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10話


 目覚めると何故か体が軽くなっていた。

 風邪だったのかな。それにしては熱も咳も出なかったな。

 ま、いいか。

 ベッドから起き上がって、辺りを見渡す。

 妙に部屋が明るい。まるで神社みたいな清らかな気配を感じた。

 嫌なものが全てなくなって空白になった空間のようだ。

 ……あれ? そういえば、隣で寝ていたあぐりがいない。よく考えれば昨日から調子が悪そうだった。

 もしかして、何かあったのか?

 心配した瞬間、キッチンのほうから物音が聞こえてきた。

 よかった。俺より先に起きただけか。

 キッチンに向かうとあぐりが昨日と全く同じパンと目玉焼きを作ってくれていた。


「おはよう」

「ございます」

「ああ、おはよう」


 昨日に比べると、あぐりの顔色が良くなっていた。


「動いて大丈夫なのか?」


 そう聞くと、あぐりはぬいぐるみに耳を寄せて何かを聞きはじめた。うんうんと頷いて、たまにくすくすと笑う。

 ぬいぐるみと相談してる? 前から気になってはいたが、どうやらあぐりはぬいぐるみをイマジナリーフレンドとして接しているようだ。

 一人きりでさみしかったあぐりの処世術ということだろう。

 やがて、結論が出たようで顔を上げた。


「大丈夫」

「元気一杯です」


 なぜかわからないけど元気が出たようだ。

 ……俺の精気を吸い取っているなら、俺自身の体調も悪いはずだ。

 やっぱり取り越し苦労だったのだろう。


「どうかしましたか?」

「お腹壊しましたか?」

「いや、別に」


 俺の態度から何かを感じ取ったらしく、あぐりは心配そうな視線を向けた。


「お腹壊したら」

「お腹殴ると少し我慢できます」 


 ……それ痛みで誤魔化してるだけじゃん。今の台詞(セリフ)から病院にすら連れて行ってもらえないことがわかった。

 普通の人間なら痛みに対して『怒り』を覚えるが、あぐりは『耐える』か『誤魔化す』しか対処がないのだ。

 そんなあぐりの気遣いに俺は言葉を失った。そして、同時に確信した。

 あぐりは人を傷つける子じゃない。

 そんなことをするくらいなら潔く成仏するだろう。


「なんかごめん」


 一瞬でも疑った自分が恥ずかしい。こんな子が悪霊のはずがない。


「なにかわからないけど」

「許します」

「ありがとう」


 あぐりに対しての罪悪感から無性(むしょう)に何かをしてあげたくなった。


「あのさ。……何かしてほしいものある?」


 あぐりが不思議そうに小首を傾げた。


「特に何も」

「これ以上はバチが当たります」

「いや、でも何かあるだろ?」

「スマホ。貰いました」

「他に楽しいこと思いつきません」


 狭い世界しか知らないあぐりにとって、それが精一杯なのだろう。

 まずはあぐりの世界を広げてやることが一番なのかもしれない。


「それなら、今日は外食に行くか」

「お外で?」

「食べる?」

「そうそう、どこか行きたいところある?」


 ひそひそとぬいぐるみと相談するあぐり。小さな声で『コンビニ?』『外食かな?』という声が聞こえてきた。

 よくよく考えたらあまり外に出ないあぐりにどこに食べに行きたいか聞かれてもわかんないよな。


「じゃあ、今日は早く帰ってくるから、そしたらファミレス行こうか」


 俺の提案にあぐりはきょとんした顔のままだった。


「聞いたことはあります」

「行ったことはありません」


 あぐりがファミレスのご飯を美味しそうに食べるところを想像すると今から待ち遠しく思えてきた。


 ※※※※※※


 急いで仕事を終わらせて家に戻り、あぐりと合流してファミレスに向かった。


「ここのハンバーグが肉汁たっぷりで美味しいんだよ」


 にこにこしながら説明するが、あぐりはいまいちわかってないようだ。「初めて食べるね」とか「カップ麺より美味しければいいね」と味に想像がつけないようだ。

 だが、前から興味はあったようでほんのわずかだが楽しみにしているようにも見えた。


「っしゃーせー」


 やる気が無さそうな女性店員に案内されて席に着く。

 メニューを開きながらあぐりの様子を見ると、物珍(ものめずら)しそうにきょろきょろと辺りを見渡していた。


「どうかした?」

「アニメやネットで見たまま」

「びっくりです」

「料理もアニメやネットのままだからきっと驚くぞ」


 そんなに? という視線を向けてきた。


「ほら、このハンバーグとか美味しいんだ」

「じゅーしーで」

「にくじるたっぷり」


 写真の煽り文句を読み上げるあぐり。それでも何かぴんときていないようだ。

 パラパラとメニューのページをめくっていく。

 そのとき、ぴたりとめくる手が止まったのを俺は見逃さなかった。


「お、何か美味しそうなのあった?」


 無言で再びページをめくる。あれ? おかしいな。


「なんでも好きなの頼んでいいんだぞ」

「いえ、特に」


 その後にいつもならぬいぐるみが話すのだが、今回は何も話さなかった。

 そのことをあぐりも疑問に思ったらしく不思議そうな顔でぬいぐるみを見つめた。やがて、ぬいぐるみは勝手にぺーじをめくり始めた。


「どうかした?」


当たり前だがぬいぐるみは答えなかった。だが、とある商品を俺に見せた。


「これって」


 ある程度の人が一度は食べたことがあるもの。

 だが、大人になると食べなくなるもの。


「お子様ランチ?」


 俺の言葉にあぐりの頬がポストみたいに赤くなったが、すぐに心を落ち着かせるように大きく深呼吸する。幽霊だから呼吸する必要はないのだろうが、人間だった時の癖なのだろう。

