18 久遠と二人で考える
遠州久遠は一度死んだ。
その犯人は、逢坂市連続殺人事件の犯人――殺人鬼“人狼”、賀古みらいだと思っていた。
だから、これまで深く考えることはなかった。
遠州久遠が、明確な殺意をもって殺された可能性を。
いや、単なる模倣犯の可能性もあるし、決めつけるのもよくないと思うけど。
「久遠、お前、誰かに恨まれてる心当たりとか、あったりしないか?」
帰宅後、食事を終えてリビングで、あらためて久遠に尋ねる。
久遠は、顎先に手を置いて、しばし考え込む。
「心当たり……ふむ」
「なにかあるのか?」
「ああ。恨まれている、ということであれば、これは有力だと思う」
久遠は断言する。
意外だった。
久遠は基本ぼっちだ。
人に殺意を抱かせるほどには、深く他人と関わっていない。
そりゃあ中二病だから、不快感を与えることもあったろうが、それが殺意を抱くまでの恨みになるとは、とても思えない。
そんな彼女の心当たりとは、なんなのか。
心構えをして、久遠の言葉を待つ。
「小説投稿サイトで、投稿していた小説について、読者と熱いレスバトルを……」
身構えてたぶん、ずっこけた。
「いや、それあんまり関係ないだろ。さすがにそんなことで殺意抱かんだろ。そしてお前はなぜそんなことした」
「主人公の刹那を貶められたので、つい……」
「やめて。中二病の妄想の権化みたいなヒーロー刹那くんを全力で擁護してる久遠の姿が想像できて居たたまれないからやめて」
「ボクの刹那はすごいんだぞ! 的な」
「やめて。やめて」
「リアリティがないとか言うけどこれが刹那のリアルなんですー! 刹那はすごいんですー! ……刹那、痛い。拳でこめかみグリグリするの痛い」
「何度もやめろっつってんのに話し続けるからだろうが俺が知らない俺の黒歴史とか知らないままにしておきたいわ!」
久遠がようやく口を止めたので、手を離す。
本気で心臓に悪い。
投稿サイトに乗せてる久遠の小説は、刹那を主軸に描かれてるから、下手すると作者が俺だと勘違いされかねない。
自己投影しまくった主人公が活躍する小説に、ツッコミ入れられたからって顔真っ赤にして読者とレスバトルする俺……やべえものすごい勢いで居たたまれない。
「……まあ、心当たりがそんな程度だってのなら、怨恨って線は薄いのかもな」
それだけは、救いといえば救いか。
俺の言葉に同意するように、久遠もうなずく。
「そうだな……まあ、ボクも夢の国のげっ歯類さんが人殺しを犯すような人間だとは思っていないが」
「それお前の熱烈なファンの人じゃねーかなんでそいつと不毛な争いしてんだよ!?」
「しかし、ボク自身の怨恨という線は薄くても、家族が恨みを買った可能性も否定できないな」
俺の突っ込みを無視して、久遠は考え込む。聞けよ。
「――ボクの父は、それなりに若くて大学教授になってるし、それが原因で誰かの恨みを買っている可能性は、あるにはあるが……」
「“人狼”の真似ごとをしてまで、ってのが、どうしてもネックになるよな。あれ、まともに真似できるかっつーと、無理っぽいし」
「純粋に可能不可能で言えば?」
「たとえばうちの道場の……獅王師匠や現役の重量級の人ならバグナク――獣の爪を模した武器を使えば、似たようなことは出来なくもない、かな」
やろうと思えばミキ丸も出来るだろうが、精神的な意味で不可能だ。ミキ丸はそんなことやらない。
「刹那なら?」
「練習すれば出来るだろうが……背後から一撃だろ? そこまで思いきれねえよ」
人を殺すのは……いや、人を殴るのだって、慣れなきゃかなりの思いきりが要る。
人を殺す一撃を放つには、覚悟か、恨みか……命の重みを上回る強い想いが必要だ。
「つまりは」
「久遠を襲ったのも、“黄泉返り”――賀古みらいやお前とおなじ存在かもしれないってことだ……まあそれも、賀古みらいの言葉が本当だったらの話だけどな」
正直怪しい。
いや、嘘は言わない気がするけど、うっかりとか勘違いとか、いかにもやりそうな人間だし。そしてそれを「うっかりうっかり。ごめんね?」で済ませそうなヤツだし。
「賀古みらいの言葉が、仮に本当で、敵が“黄泉返り”だとしても」
俺の言葉を十分に噛みしめてから、久遠は口を開いた。
「――相手は“人狼”に自分の罪をかぶせる程度には、日常生活に未練がある人間だ。“人狼”が捕まったいま、下手に動くことはないだろう」
久遠の言う通りだろう。
