(22)上か下か
西尾は三メートルほどに成長したドラゴンの首を撫でている。540階にいたクリスタルドラゴンの子供である。西尾は親として認められていたが、これでお別れだ。
「甘えるな、お前は賢い」
餞別にたっぷり魔法石を与えて、空へと促した。別れが済んで、ほどなくしてワイバーンが現れ、リートルードを視認した。敬礼して小さな荷物を担ぐ。
「何だ、全部お見通しか」
西尾は何も答えずにワイバーンに同乗した。
「大尉、元帥はお元気でしたか?」
いきなりのツッコミにリートルードは冷や汗ものだ。
「なんで元帥に会ったと分かる?」
「顔にすごく怖かったと書いてありますよ」
嘘だ。例のあの瞳を使ったに違いない。
「とにかく会いたいそうだ。あと十時間後。さて、このあとどうする? ロズデール中尉にはモンスター討伐令。201商会とかいう白服が魔法石を横流ししたせいで材料はある。ただし人数が足らん」
「命令しますか? 私にハモンド少佐を阻止しろ、と?」
「君はどうしたいんだ?」
「私は軍人ですから命令に従います。ただし兄のことに関わらない範囲ですが」
「ハモンド少佐は殺しの許可が下りている。だが製造方法だけは確保しなければならん。俺の昇進にかかわるからな」
「おや、昇進をお望みですか? M3ラボでの製造方法といっても、二つありますよね? 本音と建て前、どちらをご所望でしょう?」
「建前のほうだ。まだそっちには気付いていないようだ」
「それは安心しました。元帥ごときに真実を知られたら面倒です」
「アスタロットで一番偉い人間に対して、ごときをつけるとは。権力は怖いぞ?」
「地獄の使者よりはマシでしょう。すくなくとも人間性は残っている。いっそのこと大尉が元帥になったらいかがです? 私としては、その方がいろいろと動かしやすい」
「そそのかすなよ。調子に乗るだろ。いやでもマジ話で俺もそろそろ歳だしな、白い服でも良いかと思ってなぁ。
お前も特佐なんだから、復帰すればいきなり少佐だ。元帥から御呼びもかかっているし、さっさと魔神らしくなったらどうだ?」
「魔神として投降しろと? それとも魔神になったフリをしろと?」
リートルードはさぁね、と首を傾げる。
「この騒ぎでハモンドが消えれば、少佐の椅子がひとつ空く。サイ・フォンデールがデュリテの子供であるとバレた。もう戻る道はない。どうせなら座るなら、一番良い席にしろ。下界がよく眺められる」
「良い席とは限りません。死刑台の椅子かもしれません」
「まぁな、500階層の破壊でM3魔石への道を破壊したのも筒抜けだった。俺はそうするのが一番だと思ったのにな」
西尾は微笑んだ。
「誰も近づけないようにすれば、兄が狙われる心配も少なくなります」
リートルードは頷いた。
「尚斗はどうなんだ?」
西尾は答えなかった。さすがにそういうことはだんまりだ。
ワイバーンは旋回を始めた。
道が二手に分かれている。上は英雄戦士への道、下は秘密工作員への道だ。
「賑やかな上か、下の悪の巣窟か、どちらがお好みですか。私個人で行動できるのであれば五回ほど往復が可能ですが、ついてきますよね?」
「せっかく迎えに来たのに。ここに置き去りにするなよ?」
「大尉が同行されるなら、どちらかを選択してください」
「まるで俺が邪魔だと言われているようだな」
ワイバーンは下へ向かった。
魔物の湧き出る数は増えていくが、高速移動と西尾の鞭で前方を塞ぐものは何もない。降下中にも会話は続く。
「元帥が私に逢って何の得があるのでしょう。どうなるものでもない、私が魔神になるには決定的に欠けているものがある」
「元帥は気付きはじめている。魔神の製造方法が分かったら、お前も危ないぞ。ただし今回その話は出なかった。ただ連れてこいとだけだ」
「私が魔神に堕ちると思いますか? 大尉の率直なご意見を伺いたい」
「元帥は魔神の実態すらご存知ではなかった。そこから究極の真実が見え隠れするようなら、誰かが裏にいて操られている可能性が高い」
地下570階に出た。西尾は空を見た。魔法によって照明が点灯し、うす暗い空に煙のように雲が漂っている。
「嫌な雲行きですね」
ぞろぞろと地面を覆いつくすのは魔物たちの群れだ。
「おいおい、五千というレベルではないな?」
「M3研究所は進行方向で間違いないですか?」
「え? そうじゃないのか?」
「訪ねたのはかなり昔ですから。それに魔法石を感知できません」
リートルードは頭を掻いている。
「何でも分かるわけじゃないのかよ……」
「それは昔の話です。もう何年も現場に赴いておりませんので、この状態では本気になれません……私を制御するための大尉なのですから、文句は受け付けませんよ?」
リートルードはしばらく黙って我慢している。
「見逃してやる! だから協力しろ。少しぐらい本気をみせたからって、上層階の奴らが見ているわけじゃない。仕事も捗る。理由はいくらでもつけられる。それぐらいは何とかしよう」
西尾は涼し気な表情で微笑む。
「M3ラボで大尉ご自身は何をご所望ですか? ハモンド少佐の死は確定でしょうが、それだけの理由で下を目指しませんよね? ラボの完全破壊? 研究資料の奪取? モンスターの支配?」
「決まっているだろ。アレの回収だ」
西尾は頷いた。
「英雄の矢ですね」
ワイバーンはガオっと吼えた。
「あぁ、弓は西尾の好きにすれば良い。けれど矢は何の弓でもけっこう飛ぶ。どんなに弱っちい弓でも空まで届けば事態は変化する」