 やがて、あぐりの表情に落ち着きが戻った。ちょっと新鮮だったのに残念だ。


「それは子供のものです」

「でも、食べたいです」

「食べたくありません」

「食べたくないことありません」


 あぐりとぬいぐるみが(にら)み合う。……ぬいぐるみのほうは睨んでいるのかわからないけど。


「なぜそういうことを言うんですか?」

「でも、昔から食べたかったです」


 初めての喧嘩だ。

 ……イマジナリーフレンドって自分に都合が良い存在というわけじゃないんだな。

 おそらく本心はお子様ランチを食べたいのだろう。

 しかし、建前が邪魔をしている。

 だから、ぬいぐるみが本心を離しているということなのだろう。おそらく。


「まぁまぁ、落ち着けって」

「そんなことありません」

「生きてる間に食べたかったのでは?」


 ……そうか。普通の子供はお子様ランチくらい食べたことがあるだろうが、あぐりは別だ。


 あぐりの死因は餓死(がし)だった。

 ネットの情報によると、子供の頃は近所のおばあさんから食べ物を恵んでもらっていたそうだが、そのお婆さんが死んでしまったことで本格的な飢えに苦しんでいたようだ。

 それでも、犯罪を犯すようなことはしなかった。

 あぐりの死後は胃の中には畳らしき井草しかなかったそうだ。

 そんなあぐりには当然、お子様ランチを食べる子供時代がなかった。そして、死んでしまった以上、生きている間にお子様ランチを食べる機会はもうない。

 ……なら、せめて今このときにお子様ランチを食べさせてやりたい。

 ここはひとつ乗ってやるか。


「実は俺もお子様ランチ食べたかったんだ。よかったら一緒に食べないか?」


 すると、あぐりとぬいぐるみは喧嘩をやめて不思議そうに見つめてきた。


「大人なのに?」

「大人でも?」

「ああ、大人でも食べたくなるんだ」


 こそこそとぬいぐるみと話すあぐり。「仕方ないね」と「ね」という仲直りしたような会話が微かに聞こえてきた。


「そういうことなら」

「わかりました」


 本当は食べたかったのだろう。あぐりの瞳が待ち遠しいというように輝いて見えた。


「……ぷっ……あ、ああ」


 あまりの微笑ましさから笑みがこぼれる。咄嗟に俺は口元を隠すように手で押さえた。落ち着け。あまり長く笑っていると妙に思われる。

 ふぅと軽く息を吸って呼び鈴を鳴らして店員を呼び出した。


「決まりっすか?」

「お子様ランチ二つ」

「は?」


 こいつマジかよみたいな目で店員が見てきた。

 確かに俺みたいな大人はお子様ランチを注文しない。変に思っても仕方ないだろう。


「すんません、お子様ランチは八歳未満専用なんで」

「あ、そうなんですか」


 あぐりは幼く見えるとはいえ、十二、三歳以上の見た目だ。ちゃんと調べておけばよかった。


「なんとかなりませんか?」

「規則なんで」


 あぐりをちらりと見ると。


「お子様ランチ」

「食べたいです」


 無表情ながらも視線を下に落として、めちゃくちゃへこんでいた。あれほどまで食べたくないと意地を張っていたが、いざ食べられなくなると本音が出てしまったのだろう。

 店員は次にあぐりに視線を移した。すると、表情に納得したという文字が浮かんで見えたようだ。


「……お子様ランチっすね。少々お待ちください」

「いいんですか?」

「それ」


 店員がぬいぐるみを指さした。


「八歳未満なんで」

「でも、ぬいぐるみですよ」

「人間だけなんて言われてないんで」


 店員はぶっきらぼうに言い放つ。屁理屈だが、今はそれがありがたい。かなり気難(きむずか)しい店員そうだと思っていたけど、実は優しい店員だったようだ。


「お兄さんは?」

「じゃあ、ハンバーグ定食で」

「すんません、大人用のハンバーグはソース切らしてて売り切れです」

「……じゃあ、カレーで」

「繰り返します。カレーとお子様ランチですね」

「ありがとう」

「ございます」

「……ん」


 照れ隠しするように店員が背を向けた。わずかに見えた横顔から頬が緩んでいるのが見えた。



 しばらく待っていると。


「お待たせしました。カレーとお子様ランチです」


 旗が立てられたチキンライス、ハンバーグ、エビフライ、そして、ナポリタン。まさに子供が好きそうなものが詰められた夢のワンプレートだ。

 ……大人の俺からすれば物足りないが。


「わぁ」

「美味しそう」


 目を輝かせたあぐりを見ると、そんな不満も消し飛んでしまった。まるで子供のような喜び方だ。


「いただきます」

「いただき」

「ます」


 互いに手を合わせて、俺はカレーに口をつける。

 ……ん、カレーもなかなか美味いな。


「とっても」

「美味しいです」



