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きみと描く、英雄の詩  作者: 寛喜堂秀介


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10/28

10 そして事実は暴かれる



「――物語を始めよう」



 6月8日夜10時05分。

 逢坂市泉下町葦原駅にほど近い、謎トンネル。

 雨音が低いうなりとなって響くトンネル内の石テーブルを舞台として、たよりなく瞬く照明をスポットライトとして、遠州久遠は静かに語り始める。



「一人の少女の物語だ。歌が好きで、アイドルに憧れる。どこにでもいるような少女時代を過ごした彼女は、しかし夢を夢で終わらせず、必死の努力で夢を叶え、そしてアイドルとしての成功を手に入れた」



 聴衆はただ二人。

 俺――滝口刹那と賀古刑事。

 昨夜物語を聞き終えた後、彼女と連絡をとり、この場所で落ち合った。


 物語ならぬ真実を明かすために、遠州久遠は物語る。



「だけど悲劇が起きた。旅客機の墜落事故に、彼女は巻き込まれてしまう。乗客の生存が絶望視される、未曾有の惨劇から、しかし彼女は生き延びた……いや、一度死んで、蘇った。黄泉返った」



 墜落の現場で、少女はただひとり生きていた。

 奇跡、とマスメディアで取り上げられた出来事は、しかし決して幸運ではなかった。



「代償として、彼女は心を喪った。感情を喪った。実感を喪った。それはアイドルとして活動するには致命的だった。致命傷だった。彼女は生きていたが、アイドルとしては死んだも同然となった」



 その時の彼女の絶望は、いかばかりか。

「だが」と、久遠は物語を続ける。



「彼女はあきらめなかった。自宅療養を装い人目を避け、表情を、声を、踊りを、取り戻すべく懸命に鍛えた。鍛えて、鍛えて――ついに取り戻した。かつての動きを、かつての声を……だけど、そこに込めるべき心は、残っていなかった。一番大切なものは、取り戻せなかった」



 絶望的で、救いのない物語を、久遠は静かに紡ぎ続ける。



「心が必要だった。歌うには、踊るには、ファンの前で輝くには、心が必要だった。だけどそれが、彼女にはない……いや、違う。たったひとつだけ、彼女には感情が残っていた。アイドルとして復帰するため、不毛な努力を続けさせた想いが残されていた。すがるべき心が、ほんのひとかけらだけ、残されていた」



 ――“咲きたい”。



 たったひとつの想い。

 それはおそらく、彼女の原点。

 ひたむきにアイドルを目指していた彼女が抱き続けていた、強烈な想いだったのだろう。



「だから彼女はそれにすがった……だけど、考えてほしい。“黄泉返り”が執着する感情は、死の直前に強く抱いた想いだ。死に直面した時。飛行機が墜落していくその時、彼女はなぜ、“咲きたい”と思った? 咲くことに執着した?」



 彼女が巻き込まれた事故は、悲惨だった。

 高高度を飛行中、左翼側のエンジンが爆発。

 片翼はもがれ、機体に大穴が空き、数人の乗員が空中に吸い出されていった。

 数分後、機体は空中分解。バラバラの状態で、機体だった代物は、乗客だった代物とともに、山中に雨の如く降り注いだという。



「彼女が最期に見た光景を語ろう。彼女が最後に思ったことを語ろう。機体が分解し、乗員が、乗客が肉片と化す、血肉が咲き乱れる絶望の光景を目の当たりにして――彼女は魅入られた。美しいと思ってしまった。これこそ自分が真に輝ける舞台だと思ってしまった。“咲きたい”と思ってしまった」