アルバーンは常に交戦中だ。上層階のさらに上空にいる魔神に向けて、矢の照準を合わせている。その弓矢の破壊力は伝説級だと想像されるが、矢が放たれたという事実は聞いたことがない。
アルバーン自体を見た人間の数があまりに少なすぎるのだ。西尾には全てを見極める、魔眼がある。だからかなりのことを見抜く力がある。
けれど西尾は果たしてどこまで真実を知っているのか。人間の心を奥底まで見極め、真実を晒してしまった時、人は牙を剥いて襲ってくるかもしれない。「黙っておけば、命までは取らずに済んだものを!」そう言われ、人知れず死んでいった人間が星の数ほどいる。
リートルードとしても西尾は大事だが、推し量ることが難しい。
「あまり深入りするなよ? 軍部には幸せなんてひとかけらも転がってない。あるのは死体だけだからな?」
西尾は笑っている。
「死体と魔法石でしょ? リートルード教授、花梨さんはおそらくM3ラボに現れます。今度の彼は本気ですよ? 殺されないでくださいね」
「どっちの味方についてくれるんだ? もちろん俺だよな? 俺のほうが付き合い長いもんな?焦らさないでぇ、早くそうだと言ってくれよ!」
一方サイはライガと共に前進し、500階でモンスター相手に交戦中だ。
モンスターが活性化してきて、ライガ一人で戦いつつサイを護るのはなかなかの困難を伴う。魔法石の在庫も尽きてきて、苦戦しているとサイが一握りの虹色の石を手渡した。
「緑以外の石を生成したのか!」
「オレも生き残りたいんで、練習した結果です。これでお願いします」
「ありがたい。――こうなると気力勝負だな」
「え?」
「いくら魔法石があっても、使う人間側の剣を振る体力と魔法石を発動させる気力、どっちかが切れてゼロになったらおしまいだ」
「そういうのって無限じゃないんだ!」
「不思議なヤツだな。限界感じたことないのかよ」
サイは思わず口を押えた。
――不死身だから、オレに限界なんてなかった!
「じゃあ、オレが魔法使えたら、最高に強くなれるってこと!?」
「何当たり前のこと言っているんだ?」
今までは魔法石を棍棒の代わりにして“ぶんなぐった”ことしかなかった。魔法石はサイにとっては固い金属と同じで、防具と同じ効果しかなかったのだ。
「騎士団見習いだったんだろ? アスタロットで魔法使ったことないってどういうことだ」
「日常生活では困りませんでしたよ。食事はコックだし、フロはいつも綺麗な温泉で。執事が何でも用意してくれるじゃないですか。やらなきゃいけない勉強とスポーツでは魔法関係ないですから。遊びといっても、飲んで歌って喋って。そんな感じでしたし」
ライガは言葉を濁している。
「ほら、趣味とか……」
「趣味? あぁ、なるほど。それで魔法石使ったことがあります」
「どんな魔法だ? それならできるんだよな! 炎か? 水か?」
かなり勿体ないことだが、初級の魔法でも魔法石が高価なら、威力も上がる。緑色をたくさん出して、それを使えばいいのだ。
「餌付けです」
「は?」
サイが空を指さした。
「モンスターに餌付けして、言うことをきいてもらうんですよ」
「餌で釣ってるだけかよ! 使うってそういうことじゃないだろ」
「――でも、ほら! あれなんか強そう!」
サイはこちらに向かってくるクリスタルドラゴンを指で示した。
「おいおい、あれは……まずいんじゃないか?」
サイは思い出した。
クリスタルドラゴンの好物は……エバーグリーン。
「もしかして。いや、もしかしてじゃなくって!! いくら餌付けできるからって、オレの肉はやだよ!!」
ライガはサイを引っ捕まえて、一目散に逃げ出した。しかし陸を走るより、空を飛ぶほうが早いのは道理だ。
「おわ!」
ドラゴンは大きな爪で二人を地面に圧し潰しつつ、翼でブレーキをかけて着陸する。土埃が舞って、何も見えなくなる。ドラゴンの鋭い牙がサイを襲った。
食われる!
お母様みたいに!
サイは必死で両手を広げてとどめようとした。しかしドラゴンは鼻先を近づけただけで襲ってこなかった。クリスタルドラゴンには首輪がついていた。ウエステイル――西尾のペットだ。首輪には書簡がついている。
『友人を宜しく。エサは一日五回、食べたい分だけ与える。緑色はおやつ程度、健康を考えて彩りよく魔法石を与えること。知能が高いので、来るべき時のために、しっかり勉強を教えてもらうように』
「教えてもらう?」
クォーツはドラゴンの姿から竜人へと変化した。高貴で威風堂々の美しい姿には見惚れるばかりだ。
『指導料は魔法石払いだぞ。西尾が死ぬほど食わせてくれるというから、来てやったんだ』
「西尾さんはどこですか!? 助けてもらいたいんです。今モンスターが続々と……」
サイの追求にクォーツは渋い顔をする。
『助けにこない。代わりに私が来た』
「――え?」
『西尾に捨てられたのだよ、私たちは』
「――ええ!」
『そうしなければ、君が軍に捕まってしまうからだ。西尾は上層部の奴らに連行される。しかし望みは捨てていない。西尾は別れ際、私にこう言ったのだ。
hasta la vista!(また会う日まで)』
サイは固く拳を握った。
「早すぎる。――まだ全然、何ひとつ恩返ししてないのに!」
西尾が連行される?
そのまま見捨てる奴はクズだ。
「でも下にいるってことは、必ずオレらの前を通りますよね?」
サイは決心した。
「絶対に阻止します。だって、オレが魔法石を作って、西尾さんが使ったら最強コンビなんですから!!」
お待たせしました。久々の更新ですね。




