穴の底
人生にどん底というものがあるなら今がそうなのかもしれない。
サイ・フォンデール
(享年20年とちょっと)
それは誕生日の次の日。フォンデール家の三男であった最後の朝。
今で思えば豪華な朝食だった。焼きたての白いパン、時間と手間をふんだんにかけた黄金色のコンソメスープ。新鮮な無農薬野菜たち。
それらを食べる気がしないと一蹴し、誰かに後から殴られて気を失った。
気が付くと素っ裸で、ゴミ溜めの中にいた。
日の当たらない、腐った匂いのする場所には光すらなかった。
手探りで、いろいろなゴミに触れているうちに何かのスイッチが入って、光が生まれた。
その小さな光を頼りに、闇とゴミの中から局部を隠せるものを探す。
女子マネキンの破れかけのヒモパンツを見つけた時は迷った。男なら誇り高くフルでいくべきか、貴族として恥部を晒すことを恥とし、隠せるもので隠しておくべきか。
とにかく彷徨った。
いくら歩いても暗闇とゴミばかり。
いくら探しても出口と希望が見つからない。
――オレはゴミか。オレは捨てられた。
救助隊が来るかもと希望を持った時もあったが、這いずる蟲の音しかしない。水も食事も無く、毒虫に噛まれて身体が熱い。
なんでこんな目にあっているんだろう。
なんでこんな所にいるんだろう。
なんでこんな最後なんだろう。
――どうせ死ぬけど。考えたって、どうしようもないけれど。やはり考えてしまう。だって人は考える生き物だから。
二十年生きてきて、それなりに楽しんだけれど、自分以外の人間にとっては価値のない年月だった。
二人の兄は善良で真面目で、自慢の息子だ。軍人としてエリートで世間の役にたち、出世街道まっしぐら。
オレは反発心から出世は望まなかった。苛立って、喧嘩ばかりする馬鹿だったし、学校も中退した。
長兄と次兄は父親似で勇ましくイケメンで、女にも優しかった。オレはいつもサングラスで顔を隠していた。母親に似て瞳の色が特殊だから、自信がなかった。
できない息子なのは分かっている。それでも親は期待をしてくれた。
なのに誕生日、オレは人生最大の裏切りをした。
没落するフォンデール家を救ってくれるはずの優しい兄の許嫁。彼女に遊び半分で手をつけたらしい。らしいというのは酒に溺れて全く覚えていないからだ。
その翌日から、こういうことになった。
あの時の素っ裸だったから、今も素っ裸なのだろうか。
フォンデール家の名を汚したのだから、もう二度と名乗ってほしくない気持ちは分かる。……でも!
「せめて、パンツだけは残して!!!」
絶叫して、無駄に体力を消耗した。
もう歩けない。
もう前へ進めない。
どうせパンツなんて穿いたって、穿かなくたって見る人がどこにもいない。
あぁ、これが人生最後の叫びなのだ。全力は尽くした。
サイ・フォンデールはここで終わる。
力が尽きて、ゴミの中で倒れた。
何も見えない暗闇のなか、意識を失うのだ。
失う。
失う?
失ってないけど、そのうち失うだろうな?
――オレは昇天する。でも行くのはきっと天国だ。良い事はあまりしなかったけど、絶対に天国だ。こんなに辛い想いをしたんだから、絶対に天国に行くべきだ!
次の人生やり直すのに、良い事は前払いしてもらわなきゃ、モチベーション上がらないだろ。馬のツラにニンジンだろ。
ほら、一筋の光が見えた。きっとあれは天国への入り口だ。
サイは最後の力を振り絞って、光に手を延ばした。
――あぁ、神サマがいるなら。次はもっとマトモな人生にしますって。だから頼むよ。
その時、腹に激痛が走った。
――やべ、死ぬ時って痛いの?
これで終わり。終わり?
「うひゃあ。冷……たい! つうか、痛いよ!! 穴開いて血でてるし!」
暗闇から誰かに金属の棒で何度も突かれた。
「隊長、これはリサイクルしますか?」
あどけない少年の声がした。
――人間! 助けがきた!
「しない。持って帰るのに重すぎる」
サイは必死だ。
「こんなに活きのいい好青年をリサイクルしないなんて、モノの価値が分かってねぇな。テメー顔貸してみろ、オレが動けるようになったらな……一発ぶんなぐって」
久しぶりに人に会って話した。顔がぐしゃぐしゃになるほど嬉しくて、込み上げてくる熱い想いが叫びになる。
『助けてくれよ!』
「隊長、腐ってます。変態が泣いてます」
少年が手元の灯でサイを照らした。
「名前言える?」
「サイ・フォンで……ぁる」
フォンデール家の名前。それがオレが最後にもっていて、唯一捨てられるものだった。