうとするだろう。ということは慣れない料理の最中に怪我をするかもしれない。
(それは元教師として放っておけない!)
「わかった。それなら一緒につくりましょう~。実は私もあぐりちゃんと仲良くなりたかったの」
あぐりの複雑な思いにこたえるように吉田は笑顔で応じた。
「ありがとう」
「ございます」
「がんばりましょ~。目指すは美味しいハンバーグね」
場を盛り上げようと吉田が拳を天に掲げる。続けるようにあぐりも「おー」と声を上げた。
※※※※※※
キッチンはお酒の匂いで包まれていた。
いたるところに酒瓶が転がっている。どれも飲み干した形跡があった。
「お酒好き?」
「アル中?」
「うぅ、純粋な目で見ないで~。ちょっとだけ。ちょっとだけ飲んだだけだから~」
ちょっとという量ではない。
「ごめんね~。汚くて~。普段はこうじゃないだけどね~」
絶対嘘だと思ったが、あぐりは何も言わなかった。
「こちらが無理を言ったので」
「気にしてません」
「片付けるから待っててね」
「お手伝い」
「します」
「ありがと~。あ、瓶はそっちのゴミ箱に捨ててね。缶はこっちでお願い」
「はい」
「わかりました」
せっせと酒瓶を運ぶ吉田の背中で、あぐりがポルターガイストの要領で酒瓶を宙に浮かせてそのままゴミ箱に運ぶ。
僅か数十秒で全ての酒瓶をゴミ箱に捨て終えた。
「えっと、あとは~って、あれ? もうないの?」
「はい」
「終わりました」
一瞬、怪訝そうな顔をした吉田だが、すぐに「意外と酒瓶の量が思ったより少なかったのかも」と考えを切り替える。
「そうなの。ありがとうね~。それじゃあ、ハンバーグの材料は……」
「それならこちらです」
「あらかじめ買っておきました」
どこからともなくあぐりはハンバーグの材料を一式取り出してキッチンに置いた。
「あれ? 手ぶらだったような」
「気のせいでは?」
「勘違いでは?」
これで二度目だ。
さっきのことも勘違いではないかもしれない。
吉田の中で疑惑は風船のように膨らんでいった。異常なくらい気配のない仕草、いつの間にか片付いた酒瓶、手ぶらなのにマジックのように現れた食材。
やがて、ひとつの結論に結び付いた。
「もしかして、あぐりちゃん」
吉田の灰色の脳細胞がひらめきを見せた。あぐりは自分の正体を隠すことはしない。だが、自分が幽霊であることを積極的に言うこともしない。
別に自分が幽霊であることを知られても構わないが怖がられて料理を教えてくれなくなるのも困る。
さすがに迂闊すぎたと反省していると吉田が目の色を変えた。
一瞬、緊迫した雰囲気になった。
「マジシャン?」
「違います」
「見当違いです」
「そうだよね~。変なこと言ってごめんね」
さすがにあぐりが幽霊であることと結びつかなかったのだろう。吉田は気を取り直すようにエプロンを着けた。
……着慣れていないせいか紐の結び目が滅茶苦茶だ。あぐりは紐をそっと空中で操作して直してやった。
「じゃあ、まずは塩と胡椒と砂糖を用意して……」
「砂糖は使いません」
「甘いハンバーグになります」
「あれ? そうだっけ? じゃあ、ボウルは……」
吉田はおぼつかない様子で冷蔵庫を開けて、秤やお玉、ボトルなどを取り出した。
「お酒は」
「いりません」
「料理酒だから大丈夫~」
「料理酒に」
「ウィスキーは使いません」
「そうなの? それじゃあ、ストロングゼロかしら」
「そちらも」
「使いませんよ」
「じゃあ、隠し味ってことで」
「隠れてないのでは?」
「存在が大きすぎるのでは?」
「そうよね~」
「もしかして」
「料理できませんか?」
「そ、そんなことないからね。家ではよくリゾットやカルボナーラやヘーベルハウスなんかもよく作ってたんだから」
「おー」
「おしゃれ~」
「でしょ~」
年下の少女に見栄を張りたくて、吉田はつい嘘をついてしまった。誤魔化すように笑って、吉田はブラウスの袖をまくった。
