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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

未来から来た侯爵令嬢に「安い男」と言われたので、順当な時の流れで出会った彼女に「安い女」と言い返しておいた





「やっすい男」




 未来から来たと言う変な女は、ボロボロの俺にそんなことを言ってのけた。



 俺はしがない公爵家の長男だ。

 実母は早々に他界し、物心ついた頃には、父と継母と異母弟と共に生活していた。


 継母は俺のことが嫌いだったらしく、何をするにつけ文句を言われたり、殴られたりしていた。

 父は、俺が継母に反抗的な態度を取ると、俺のことを殴ってきた。


 異母弟は俺のものを執拗に奪ってきた。

 俺が与えられた服や装飾品、万年筆などの高価なものは全て奴が奪ってきた。


「お前みたいな卑しい奴には必要ないものだろ」


 どの口が、と思ったが、言い返すと親も加わり、こぞって俺を責め立ててくる。一日二食の少ない食事を抜かれることもあるから、俺は何をされても黙っていた。

 なお、俺の背丈は三つ下の異母弟と同じくらいしかなく、体はガリガリだった。それを利用して、病弱な長男として、俺はあまり外に出されない。要は、異母弟に家を継がせたいのだろう。


 唯一マシだったのは、異母弟が勉強用の本だけは破損したり奪ったりしなかったことだろう。

 書籍というのは高い。数学や国語辞書などの頻繁に使うものは、それぞれに買い与えられているが、基本的には俺と異母弟の共用だ。

 そして、書籍を破ったり汚したりすると、相手が異母弟であっても父は怒る。それが例え俺専用のものであっても、烈火の如く叱りつける。

 かといって、俺が使えないように異母弟の部屋に全ての本を置くと、勉学に目がない家庭教師が非常に喜んでその書籍を使いたがるものだから、勉強時間が伸びる。異母弟は勉強嫌いなので、それは嫌らしい。