仮に久遠に対する怨恨があり、なおかつ“黄泉返り”だという最悪の可能性が本当だとしても、いま現在の状況で襲われる可能性は極めて低いに違いない。
「そうだな。まあ、警戒だけは怠らないようにしよう。なにがあるかわからないしな」
「ああ。刹那に守ってもらった命だ。大切にしたい」
久遠はそう言って胸元を押さえる。
命の温度を感じているのかもしれないが、俺から見るとそれ胸に手をうずめてるようにしか見えないんですよ。
◆
「そういえば、久遠」
真面目な話も終わり、いっしょにリビングでくつろいでいた俺は、ふと思いついて、男塾の文庫本を脇に置く。
「明後日日曜だろ? まとまった時間が取れるし、どこか遊びに行かないか?」
「デートか」
無表情のままガタッと立ち上がる久遠。
男塾の3巻を手に持ってなに言ってんだコイツ。
「デートじゃない……いや、お前がやりたいってのなら、つき合うのもやぶさかじゃないが、俺にまともなエスコートを期待するなよ。デートとか、やったことないからな俺」
「え?」
久遠が首を傾ける。
いや、なんでそこで不思議そうにするんだ。
「いや、刹那、キミはよく三木と二人で遊びに行っているだろう?」
「ああ。行ってるけど。よく喫茶店とかにも行く」
「それ、デートじゃないのか?」
「デートとは違わないか? 相手ミキ丸だし」
「……なぜだろう。ボクが描くキミと三木の未来は、真っ赤な血で彩られている」
「不吉な物語を描くな。ミキ丸はそんなことしない」
まあ不用意に男扱いしたら捩じ切られるけど。
試合やるとガンガン流血させられるし骨折られるけど。
「……まあいい。他人のことよりボクのことだ。デート、ということであれば、ボクの小説が火を噴くぞ」
「まて、俺になにをさせる気だ」
いやな予感がして即座に確認する。
「恐れることはない。キミが警戒しているだろう性的なことはなにもない。なにせこれはボクが中学生のころ書いた現代モノだ。かわいい子供の妄想の産物だ」
「なるほど、中学生が書いた小説の内容なら健全だろうな……で、それは実現可能な内容なのか?」
尋ねると、久遠は記憶をたどるように視線を宙に泳がせる。
「ふむ……まず、駅前の謎オブジェの前で待ち合わせ」
「そのオブジェもう無いよな」
微風でも動く、巨大な風車のようなオブジェだったのだが、一昨年の台風で壊れて撤去されてしまった。
家が隣なんだからいっしょに行けばいいじゃん、と突っ込むのは、まあ無粋か。デートで待ち合わせとか、俺もちょっと憧れてるし。
「それから商店街をぶらついて、ゲームセンターで遊ぶ」
「うんうん」
「不良に絡まれる」
「居ねえよ!? いまどきそんなガラ悪いヤツ居ないしそもそも俺が居て絡まれねえよ!」
「不良はモヒカンだ」
「もはやファンタジーの存在だよ!」
「それから賽ノ目神社に行って……」
「遠いよ! 駅前から歩くと一時間はかかるよ! どんなデート計画だよ!」
「境内で、風に揺られて舞い落ちる黄色い銀杏の葉を見ながらのんびり過ごして」
「そもそも季節設定が間違っている! 半年くらい!」
「そこに不良が絡んできて」
「だからうちの町じゃ不良いねえよ! 不良はそんなに無限湧きしねえよ! モンスターあつかいかよ!?」
「もちろん不良はモヒカンだ」
「そここだわるとこ!?」
「肩パットも欲しかったが、さすがにリアリティを考慮して自重した」
「なんなの!? お前の不良観、なんでそんなに世紀末なの!?」
「リアルな不良なんて、いまいちよくわからないし……」
まあ中学生のころの久遠が書いたものだしな。
その頃の知識じゃ仕方ないのかもしれない。
「それから神社で、ボクの手造りのお弁当をいっしょに食べて」
「たぶん境内に倒された不良がごろごろ転がってるよね!? そこで食べるの――ああ、ツッコミどころが多すぎるけど、まあいい!」
バン、と、ローテーブルに両手を置いて、宣言する。
「乗ってやろう! そのデートコース、再現してみようじゃないか!」
小説でのデートが、当時の久遠の願望なのだとすれば、そのほうがきっと久遠の心に響く。
なら、試してみるのも悪くないだろう。久遠もそう思って昔の小説を持ちだしたんだろうし。
「いいのか? それは……うん。楽しみだ」
久遠はそう言って微笑んだ。
造られた不自然さのない笑みは魅力的で……その表情のまま、久遠はこくりと首を傾けた。
「モヒカンは?」
「それはあきらめろ」
なぜそこまでモヒカンにこだわるのか。




