23 茅谷玲子は思い悩む
夕刻、待ち合わせの場所に、彼女はいた。
オープンテラスの端に、背筋を伸ばして座る少女の姿は、凛として美しい。
その美しさは、正しさから来るものだと思った。
正しい姿勢、正しい仕草、正しく手入れされた艶のある髪、正しく着こなされた制服。すべての正しさが、女性としての美しさに通じている。
でありながら、型にはまった窮屈さが感じられないのは、彼女がそれを自然体でこなしているからだろう。
それは生まれの良さ、育ちの良さ、教育の良さから来るものだろうか。それがゆえに、彼女には他人の“正しくなさ”を許容する器の大きさがある。だからみな彼女を慕うのだと思う。
「待っておりましたわ」
喫茶店を回ってテラスに出ると、茅谷玲子は、静かに、そう言って俺たちを迎えた。
「一人で来い、とは申しませんでしたが……滝口君。女の子同士のお茶会に出しゃばってくるなんて、無粋じゃございませんこと?」
俺たちが席につくのを待って。
茅谷玲子はそう言って俺の方をねめつける。
あ、これ怖い時の彼女だ。本気モードになるとなぜかお嬢口調になるんだよなこいつ。
「すまん、茅谷」
俺は即座に頭を下げた。
「――なんというか、お前が久遠のこと、事を荒立てず穏便にモノ申してくれようとしてるのは、よーくわかってるんだが」
茅谷玲子に悪意が無いのはわかっていた。
そもそも、囲んで吊るし上げるつもりなら、校舎裏にでも呼び出せばいいのだ。
人目につく喫茶店のオープンテラスを待ち合わせ場所に指定したことそのものが、彼女に害意のないあらわれだろう。
彼女が脅しや圧力抜きに話をつけようと思い、またそれを示してくれているのは、俺にも理解出来た。
だが、わかってなお俺が同行しなくちゃならない問題が存在するのだ。
「久遠のやつ。マジでダメだから。お前の気遣い一切理解できずに話をめちゃくちゃにしかねないから。どうか保護者だと思って同席させてほしい」
いや、茅谷と一対一で上手くいく気がまったくしない。
むしろ絶対破たんするだろうという絶望的な信頼感がある。
俺のお願いに、茅谷玲子は、しかたない、とばかり、ため息をついた。
「わかりましたわ。どうやらその方が話が早そうですし」
うなずいてから、彼女は視線を久遠に向けた。
「では――遠州さん。あなたどうしたんですの? 人が変わるにしても、限度というものがあります。なにか深刻な悩みを抱えているのではありませんこと?」
「無い」
「では、なぜ人が変わったんですの? なにか理由があるのでしょう?」
「答える必要を認めない」
おい茅谷。途方に暮れたようにこっちみんな。
お前のそんな顔ひさしぶりに見たわ。
「久遠、お前なあ……」
「しかし刹那。そのあたりの事情は不用意に他言することではない。リスクを考えれば、茅谷玲子に話すことは適切ではない」
「言い方ぁ! お前リスクだのなんだの言うくせに、言葉を選ばないことによって相手から反感を買うリスクに対して無頓着すぎる!」
「それは違うぞ刹那。前にも言ったかもしれないが、ボクは言葉に頓着しないのではない。相手のことを考えた適切な配慮というものが出来ないから、せめて誤解や意図しない挑発を避けるため、明快に答えているだけだ」
「だからっていまのはねえよ完全に喧嘩腰じゃねえか!」
「なら、どう答えればいいのだ?」
考えることにリソースを割いているのか、久遠はかくりと首を傾ける。
おいそれやめろ。
数あるお前の仕草の中でも屈指の異様さなんだよそれ。
「あー……人に言えない込み入った事情があるんです、申し訳ありません、くらいでいいんだよ」
「なるほど――人に言えない込み入った事情があるんです申し訳ありません」
煽りか!?
一言一句違わず復唱するなよ茅谷のやつ額に青筋浮かべてるぞ!