 そんな訳で、異母弟は、書籍だけは俺の部屋に所狭しと置いているのだ。汚すことも奪われることもないその本を読むことが、俺の日課だった。


 そんなある日の夜、部屋の中が光って、20歳前後の女が現れた。

 貴族の街行き用の水色のドレスを着た、割と綺麗めな女だった。

 この国では珍しい赤毛にグレーの瞳が勝気に輝いている。


「あら、ここはどこかしら」

「……」

「あなた誰よ」


 それは俺の台詞である。

 とはいえ、突然現れた怪しい女に刺されでもしたらたまらないので、俺は半目で黙っていた。

 が、その女は目を細めて、訝しげにこちらをマジマジと眺めてくる。


「ん? んんんんん? もしかして、シルフィード=シグネウス?」

「違う」

「いや違わないでしょ! なにしれっと嘘ついてるのよ!」


 確かにシルフィード=シグネウスは俺の名前だが、この女に知られているのはなんだか癪である。


「知らない人に名前は教えない」

「妙にいい子!?」


 愕然としている変な女を無視して、俺は本を読む作業に戻る。


「ちょっと、あんた私のこと疑問に思わないの!?」


 今日は物理学の本に手を出そうと思っていたのだ。慣性の法則のところまで読んだところだったか……。


 黙々と本を読んでいると、腕を掴まれた。

 鋭く走った痛みに目を瞑ったが、声は出さなかった。痛い時に声を出すと殴られるので、俺はこういうときに声を出さないのは得意だった。


「あ、ごめん、怪我してるの? ちょっと見せてみて」

「触るな痴女」

「せいぜい10歳かそこらのくせに、なんでそんな変な言葉知ってるのよ!!」


 そのうるさい女は、勝手に人の服を剥いて、俺の体を見て固まっていた。

 新旧の傷跡だらけの俺の体は、見ていて楽しいものではないと思う。

 ため息をついて、俺は服――真っ黒なシャツを着直すと、また本に向かった。黒い服は便利だ。血の跡が見えないから、すぐダメになることがない。


「あんた、虐められてるの?」

「……」

「ほんっとう、生意気ね! 虐めたくなるわ」

「へえ」


 そういう人種か、と思って嘲って見上げると、「何よその顔ぉお!!」と言いながら、変な女は憤っている。


「怪我の治療をするわ。道具は?」

「ない」

「ない!?」

「あったら自分でする」

「……虐められて、仕返しはしないの」

「別に」

「逃げたりは」

「……」

「このままなの?」

「うざい」

「ちょっ、はあぁああ!?」


 子どもである俺に、一体何ができるというのだ。

 だって、俺は何も持っていない。両親こそが敵で、助けてくれる大人はいない。しかも、シグネウス家は公爵家だ。この家の人間に逆らえる者なんて、この国には数えるほどしかいない。この女だって、何ができる訳ではない。

 静かに過ごしていれば、殴られることは少ない。ご飯だって少ないが食べられる。未来なんて見えない。むしろ考えない方がいい。

 部屋の中に変な女が現れたという非日常も、だからなんだという話だ。ただの迷惑だ。


 そう思っていたら、この女は俺に、こんな言葉を投げかけたのだ。




「やっすい男」




「……はあ?」

「なによ。あんた本当にシルフィード=シグネウスなの? ちょっと虐められただけで、いいように扱われちゃって。可哀想な自分に浸ってんの? つまんない奴」

「言っていいことと悪いことがあるだろ」

「へえ、怒るんだ。ムキになる元気はあるのに、小さくなっちゃって、バッカみたい」


 流石の俺も、本を机に置いて、変な女を睨みつける。


「俺のことなんか何も分からないくせに」

「そりゃそうよ、私とあんたは今会ったばかりで分かる訳ないわ! でも、私は未来から来たの。あんたがシルフィードだって言うなら、こんなところでこんなふうに一人でイジけてる奴じゃないはずなのよね」


 そこまで言うと、女はポン、と手を叩いた。


「……ああ、もしかしてあんたは私の知ってるアイツになる訳じゃないのかしら。じゃあ、ただの可哀想な子どもにキツイこと言いすぎたわ。ごめんね」


 そう言うと、女は急に真面目な顔になって、勉強机の前の椅子に座る俺の傍にしゃがみ込み、下から俺を見上げた。


「まずはね、証拠作りから始めなさいよ。君の家はお金持ちだから、簡易撮影機もあるでしょう? どうせ大して使ってないんだから、多少拝借してもバレないわよ。それで、暴力を振るわれている映像を撮るの。家族だけじゃなくて、使用人のやつもね。こんな虐待を放置してるなんて、どうせ使用人達もクズが多いと思うから、色々録画して弱みをにぎっちゃいなさい。で、殺されそうとか、治療しないと死ぬ病気にかかったとか、いざ危ない時に切り札として使うのよ。あんまり無茶を言うと反撃されるから要求は小さなことに留めて。あとは、逆にあんたがここまで生きてこられたってことは、周りの人の中に助けてくれている人も中にはいるのかもね。そういう人を見つけて、こっそりその人の優しさを利用するのよ。表立って仲良くすると、君の両親がクビにしちゃうわよ。大人になったその先は、まあ……逃げるなりなんなり好きにすればいいわ」


 矢継ぎ早に言われたその話に、俺は目を白黒させる。


「あと、お父さんのことは諦めなさい」


 びっくりして目を丸くした俺に、その女は続ける。


「あんたがこんな状態なのに放っておくなんて、何を期待しても無駄よ」

「……っ! お前に、何が」

「分からなくてごめんね」


 その女は、優しく俺の頭を撫でると、「じゃあね。頑張りなよー、アイツじゃないシルフィード君」と言って再び光を放って消えていった。


 俺はというと、その女が消えた後の何もない空間を見て、呆然としていた。

 なんだあの女は。好き勝手なことを言って、あースッキリしたみたいな顔をして去っていったが、おもくそ失礼ではないか?


