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きみと描く、英雄の詩  作者: 寛喜堂秀介


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25 二人でいっしょに描きにいこう



 少年漫画が好きだった。

 戦う主人公を見て熱くなった。

 苦しみ苦悩する人達を助ける主人公にあこがれた。

 かわいいヒロインにドキドキする主人公に共感した。


 自分もそんな主人公になりたかった。

 あこがれて。真似ごとをして。なれた気になって……そして、本物に出会った。


 思いだす。

 子供の頃、人助けを気取って、子供同士のいさかいに首を突っ込んでいったことを。

 ヒーロー気取りの迷惑な割り込みは、当事者にとっては、ひょっとして迷惑だったかもしれない。

 三木真里絵は、俺が困った時には、心弱った時には、いつだって側に居てくれた。欲しい時に欲しい助けをくれた。


 道場に入門したての頃。

 俺は道場主である獅王勇利しおうゆうりの空手にあこがれた。

 構え重厚にして動きは流水のごとく、繰り出される拳足のひとつひとつに研ぎ澄まされた意志を感じさせる。

 当時はただただ「スゴい」とあこがれた技は、ヒーローにふさわしい強さで……それを俺より色濃く体現しているのが、三木真里絵だった。


 敵わないと思い知って。

 そしてミキ丸にあこがれた、あの時から。

 俺はひょっとして、ヒーローではなく――ミキ丸になりたいと思うようになっていたのかもしれない。



「――ふぅぅ」



 鬱屈とともに、息を細く吐き出す。

 明かりを落とした暗闇の部屋で、ベッドに腰をかけて、俺は自分の思いを見つめ直す。


 動揺は、だいぶ収まった。

 だがそれは、収まっただけだ。

 ミキ丸の声を聞けば、きっとまた激しく揺れだす。


 結局。

 俺は、ミキ丸が犯人だ、なんて事実は飲み込めないのだ。


 だからその先に行けない。

 ミキ丸に問いただして、もし彼女が事実を認めたら。

 その後どうするか、考えるべきなのに感情が考えることを拒否してしまう。



 ――最悪を想像すれば。



 ミキ丸が“黄泉返り”で。

 久遠の命を狙っていたとすれば……久遠を守って戦うことになるかもしれない。



 ――守れるのか? いや、そもそもミキ丸と戦えるのか?



 嫌だ。

 考えたくない。

 想像したくない。

 まっすぐに向きあいたくない。



 ――でも、考えないと……きっと守れない。



 俺を俺にしてくれた。

 俺をヒーローだと言ってくれた。

 そんなことを抜きにしても、俺は久遠を絶対に失いたくない。


 気がつけば、涙が頬を伝っている。

 どうしようもない状態に陥ると、人は泣くしかないらしい。



 ――涙といっしょに、ミキ丸への思いも流れてしまえば。



 そう思っても、想いは茨のように絡みついて俺をがんじがらめにする。

 がんじがらめのまま、前に進もうとして……思い出の棘に手足をとられ、身動きが取れなくなってしまう。



「久遠……俺に……勇気をくれ」



 助けを求めるように、独白して。



「――呼んだか?」



 一瞬の間も置かずに扉が開いた。


 あっけにとられる。

 久遠は、扉の向こうに控えていたのだ。

 彼女の気配にも気づけないほど、心が追い詰められていたのか。



「久遠……おまえな、一人にしといてくれって言っただろ?」


「だから呼ばれるまで待っていた」


「違う。呼んでない。どっちかと言えばお前に聞かれたくない独り言の類だ」


「では、出て行った方がいいか?」



 久遠がかくり、と首を傾ける。



「いや……ここに居てくれ」



 久遠の姿を見て。

 その仕草を見て、不思議と心が軽くなっていた。

 まるで、久遠が重しの半分を引き受けてくれたかのように。


 動きを縛っていた茨が緩くなった。

 それでも、動けば傷ついてしまうだろう。

 むき出しの心は引き裂かれて耐えがたい痛みが襲ってくるだろう。



 ――でも、前に進める。久遠が居てくれるなら。



「――決着をつけよう」



 自分の思いに。

 ひとつの事件に。

 終止符を打つと決めて、俺はミキ丸の携帯に電話をかけた。







「もしもし、どうしました刹那くん?」



 携帯から、ミキ丸の声が聞こえる。

 それだけで心が乱れてしまいそうになる自分が情けない。


 だが、目の前に久遠が居て、見守ってくれている。

 だから前に、進める。



「ミキ丸か。ちょっと聞きたいことがあるんだが」


「……奇遇ですね。わたしも、刹那くんとお話ししたいと思っていたんですよ」



 俺の、言い繕いようのない固い声に対して、ミキ丸はいつも通りの調子で言葉を返してくる。



「用件は……わかってるのか?」


「そうですね。わかるような気がします。たぶんわたしの用件とおなじだとは思いますが……でも、ちょっと聞きたいって感じじゃないですよね? がっつりお話したいって、そう声に出てますよ? いっそのこと、いまからでも家に来ますか?」


