隊員の基本
530階のキャンプ地に戻る途中で、サイは西尾に質問した。
「一時間以内にコーベットが毒殺って。オレ、毒を出しているんですか?」
西尾は鼻で笑った。サイは敬語が使えるように進化したらしい。
「頑固な汚れは簡単に落ちない。防護服を着ている俺は無事だが、あの御曹司は世間知らずで無防備だ。追い返す口実に少し脅しただけだ」
「魔神の末裔って? そもそも魔神ってどこにいるんですか? やっぱりもっと深い地下ですよね」
「魔神ってどんな形をしているんですか? 絵本でしかみたことない」
「魔神って強いんですよね? でも末裔がいるってことは奥さんと子供がいるってこと?」
サイがしつこく魔神のことを聞いてくる。西尾はため息を漏らした。
「ペットが魔神を求める理由は無い」
「だって魔神の末裔ってコワイイメージしかないじゃないですか。でもオレは怖くないし、強くもないし……ちょっとタフになったとは思うけど、ただの人間です。
それでもコーベットには恨みがあるし反撃したいです。ちょっとでも力があるなら、それを使って対抗したいんです。フォンデール家を潰した奴らをそのままにしておけません」
西尾は頷く。
「上層階に行くための理由はできた。コーベットに逢わせて正解だったな」
「じゃあわざとドラゴンの餌にしたんですね!」
「じゃあ何か? 尻の穴から入るつもりか?」
「……。どっちもイヤです。うっかり噛まれたら死んじゃうでしょ」
「それくらい平気だろう」
西尾は気にもしてくれない。
「忠告しておいたが、まさか俺のことを誰かに喋ってないだろうな?」
サイの驚きの反応は、そのことを忘れていたという証か。
「喋ってないですよ? ただオレの首輪を見て。白き流星と言っていました。西尾さんの下の名前、ナオトというんですね。お知り合いですか?」
寒い。周囲マイナス30℃の空気よりも、西尾の態度が冷たい!!
「忘れろ。無駄な情報だ」
西尾は黙り、先へ進む。
それ以上はサイが何を聞いても無視された。
「なんで怒ってんのかなぁ」
いつものように防寒具に包まれて表情は分からない。けれど歩き方と冷徹な首輪の引っ張り具合からそうなのだろうと察する。
※ ※ ※
キャンプに到着して、サイが一番楽しみにしていたのは風呂だ。すっかり汚れていたし、マイナス30度の氷の世界から生還したのだから、暖かい風呂で疲れをほぐしたい。
綺麗好きな西尾と初めて意見が合う時が来た。
ところが西尾は風呂を素通りした。敷地の一番端にあるテントはうす暗く、獣臭が漂う。檻が積み重ねられ猛獣が牙をむく。そして一番奥の檻を開けているのはどういうことか。
「入るの?」
「掃除して清潔に使え」
大きめな檻の中に簡易テントがひとつ。尻を蹴られて中に入ると、ガチャリと扉が閉まった。
「何で閉じ込めるんですか!」
裏切られた気分だ。首輪を外そうとすると気を失うほどの電撃で痛い。
「脳の進化があって人類は発展した。考えようとしない人間は雑食性の哺乳類だ。捨てられた動物を拾って保護するのは人間としての情け。つまり俺は正しい」
「オレだって考えてる!」
「コーベットを倒し上層に行く目標はこの俺が貴様に与えたものだ。
任務に同行させずに檻の中という手段もあった。もしそうであったなら、貴様はコーベットを恨むこともなく、お昼寝だ」
サイは違うと言えなかった。
「何が足りなかったのか自分で考えろ」
西尾が鍵を投げ、背中を見せると去っていく。
「よくモンスターが脱走して共食いする。鍵をかけないと入ってくるから気を付けろ。あと同居人もよく食うから気を付けろ」
サイは頬を染めた。この檻は身の安全を保障するためのものであった。
テントの中に入ると、敷地が家一軒分あって広い。 思わず振り返って外に出るとテント周りを一周した。どう考えても歩数が合わない。
――魔法のテントだ。
改めて中に入ると、煉瓦づくりの壁で、可愛らしい装飾もしてあり、外の景色は草原になっていた。窓は開かないが、太陽や雲の動きまである。壁に埋め込まれたモニター映像であるが、密閉された気分にならなくて良い。
「スゲー。懐かしいな」