 ――じゃあ、ただの可哀想な子どもにキツイこと言いすぎたわ。ごめんね。


「なんだ、あの女……アイツって何だよ……」


 先ほど現れた変な女は要するに、『アイツ』とやらなら今の俺の状況を覆せると思っているのだ。

 そして、俺の様子を見た彼女は、『アイツ』のように凄くない俺にはキツイことを言いすぎたと――期待しすぎたと、謝罪をしてきた訳だ。


「馬鹿にしやがって」


 両親と異母弟にへし折られた矜持と怒りが、お腹の底からふつふつと湧いてきた。


 未来から来たと言っていた、赤毛の女。

 なんだかよく分からないが、俺は、俺のことを舐めくさったあの勝気で変な女を、絶対許さないことにした。



 そこから、俺はあの女の言うとおり、色々な証拠作りをした。

 黙ってそこにいるだけの俺の前では、両親も異母弟も使用人達も、悪事を取り繕わない。だから俺は元々、奴らの弱みを知っていた。それを映像化するのは至極簡単なことで、色々と面白い映像が撮れた。浮気、盗み、横領、痴態、諸々だ。

 そして、俺が書籍に触れられるように異母弟を上手く操っていた家庭教師に接触し、それとなく手助けをもらうようになった。


(それだけじゃだめだ。あの女に言われたことだけやるなんてあり得ない)


 教えてもらったことだけやっていたら、あの女はきっと「よかったねーシルフィード君」と舐めくさった褒め言葉をかけてくることだろう。それだけは絶対に許せなかった。俺はあの女が想定している俺よりもずっと凄いやつのはずで、それを見せつけなければならないのだ。


 俺はまず、集めた証拠を使って、一部の使用人達に生活のための()()を利かせてもらうことに成功した。安定した生活さえできればいい、というスタンスを崩さず、彼らの警戒心を強めないように気をつけた。お蔭で飢えることは少なくなった。


 俺は勉強にも力を入れた。特に魔法に関する本を読んで、独学で魔法を使えるようになった。

 魔力は体力に似ていて、飢餓状態や心身疲労状態だと体に保管されている量が少なく、使用できる量が少なくなる。けれども、疲れている時こそ魔法の力に頼りたいのだ。だから、俺は元気のある時に、その魔力を貯めておいておけないか、色々試してみることにした。

 そして、思いついたのだ。


 ――頬袋貯蓄法である。


 生物図鑑を見ている時に思いついたのだ。

 魔力を貯める石――魔石は高価だ。普通の人間には手が出せない。俺のように、自由になる金のない子どもも同様だ。

 しかし、魔力を通し、循環させることができるのは、魔石だけなのか? 何も持たない俺には、どうしようもないのだろうか。

 そんなときに、俺は運命的な出会いをしたのだ。


(ハムちゃん……!)


 それは、ハムスターという生物との出会いだった。小さなお手手でひまわりの種を頬張るその写真は、この世のものとは思えなかった。

 その生物図鑑の作者も、あからさまにハムスターが大好きであった。他の動物と違い、食べている様子、色違いを並べての撮影、お手手のドアップ、プリケツ、後ろ振り向きざまショットなど、写真の種類が豊富すぎた。いや、まだ足りないくらいだが。


(ハムちゃんのように、備蓄を体に溜めておければ……!)


