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きみと描く、英雄の詩  作者: 寛喜堂秀介


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13 平和な朝が訪れる



 目が覚めた。

 まぶたで感じる光は、まだ淡い。

 日の出直前か、それとも寸前か。いずれにせよ、起きるような時間じゃない。


 なのに目が覚めたのは、偶然じゃない。

 殺人鬼“人狼”と相対して以来、感覚が鋭敏になっている。

 とくに人の気配に敏感になっていて、誰かが家に入ってくれば、否応なくそれを察知してしまう。



 ――たぶん久遠だろう。



 目を閉じながら、そう思う。

 足の運びが特徴的で、わかりやすい。

 久遠らしき気配は、階段を登ってきて部屋の前で止まった。



 ――起こしに来てくれたのか。



 そう思うと、うれしいものがある。

 隣に住んでいる幼馴染の美少女が、朝起こしに来てくれる。

 そんな漫画のようなシチュエーションを体験できる人間なんてそうは居ない。


 ましてや俺はそのシチュエーションが大好きなのだ。

 はっきり言って憧れていた。この際久遠でもいいからやってくれないかなと、血迷って思っちゃったことも一度や二度ではない。


 だから俺は全力で寝たふりをする。

 先に起きているなんて興ざめなことはしない。



 ――さあカモン!



 待ちかまえていると、扉が開いた。

 ほとんど音がしない。こっそりと開けた、という風情だ。


 このこっそりと、という動作、意外と難しい。

 ドアの構造をよく知り、絶妙な力加減で回さないと、こうも静かに開くものではない。

 それも、ここ数日の練習の成果かと思うと、うれしくなる。こういうの、保護者のような気持ち、と言うのだろうか。



「刹那」



 こそりと、久遠が声をかけてくる。

 起こす、というより、起きていないか確かめるような、そんな声。



 ――狸寝入りがバレてるのか?



 ひやりとしたが、久遠はもう一度俺の名を呼んで、近づいてきた。

 どうやらバレては居ない。すくなくとも久遠に確信はない。



 ――さあ、遠慮なく俺を起こせ! さあさあ!



 なんというか、ここまで待ちかまえちゃうと憧れていたものとはまた違うシチュエーションになってる気もするが、一向に構わない。


 久遠の気配が間近に迫る。

 布団に手がかかる気配。そして……



「――なんで布団の中にもぐりこんじゃってるのっ!?」



 いきなり布団に入ってきた久遠から逃れるように、布団をひっつかんで跳び退る。

 取り残された久遠は、驚きを表すためだろう。無表情のまま、「わ」と、顔の横で両手を開いた。



「起きていたのか」


「そりゃ起きるわ! びっくりして起きるわ! なんで布団の中に入って来たの!?」


「起きてる時だと刹那は拒むから」


「夜這いか!? 夜這いなのか!? もうとっくに朝だよ!?」


「夜討ち朝駆けは武士の習いだ」


「お前は武士じゃないだろ!? どっちかっていうとミキ丸が武士だよ! 古武士だよ! 戦国猛将だよ!」


「刹那はすぐ三木のことを話題に出す……」



 久遠は無表情のまま、口元だけ“へ”の字に曲げた。



「拗ねてるのか!? それ拗ねてるのか!? というか久遠! お前俺の自制心をあんまり過大評価するなよ! 俺は、あれだぞ! はっきり言ってエロいぞ! 自分で自分が信用できないぞ!」


「知ってる」


「ちょっと待てよ久遠。お前俺のなにを知ってるっていうんだ! あんまり信用され過ぎなのも困るが、ためらいなくそう言われるのも傷つくんだぞ!」


「刹那、夜、時々カーテンを閉め忘れるから――」


「オーケーわかった久遠。久遠さん。話はそこまでにしましょう。降参! 降参です!」



 即座に降参して話を打ち切る。

 やばい。冷や汗が止まらない。

 こいつの部屋、いっつもカーテンかかってるから完全に油断してた。

 こっそり覗いてやがったのか。お前の方がよっぽどハレンチじゃないか……と思っても、昔の心を喪って“黄泉返り”になったこいつにはノーダメージなのがズルい。安全圏から一方的に殴られるとか公平じゃないですよ!



「とりあえず、あれだ、久遠。まずはおはよう」


「おはよう、刹那」



 ベッドの上にちょこん、と座って、久遠は挨拶を返す。

 うん。またパジャマ姿で来なかったのは、評価しよう。あれ外聞的に大ダメージだし。

 母親が居ない家に女の子を呼びこんでると思われる時点でかなりの致命傷というか母親の帰りが今から本気で怖いのだが、今は考えないでおこう。


 とりあえず、あれだ。

 いまこの状況はマズい。非常にマズい。

 布団でしっかりと身を包みながら、いかにピンチを切り抜けるか、考える。



「……とりあえず、久遠。着替えたいから部屋を出てくれないか?」



 久遠は俺の目をじっと見て。

 それから、視線を下半身に落として。

 にやり、と悪魔のような笑みを浮かべた。

 おいそれ使い方間違った表情だろ? そうだよな? そうだと言ってください久遠さん!



