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きみと描く、英雄の詩  作者: 寛喜堂秀介


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27 彼と彼女の想いは廻る



「さあ、行きますよ刹那くん」



 ミキ丸が構えた。

 さして力んだとも思えない動き。

 だが、俺の目には、大気がかき混ぜられたように映った。


 とてつもないプレッシャー。

 野生の獣――いや、知性を持った猛獣と相対していると実感する。



「――でも、その前に」



 ミキ丸が左手を突き出し、捻るように引いた。

 とっさに身構えるが、ミキ丸は動かない。腰だめに構えられた左拳も、それ以上は動かない。


 かわりに動いたのは。



「――っ!」



 小さな悲鳴とともに、なにかが足元に滑りこんできた。

 久遠だ。鞄に突っ込まれたその手には、携帯電話が握られている。



「おや、もっと物騒なものが出てくると思っていましたが……助けを呼ぶなら、もっと先にやっておくべきじゃなかったですかね? もっとも――何人がかりでも無駄ですけど」


「……久遠になにをした?」



 ミキ丸から目を離さなかったから言える。

 ただ構えを取る。それ以外のことを、ミキ丸はなにひとつしていなかった。



「刹那くん、言いましたよね? わたしが死の刹那、どんな思いを抱いたかを。そして、見ましたよね? “裂きたい”という想いに囚われた“人狼”が、どんなふうに歪んだかを……たぶん、あのまま歪み続ければ、“人狼”はいずれ、体だけでなく、存在そのものが変異したでしょう――わたしのように」



 ミキ丸は、三日月の形に口の端をつり上げる。



「――“行かないで”。わたしの歪みは、離れた場所に居る人間を、手繰り寄せるんですよ……こんなふうにね!」



 ミキ丸は、腰だめに構えた左拳を前に突き出し、また引く。


 その動きに、連動するように。

 久遠の体が、ミキ丸の元に吹き飛んでいく。

 その足を、とっさにつかんで――体ごと引っこ抜かれた。



「――くっ!」



 久遠が鞄から、とっさに黒い柄のようなものを取り出す。

 だが、久遠がそれ以上の行動を起こすより速く、ミキ丸の右中段蹴りが、久遠を捉えた。



「――っ!」


「――っ、久遠!」



 吹き飛ぶ久遠の足を、とっさに膝立ちになって引っこ抜く。

 久遠の体は弧を描いて背後に転がった。えらく乱暴な着地になったが、背後に庇うためには仕方ない。



「……久遠、無事か?」



 拳足の間合いにあるミキ丸に視線を向けたまま、慎重に身を起こし。それから背後に声をかける。



「……別状ない。が、肋骨のあたりがものすごく痛い。しばらく動けない」


「ま、折れてるでしょうね。そんな感触がありましたから。“黄泉返り”といえど、しばらくは動けないはずですよ……と、スタンガンですか。いやなものを用意しますね」



 久遠の落とした黒い柄のようなものを拾い上げると、ミキ丸はそれを川に投げ捨てる。



「――そこに居ていいですから、邪魔はしないでくださいね? わたしと刹那くんの勝負を」



 久遠に声をかけてから、ミキ丸はこちらに視線を向ける。



「勝負……」


「刹那くんが勝負する気がないなら、ただの蹂躙になりますよ? わたしとしては、それでもいいんですけどね」


「いいわけあるかよ」



 それなりに準備はしてきたつもりだった。

 逃げ延びる算段も、十分にしたつもりだった。

 だが、こんな異能まで使えるのは想定外だった。これほど規格外だとは思わなかった。


 逃げられない。

 絶望的な事実を突きつけられて。

 しかしなぜか、口の端がつり上がるのを感じる。

 四方を囲うランタンは、まるで四角いリングだ。

 いや、空手着を着てきたところを見ると、最初からそれを意図していたのか。



「――倒すのは俺だ。それしか生き延びる術がないってのなら、それしか久遠を守る術がないってのなら……ミキ丸、お前をぶっ倒す!」


「殺すつもりはないんですけどね。手足を折って逃げられないようにして、ずっとお世話してあげるだけで」


「そういうのは――死んだ方がマシって言うんだよ!」



 じりじりと間合いを詰めて――拳を繰り出す。

 ミキ丸は笑いながらこれを受けた。拳をつかみ取って・・・・・・・・



「優しいですね、刹那くん。まだわたしを人間扱いしてくれるなんて」



 信じられない芸当を見せながら、ミキ丸は平然と笑う。



「でも、残念ですが、刹那くん。いまあなたの目の前に居るのは、あの“人狼”と同じ……いや、それ以上の化物なんですよ?」



 ゆっくりと、拳が絞り潰されていく。

 骨が悲鳴を上げる。逃れようにも、びくとも動かない。



「まずは拳!」



 同時だった。

 ミキ丸が口の端をつり上げて笑うのと、久遠が声をあげたのは。



「――刹那!」



 かっと頭に血がのぼった。

 捉えられた拳の力を緩めて、半分握りつぶされながら、無理やりに拳を引きぬく。



 ――俺が久遠を守るんだろうが! 心配されてどうすんだ!