 そう思って開発したのが、頬袋貯蓄法である。


 魔法陣を体に固定して、そこに元気な時の魔力を貯めておくだけの簡単な作業だ。

 本当はハムちゃんリスペクトで頬に溜めたかったが、流石にバレるので、場所は脇の下にした。なんか自分でもちょっと嫌だった。


 そうして、俺が18歳の成人を迎えた年、15歳の異母弟クリスの婚約者を発表する婚約パーティーにおいて、俺は隠していた証拠映像を全て公開した。


 動画のテロップはこんな感じにしておいた。


『シグネウス公爵家の虐待の事実!』

『浮気・横領・散財・暴力の役満一家!』

『前妻の子、長男シルフィードをいじめることで、一家と使用人は団結!』

『シルフィードは本日公爵家を脱出した模様! 次なる生贄はどう考えても、二男クリスの婚約者ミルティ=ミッドウェイ嬢!』

『虐待の事実に気がついていた第一王子! 事なかれ主義で正義感のない彼を、このまま王太子にしていいのか!?』


 高位貴族に王族まで呼んでいた婚約パーティーは阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。


 当然のように欠席させられていた俺はその場にはいなかったが、うまく仕掛けが起動して、証拠映像は白日の元に晒されたようだ。それを、俺は遠視の魔道具で、こっそり遠くから眺めていた。


 「映像を流すのをやめろ!」「どこから流してるのよ!」「ジグネウス公爵、これはどういうことだ!」「第一王子殿下も知っていたの……?」と大騒ぎしている様を見ながら、俺は隣国のゴシップ新聞社であるスパンクス社の手引きでちょうど国境をくぐるところだった。


「いやあ、いい取引をありがとうございました、平民のシルフ君」

「こちらこそ助かりましたよ。さすがに次はないと思いますが、何かあればまたよしなにお願いします」

「ハハハ、私はなんだか君とはまた縁がある気がしてますけどねぇ」


 スパンクス社のやり手諜報員だと言う彼の言葉に、俺は苦笑いする。


「また王家関係のゴシップがありましたら、よろしくお願いしますよ」


 第一王子の映像が撮れたのは、本当に僥倖(ぎょうこう)だった。

 彼は異母弟クリスの友人で、シグネウス公爵家に遊びに来ていた際に、俺が継母に殴られながらヒステリックに怒鳴られている部屋の前の廊下を通りがかったのだ。「おい、ああいうのは止めなくていいのか」「いいんだよ、あいつは虚弱で、そのうち死ぬんだから」「……」という会話付きの映像の録画を確認した時には、ある意味ガッツポーズをした。

 この映像が決め手で、協力を渋っていた諜報員が決断してくれたのだ。


 こうして、俺は国を出た。

 国境をくぐったところで、諜報員とは別れ、コンパクトタイプの遠隔魔道具を再び開き、耳を傾けた。


「シルフィード! 絶対に許さないぞ、出てこい! 殺してやる、シルフィード!!」


 その肉親だった人の声に、俺は目を閉じ、その魔道具の出力を落とした。

 期待していなかったから、きっと俺は大丈夫。



 スパンクス社からの報酬金は結構な額で、俺はそれを元手に、さらにもう一つ国を跨ぐことにした。王家とかシグネウス公爵家が復讐に来ても困るからな。


 道中は楽しかった。大変なことも沢山あったけど、頬袋貯蓄法で貯めた魔力と必死に学んだ魔法で、大体のことはなんとかなった。勉強というのはしておくべきものであると、もし異母弟に会ったら言っておかねばなるまい。


(あの女はどうしてるかな)


 青空を見ながら思うのは、そんなつまらないことだった。

 あの変な女は、未来から来たと言っていた。本当か嘘か分からないが、生国で俺が起こしたゴシップ騒ぎが理由で俺の名前を知っているだけなら、もう会うことはないのかもしれない。


(つまんねーの)