550階は星空のようでもゴミ捨て場、540階は氷の平原で、明るいが白い霧で覆われていた。
上層にいけば太陽と雲が見える。アスタロットの地形はすり鉢状だ。開拓が進んで、魔法石を求めて下に掘り進めたせいである。
だから上層にいくほど太陽の光に恵まれる。館で本物の太陽と空が見えるのは貴族の特権だったのだ。地下に落とされ、思い知ったのは果てしなく深く広いことだ。そして上までは限りなく遠い。
でも西尾と一緒にいれば、上に行くことができる気がする。
「足りなかったものが見つかれば、人間扱いしてもらえんのか?」
ソファーの上にある毛布が山になり何かが隠してある。小動物が山の頂点で威嚇していた。
耳と目が身体の割に大きく、長い尻尾が特徴だ。サイが毛布の端を捲ると華奢な手足が見える。かなり小柄だ。
「同居人って女か?」
長髪のくせ毛で、髪が絡まっているし、服は汚れていた。床には食べ散らかした形跡もある。長い睫や、柔らかそうな頬は女の子のようだが、汚すぎて少年かと疑う。
そっと手を伸ばした時、小動物が甲高い声で鳴いた。眠りから覚めた顔は童顔であるけれどもサイが思ったよりは年上で、十代後半の少女だ。
新たな同居人が上から見下ろしているのが不快なのか、それとも起こされたことが不快なのか。機嫌が悪いことは確かだ。思いもよらぬ強い力で押し倒された。
「魔神!」
恨まれる覚えはないし、背中で食べ残しのサンドイッチがグチャっと潰れて気持ち悪さに悲鳴が出た。
「部屋ぐらい綺麗に使え!」
サイの怒りに少女の手が緩んだ。サイは立ち上がり無言で掃除を始めた。
少女には近づきたくなかった。このところ魔神と呼ばれ続けて、そうじゃないという思いが強くなっている。
ここ数日、西尾と付き合っていたせいで、長い時間をかけて掃除しているのが日常になっている。その間、何回か少女は食事をしていたと思う。
共有スペースの清掃を終了させて戻ると、少女は風呂に入ったようで花の匂いがした。色気は無いが、可愛らしさはある。
「それくらいにして緑も風呂入ってきな。掃除したそばから汚しているよ」
振り返ると自分の足跡が床に目立っている。
風呂のあるテントから戻ると綺麗にしたはずの台所が汚れていた。
ため息ひとつ、掃除をしようとして驚いた。食卓に鍋が置いてあり、皿とスプーンが二人分用意してある。
「すごい。料理だ」
サラダは綺麗に盛り付けされて繊細さを感じる。感動していると座るように促された。
「食べる前に言っておくけど美味しくないわよ」
サイは料理に手を付け、一瞬難しい顔をした。しかし再び食べ始める。
「無理して食べなくてもいいよ。味覚が無いのに久しぶりに作ったから」
サイは飾り切りされた野菜をよく見た。
「料理、好きだったんだろ。こういうの得意なヤツしかやらないんじゃない? オレ、最後の食事が二年前なんだ。パン。スープ。サラダ。これと同じように美味しそうだった。でも自分の機嫌が悪いせいで、手もつけなかった。今頃反省しても遅いよな」
サイは料理を食べ尽くし、微笑んだ。
「美味しかったよ。やっぱり食事は誰かと一緒がいい」
「嘘はやめて。あと誰かもやめて。私は李。李明明」
「じゃあメイちゃんでいいかな。オレはサイ。何日か前に西尾さんに助けてもらったんだ」
「このテントは530部隊ではなく、西尾の私物。助けられたのではなく、みんな西尾に拾われたのよ」
「同じようなものだろ? 獣のようなモンスターもいれば、その子のように弱くて可愛い子もいるじゃないか」
小動物の名前はピピ。これもレアモンスターだというが、性格は温和な方だという。
「みんなゴミ扱いされて、居場所を失ったものたちばかりよ」
ピピが間の抜けた鳴き声を出し、サイは微笑んだ。
「きっと困っているのを放っておけないんだ。もしかして君もモンスターだったりして?」
メイメイは真顔になった。ゆっくりサイの背後へ回った。指先で肩を撫で、そっと耳元に唇を近づけた。
「私は人間」
メイメイは舌を出して、吐息が耳にかかるほど近づく。サイはぞくぞくする。
「料理はできなくなったけど、味見したいな」
