落ちるとこまで落ちてみろ
まだまだゴミの匂いはするが、野営に適した広い空き地に出た。
ここは地下530階で、今までいた階層を探索するためのキャンプがある。数日滞在できる程度の設備があり、ベースキャンプとまではいかないが立派なテントが並んでいる。
サイはいろいろ見てみたいが、まず一番に風呂のテントに押し込まれた。
「いいか! よく聞け。頭の洗浄は三十回以上! 身体は五十回以上必ず洗え! 俺が良しとするまで決して風呂からでるんじゃないぞ!」
「洗いすぎで血がでるよ! 普通に洗うから。それより西尾も入ったらいいじゃん。綺麗好きなんだろ?――オレのせいで汚しちまって。悪かったな」
西尾は鼻で笑うが、ゴーグルと防塵マスクで相変わらず表情は分からない。
「俺はまだ仕事が残っている。いいか、頭の洗浄は……」
そこはサイが無視する。
「あぁ……お風呂、最高!!」
大浴場で泳ぎ回って、サイははしゃいでいる。風呂の鏡で全身をチェックするが、傷はひとつもない。昔とちがうのは髪が緑色になったことだけだ。
本当に?
やっぱり違う。昔と同じなら、サイ・フォンデールは貴族として生きている。だからここにいる緑頭の自分はサイ・フォンデールではない。
フォンデールの名前は捨てた。
「オレはただのサイ。そうだろう?」
鏡のオレを諭す。もっと覚悟が必要だ。
※ ※ ※
西尾は別のテントに向かった。魔法石の入った瓶がたくさん並んでいる。
石はそれぞれ色分けされ、どれも柔らかに発光している。部屋は七色に染まり、とても綺麗であるが、どれも魔法を含んでいて危険な煌めきだ。
中央のテーブルで、レンズを片眼に嵌めて石をのぞき込む男がいた。魔法石加工用のエプロンに身を包み、宝石職人かブローカーのようである。
「花梨さん、ただいま帰りました」
「御帰り。よく帰ってこれたね。誰にも見られなかったかい?」
花梨がレンズを置き、西尾に微笑みかける。ファンタスティックなテントにまたひとつ、華が増えた。歳若く、見目麗しい外見は整っていて、一般女性をはるかに凌ぎ、レベルが高い。
たくさんの髪飾りと装飾品をつけて派手だ。指という指に指輪、ブレスレットにアンクレット。ネックレスを何本も重ね、そのどれもが魔法石をあしらっているのは基本的に防御のためだ。
彼こそがここのキャンプの責任者であり軍人だ。
「はい。花梨さんよりは地味なので、さほど目立つこともなく。540階が賑やかなので、下階にて待機しておりました」
「クリスタルドラゴンかい? それとも人間のほう?」
返事はなかった。西尾はゴーグルと防塵マスクを装備中だ。見た目だけでは誰か分からないから、ひとまず安心だろうが、世の中には鋭い感覚をもつ能力者がたくさんいる。
「どちらにしても見つかると大変だから、心配したよ」
「ご心配には及びません」
「そんな冷たい言い方しなくても……。だって久しぶりに500階がザワザワしている。君のことだから、また巻き込まれないかと心配したんだよ――収穫は? 緑色がもう在庫が無いよ」
「それなら大きいのがありました。風呂場で洗浄しています。あとで鑑定してください」
「へぇ。凄いね。どれくらい大きいの?」
「二年もので人間サイズです」
花梨は立ち上がった。貴金属の着けすぎでジャラジャラと音がする。
「岩サイズの魔法石か。さすが西尾くん、よく運べたね! 何に装着しようか。新しい武器のコアとして使用できるかい?」
西尾は失望した顔をした。
「言い間違いました。人間サイズではなく人型です」
「あの場所から人間が見つかったのか!」
西尾は頷いた。
「モンスターか、モンスター級です」
花梨はしばらく考えている。
「そうか、それは素晴らしいな」
収穫したことに感激しているわけではなく、素晴らしい事案である。
「リサイクルしますか? 緑色はサイ・フォンデールと名乗っています」
「とりあえず人型なら、様子を見てみよう。しかしサイ・フォンデールとは……」
「部隊に誘ってはいかがでしょうか」
「お、西尾くんにしては積極的だね」
「詳しいデータはこちらです」
ノート型の画面を花梨に向ける。
「おぉ、この結果は素晴らしい。どれもずば抜けているけど……何これ、知能指数が低すぎる! これだけの才能があって、貴族のくせにおバカとかありえない。全然使えねぇじゃん!」
思わず声を荒げてしまった。期待したのに結果が残念すぎる。
西尾は声音も変わらず、クールに徹した。
「お馬鹿は目標設定とか人生設計とかできません。保護が必要かと。ただ直感だけは驚くほど良い者もいます」
花梨は悩んだ。
「西尾くんの目に適ったとなれば、再考の価値はあるよね」
「ありがとうございます」
「だけど能力が不明のままでは、いくら魔力が高かろうともゴミだよ?」