 目的の国に着いた俺は、魔術師の資格を取ることにした。

 元々魔法の勉強はしていたので、他の資格に比べて取得しやすいかと思ったのだ。


 そうしたら、初めて受けた三級魔術師試験で一位を取ってしまった。


「シルフ君! きききき君は誰に師事しているのかね!」

「独学だけど」

「独学!?」


 三級試験を取り行っている魔術師が、真っ青な顔で驚いていた。


「ちょうどいいんで聞きますけど、俺の実力だと何級まで試験は通りそうですか」

「実技は一級も余裕だ! 筆記の採点は弟子任せなので知らん!」

「知らねーのか……」


 とりあえず後で考えるかと思って帰ろうとしたら、その魔術師に引き留められた。


「待ちたまえ!」

「遠慮します」

「いや待てよ!」

「だから嫌だって」

「このままだと君、一級試験を受けずに姿をくらませてしまいそうではないか!」


 うんまあ気分次第なのは確かだな。


「いいか、よく聞きなさい。君を弟子にしてやろう。これは光栄なことなんだぞ!」

「嫌です」

「遠慮するんじゃない!」

「拒絶します」


 こんな扱いを受けたのは初めてだったのか、初老の魔術師(野郎)は涙目でプルプル震えている。

 ほんの少しだけ可哀想に思ったので、「友達になりたいなら連絡用魔道具やるよ」というと、なんか今度は頰を染めながらプルプルして喜んでいた。ちょっと嫌だった。


 結局、毎日夜な夜な電話してくる()()がウザすぎて、仕方なく一級魔術師試験を受けた。やっぱり成績は一位だったが、実力ではなくコネでいい点にされたんじゃないかと不安になったのはここだけの話だ。


 そうして一級魔術師となった俺。

 実は、一級魔術師は、この国では一代伯爵の地位を与えられていて、毎年30人位しか受からない。しかも更新手続に落ちると、2級に落ちて、地位も一代男爵に下がる。


 そして、まさかなのだが、このタイミングであの変な女は現れた。

 赤毛にグレーの瞳の、顔だけはいい生意気な女だ。

 名前も分かった。シャーロット=シャノン。侯爵令嬢で、第二王子の婚約者らしい。


 ついでに、第二王子が彼女のことを嫌っていることも分かった。第二王子がシャーロットのことを避けているのは国内貴族の間では有名な事実らしい。しかも嫌う理由は、第二王子よりもシャーロットが優秀なことが原因なのだとか。自分より優秀な女の子に冷たく当たるとは、まさにクズの所業。それでいいのか王族。


 17歳で未成年の侯爵令嬢である彼女は、本来なら国の重要地である侯爵領にいそうなものだが、この国の子女が15歳から18歳まで通うこととなっている学園に通うため、王都に滞在しているらしい。


 だから、一級魔術師としてたまに王宮に上がることがあり、王都に滞在していた俺とも出会ってしまった。


 この国で赤毛は珍しいので、俺は一目で彼女だと分かった。


 ちなみに、出会った場所は、その学園の中だった。一日臨時講師として雇われていた俺は、裏庭の木の影で泣いている彼女を見つけてしまったのだ。


「お前、なんで泣いてるんだ?」

「ぐすッ……し、失礼ですわよッ!? わ、私を、誰だと……」

「シャーロット=シャノンだろ? なんだよお前、偉そうだから王族か何かかと思ってたけど、ただの侯爵令嬢じゃねーか」

「……!?」


 あまりの俺の言い草に、彼女は涙を止めて唖然としている。

 俺はなんとなく、彼女がぐずぐず泣いていることにイライラした。()()()()()()()()()()()()()()()、この体たらくはなんなのだ。


「お前さあ、今なんで泣いてたんだよ」

「……」

「まー別に知ってるけどな。また第二王子に酷いことを言われたんだろ」

「な、なんで知ってるのよ!」

「見てたからな。それに、この国では有名だよ。第二王子に無下に扱われているシャノン侯爵令嬢」

「……!!!」


 顔を真っ赤にしている彼女を、俺は冷めた目で眺める。


「か、可哀想だって思ってるんですの。私に同情して……」

「そんな訳ねーじゃん」


 ぱっと何か光を見たような顔をしている彼女に、俺は渾身の笑みで答えた。




「やっすい女」




「……は?」

「自分を軽んじてくる相手にへこへこして、チョロくてつまんない女だよ、お前は」

「は? はぁあああ!?」

「どうせ親に婚約破棄を訴えたけど、王族と結婚するチャンスだとか言われて聞き入れてもらえなかったんだろう? たったそれだけで諦めるんだもんな、安くて簡単なやつ」

「あんたに何が分かるのよ!!!」


 肩を怒らせて激怒している彼女に、俺は続ける。


「俺はお前のことなんか知らねーよ。俺とお前は今会ったばかりだしな。でも、俺はお前の未来を知ってる。とはいえ、もし本当にお前が俺の知ってるあの女に成長するなら、こんなところでこんなふうに一人でイジけてる訳はないんだが……」


