能力開花
「全ては上に戻れば分かることだ」
西尾はサングラスを取り、サイの鼻先にまで迫った。
「それとも、この瞳が嘘をついているとでも?」
初めて見た西尾の瞳は潤んでいた。気丈なことばかり言っていたが、必死なのだ。
「西尾さん、あなたもしかして……」
三日も悩み、言いたくないことを話し、おまけに同情してくれる。涙までみせて、敵と戦えと鼓舞してくれる。
――もしかして、この人……。いい人!
西尾はサングラスを再びかけ、乱暴にサイを突き飛ばした。
「何するんですか!」
「貴様のツバが目に入った気がする!」
必死で目薬をさそうとしているが、外に出した途端に凍ってしまい、パニックになって泣いて諦めた。
「しまった。こんなことしている暇は無いぞ。目を覚ませ。能力を解放し、その力で敵を討て。それができなければゴミ。育てていただいた親の恩を忘れるなど、人間の屑だ」
サイは頷いた。
目薬の冗談や西尾の酷い言い方にしてもカモフラージュで、心はそう酷くないと信じたい。
「お父様とお母様には良くしていただいた。――なのにオレは何も恩返しできなかった」
西尾の腰のムチが唸ってサイの足元の氷が割れた。当たっていたら、骨折ものだ。
「何するんですか!」
「感傷に浸っている時間はナイ。もう誰かに甘えて生きるのはやめろ! 何の生産性も無い、甘ったれのモンスターなど手に負えない。結局そういうのは捨てるしかないのだ」
サイは弱い瞳で西尾を見る。
「また捨てられる? 何度も、何度も……」
西尾に見放されたら、本当に生きていけない気がしたのだ。
「強いものは美しく、弱いものは醜い。清く正しく美しくの美とは強いことでもある」
西尾は鞭を巻き戻しつつ、サイのつま先から天辺まで視た。
「武器は使えるか?」
「剣術なら習っていたよ。騎士団見習いだった」
西尾は鼻で笑ってテント用の長いパイプをサイへ投げた。
「魔法石採掘を独占するアスタロット駐留軍は嫌いか? 貴族が作る騎士団はそういう奴ばかりだ」
「そんなの分からないよ。オレは親が喜ぶ方を選んだだけ」
「そうか。使い物になるか、試してやろう」
西尾は周囲を見渡した。
――そうだな、この辺りだろう。確かに捻じれている。
サイは今かと慎重に構えている。
「もっと後ろだ」
サイは素直に数歩下がると、西尾が素手で攻めてきた。突っ込んでくる速さに悲鳴を上げながらもサイは応戦する。
「ビビるな。徐々にレベル上げる。どこまで耐えられる?」
西尾が自信を示すとおり、サイは防戦一方で攻撃する余裕がない。どんどん後退していくと、西尾が氷に足を滑らせた。
「チャンス!」
サイが勇んで突っ込むと、西尾が笑っているし、足を滑らせたフリをしただけで低い体勢から攻撃してきた。
「ぐぇ!」
サイは腹部に打撃を受けたが、根性で膝は付かない。
「騎士の意地か、では遠慮なく」
拳の連打にサイは防御もできなかった。一方的に殴られてパイプが落ちた。
「武器を手放すのは、腕を切り落とされた時だけにしろ」
西尾は何度も殴ってくるが、殴るたびに威力が強くなる。
――超、強えけど!! ちょっとは手加減してくれよ!
やはり不死身だけでなく、頑丈だ。なかなか倒れないので、手首を振った。
「手首、痛めたくないな」
西尾がパイプを拾って、さらに攻撃しようとしている。
「自分の手首心配した!? その前にちょっと! これイジメ? もういいでしょ。もう分かったでしょ!」
西尾が構えると、物凄く型が決まっていて、熟練者の匂いがプンプンする。
「ちょっと! タイム!」
サイが後方へ下がると、軸足が膝まで埋まった。
「?」
下を見ると、小さな氷の裂け目があり、足が挟まっていた。西尾はパイプを振り回して近づいてくる。
「西尾さん。もうやめましょうよ? オレの剣さばきはもう分かったよね!」
「剣さばきなど、どうでもいい」
西尾の悪い笑みに、鳥肌が立つ。
――絶対に一回は殺される!!