 ――そのとき、あぐりはほんのわずかだけど唇の端を上げて、笑った。

 いつものようにくすくすといたずらっ子のような笑い方ではない。

 自然に心の内からあふれ出たような穏やかな笑みだ。

 今まで厚いベールに覆われていた本来の彼女に触れたような気がした。

 もしも……、彼女が生きていたのなら。

 幸せに暮らしていたのなら。

 こんな風に笑ったのだろうか。


「あの」

「ちょっといいですか?」


 あぐりを眺めていると、俺の視線に気づいたあぐりが食べる手を止めた。


「あ、悪い。ずっと見てたら気になるもんな」

「いえ、それは」

「構いませんが」


 ……構わないのか。俺なら気になるけど。


「そうではなくて」

「どうして泣いているのですか?」

「え」


あぐりに言われて気づいた。頬に熱いものが流れていた。


「あ、いや、ごめん。泣くつもりはなかったんだけど」


 なぜあぐりが死ななければならなかったのか。


「……もっと早く。生きている間にお子様ランチを食べさせてあげたらなって」


 いつもの俺はこんなに涙脆(なみだもろ)くないんだが。あぐりと関わって、家族になって、彼女の過去を知ってしまった。生きている間につかめなかった幸せを想像すると胸が張り裂けそうなほど辛い。


 もう手に入らない宝物を遠くから眺めているような気分だ。


 あぐりは俺の言葉がよくわからなかったらしく、きょとんした顔をしていた。


「でも今は」

「幸せですよ?」

「それならよかった」


 ……それを聞いて心から安堵(あんど)した。

 たとえ、過去が辛くても今が幸せならいいか。


「あ、そうだ。他におかわり食べるか? なんなら、デザートもいいぞ」

「これで」

「十分です」

「遠慮しなくていいって」

「あまり食べると」

「太るので?」


 幽霊だから太りはしないだろ。

 そう思ったが無理強いもよくない。


「ん、そうか」

「……」


 なぜかじっと見られている。


「これ」

「食べますか?」

「いや、いいって。気持ちだけ受け取っておくよ」


 食べたくて見ていたんじゃないんだけど。

 あぐりは何か言いたそうだった。

 結局、何も言わずお子様ランチを食べ始めた。


 ※※※※※※


 それから数日間。

 なぜかあぐりの様子がおかしかった。

 どこか上の空と言った様子で、何かを言いたそうにこちらをみていることが多くなった。あまりにも気になって。


「どうかした?」


 と聞くが、『あ……』と言いたそうにした後。


「なんでも」

「ありません」


 と明らかに何かありましたと言わんばかりの答えしか返ってこなかった。しかも。


「こそこそ」

「そうだね」

「良い考え」

「ね」


 姿は見えないが、どこからかあぐりの独り言が聞こえてくるようになった。どうやら俺に内緒らしく、いくら耳をすましても肝心の内容が聞こえてこない。

 ……かなり気になるが、あぐりにはあぐりの考えがあるんだろう。

 そのうち話してくれるのを待つしかない。


「じゃあ、会社に行ってくるから」

「待って」

「ください」

「え!?」


 ついに話してくれるのか? と一瞬期待したが。


「これ」

「食べてください」


 差し出されたのはアルミホイルに包まれたおにぎりだった。昔、遠足に行ったときに持って行った母さんの手作りおにぎりを思い出す。


「迷惑」

「でしたか?」


 何も言わない俺を見て、不安に思ったあぐりがいつもよりも強張(こわば)った声色で問いかけてきた。


「そんなことないって! 嬉しいよ! ありがとう!」


 あぐりが不安にならないように努めて明るく告げた。明らかにほっとした様子のあぐりを見て、俺自身の不安も消えていくのを実感した。

 実はちょっと安心した。

 ここ最近のあぐりの態度から、もしかするとあぐりに嫌われ始めたんじゃないかと思っていたのだ。

 俺のためにおにぎりを渡してくれるくらいだから、嫌いということはないはずだ。


「行ってきます。帰りは少し早いから、今日は晩御飯一緒に食べよう。ハンバーグ美味しかっただろ? それなら、今日はハンバーガー帰りに買ってくるよ」

「……」

「あれ? 嫌だった?」

「そんなこと」

「ありません」

「楽しみ」

「です」

「ね」

「ね」


 それならいいけど。どことなく元気がないようにも見えた。もう一度問いただそうと思ったが、気が付けば出社時間を過ぎていた。

 やばい、遅刻する!


「そ、それじゃあ、また夜に!」


 慌ててマンションから出て行く。その背中にあぐりの視線を感じながら。



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