 そこまで言うと、俺はポン、と手を叩いた。


「……ああ、もしかしてお前は俺の知ってるあの女になる訳じゃないのかもな。じゃあ、ただの可哀想な子どもにキツイこと言いすぎちまったな。悪い悪い」


 俺はあの時の苛立ちをたっぷり込めた嫌味を彼女に投げつける。

 怒りでぶるぶる震えている彼女を見ながら、俺は優しく微笑んだ。


「本当に婚約破棄したいなら、今のままじゃだめだ。王子に女を当てがって、誰の目から見てもお前が悪くないと分かる形で婚約破棄を突きつけろ。権謀術数渦巻く王宮で高位貴族としてやっていくつもりならそのぐらいできるだろ。できればそうだな、他に懇意の男とかがいれば、そいつに力を借りるのもいいかもな。より誠実でいい男とくっつくってのが女としてのステータスなんだろう? じゃあな」


 そう言って、くるりと背を向けると、シャーロットが俺を引き留めてきた。


「待ちなさいよ! 好き勝手なことばっかり言って、あんたはなんなのよ!」

「シルフィード=シグネウス」

「えっ?」

「前は公爵家の長男やってた。まあ適当に調べればすぐに分かるだろ。あとこの名刺もやるよ。隣国のスパンクス社の連絡先な」

「ちょ、ちょっと!」

「あ、そうだ」


 急に振り向いた俺に、シャーロットはびくりと硬直する。


「誰かが助けてくれるなんて思うな。自分のことは自分の力でなんとかしろよ」


 唖然としている彼女を置いて、俺は学園を立ち去った。


 ……。


(やっべー、言いすぎた)


 距離を置き、時間を置いて、俺はようやく我に返った。

 俺は、俺におもくそ失礼なことを言ったあの変な女が自分だけが不幸だって顔をしていたから、無性に腹が立って、好き放題に言ってしまった。

 けれども、よくよく考えると、今の俺は伯爵で、彼女は侯爵令嬢だ。向こうの方が高貴な立場だ。いやまあ、爵位を次ぐ予定のない貴族子女である彼女より、伯爵本人である俺の方が地位は上かもしれない。とにかく、俺よりも地位が高い侯爵様の大事な娘に向かって、俺は結構な暴言を吐いてしまった。しかも、俺は現在27歳で、相手は17歳だ。いや、20歳近い女が10歳の俺にあれだけ酷いことを言ったのもどうかと思うが、俺も俺でやらかしてしまった感はある。


(……とりあえず逃げとくか)


 この国の一級魔術師の資格は、他の国でも潰しが効くことが多い。

 だから、学園から帰ってきた俺は、友人に「ちょっと明日から旅に出るわ」と連絡し、さらに隣の国へと拠点を移した。そこから一週間、友人は通話口で「ひどい」「勝手すぎる」「急じゃないか」「月に1回はワシに会いに来い」と毎日泣いていた。大袈裟すぎる。「他に友達いねーのかよ!」と突っ込んだら、「シルフ君が唯一の友達……」と呟かれた。なんかごめん。


 そんなこんなで俺は、生国の隣の隣のさらに隣の国で生活を始めることとなった。一級魔術師の更新試験は協賛国でなら受けられる仕様だったので、俺はつつがなく更新試験をクリアし、一級魔術師を続けていた。

 俺の一級魔術師としての研究内容は頬袋貯蓄法で、料金をとって希望者に貯蓄魔術の植え込みを施術していたのだが、これがかなり流行して、結構な金持ちになってしまった。どうやら、魔石がなくても魔力を貯めることができるというのは非常に価値があることらしい。お蔭で俺はまさに成金。使い所に困るくらいの金を手に入れてしまった。