 拳を引き抜いた勢いで、ミキ丸の体勢がわずかに崩れた。

 その隙を逃さず、全力で地を蹴って、体ごと相手の胸にぶち当たっていく。



「えっちですね!」


「ふざけんな興味ねえわそんな貧乳!」



 サイドステップして体当たりの勢いをいなしながら、ミキ丸が鋭い右膝を繰り出す。

 とっさに十字に受ける。尋常でない衝撃に、腕が悲鳴を上げた。



「うーん。いまいちな感触ですねえ。いつもの刹那くんなら腕折れてたんですけど」


「……てめえ、さてはいままでも、わざと折ってやがったな?」


「てへ」



 笑いながら、ミキ丸が攻める。

 右ハイ。体を入れ替えて左ハイ。大技を見せた後に、目鼻を狙い、あるいは足を削ってくる。


 だが、紙一重でしのげる。

 返しの一撃を置いていける。


 以前の俺ならすでに3回はダウンしている。

 いや、ミキ丸の圧倒的なパワーを、超能力めいた力を目にしただけで、心を折られていただろう。


 だが、俺には守るべきものがある。

 だから、まだ心が折られずにいる。

 そして、折れない心で見れば、ミキ丸の動きは、これまでずっと見てきた。死ぬほど研究してきた。狂おしいほどにあこがれた動きそのままで。



 ――だから、戦える。あのミキ丸と!



 震えるような感動と、痺れるような幸福感。


 見える。躱せる。返せる。打ち込める。

 五回。十回。五十回。拳を交わすたびに、自分が研ぎ澄まされていく。

 ミキ丸の、師匠の、達人たちの領域に、足を踏み入れて行くのがわかる。


 視界が白く抜け落ちて行く。

 自分とミキ丸しか見えなくなる。

 ミキ丸の間合いがわかる。ミキ丸の手筋がわかる。ミキ丸の思考がわかる。ミキ丸のすべてがわかる。


 まるで申し合わせたように。

 繰り出す拳足がかみ合う。攻撃と防御が美しく積み重なっていく。

 それは、時を忘れるような、甘美な体験。



「――ふふっ!」



 ミキ丸が笑う。

 心底うれしそうな表情で。



「笑うな! もっと激しく来いよ! 異能はどうした! 俺を引き寄せてみろよ!」


「出来ませんよ! “行かないで”。わたしの異能は、向かってくる相手には作用しません! なにせ、引きよせずともこちらに来てくれてるんですからね!」


「そりゃあ残念だ!」


「……ふっ、ふふふふふっ! あはははははははっ!」



 俺の言葉に、ミキ丸は目を見開いて――弾けるように笑いだした。



「そうです! あなたはすごい! わたしはそれを知っていた! あなたは天才で、わたしは凡才で……でも、ずっと対等でいたかったから!、置いて行かれたくなかったから、あなたの実力に蓋をしていた! 骨を折って! わたしの方が上だとことさらに示して!」


「目論見外れて残念だったなあ!」


「残念? いえ、そうじゃないんです。いま、気づきました! わたしが本当に欲しかったのはこれ・・だった! 恋愛なんかじゃない! わたしを本当に満たしてくれるのは、いまの、この、全身全霊の戦いなんですよ!」


「へっ、このバトルジャンキーめ!」


「あなたが言いますかそれ!? あなた自分のいまの顔見えてますか!? すっごい笑顔で笑ってますよ!?」



 ああ、そうか?

 そうなのかもしれない。

 昔はずっとそうだった。どんどん強くなっていくのが楽しかった。

 強いヤツと戦うのが楽しかった。強い奴をぶっ倒すのが倒しかった。

 そうだ、俺もミキ丸と同じでろくでもない! 鬼か修羅の類ってヤツだ!


 笑いながら拳を交わす。交わす。交わす。

 どれほどの間、そうしていたんだろうか――ふいに、気づいた。

 ミキ丸の体から、砂のようなものがこぼれてくのを。それに従って、ミキ丸の体が崩れていくのを。



「――お前!?」


「ああ、たいしたことじゃないですよ。満たされた。永遠に思えた飢えが、いま満たされている。だからわたしは死ぬんです。死人を生きながらえさせていた妄執が消えるから……でもたいしたことじゃない。この充足感に比べれば――そうでしょう刹那くん!」


「そうかもしれんな! ずっとお前とこうして戦って居たかった! いま、お前と最高の戦いが出来ている! 考えるのは、それだけで十分だ!」



 すでに消耗戦になっていた。

 俺は全身痛めつけられて、顔は腫れあがっている。

 痛めていた肩は悲鳴を上げ続け、右拳は、握りつぶされた時に折れたのか、中指と薬指が大きく腫れている。


 ミキ丸は奇麗なままだ。

 白い道着を血に濡らしながら。

 目の上をカットして視界を塞がれながら、傷はふさがり整った顔で、俺が惹かれた笑顔で、崩れかけの拳足を送り出してくる。



 ――勝つ。



 俺は全身を叱咤する。



 ――勝つ。



 吼えるように声をあげて、それのみを念じる。



 ――勝つ。



 本物に。英雄ヒーローに。ミキ丸に、勝つ。



「――勝って!」



 ふいに、二人だけの世界を突き破って、久遠の声が聞こえた。

 潰れた耳で聞いたその声は、か細く、くぐもっていて――だけど、俺に力をくれた。


 ミキ丸の体が崩れ切る。

 最後に、拳だけが残って――俺の頬を撃ち抜いた。


 それは、意識を刈り取るには十分な威力で。

 だけど、久遠のくれた力が、かろうじて体を支えてくれた。



「俺の……勝ちだ……」



 そう、つぶやいて。

 俺はなけなしの力を絞りきって、虚空に向けて礼をした。



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