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きみと描く、英雄の詩  作者: 寛喜堂秀介


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24 滝口刹那は苦悶する



「もっと尋ねたいこと?」



 茅谷玲子の言葉に、俺は首をひねる。



「ええ……できれば、直接的な尋ね方はしないでおきたかったのですけれど」


「そういう言い方をするってことは、これまでの話のなかで語られててもおかしくない内容か?」


「そのとおりですわ」



 茅谷玲子は肯定の意を示し、言葉を続ける。



「――遠州さんの変化について、これだけは、わたくしが聞いておかなくてはならない話。わたくしがわたくしで居るためにも、知っておかねばならない話なのです」


「……それは?」



 尋ねると、彼女は体をまっすぐ久遠に向けて、口を開いた。



「遠州さん、お尋ねします。あなたのその変容に、三木真里絵は・・・・・・関わっていますか・・・・・・・・?」



 思いもしない問いだった。

 無関係だ。と、思わず切り捨てかけるのを、久遠が手で制した。



「返答する前に、聞かせてくれ。キミがなぜそう思うのか」



 久遠はあえて否定せず、水を向けた。

 突拍子のない話だが、茅谷玲子がそう言うからには、そう考えるだけの根拠があるのだろう。



「そうですわね……では、お話しさせていただきますわ。順を追って、最初から」



 重いものを吐きだすように。

 茅谷玲子は言って、語り始めた。







「中学の頃……覚えてますわよね? わたくしと真里絵がお友達だったこと」


「ああ」



 同じクラスだったこともあるから、覚えている。

 茅谷玲子は、当時から女子グループのリーダーとして存在感を示していた。

 ミキ丸は……空手を始める前はそれほど目立たなかったが、ひょうひょうとしてとらえ所のない少女だったように思う。


 性格もスタンスも違う二人だが、馬が合ったのか、ときどき二人だけで話をしていた。



「だから……滝口君、あなたの話は、真里絵からよく聞いておりましたの。おなじ小学校だった男子で、素敵な子が居る、と。入学したてのころ、真里絵はあなたの話をいろいろと聞かせてくれたものです」



 その頃を思い返すように、茅谷玲子は視線を宙に遊ばせる。

 茅谷の思いこみによるバイアスがかかってるのかもしれないが、なんだか俺の知らないミキ丸だ。



「――だからわたくしは、ああ、真里絵は、滝口君のことが好きなんですのね、と思っておりましたの。滝口君の通っている道場に入門した時は、がんばって、と応援したものですわ」



 それは違うと思います。


 突っ込みたいが、話の腰を折るのもどうかと思う。

 まだ話は序段だろうし、とりあえず最後まで聞いてみよう。



「道場に通い始めたころの真里絵は、本当に楽しそうでしたわ。滝口君といっしょに居られて、親しく話せるようになって、幸せなんだな、と……思っておりました」



 語る茅谷の声が、ふいに澱む。

 話が、不吉なものに転じるのだと察した。



「でも……ある時を境に。真里絵は時折、ぞっとするほど冷たい目をするようになりました」


「……冷たい、目?」



 想像の中のミキ丸と、その言葉が、うまく結び付かない。



「ひょっとして、滝口君にはうまく隠していたのかもしれません。でも、あの目は……人を、自分と同じ生き物とすら認識していないようなあの冷たい目は、一度見れば忘れられません」



 ――ましてや、自分の友達がそんな目をするようになれば、か。



 青ざめた茅谷の表情を見て、納得する。


 だけど、やっぱり実感がわかない。

 現在のミキ丸のイメージで上書きされてるのもあるんだろうが、さすがにそんな目をされたら覚えているはずだ。



「……滝口君、覚えております? 一年生の冬休み明け、彼女が一週間ほど学校を休んでいたことを」



 と、茅谷が不意に尋ねてくる。


 覚えている。道場でミキ丸の面倒を見ていた頃のことだ。

 事情があって休むと、道場にも連絡があり、心配したものだ。



「――わたくし、あの時一度、彼女の家を訪ねたことがあるんですの。あの時見た真里絵は……まるで感情を削ぎ落したような、ぞっとするような顔をしておりましたわ」



 茅谷は身震いしながら、己をかき抱く。

 彼女が語った真里絵の様子は……あるひとつの現象を連想せずにはいられない。



「学校に戻って来た真里絵は、すっかり元通りになっておりました。実はそれは、すべて作りものなのでは、と、不安になることもありましたが、滝口君と居る時の真里絵はあいかわらず楽しそうで……だからわたくしは、その疑問を振り払っておりました」