 ちなみに、流行したら技術が出回って、俺の施術需要も減るかと思ったが、そんなことにはならなかった。

 どうやら俺は、元々高位貴族なので魔力がかなり多かったらしい。そして、豊潤な魔力がある通常時と、ほとんど魔力のない飢餓状態、両方の状態で魔法を使っていたため、他の人間よりも魔力のコントロールが格段に上手くなっていたようだ。

 自分の体に貯蓄魔術を植え込む技術は、俺以外の魔術師にとってかなりの高難易度らしく、なんと、俺以外の魔術師では上手く施術することができないらしい。俺は貯蓄魔法の業界を作り上げただけでなく、意図せずして製法も独占してしまっていたのだ。


 そんな流れで金を手に入れた俺は、ハムちゃんを10匹飼って家の中にこの世の楽園を作り出した。しかし、飼える数には限界があるので、増やしすぎないよう調整が必要だ。ハムちゃんの赤ちゃんを見るのも大好きだった俺は、涙しながら、繁殖させるのは我慢した。無念である。


 ちなみに、俺は一級魔術師シルフとして生活しており、身分を隠すようなことはしていなかったが、シャノン侯爵家からの追手はかからなかった。あの女シャーロットは、俺の暴言を親に訴え出なかったらしい。

 というか、シャーロットの噂は、隣の国にいる俺のところまで流れてきていた。

 なんと彼女は、第二王子との婚約破棄に成功していた。浮気をした第二王子に婚約破棄を突きつけ、一夫一妻制を重んじる神殿勢力と、隣国のゴシップ新聞社であるスパンクス社に証拠資料を送りつけたらしい。

 しかも、彼女は侯爵家を飛び出して、高位神官になっていた。どうやら、彼女の作った資料によって、王家に対する神殿勢力の力を強くすることができたらしいのだ。その恩義によって、彼女はただの神官ではなく、高位神官扱いとなる二級神官の地位を手に入れていた。二級神官は確か、伯爵位と同級の位だったはずだ。


(へー、やるじゃん)


 彼女は、俺の言ったことを実行しただけじゃなくて、どうやら自分で色々と考えて身を立てたらしい。

 確かあの国の神官は普通に結婚もできたはずだ。彼女はここから、家に縛られることのない自分の人生を歩んでいくのだろう。


 そう思って、毎日ハムちゃんを愛でていたら、ある日俺の家に、赤毛の女が現れた。

 もちろん、シャーロットである。


 家の門の前で仁王立ちになっている彼女を見た俺は、そのまま素通りして、家の中に入った。


 叫ばれた。


「ちょっとぉおおお!!! 無視するとは何事よ!」

「知らない人と話をするのはちょっと」

「妙にいい子のフリするの、やめなさいよ!!」


 聞き覚えのあるそのセリフに、俺は振り向く。


「お前、なんでうちに来たの?」

「なんでじゃないわよぉおお!! あんたね! むしろなんで会いにこないのよ! 私、あんたなんかの言ったことより、凄いことやり遂げたんだから。あれだけのことを言ったんだから、私の成果をちゃんと認めて、誉めるために一回くらい会いにくるべきじゃないの!」

「それを言うなら俺のセリフなんだけど」


 俺の言葉に、その変な女はぱちくりと目を瞬く。


「俺、頑張ったよ。もう知ってるんだろ? お前なんかの言ったことより、もっと凄いことを成し遂げたんだよ。だいたい、最初にひどいこと言ったのはお前じゃんか。なのにさ、言い逃げして会いに来ないなんて、恥ずかしくない訳?」