「承知しております。一度実物をご覧になってはいかがですか? レアですから、花梨さんなら気に入ると思います」
「まだいい。もっと精度が高めてからだ。変態は変態させないと使い物にならない」
「つまり素っ裸で破廉恥なモンスターもどきの変態サイ・フォンデールを、動植物が形態を変えるほうの“変態”させ、能力を解放し、使い物……使える“魔物”に変態させろ。という命令と捉えて宜しいでしょうか」
「詳しく説明したから話が長くなったじゃないか。時間は限られている。もっと端的に!」
「承知しました。では緑色に相応しい任務を!」
花梨は書類の束を差し出した。
「どっちがいいか選んで。地下540階の永久凍土で氷漬けの竜を捜索するか、520階の火山地帯で不死鳥の羽を拾うか」
「つまり10階下は寒く、10階上は汗だく。汗だくは嫌なので寒い方にします」
花梨は美しい顔に似合わない悪い微笑みをする。
「そういうと思った。竜の捜索は大変だよ。ドラゴンハンターが捜索したけど、見つからなかった。いつの間にか元いた場所に戻されてしまう。 行けども行けども氷・氷・氷! それで、みんなギブアップ!」
「氷です」
西尾の態度があまりに変わらないので花梨はつまらない。
「捜索の範囲は見当ついているけれど、中らずと雖も遠からずって感じなんだよな。君の能力でちゃちゃっとパパパでシュルっとすれば解決できる。問題はそこへ辿り着くまでの過程だね」
「ちゃちゃっとパパパでシュルっでは大抵の人間は分かりませんが、作戦了解しました。再確認はいたしません。今から行ってきます」
西尾は敬礼した。
「今帰ってきたのに。西尾くんは真面目だねぇ。まずは風呂に入ったらどうだい?」
背中を見せた西尾がくるりと振り返った。
「嫌です。誰かが入った後の風呂など、まっぴら御免です。俺専用のシャワーブースで洗浄の後、再び地下に潜ります」
花梨は屈託のない微笑みで西尾を送り出した。
再び、魔法石と向き合って、美しい輝きを眺める。
「クレバスに落ちなければいいんだけどなぁ」
あいにく花梨のこういう心配は外れたことがない。
※ ※ ※
サイが支給された服は全て西尾の古着だが、嬉しかった。
幅が広く、腰で履くようなボトムス。カジュアルな服はサイの好みに合っている。それとシャツが一枚。
西尾は襟や袖の緩い服が嫌いで、どの服も一回も着ていないから事実上新品だ。(ちなみに西尾はパンツもトランクス派ではない。あの開放感がいいのに)
だが、540階の永久凍土へ竜の捜索に出て三日経つ。何日も同じようなコースを巡る旅。
よく考えてほしい。よく想像してほしい。
「寒いかもしれない! いや、普通寒いよね!!」
現に西尾はフード付きの防寒コートに防寒用の全面マスクで肌はひとつも見えない。雪目防止のサングラスで重装備だ。山ほどの荷物が乗ったソリに乗り、サイに引っ張らせている。
「当然だ、マイナス30度だからな」
西尾の呟きを排除するほどに、サイは元気だ。
「うおーー寒いから動くしかねぇ!!」
天井の魔法石が光を放ち続けて、白夜のようにずっと明るい。だからサイは夜でも眠れないが、やはり元気なのである。
「三日目でようやく寒さに気が付いたか」
「そんなワケないでしょ。ずーっと我慢してますよ!」
「一応感覚は正常のようだな」
「人間ですから! メシも食わせてもらえないし」
西尾はクソ真面目に機械に入力する。
「体力はある。気力も良し。今頃クレームをいう気楽さも加点してろう。一応合格点だ。次は食事をだしてやろう。テントは自分で貼れ」
「やった!! そうか、今までのは試験だったんですね!」
「いや別に。忘れていただけだ」
「え?」
西尾が笑っている。冗談だったらしい。
顔は見えないが、三日も付き合えば空気で分かる。
「もうオレ、犬ソリのワンコじゃないし! 荷物持ちしませんからね! 前みたいに魔法石でいっぱい人間を出したらいいじゃないですか!」
「無駄な消費は資源の無駄だ。そこに人間がいるのに、人間もどきを出す必要は無い」
西尾はサイの首元を指摘した。
「首輪、似合っているよ」
飴と鞭だ。人間と認めてくれる一方で、労働環境が厳しすぎる。
「雇用形態確認させて! というか基本的人権の尊重! 人道主義に反する行為でしょ!」
「ほう、意外に単語を知っているな」
「単語って。オレ、元は貴族だけど!」
西尾はしばらく黙った。
「元は貴族だけど、今は違う。首輪付きにしないと、緑色の肌と髪はハンターに狩られるぞ」
「緑アタマはここに落ちてからだけど、瞳は生まれつきだ。別に狩られることもなかったよ」
「ここをどこだと思っている。上層階とは違うぞ」
「! 540階には法律は及ばないってことか」