「朝……か……」



 久遠の言葉に、思わずビクッとする。

 いや、大丈夫だ。まだ致命的じゃない。たとえ久遠が察していたとしても、言葉にしなければシュレディンガーだ。



「大丈夫だ刹那。興味はあるけれど、刹那が拒むなら、いま無理に見ようとは思わない。ボクは下で待っている」



 言って、久遠はベッドから降りて、部屋の外へと向かう。


 セーフ? これセーフなのか!?

 決定的な言葉が出てないだけで余裕でアウトな気がするんですけどどうなのミキ丸さん!?



“いやこれ完全にアウトですよね刹那くん。完璧バレちゃってますよね?”



 そんな脳内ミキ丸の言葉が流れてくる。



「朝の生理現象なのだから、恥ずかしがることはないのに……」



 出て行きざま、久遠は独り言のようにそうつぶやいた。


 アウトだこれー!?







 着替えて、階段を下りる。

 久遠の姿はキッチンにあった。

 制服の上からエプロンを羽織り、朝食の準備をしてくれてる。

 訓練も兼ねて、ということで、あの事件以来、食事は久遠が支度してくれている。

 幼馴染が家のキッチンで食事を作ってくれるというのは、憧れるシチュエーションでもあるので、やっぱりうれしい。

 惜しむらくは食事に置けるカレー率が大幅に低下してしまったことだが、まあ昼の学食カレーは維持しているので、我慢できないほどじゃない。



「いつもありがとうな、久遠」


「好きでしていることだ」



 声をかけると、久遠はこちらに背を向けたまま、淡々と答える。



「――それに、小説にも書いていただろう? 刹那に料理を作ってあげることは、遠州久遠がひそかに憧れていたことだ。いまボクは、ごく淡くだが、満足感のようなものを覚えている」



 なんだろう。

 うれしいんだけど、流れに身を任せてると果てしなく堕落してしまいそうなこの感覚は。



「ちなみに、これも小説に書いていたんだが、大団円の後結ばれる展開に、かつてのボクは憧れていてだな」


「よし、その話はいますぐやめよう」



 言いながら、テレビの電源をつける。

 大団円の後、というところに久遠なりの自制心というか節度みたいなものを感じるが。


 と、考えていると、テレビ画面によく知る女性の姿が映し出された。


 人気アイドル、賀古みらい。

 彼女が逢坂市連続猟奇殺人事件の犯人、殺人鬼“人狼”として逮捕され、数日が経つ。


 現役アイドルが、人知を超えた猟奇殺人事件に手を染めた。

 その衝撃は、冗談抜きで日本を震撼させ、ネットは騒然、テレビやラジオでも連日彼女について語られ続けている。

 その震源地となった逢坂市泉下町でも、犯人が逮捕された安堵以上に、犯人が地元出身アイドルだったという衝撃的なニュースに、みな動揺を隠せない様子だ。


 かくいう俺自身、ショックだった。

 ファンだったんだから、あたり前だ。

 ただまあ、他のみんなのように不意打ちで知ったわけじゃないので、衝撃は少ないのかもしれないが。


 俺は久遠とともに、賀古みらいの罪を暴いた。

 そして、ミキ丸――三木真里絵によって、賀古みらいは捕えられた。


 死ななくてよかったと思う。

 賀古みらいは久遠を含めて5人も殺したのだ。

 その罪を明らかにして、公の場で裁かれて欲しい。

 相応しい罰を受けて、罪を償ってほしい。そう思う。おそらくその罰は、命を持って贖う類のものだろうけど。



「刹那、ご飯が出来た」



 と、感傷に浸っていると、久遠が声をかけてきた。



「おお、すまん。配膳を手伝う……今日の朝ご飯は、豆腐と油揚げの味噌汁に、目玉焼きか。美味そうだ」


「うまく出来ているといいのだが」



 配膳を済ますと、並んだ料理に手を合わせて、味噌汁に口をつける。



「ん?」


「どうした、刹那?」


「いや、みそ汁の味が、一味足りないというか……」



 俺の言葉を聞いて、久遠も味噌汁に口をつける。



「ふむ。こんなものだと思うが……ひょっとして、刹那はもうすこしダシを強く利かせたほうが好みか」


「あ、そうか。ダシが足りてないのか」



 納得した。

 みそ汁の味って、家によってけっこう差が出るんだな。

 そういえば、旅行先の食事とかでも、みそ汁飲んで違和感がある時があるよな。



『賀古みらいは、いったいなぜ4人もの罪なき命を奪ったのでしょうか?』



 テレビでは、コメンテイターがそんな話をしている。

 賀古みらいが襲ったのは4人じゃなくて5人で、理由は自分が“咲く”鮮血の舞台を作るため、なんて真実は、しかし語られることはない。


 だから、コメンテイターの話も、自然、ダシの利いてない味噌汁にも似た、あやふやな憶測に終始していた。





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