「じゃあ、まずは玉ねぎを炒めるのよね?」
「はい、そう書いています」
「はい、動画でみました」
あぐりは玉ねぎをみじん切りしてフライパンで炒める。手慣れた動作に吉田は手を合わせて感心した。
「すっごい~。私より料理上手じゃない~」
「玉ねぎを炒めているだけなので」
「簡単なので」
「それでも私よりうまくできてるじゃない」
「……」
照れたようにあぐりはぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。よく見ると、頬が赤らんでいた。
ほんのわずかに上目遣いでこちらを見つめる瞳、恥ずかしそうに身を縮めた体、ぬいぐるみで隠された口元。
まさに可愛さの極致だ。
吉田の胸がきゅんと高鳴った。思わず抱きしめてしまいそうな衝動が奔る。
(いやいや、さすがにそれはいけない)
まだ信頼関係を築けたばかりだ。不用意な接触はさけるべきだろう。なんとか自制したが。
「お兄ちゃんも吉田さんも簡単に褒めるので」
「とても困ります」
困っているような喜んでいるような。感情が上手く表現できないといったニュアンスは吉田の心を掴んだ。
「んんぅ~」
気が付けば吉田の体は勝手に動いていた。
「なんで抱きしめるのですか?」
「なんで頬をくっつけるのですか?」
「ごめんなさい。つい可愛くて~。肌冷たいのね~。私ね~。暑がりだから丁度いいかも~」
またそんなことを言うみたいな視線を向けてくるあぐり。その仕草すら可愛らしい。
「でも、もっと自信もっていいんだからね」
曖昧にほほ笑むあぐり。
だが、それは無理だとあぐりはわかっていた。そして、おそらく今後も無理だろうということも。
『なんでそんなこともできないの。あんたなんか産まなきゃよかった』
あぐりの頭の中に響く声。一瞬で気持ちが深く沈む。
「あら? 故障かしら」
あぐりの気持ちと呼応するように天井の照明が点いたり消えたりしていた。ただの故障だと思っている吉田はどこか余裕がある態度でのんびりと頬に手を当てた。
たかが停電だと思っている吉田とは別にあぐりの顔色は徐々に酷くなっていった。心の中で先ほどの言葉が繰り返される。
深い暗闇のような場所に落ちる感覚。
嫌な気持ちが胸の内からふつふつと湧き出てきた。目の前が真っ暗になる感覚。更に天井の照明は明滅を繰り返した。
「あら、あらら」
さすがに不思議そうな顔で天井を見上げる吉田。その足元の影が更に陰影を濃く、深く染め上げた。
吉田に黒い影が迫る直前、
「もう忘れて大丈夫。あぐりには絶対に裏切らない家族がいるよ」
声をかけてきたのはぬいぐるみだった。
ぱぁっと目の前が明るくなった気がした。
家族になってくれると廉一郎は言ってくれた。
そう、あぐりはようやく家族に巡り合えたのだ。
その言葉を思い出すだけであの人の言葉が彼方へいってしまうようだ。
すると、天井の照明の点滅がおさまり、再び明るい世界が戻ってきた。
「あら、直ったみたい。よかった~」
「すみません」
「でした」
「? なんのこと?」
「なんでも」
「ありません」
「……そう」
吉田の脳裏に構ってほしくていたずらを繰り返していた子供が思い浮かんだ。その子も虐待されていた。
「それなら料理再会しちゃおっか~」
明るく笑いながら吉田は手を振り上げた。
あの不思議な現象の原理はわからないがあぐりのせいだったとしたら、悪意があるのか。それとも――。
「はい」
「がんばります」
怖がらせた贖罪の意味も込めて、あぐりは力強く返答した。なんだかわからないけどやる気があるのは良いことだと平和な思考の吉田。
幽霊だと知らない吉田と幽霊だと知られてもいいあぐりでは妙にかみ合っていない部分も出てくる。
犬のぬいぐるみはその二人を内心で心配しつつ見守る。
「へー、玉ねぎってこんな色になるのね~。前に炒めたときは真っ黒になったの。なんでかしらね~」