「そういうことだ。今のままでは任務に出した意味がない。怪力を出すとか、石無しで魔法を使うとか、怪獣に変化するとか、個性が必要だ」
「個性? うーーーーーん。ないなぁ」
西尾は鼻で笑った。
「バカは個性のうちには入らんぞ。落ちて生き残ったからといって、世の中で生き残れると思うな。求められなければ捨てられる。それがゴミだ」
「オレはゴミじゃない!」
「反骨精神は良い。だが人に求められるほどの魅力があるのか?」
サイは窮した。
「魅力なんて無いよ」
誰に好かれるわけでもない。だから捨てられた。
兄たちのようにエリートとは呼ばれず、出世もできなかった。喧嘩で学校も中退。イケメンで体格もムキムキ、もてて女に優しい兄たちとは、全部が反対だ。
その話を聞いて、西尾はサイを見つめていた。
「何じっと見てんだよ! なんか恥ずかしい」
「人が何を求めているか分かった上で、あえてその逆をゆくとは素晴らしい心構えだ!」
「皮肉か!」
「落ちるとこまで落ちた人間ではないということだ。裏切りと殺戮の世界を知らない、ただの寂しいお坊ちゃま。可愛らしいじゃないか。まだ自分に純粋で、魅力的だ」
「それ褒めてんのか? 世間知らずのガキってことだろ」
西尾はしばらく黙っていた。
「知らないほうが幸せなこともある。知ってしまえば、何も知らなければ良かったと恨む。それでも知りたいならば、重要なことを教えてやろう」
「オレが覚悟すればいいんだろ。何か分からないけど、言ってくれ」
西尾は一呼吸してから言った。
「俺は貴様に二年前、捜索願が出ていると言った。なのに、それが誰なのか聞いてこなかった。だから言うべきか、言わないほうがいいのか、三日も迷った。
正確な事実を言おう。貴様はちゃんと求められていたのだ」
サイは瞳を輝かせた。
「誰? 誰かがオレを待っててくれたの?」
「捜索願を出したのは貴様のご両親だった」
サイは思わず口に手をあてて、頷いた。
「人の話をよく聞け。過去形だ。二人とも殺されている」
「――え?」
「フォンデール家はもう存在しない。貴様は最初の生贄で、運良く生き残った」
サイはしばらく硬直していた。さすがに明るい顔はできない。
「兄貴たちは?」
西尾は答えない。
サイは身体の震えが止まらない。
足元を掬われた気がした。
ガラガラと奈落の底へ落ちていく。
「お父様やお母様が……死。――誰に!!」
「大事なことを、人に聞いて済ませるな。自分の目と耳で確認しろ」
西尾が見つめてくる。サイの目が泳いだ。
右をみても、左をみても真っ白で何も見えない。
何も決まらない。決めるきっかけも無い。ここにあるのは自分の心だけ。
「オレは! オレは! オレは!!」
言葉が出ない。
――オレはどうしたい? 緑色はモンスターの証だ。どのみち一生追われる身だ。自分の目と耳で確認しろと言われても、できるのか?
西尾はまだ見ている。
「オレは……」
サイは言葉が出ず、俯いた。
しばらくして、ぞくりと寒くなった。
圧力を感じた。それで顔を上げるのが怖くなった。西尾を見て確認するまでもない。
「甘い」
ひどく冷たい声だけでなく、蹴られて十メートルも吹っ飛んだ。
「痛いよ……」
10本爪のアイゼンの付いた登山靴で蹴られたものだから、血が噴き出した。もうたまらない。死を意識するほどに、西尾は冷酷だ。
「落ちるとこまで落ちたのだろう? まだ落ちたいなら、地獄の底に送ってやろう」
サイは首を振った。
「嫌だ! それは嫌だ」
「緑色は悠長でいいな。さっそく不死身の特権か?」
「!?」
「普通の人間は時間が限られている。百年もたてば皆生きていないから、わざわざ手を汚して殺す必要はない。そういう意味だ」
「そんなこと! 考えたことないよ」
「しかし結果的にはそうなる。どんな形であれ、緑色だけは生き残る。それは本能であり誰も止めることはできない」
「――不死身なのか? オレは」
気付いていなかったわけではない。ちょっとそうかなと思っていた。マイナス30度の過酷な状況は辛いけれど、痛いし、寒いし、生きている。すごく強い人間になったのだと思いたかった。
認めたくなかった。この状態は単にラッキーなことなのだと思い込もうとしていた。
だからオレは笑った。
自分の愚かさを笑ったんだ。
「痛いよ。苦しいんだよ。オレ生きてるから、もう蹴ったり殴らないでくれますか?」
西尾は振り返った。
「生きているということは、死という結末もあるということだ。不死身なのは事情があるからで、事情なんてものは、世間ではいくらでも覆されてしまう。死にたいなら、いつでも私が殺してやる。今が良いか?」
「滅相もない!」
サイは立ち上がった。
「ここから這い上がって、復讐します。とりあえず」
サイは感情のままに叫んだ。
「全部!――ぜんぶ……許しません! こんな仕打ち……酷すぎるから!!」