24 滝口刹那は苦悶する
「もっと尋ねたいこと?」
茅谷玲子の言葉に、俺は首をひねる。
「ええ……できれば、直接的な尋ね方はしないでおきたかったのですけれど」
「そういう言い方をするってことは、これまでの話のなかで語られててもおかしくない内容か?」
「そのとおりですわ」
茅谷玲子は肯定の意を示し、言葉を続ける。
「――遠州さんの変化について、これだけは、わたくしが聞いておかなくてはならない話。わたくしがわたくしで居るためにも、知っておかねばならない話なのです」
「……それは?」
尋ねると、彼女は体をまっすぐ久遠に向けて、口を開いた。
「遠州さん、お尋ねします。あなたのその変容に、三木真里絵は関わっていますか?」
思いもしない問いだった。
無関係だ。と、思わず切り捨てかけるのを、久遠が手で制した。
「返答する前に、聞かせてくれ。キミがなぜそう思うのか」
久遠はあえて否定せず、水を向けた。
突拍子のない話だが、茅谷玲子がそう言うからには、そう考えるだけの根拠があるのだろう。
「そうですわね……では、お話しさせていただきますわ。順を追って、最初から」
重いものを吐きだすように。
茅谷玲子は言って、語り始めた。
◆
「中学の頃……覚えてますわよね? わたくしと真里絵がお友達だったこと」
「ああ」
同じクラスだったこともあるから、覚えている。
茅谷玲子は、当時から女子グループのリーダーとして存在感を示していた。
ミキ丸は……空手を始める前はそれほど目立たなかったが、ひょうひょうとしてとらえ所のない少女だったように思う。
性格もスタンスも違う二人だが、馬が合ったのか、ときどき二人だけで話をしていた。
「だから……滝口君、あなたの話は、真里絵からよく聞いておりましたの。おなじ小学校だった男子で、素敵な子が居る、と。入学したてのころ、真里絵はあなたの話をいろいろと聞かせてくれたものです」
その頃を思い返すように、茅谷玲子は視線を宙に遊ばせる。
茅谷の思いこみによるバイアスがかかってるのかもしれないが、なんだか俺の知らないミキ丸だ。
「――だからわたくしは、ああ、真里絵は、滝口君のことが好きなんですのね、と思っておりましたの。滝口君の通っている道場に入門した時は、がんばって、と応援したものですわ」
それは違うと思います。
突っ込みたいが、話の腰を折るのもどうかと思う。
まだ話は序段だろうし、とりあえず最後まで聞いてみよう。
「道場に通い始めたころの真里絵は、本当に楽しそうでしたわ。滝口君といっしょに居られて、親しく話せるようになって、幸せなんだな、と……思っておりました」
語る茅谷の声が、ふいに澱む。
話が、不吉なものに転じるのだと察した。
「でも……ある時を境に。真里絵は時折、ぞっとするほど冷たい目をするようになりました」
「……冷たい、目?」
想像の中のミキ丸と、その言葉が、うまく結び付かない。
「ひょっとして、滝口君にはうまく隠していたのかもしれません。でも、あの目は……人を、自分と同じ生き物とすら認識していないようなあの冷たい目は、一度見れば忘れられません」
――ましてや、自分の友達がそんな目をするようになれば、か。
青ざめた茅谷の表情を見て、納得する。
だけど、やっぱり実感がわかない。
現在のミキ丸のイメージで上書きされてるのもあるんだろうが、さすがにそんな目をされたら覚えているはずだ。
「……滝口君、覚えております? 一年生の冬休み明け、彼女が一週間ほど学校を休んでいたことを」
と、茅谷が不意に尋ねてくる。
覚えている。道場でミキ丸の面倒を見ていた頃のことだ。
事情があって休むと、道場にも連絡があり、心配したものだ。
「――わたくし、あの時一度、彼女の家を訪ねたことがあるんですの。あの時見た真里絵は……まるで感情を削ぎ落したような、ぞっとするような顔をしておりましたわ」
茅谷は身震いしながら、己をかき抱く。
彼女が語った真里絵の様子は……あるひとつの現象を連想せずにはいられない。