 感情をすべて失い。

 死んでいるのに生き続ける、そんな現象を。


 動悸がする。

 息が切れる。

 脳裏によぎった可能性を全力で否定する。


 しかし、残酷に続く茅谷の言葉が、逃避を許さない。



「でも、不安は黒い染みのようにずっと残っていて……ほら、わたくし、遠州さんと塾が同じですわよね? この間、真里絵から、遠州さんが塾からいつ帰ったか確認されて。そのつぎの月曜日には、遠州さんが別人のようになっていて……昔の真里絵と同じ表情をするようになって――教えて。遠州さんはどうなってしまったの? 遠州さんがそうなったのは真里絵のせいなの? わたくしが……遠州さんがそうなる原因をつくってしまったの?」



 茅谷玲子は震えながら久遠の顔色を伺う。

 その姿は、普段の彼女からは考えられないほど弱弱しい。

 まるで己の正しさを、見失ってしまったかのように。


 久遠は、静かに、視線をただ彼方に向けている。


 その目は、何物も映していない。

 血まみれで玄関に立っていた、あの夜の久遠のように。

 そしておそらくは、茅谷玲子が見たという、ミキ丸のように。


 自然と、思考が進む。

 それは、偶然と呼ぶにはあまりにも符合していた。


 だめだ。

 繋がってしまう。

 意味が通ってしまう。

 物語が成立してしまう。

 絶対にそんなことあってはならないのに。



「大丈夫だよ茅谷。落ちつけ」



 思考を振り払って、俺は震える茅谷を宥めてやる。



「滝口君……」


「武道ってのはな、哲学に通じるところもあってな。精神もおのずと鍛錬されるんだよ」



 自分でも信じていない言葉を、自分が信じたい言葉を、俺は茅谷に向けて語る。



「ミキ丸の場合は、あいつあの頃、急激に上達してたからさ。それに応じて心の在り様も変わって、だから知らない表情をするようになったんだろ。あいつがお前に久遠のことを聞いたのだって……あの日俺がミキ丸と居た時、偶然久遠と会って話してさ、あのときは“人狼”で物騒だったころだろ? 心配になったんだろうよ」



 そうに違いない、と思う。

 いや、そうではない、と心の冷静な部分が反論する。

 ごちゃごちゃの心で、俺は自分と茅谷を元気づける。



「……ありがとう。情けないね。滝口君に心配かけちゃって」



 気づけば、茅谷の口調が素に戻ってる。


 茅谷は微笑を浮かべている。

 誰が見ても無理に笑っているとわかる、作り笑いだ。

 無理をして、俺を安心させようと、頑張っている。そんな笑みだ。


 たぶん、俺も、おなじ笑いを浮かべているんだろう。



「滝口君のこと、ものすごく鈍い人だって思ってたけど……真里絵のこと、大切に思っていてくれたんだね……ありがとう」



 鏡の向こうからの励ましに、ほんのすこしだけ、救われた気になった。







 茅谷玲子と別れて、帰り道。

 ろくでもない考えが、頭を駆け巡る。


 久遠を殺した犯人は、おそらく黄泉返りで。

 ミキ丸もまた、黄泉返りと思われる特徴を持っている。


 久遠を殺した犯人は、久遠に殺意を抱いている人間で。

 ミキ丸は、事件が起こった当日、久遠の動向を調べていた。


 そしてあの日事件の現場近くにミキ丸が居たのは。

 自分が殺した死体を確認するため、ではなかったか。

 犯人は犯行現場に戻る。昔から使われる台詞そのままに。



「――物語は、繋がった」


「やめてくれ、久遠」



 立ち上がり、宣言した久遠に、すがるように声をかける。



「だが、刹那」


「わかってる。その可能性から目をそらしちゃダメなのはわかってる。放っておけない問題なのもわかってる……だけど、ヒーローなんだよ。ミキ丸は、俺の、憧れなんだよ……」


「刹那……」


「すまん。弱音を吐いちまったな……心配するな。俺はお前のヒーローだ。そこは絶対に揺らがない。だけど、すこしだけ、ほんの少しだけ……俺に時間をくれ」



 虚空を見つめたまま、久遠に乞う。

 頭では理解していても、心が理解を拒んでいる。

 心は千々に乱れて、思考はまるで形を成さない。


 いまの俺には、ただ時間だけが必要だった。




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