殴られるのを覚悟して、目を瞑った。
「もうやめて!」
防御のために出した両方の掌が、熱くなった。
サイがゆっくり目をあけられたのは、攻撃がなかったからである。
「西尾……さん?」
素敵なクリスタルの像――ではなく、それが西尾だ!
サイが悲鳴をあげる。
「やばい! マジで? 何がどうなって! 西尾さん! ――大丈夫ですか! 生きてますか!」
返事は無かった。表面は陶器のようなツルツルで、何かの皮膜に覆われている。しかし、数十秒後に表面が割れて西尾は元に戻った。一気に息を吐き出した。
「先に深呼吸しとけばよかった」
「そういう問題ですか! ごめんなさい。よく分からないけどすみません」
西尾はクリスタルの薄い膜を拾い集めている。
「綺麗なライムグリーンだ。いいサンプルが手に入った。さて次は、調教だ」
西尾は悪そうな態度で鞭を手に取った。
サイは外がマイナス30度であろうが、冷や汗ものだ。
「餌は撒いた」
氷竜は緑色の魔法石が好物である。
地響きと共に氷が割れる。サイはバランスを失って、後方に倒れた。助けてほしくて手を伸ばしたのに、西尾は敬礼している。
「hasta la vista!(また会う日まで)」
サイは落ちた。西尾は少し考えた。
「ちょっと深いな。釣れるか?」
西尾の長い鞭がサイの足に絡まった。強く引っ張り上げられ、ほっとすると無重力状態になり、落ち始めるところで再び引っ張られる。
「ちゃちゃっと話して、パパパと腕試し。それでシュルっと釣ったら、はい来た!」
クレバスの裂け目からクリスタルドラゴンが口を大きく開けて待っている。
「おー保護色。キラキラして目が辛いぞ」
西尾の鞭が少し引っ張るのが遅れたせいで、サイはドラゴンの餌食になりそうだ。
「引っ張ってー!」
「甘ったれるな! さっきのもう一度やってみろ」
西尾の声は剣術指導された時のコーチに似ている。やってみれば上手くなるかもしれないよ?という優しさで、強制ではない。
「そんな急に! あーー!」
サイはドラゴンに丸飲みされた。西尾とドラゴンが一本の鞭で繋がっている。
「fui atrapado(釣れた)」
西尾はぐいと釣り上げた。正直なところ、ドラゴンと同様の腕力というのも常識が外れている。
攻防は数分続き、鞭が切れて決着がついた。クリスタルドラゴンはそのまま地下深くに潜っていった。
「今日はボウズか」
西尾は平然としてソリに戻る。
簡易テントではなく、魔法石に閉じ込めておいた特別テントを広げた。テント入口の前にあるエアシャワーを通過し、足は不凍剤入りの滅菌用プールで洗浄できる。
中に入ると本来の玄関から脇にそれた。
隣はシャワーブースと洗濯場に直接行ける。服を全て洗濯機に入れ、長くシャワーを浴び、パジャマに着替えるとリビングに出た。
テーブルには二人分の食事ができあがっていた。すべて魔法石のおかげで完璧な住環境が整えられている。
「ただいま。ごめん。遅くなった。あいつがいたから気を遣ったよ」
ゆっくり食事を楽しんだ。
寝る前には日記だ。夕食のメニューまでこと細かに記入していく。テントなので簡易的な机とベッドであるが、断捨離を常としているので清潔であれば良い。
部屋にインテリアは無いが、不似合いなほど大きな書道の額が飾られてある。魔法石状態で持ち運ぶとはいえ三日も揺さぶられたので、額の片側が下がっている気がする。西尾は気のすむまで修正を繰り返した。
「日日是好日・日日是清掃」
西尾は両手を腰にあて、その文字をじっと睨んでいる。
毎日が良い日とは限らないが、良い日であれと最善を尽くす。悪しきもの、汚いものは徹底的に排除し、すっきりとした気分で日々を暮らしたいものだ。
本日の就寝前の読書は「誰でも分かるリンガフランカ(共通語)」
呪文のような単語の羅列に、西尾はすぐに本を戻した。
「やはり母国語だけでいいか」
アスタロットの穴から出て、いつか地上にと思ったが、眠くなった。お邪魔な緑色がいないので、久しぶりに熟睡できそうだ。