08 女刑事はうち明ける
放課後になった。
ほとんど同時に俺は席を立った。
久遠のことが気になって仕方ない。
午前中は上手くやったようだが、午後からはどうだったろうか。
杞憂かもしれないが、それでも直にあって確認するまでは安心できない。
「あ、あの、刹那くん」
「おう、真里絵、すまん。ちょっと久遠を迎えに行く」
周囲から非難めいた視線が集中した気がするが、それどころじゃない。
久遠のことは信じてるけど、それはそれとして心配することは責められることじゃないだろう。
廊下を歩いて久遠のクラスの前まで行くと、ちょうど久遠が出てきた。
「刹那」
「久遠。大丈夫だったか?」
「問題ない。さあ、帰るとしよう」
だからそのドヤ顔は止めなさい。
◆
駅前の寿司屋に立ち寄り、持ち帰りでいろいろと詰めてもらった帰り道。
踏切を越えたその先に、なんだかとっても見たことのあるスーツ姿の美女が、こちらを見つめて笑っていた。
「やあやあ少年少女! お姉さんだよ!」
「あ……えーと、賀古刑事?」
大声で呼ぶのもどうかと思い、踏切を渡ってから、声をかける。
「はーい! 賀古お姉さんでーす! いえーい!」
「うわキツ」
「少年!? なんだかそれ定番の突っ込みにしようと思ってない!? それお姉さんを深く傷つける言葉なので、できればもうすこし優しい言葉を選んでほしいんですけど!?」
悲鳴めいた声をあげる刑事さん。
だったらなぜ自ら傷つくような真似をするのか。
「いや、刑事さんこそ、どうしたんですか。昨日の今日でしょ? なにか事件に進展があったんですか?」
「いやーないね! さっぱりない! 手ごたえみたいなのもまったくなくてさ! そこへ昨日の少年少女たちが買い物帰りっぽい感じでイチャイチャしてるものだから、ちょっかいかけて水を差してあげようと!」
「同情の余地がさっぱりない!?」
「はっはっは。しかもそれかなり上等なお寿司じゃないか! リッチでうらやましいねちくしょう!」
「あの、用事がないなら帰っていいですか?」
俺たちだって暇じゃない。
久遠が元通りの日常を送るためには、もっと訓練を積まなくてはいかないし、なにより寿司ネタがダレる。
いや、持ち帰り用の握りだから、多少雑談に時間を使ったところで差はないのかもしれないけど、気分的に。
「そんなこと言わないで、もうすこし無駄話につきあってよ少年!」
「無理です」
「そんな生理的に無理みたいに言われると傷つくんだけど!? ほーら、お姉さんだよー? 年上の美人さんだよー?」
「やめてください。にじり寄って来ないでください。警察呼びますよ」
「お姉さんが警察なんだけど!?」
関わりたくない。
全力で関わりたくない。
推しアイドルの実姉だってのに、多少合わなくてもお近づきになっときたいという打算も働かないというのは、ある意味すごい。
「美少女ちゃん美少女ちゃん、少年ひどくない?」
こいつ、俺が塩対応なもんだから、今度は久遠の方に絡みやがった。
対する久遠は、両の口の端を過剰につり上げて、悪魔みたいな笑みを浮かべる。
おい、いますぐその表情やめろ。使う場面か相手か、もしくはその両方を間違えてるぞそれ。
「ちょうどいい。あなたに聞きたいと思っていたことがあった」
久遠は刑事さんの言葉など一切無視して、そう言った。すごいなこいつ。
「聞きたい? なにをかな、美少女ちゃん?」
「あなたの妹――賀古みらいについて聞きたい」
「ん? 美少女ちゃん、妹のファン? ファンだったりする!? いぇいいぇい!」
おいやめろ。俺のみらいをそれ以上汚すな駄姉。
「アイドルとしての賀古みらいについてではない」
静かに、久遠は首を左右に振る。
「――もしかして彼女は……心を失っているのではないか?」
瞬間、刑事さんが真顔に戻った。
「んー、どういうことかな? 言っとくけどお姉さん、家庭の事情に、無遠慮に入りこんでくる人間には優しくないよ?」
やばい。目が笑ってない。
口は笑ってるけど圧迫感がすごい。
眼光なんか獲物を狙う肉食獣そのものだ。
だが。当たり前だが、久遠は顔色ひとつ変えない。
変えないままに、淡々と、口を開く。
「記憶はある。だけど実感がない。感覚がない。そんな状態だ。彼女がそんな状態なのだとすれば……ボクも同じだ」
その時、ようやく久遠がなにを考えているのかわかった。
賀古みらいは飛行機事故に遭いながら生きていた。遠州久遠が殺人事件に遭いながら生きていたように。
飛行機の墜落事故だ。
高高度からの墜落。普通に考えて生存者などいるはずがない。
賀古みらいの生存は、奇跡として報道された。実際奇跡なのだ。あり得ないことなのだ。
―― 一度死んで、黄泉返ったのでなければ。
「話を聞かせてもらうよ。返事は聞かない。ちょっと人気のないところに……ついてきてくれるかな?」
刑事さんは静かに言った。
有無を言わせない言葉だった。
◆
謎トンネル、と呼ばれる場所がある。
その名の通り、謎のトンネル。この際謎というのは、用途不明ということだ。
駅から少し離れた空き地にぽつんと存在するそれは、全長15mほど。地中に埋まっているわけでもなく、トンネルのパーツを抜き出してそこに置いたといった風情。
その中心付近はすこし広くなっていて、通路部分を避けるように、石のテーブルと椅子が存在する。
俺たち三人は、そのテーブルを囲んで座った。薄暗いトンネルだが、そこだけは明かりが存在する。本当に謎なことに。
「――さて、話を聞かせてもらいましょうか……あ、ウニ貰っていいかな?」
刑事さん、真剣な顔で俺たちの晩飯を盗るのやめてくれませんかね?