「な、ならあえて事情は問いませんわ。ただ、あなたの行いについては、看過できない――いえ、ありていに言いましょう。抑えきれません」
「……抑えきれない?」
「いままでお前に対する不満を、茅谷が抑えていてくれたってことだよ久遠」
首を傾ける久遠に説明してやる。
なんだよこのお嬢様、女神か。
「……そうだったのか。感謝する」
理解した久遠は、茅谷玲子に頭を下げた。
俺を見る玲子の目に感謝の色が浮かぶ。
通訳のありがたみを噛みしめてるんだろう。
まあ、久遠のやつも、言葉が通じないわけではない。
俺が居なくても、彼女がやって来たことを知れば、素直に感謝を告げただろう。そこに至る道は非常に遠かったに違いないけど。
「しかし、ボクはそれほど皆を不快にしていたのだろうか」
かくり、と首を傾ける久遠。
その様子に、茅谷玲子は我慢の限界を越えたのか、思いきり前のめりになった。
「わたくし言いましたわよね! 忠告しましたわよね! 先生に対してぞんざいに口を聞かない! クラスメイトを無視しない! 横柄な態度をとらない! あげくに決闘ってなんですの!? 相手はわたくしと親しい子だったからいいとして、部長さんや顧問の先生にまで話を通しに行ったり、すっごく面倒でしたのよ!?」
「……久遠、おまえ茅谷に30回くらい謝っとけ」
本気で女神かよこいつ。
なんでそんなに親しくもない女のために、ここまで出来るんだ。
「すまない。そこまで迷惑をかけているとは思わなかった」
「エンジェル……」
茅谷が俺の方を見てなんか言ってるが、お前のほうが天使だよ。
◆
「とりあえず、いまのやりとりで理解しましたわ。これまでの遠州さんの行いは、認識か、記憶か……そのあたりに、なんらかの問題があってのこと、ですのね」
ティーカップに口をつけてから、茅谷玲子は姿勢を正して言った。
まあわかるか。そのあたり、隠す気のないやりとりだったし。
“黄泉返り”関連の異常な事実さえ隠せれば、むしろ茅谷には知っていてもらった方がいいかもしれない。信用できる人間なのは間違いないし。
「そうだな。細かいとこは省く……というか、俺もよくわかってないんだが、そのへんにいろいろ問題があってこんな状態なんだ。ただ論理的な思考は出来る」
「論理的な思考ができて、なぜこんなに問題を起してますの……」
「そのあたりは……さっき久遠も言ったように、半分計算なんだよ。変に普段通り振る舞うと、演じきれない細かい差異でから異常を察知される。ならそのまま振る舞った方がいいだろうという」
「異常があるは思われなくても違和感がものすさまじいですわよ! 猩々寺さんとか泣きそうになってましたわよ!? ですが……はあ。それだけ精神の異常には気づかれたくない、ということですのね」
「そういうことなんだ……どうした久遠?」
茅谷玲子と話していると、隣に座る久遠が、妙にくっつきはじめた。
「なんでもない」
「なんでもないわけあるか。なんでくっつくんだよ」
「なんでもない。ただこうしたいだけだ」
久遠はそっぽを向きながら、体を寄せてくる。
わけがわからない。
「えーと……ちょっとだけ気になってたんですけど、滝口君と遠州さんって、おつき合いしてるんですの?」
「そのようなものだ」
おそるおそる、といった風情の茅谷の問いに、久遠は平然と答えた。いやいや。
「そのようなものだじゃない。つき合ってねえよ。なんで嘘つくんだよ」
「だって、こいつと刹那が親しげだから」
「親しげって……中学ん時からの知り合いだしクラスメイトだったしで、距離感的にはこんなもんだろ」
まあ、ぼっちだった久遠視点から見ると、普通の距離間でも近すぎるように見えるのかもしれない。
「えーと、つき合ってないんですわよね? ならいいのですけれど……結局、問題をどう解決しようか、という話になると思うのですけれど」
「――茅谷」
「出来ればわたくしの負担が減る方向性で」
「ちっ」
「いま舌打ちしましたわよね!? わたくしに負担押しつける気満々でしたわよね!? 無理ですわよ!? というかフォローしきれないから根本的になんとかしてほしいというのが、今回呼び出した趣旨なんですからね!?」
と、茅谷は悲鳴混じりに主張する。
いや、まあさすがに冗談だけど。
友達でもないのに、そこまで負担を押しつけるのは、どうかと思う……というか、いままでずっとフォローしてくれてた茅谷マジ女神。
「話を聞いてると、普通の人間が、わかってるけどあえて突っ込まない、あえて聞き流しておく、そんな部分をスルーできてないのが問題なんだよな」
「刹那、一応弁解させてもらうが、一度問題があった事項に関しては、学習して手控えている。それでも問題が減らないのは……」
「遠州さんが人気者になってしまった、というのが、原因の半分ですわ」
途中、言葉に迷った久遠に代わって、茅谷が説明を引き継いだ。
「どういうことだ?」
「遠州さんが人気者になり、声をかけられる機会が増えて、それに従い問題が起こる機会が増えたというのがひとつ。もうひとつは……すでに感情的にこじれてしまい、相手から絡んで来て問題になる――宮富先生なんかがこれですわね」
なるほど。久遠も一応がんばってはいたのか。
しかし、それでこの結果となると……困った。問題の解決法が見えてこない。
「――慣れてもらう、のがいいと思う」
悩んでいると、久遠がそんなことを言った。
「慣れる?」
「ボクに、新しい遠州久遠という存在に、だ。ボクがどんな人間か、みなが知れば、慣れれば、衝突はおのずと減る」
「……なるほど。久遠が急に変わりすぎたせいで色々諍いが起きてるけど、変わった久遠に慣れれば、みんなそれなりに折りあいをつけてつき合える、と」
たぶん、いまは過渡期なんだろう。
久遠が人気者になってしまったせいで、事態が悪化しているように見えるが、そのうち落ちつくべきところに落ちつく、ということか。
俺に適応しろ、なんて言うと、どこかの漫画みたいだけど。
「そうなると、よろしいんですけれど……まあ、話を聞いた以上、そして遠州さんに改善の意志がある以上、この件に関しては協力させていただきますわ」
「やはり女神……」
「やめてくださいまし。あくまでクラスの平穏のためですわ」
そんな会話を交わしていると、久遠がまたくっついてきた。だから近いって。
肩で押しあいをしていると、茅谷玲子は、さきほどよりいくぶん声を落として、言葉を続けた。
「――それに……遠州さんに、もっと尋ねたいこともございますし」