「それは炒めすぎでは?」
「それは強火すぎでは?」
「だって、料理は火力っていうじゃない?」
「それは中華です」
二人で話しながら仲良く挽肉をボウルに入れてかき混ぜる。卵を割り入れて、更にパン粉をつける。
そして、俵状にこねながらハンバーグの形を作っていく。
料理が不得意な吉田でもあぐりの料理のスキルの高さがわかる。初めて作るハンバーグだというのに動きに淀みが全くない。
「ここまでで何かアドバイスはありますか?」
「ここまでで何か間違っているところはありますか?」
「……ないと思います」
「なぜ敬語なのですか?」
「なぜ目をそらしているのですか?」
「だってぇ、あぐりちゃん、初めてとは思えないくらい動きが良いんだもん。完全に私超えちゃってるし~」
「そんなことありません」
「ネットで見ただけなので普段よりも戸惑ってます」
あぐりの料理スキルは完成していた。
料理の経験が少ないため誰も気づかなかったのだが、手先の器用なあぐりは料理に向いていた。
あっという間にハンバーグが出来上がった。
「まずは試作です」
「まずはお試しです」
「お試しっていう出来じゃないけど。もうこれでいいんじゃない?」
「お兄ちゃんには美味しいハンバーグを食べてもらいたいです」
「お兄ちゃんには元気が出るハンバーグを食べてもらいたいです」
あぐりは意外と完璧主義のようだ。そういうことならばと二人で試食を始める。フォークをハンバーグに突き刺すと肉汁が溢れた。
「すっごく美味しい~。初めてなのに本当にすごい。あぐりちゃん、料理の才能があるのね~」
「……」
笑顔で舌鼓を打つ吉田とは対照的にあぐりの顔は無表情ながらもどこか不満そうだ。
「どうかしたの?」
「これではありません」
「これとは違います」
どうやらファミレスで食べた味とは程遠いようだ。まるで不出来な壺を作って自ら割る陶芸家のようなストイックさだ。
どうやらあぐりはかなりの凝り性のようだ。
「材料はまだあるので、もう一度作っても良いですか?」
「納得するまで作りたいです」
吉田を真っ直ぐ見据えて、あぐりは頭を下げた。
「お願いします」
決意を感じる表情であぐりは改めて懇願する。頭を下げなくても吉田の中では結論が決まっていた。
「そういうことなら満足するまで付き合っちゃう」
「あなたが神ですか?」
「神二号ですか?」
「ん~、残念。神ではないですね~」
朗らかに笑いながらも吉田はさっそく次の準備を始める。
「あ、その前にちょっと待ってね」
あぐりから離れた吉田はそっと胃薬を飲んだ。なぜなら。
「もう少し塩が利いていたような気がします」
「いいえ、なつめぐを足したほうがいいと思います」
「では、二つ作りましょう」
「では、二つとも食べましょう」
思った以上にハンバーグを作ることになりそうだ。
「こんなこともあろうかと材料買ってきてよかったね」
「こんこともあろうかと特売に行ってきてよかったね」
元々、あぐりは幽霊であるため、食事をとらない。食べても体には残らない。だが、味覚は存在するため食べること自体は好きだった。
あぐりは幽霊になってから人間の食欲の容量を忘れていた。
吉田はどちらかといえば少食だ。いくらなんでもそんなに食べられない。
……ほどほどのところで止めに入ったほうがいいだろうか。そんな風に吉田が悩んでいると。
「料理楽しいね」
「ね」
目を輝かせて楽しむあぐりを見て考えを変えた。料理の楽しさがわかったあぐりを止めたくはなかった。
虐待された子は引き取られても遠慮しがちで大人と距離を取ることが多い。少しでもあぐりとの距離を縮めたいという吉田の思いもあった。
「いっぱい作ってね。あぐりちゃん。実はこう見えても一杯食べるほうなんだ~」
「ありがとうございます」
「満足させます」
吉田はしばらく体重計には乗らないことを心に決めた。