ジト目でにらむが、蛙の面になんとやらだ。
「話といっても、要点はすでに伝えたのだがな」
久遠は久遠で寿司をぎこちなくつまみながら、淡々と語る。
「――ボクは一度死んだ。そして気がつくと傷ひとつない状態で存在していた。代償として失ったのは……おそらく心。記憶はあっても実感がない。すべてが遠い世界のような状態だ」
「うん……まあ、冗談で言ってるわけじゃないみたいだね。なら……こちらも、君の蛮勇に免じて、妹のことを話すよ」
刑事さんはそう言って、トロの握りを二個いっぺんに食べた。
なにしてくれやがるこの女。
「妹――賀古みらいも、美少女ちゃんと同じだよ。心がない。実感がない……だから、みらいは悲惨な事故から無傷で生き残りながら、歌えなくなった。歌に込めるべき感情を失った。せっかく話題になったのに。動けるのに、アイドルとして活動できなくなった……いまは自宅療養ってことにして誤魔化してるけど、いずれ引退は避けられない。子供のころからの夢を、成功を手にしていた夢を、手放さなきゃいけなくなってる……だから、みらいは深く傷ついてる」
一息に。吐き出すように、刑事さんは語った。
そうだ。
学生の久遠と違って、賀古みらいはアイドルだ。
しかも、歌い、踊り、人の心を掴む。たぶんものすごく繊細な感覚が必要な職業だ。
死んでしまっては。
心を失っては、続けられない。
いや、努力をすれば、練習し続ければ、感覚は取り戻せるかもしれない。
だけど、そのために必要な時間は、半年か、一年か。いずれにせよ、それほど長いブランクが許されるほど、アイドルって職業は甘くない。
「“黄泉返り”。お姉さんは妹の症例をそう名づけた」
刑事さんは語る。
「――美少女ちゃん。君とみらいが同じ症状だってのは、言われてみれば納得できる。納得できる程度には、君は自分の状態を隠せていない……たぶん、君がそうなったのは、ごくごく最近なんじゃないかな?」
鋭いな。言っちゃなんだが腐っても刑事か。
「そうだ。ボクがこうなったのは、先週金曜日の夜だ」
「先週の金曜日ー? んー?」
刑事さんが首をひねる。
金曜日。三日前。それだけ言えば。真実に行きつくのは難しくないだろう。
「おそらく推測通りだ。清涼台、吉祥公園前の血痕を調べれば、ボクの血液と同一の特徴だとわかるだろう」
「……なるほどね。現場で会ったのも偶然じゃなかったか」
いや、それはわりと偶然が絡んでる。
通学路とはいえ、ミキ丸に会って事件のことを察しなければ、公園に行くのはもうすこし遅れていただろうし。
「美少女ちゃん。襲われた時のこと……特に犯人に関して、何か覚えてたりする?」
「覚えていない。背後から一撃。顔を見る間もなく倒れた」
「ふーん……なるほどねー。やっこさんもなかなかやるってことかあ……ありがとね、美少女ちゃん。打ち明けてくれて」
刑事さんはそう言って、優しく微笑んだ。
たしかに、事情を明かすのは、リスクのあることだった。
賀古みらいが“黄泉返り”だという確証はないし、同じ症例の人間だからといって、刑事さんが味方とは限らない。
久遠みたいな中二思考になるが、“黄泉返り”の存在が、俺たちの知らない裏の世界で、処分対象になっていた、みたいな可能性も、あったかもしれない。
「そうするべき価値が、あなたにはあると思った。それだけだ」
「……もう、なんだか妹と似てて他人事じゃないよ。美少女ちゃん、このことに関しては、こちらもなるべく情報を共有させてもらうよ」
「ああ、そうしてくれるとありがたい」
だが、どうやらリスクを冒した価値のある味方を得られたようだ。
たがいに手をさしのばし、握手をする二人を見て、俺は安堵の息を吐きだした。
「じゃあね、少年少女。今日は会えてよかったよ」
「滝口刹那です。久遠は名乗ってたけど、俺は名乗り損ねてたので、あらためて」
「うん、よろしくね! いぇいいぇい!」
握手をして、最後に、ひとつだけ残っていたいくらを口に放り込んで。刑事さんは席を立つ。
「最後に聞きたい」
呼びとめるように、久遠が声をかけた。
「――賀古みらいは、なにか強い衝動に駆られていないだろうか?」
「うん。“咲きたい”と……キミも?」
「“生きたい”と」
それだけでわかり合ったのか、二人はうなずきあう。
“咲きたい”。
ステージの上で花開くアイドルに、ふさわしい。
そしてステージの上に立てなくなったアイドルの、まるで悲鳴のような願いだと……そう思った。