「最初に言ったのはあんたでしょ! あんたがあんまりなことを言うから、私だって10歳のあんたに……」

「先に言われたのは俺だ。10歳のときに酷いことを言われた。俺がお前に話しかけた時、俺は27歳だ。子どもでも分かる理屈だ」

「未来から過去に飛んだんだから、私の方が先に決まってるでしょ、この分からずや!」

「ハハ、過去に飛ぶとか真面目に言ってるよこの人、笑える」

「きぃいいい!!!」


 地団駄を踏んでいる変な女に、俺は笑う。

 よく分からないが、なんだか心がホカホカする。結局のところ、俺はずっと、この変な女ともう一度会えるのを待っていたのかなと思う。


「入れよ不義理女」

「不義理はあんたでしょ、このへそ曲がり!」

「幼少期に変な女に言われた言葉でひねくれたからな」

「そしてへそ曲がりになったあんたに酷いことを言われて、私は傷ついたわ。ちゃんと落とし前つけなさいよ!」


 門から家まで歩いているだけなのに、うるさい女である。

 だいたい、落とし前とはなんのことだ。俺に「安い男」とか酷いことを言ったんだから、自分が「安い女」と言われても自業自得ではないのか?


「自業自得とは何よ!」

「おっと、口に出ていたか。俺は妙にいい子で素直だから、口も素直らしい」

「本当にいい子なら、ちゃんと責任をとってよね」


 首を傾げる俺に、彼女は仁王立ちでふんぞりかえった。


「私は、あんな元婚約者なんかより、ずっとずっといい男と結婚しないといけないのよ。あんたが言う、『より誠実でいい男』なんかじゃ満足できないわ。プライドばっかり高くて口が悪くて雑でもいいけど、ずーっといい男じゃないとだめなのよ!」


 頰を染めて、若干震えながら叫んでいる彼女に、俺はニヤリと笑う。


「奇遇だな。俺もお前が言う『逃げるなりなんなり』とかじゃなくてさ、ちょっと気が強い赤毛の女を手に入れてみたいと思ってたんだ」


 俺の言葉に、赤毛の彼女は怖気付いたのか、急にしおらしくなって俯いた。


「そ、そうなの。じゃあ、好きにしたらいいんじゃない?」

「分かった。とりあえず、目当ての女を家に連れ込むことにするよ」

「あれ、なんか妙に悪い男な発言!?」


 俺は「『妙にいい子』はこれで卒業かな」と笑いながら彼女を家に連れ込み、彼女は恥じらいながらも、俺に誘われるままに家に連れ込まれた。


 しかし、これから忙しくなるぞ。

 なにしろ、彼女は女としての矜持を保つために、俺に結婚を迫っただけなのだ。

 それならば、俺は彼女の女としての矜持を満たすだけでなく、彼女の心まで奪って、幸せにしてやらないといけない。


 俺は彼女が思うより、もっとずっとずーーーっと凄い奴だから、彼女が口に出して望んだことだけをするような男じゃないのだ。







****



 ちなみに、彼女が時を遡ったのは、王家の秘宝をこっそり使ってのことらしい。

 消費型の魔道具だったため、彼女が使った後、雲散霧消したのだとか。

 俺は流石に唖然としたが、シャーロットが「元婚約者への仕返しに、貴重な秘宝を使い切ってやったのよ! 凄いでしょう!」と自慢気だったので、まあいいかと思うことにした。この秘密は墓場まで持っていこう。


 あと、シャーロットが俺の家を突き止めたのは、()()()()()()をやっていた俺の()()の協力によるものらしい。

 「裏切ったなジジイ」と連絡したら、「急にいなくなった罰じゃもん」「若いっていいのう、あの子お主にメロメロじゃったろ?」とニヤニヤされたので、通話を切った。結婚式には呼んでやった。


 そういえば、シャーロットにこの世の楽園、マイハムスター部屋を紹介し、シャーロットそっちのけでハムちゃん達を愛でていたら、「逃げただけじゃなくて幸せになってるなんて、やるわね」と泣きながら後ろから抱きつかれた。

 その瞬間、俺の彼女への復讐は完了したのだ。





ここまで読んでいただいてありがとうございました!



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