「学校に戻って来た真里絵は、すっかり元通りになっておりました。実はそれは、すべて作りものなのでは、と、不安になることもありましたが、滝口君と居る時の真里絵はあいかわらず楽しそうで……だからわたくしは、その疑問を振り払っておりました」
感情をすべて失い。
死んでいるのに生き続ける、そんな現象を。
動悸がする。
息が切れる。
脳裏によぎった可能性を全力で否定する。
しかし、残酷に続く茅谷の言葉が、逃避を許さない。
「でも、不安は黒い染みのようにずっと残っていて……ほら、わたくし、遠州さんと塾が同じですわよね? この間、真里絵から、遠州さんが塾からいつ帰ったか確認されて。そのつぎの月曜日には、遠州さんが別人のようになっていて……昔の真里絵と同じ表情をするようになって――教えて。遠州さんはどうなってしまったの? 遠州さんがそうなったのは真里絵のせいなの? わたくしが……遠州さんがそうなる原因をつくってしまったの?」
茅谷玲子は震えながら久遠の顔色を伺う。
その姿は、普段の彼女からは考えられないほど弱弱しい。
まるで己の正しさを、見失ってしまったかのように。
久遠は、静かに、視線をただ彼方に向けている。
その目は、何物も映していない。
血まみれで玄関に立っていた、あの夜の久遠のように。
そしておそらくは、茅谷玲子が見たという、ミキ丸のように。
自然と、思考が進む。
それは、偶然と呼ぶにはあまりにも符合していた。
だめだ。
繋がってしまう。
意味が通ってしまう。
物語が成立してしまう。
絶対にそんなことあってはならないのに。
「大丈夫だよ茅谷。落ちつけ」
思考を振り払って、俺は震える茅谷を宥めてやる。
「滝口君……」
「武道ってのはな、哲学に通じるところもあってな。精神もおのずと鍛錬されるんだよ」
自分でも信じていない言葉を、自分が信じたい言葉を、俺は茅谷に向けて語る。
「ミキ丸の場合は、あいつあの頃、急激に上達してたからさ。それに応じて心の在り様も変わって、だから知らない表情をするようになったんだろ。あいつがお前に久遠のことを聞いたのだって……あの日俺がミキ丸と居た時、偶然久遠と会って話してさ、あのときは“人狼”で物騒だったころだろ? 心配になったんだろうよ」
そうに違いない、と思う。
いや、そうではない、と心の冷静な部分が反論する。
ごちゃごちゃの心で、俺は自分と茅谷を元気づける。
「……ありがとう。情けないね。滝口君に心配かけちゃって」
気づけば、茅谷の口調が素に戻ってる。
茅谷は微笑を浮かべている。
誰が見ても無理に笑っているとわかる、作り笑いだ。
無理をして、俺を安心させようと、頑張っている。そんな笑みだ。
たぶん、俺も、おなじ笑いを浮かべているんだろう。
「滝口君のこと、ものすごく鈍い人だって思ってたけど……真里絵のこと、大切に思っていてくれたんだね……ありがとう」
鏡の向こうからの励ましに、ほんのすこしだけ、救われた気になった。
◆
茅谷玲子と別れて、帰り道。
ろくでもない考えが、頭を駆け巡る。
久遠を殺した犯人は、おそらく黄泉返りで。
ミキ丸もまた、黄泉返りと思われる特徴を持っている。
久遠を殺した犯人は、久遠に殺意を抱いている人間で。
ミキ丸は、事件が起こった当日、久遠の動向を調べていた。
そしてあの日事件の現場近くにミキ丸が居たのは。
自分が殺した死体を確認するため、ではなかったか。
犯人は犯行現場に戻る。昔から使われる台詞そのままに。
「――物語は、繋がった」
「やめてくれ、久遠」
立ち上がり、宣言した久遠に、すがるように声をかける。
「だが、刹那」
「わかってる。その可能性から目をそらしちゃダメなのはわかってる。放っておけない問題なのもわかってる……だけど、ヒーローなんだよ。ミキ丸は、俺の、憧れなんだよ……」
「刹那……」
「すまん。弱音を吐いちまったな……心配するな。俺はお前のヒーローだ。そこは絶対に揺らがない。だけど、すこしだけ、ほんの少しだけ……俺に時間をくれ」
虚空を見つめたまま、久遠に乞う。
頭では理解していても、心が理解を拒んでいる。
心は千々に乱れて、思考はまるで形を成さない。
いまの俺には、ただ時間だけが必要だった。