サイの頭に血が上って、ドドドッとアドレナリンが放出されている。闘争か逃走か。野獣のようにメイメイを押し倒すか、それとも逃げて紳士を保つか。
「メイ……ちゃん? 隊員の基本は清く、正しく、美しくだろ? そういうのはお付き合い前提の上でしょ」
メイメイは不機嫌にサイから離れた。
「西尾と同じようなこと言って幻滅させないでよ。私、隊員じゃないから」
「え? じゃあ何でここに?」
メイメイはサイの手を取る。女は男の手に色気を感じるものだ。
「綺麗。色白で血は赤い。モンスターなのに爪も尖っていない。本当に髪と瞳だけ緑色で人間みたい」
メイメイはサイの手を眺め、唇で愛撫した。そして手を齧ろうとした。
「オレは人間だよ」
サイの冷静な瞳にメイメイは焦る。
「翠色の魔法石」
「メイちゃん?」
サイの言葉にメイメイが我に返った。
「ごめんなさい。私……魔石中毒なの。つまりサイを見ると食べたくなっちゃうのよ。もし夜中に襲ったら、殴ってでも止めてくれる?」
サイは戸惑った。
「なるべく殴らないで止めることにする」
「私がここにいるのは、そういう理由。中毒患者は隔離が必要なの」
サイは首を傾げる。ならばどうして西尾はメイメイと同室にしたのだろうか。
「そうか。寂しかったね。オレも拾われるまで一人だったから分かるよ!」
サイの一言に、メイメイは顔を真っ赤にした。
「寂しくなんかないわよ!」
メイメイはピピを抱きしめていた。
「西尾がサイを助けた理由が分からないわ。あの人、魔神を倒すことを目標にしているのに、その眷属を助けるなんて。スパイにして魔神へ送り込むつもりなんじゃないかしら」
サイは西尾に魔神のことを聞いた時の話をした。その後は怒っているような気がする言った。
「西尾さんは俺を魔神に近づけさせる気は無いみたいだ。自分に何が足りなかったのか、考えろって」
サイがこれまでのことを説明する。そして西尾が怒ったことを話した。
「それは白き流星の話をするから。アスタロットで西尾尚人の名前を知らない人なんていないわ。彼はとても素晴らしいヒーローだった。壱番隊の剣士といえば最強を意味するのよ?」
サイは首を傾げた。
「軍に興味もなかったから聞いたことないよ。西尾さんに殴られたから強いのは分かる。だけど、そんなヒーローが何故530部隊にいるんだ? 西尾さんの前だから言えなかったけど、ゴミ部隊だろ」
「アスタロット駐留軍、第530部隊は主に清掃を任務とするからよ」
「西尾さんは剣士をやめて、清掃員になりたかったのか?」
「そうよ。でも私が知っているのはそこまで。彼に何があってここに留まるのか、それは分からないの。西尾の七不思議のひとつね」
サイは喜んだ。
「オレもひとつ分かるぞ! 潔癖症! もはや病気レベルだろあれは!」
「サイは西尾の素顔を見た?」
メイメイは挑発的な顔で聞いてくる。
「目だけ」
メイメイはため息を漏らした。
「残念、私も。あの人の顔が分かるのは花梨さんぐらいでしょうね」
「花梨さん?」
「知らないの? 530部隊の隊長だよ」
「西尾さん、やっぱり隊長じゃないんだ……っていうか、いつもあんなに重装備なの!?」
メイメイはしばらく考えていた。
「花梨さんに会ってみたら? 隊員にしてもらったら西尾と同格。人間扱いしてもらえるかも」
サイは目を輝かせた。
落書きのあるテントが目印だった。サイは上を見上げて、落書きを読む。
「日日是好日日日是清掃? 意味分かんねぇ」
どこかで聞いた言葉である。遠い記憶を探り、西尾が呪文のように唱えていたことを思い出した。
「日日是好日とは毎日毎日が素晴らしいという意味だ。そうなるように努めるべきか、それともあるがままで良しとして受け入れるべきか」
サイが振り向くと、とても可憐な男の人がいた。
「貴方が花梨さん?」
笑顔を振りまいて頷く姿が、サイには眩しいくらい素敵だ。
「その落書きをしたのは西尾くんだよ。僕が日日是好日の話をした後、毎日清掃をして正しく美しく生きろと書き残した。彼の決意だね」
「――決意」
サイはハッとして、花梨に向かって深く頭を下げた。
「花梨さん! オレを隊員にして下さい!」