「そうしたいとこだがな……お前、俺が素直に行くと思って言ってないだろ?」


「来てくれたらうれしかったんですけどね」



 と、苦笑の声が携帯越しに聞こえてくる。

 こっちが警戒してる様子は伝わってるだろうし、ダメ元だったんだろう。



「――まあそれは別の機会にしておきましょう……で、どこで会いましょうか?」


「お前はどこで会いたい?」



 俺はあえてそう聞いた。

 ミキ丸がどれだけ踏み込んでくる気か、返答によってあるていど推し量れるはずだ。



「どこでもいい、とは言えませんよね。わたしがしたい話は、とてもじゃないですけど、人様の前で出来るものじゃありませんから……恥ずかしいですしね」



 と、そんな冗談ともつかないことを言ってから、ミキ丸は場所を提示した。



「――そうですね……須弥しゅみ川のほとけ橋、わかりますよね? あの橋の下ではいかがでしょう。あそこならめったに人目につきませんし、ちょうどいいと思いますが」



 ほとけ橋は、うちとミキ丸の家と、ほぼ等距離にある。

 この部分の河川敷は狭く、また丈の長い草が茂っていて、人目を避けるにはぴったりだ、と道場の先輩に聞いたことがある。

 先輩が人目を避けて何をやっていたのか、そして先輩がなにを期待して俺にその場所を教えてくれたのかはあえて聞かなかったが。



「そこでいい。すぐに会えるか?」


「出来れば30分ほど時間をください。おめかしする時間がほしいので」


「おめかし?」


「そこは突っ込む所じゃないんじゃないですかね……とにかく、30分後でよろしくお願いしますね」


「待ってくれ。先にこれだけ聞かせてくれ……お前は、“黄泉返り”なのか?」



 通話を切る気配を感じて、あわてて質問をねじ込む。


 考えあってのことじゃない。

 すこしでも、さきに覚悟をしておきたくて。

 でも一番辛い事実をとっさには聞くことが出来なくて、飛び出た質問だ。


 そんな葛藤を、察しているのか居ないのか。



「そうですよ? では、後ほど」



 あっさりと答えて、ミキ丸は通話を切った。


 最後まで、いつものミキ丸のままで。

 でも最後にわかった事実は、それまでのミキ丸の印象を塗り替えるには十分なものだった。


 震えが来た。

 突きつけられた事実が、恐ろしくてたまらない。

 怖い。俺はいまから、ナニと会うことになるのか。


 と、震えを押さえるように、久遠が手をにぎってきた。

 壊れてしまいそうなほど繊細で、そして冷たい。まるで氷細工のような、手。


 まっすぐにこちらを見て、久遠は口を開く。



「さきほどの会話……まるでデートの約束だ」



 一瞬理解できなかった。

 それほど馬鹿げた言葉は、しかし本気だったらしく、久遠は拗ねた表情を作っている。


 笑いたくなった。

 本当にすごいと思う。こんな一言で、震えなんてどこかへ行ってしまった。



「だったら、待ち合わせの場所に手を繋いでいって、びっくりさせてやろうぜ」



 俺が言うと、久遠はすこしだけ、驚いたように眉を動かした。



「……刹那は、ボクを置いて行くんじゃないかと思っていた」


「お前の描く物語だと、そうなるのかもしれないな」



 苦笑する。

 物語のヒーローなら、そうしたのかもしれない。

 だけど、わかった。俺がヒーローで居るためには、久遠が必要なのだ。



「――だけどこれは、お前と俺で描く物語だ。だから久遠、いっしょに行こう」


「……ああ」



 と、久遠は笑う。

 喜びがこぼれるような、魅力的な笑みを浮かべて。それから久遠は力強く、言葉を紡ぎ出す。



「いっしょに、描きに行こうじゃないか――物語の終わりを」



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