 かくして彼女の想いは歪む。

 願いは変わらず根幹が歪む。

 ステージの上で輝きたい――“咲きたい”という純粋な想いは。

 血肉を裂いてばら撒きたい――“咲きたい”という歪んだ執念に。



「ふたたび己が輝くために。新たな舞台で咲くために。彼女は人を裂いた。裂いて、撒き散らして――咲かせた」



 つまり、と、久遠は結びの言葉を紡ぐ。



「アイドル、賀古みらいは、逢坂市連続殺人事件の犯人――殺人鬼“人狼”だ」







 賀古刑事は、しばらく無言だった。

 ひやひやする。不安でたまらない。彼女の反応が怖い。



 ――“誰か止めて”。



 昨夜久遠は賀古刑事の意図を、そう物語った。


 妹、賀古みらいを助けたい。止めたい。

 だけど肉親を見捨てられない。告発できない。

 身を引き裂かれそうな葛藤の中、すがるような気持ちで、彼女は俺たちに、謎解きを持ちかけてきたのだと。


 真に迫っていると思った。

 だから彼女に真実を打ち明けてもらうため、物語をぶつけた。


 でも、怖い。

 間違っていたらと思うと、見当外れの侮辱なんじゃないかと思うと、不安でたまらない。


 だが、もし真実なら、賀古みらいは殺人犯なのだ。

 4人を殺し、遠州久遠を一度は殺した、殺人鬼“人狼”なのだ。

 止めなくちゃいけない。葛藤する刑事さんの背中を押してあげなくちゃいけない。久遠を守るためにもだ。



 ――間違っていたら、俺が非難の矢面に立とう。



 そう覚悟した。

 紛い物でも、本物じゃなくても、俺は久遠にとって唯一のヒーローなんだから。


 長い長い沈黙の後、刑事さんは口を開いた。



「……んー。“人狼”に関しての推理には、おまけして満点をあげちゃいましょうか」



 肘をつき、両の手を組んでその上にあごを乗せ、どこか楽しげに彼女は言葉を続ける。



「――でも、それだけじゃ、及第点はあげられないかな? なぜかって? ぜお姉さんが君たちに、事件の真相に繋がるヒントをあげたのか、その部分が、まだ語られていない」


「なら、物語ろう。あなたは肉親ゆえに真相に気づき、自らが引導を渡すのが忍びないゆえに、ボクたちにヒントを与えたのだ」


「残念それじゃ0点だよ。ざんねん、君たちの冒険はここで終わってしまいました! なんてね」



 冗談のようにおどける刑事さん。

 だが、目が笑っていない。全身から、剣呑な気配が放たれている。まるで、いまにも襲って来そうな。


 考えろ。

 賀古みらいが殺人鬼“人狼”だという推測は正しい。

 なのに賀古刑事が俺たちにヒントを与えた動機は、俺が正しいと思える、共感できる物語すいりは間違っている。



 ――もしかして。



 ふと、冗談のような可能性が閃いた。

 荒唐無稽な可能性だ。これはむしろ久遠の領域だろう。だけど、そうであればすべては繋がる。



「“わたしに気づいて”……タイトルをつけるとしたら、これはそんな物語なんじゃないか?」



 俺の言葉に、彼女は微笑んだ。

 楽しげに。うれしげに。だけど目だけは笑わず。

 そこに一切の感情も浮かべず、彼女は首を傾ける。



「んー? どういうことかな?」


「俺たちの目の前にいるあなたこそ、賀古みらいその人じゃないか、と、そういう話だよ」



 そう。俺たちは賀古みらいを知っている。

 テレビで、雑誌で、PVで、ドラマで、多様な彼女を見て知っている。


 だけど、その姉は知らない。

 入れ替わっていたとしても、気づけない。



「おそらくあなたは、同意の上でか、それとも無理やりにか……とにかく姉と入れ替わって出歩いていた。理由は、面会謝絶中の自分がうろついてる所を目撃されるとマズいってのと、刑事なら街中を出歩いても違和感がないし、マスコミも避けてくれるだろうって計算があったんだろう。目的は……言うまでもない。獲物の物色」



 警察手帳は……本物かどうかわからないが、賀古みらいはドラマのゲストで女刑事役を務めたこともある。その時の小道具なのかもしれない。



「――賀古刑事を装って動いているさなか、あなたは偶然、同類である遠州久遠に出会った。そこで、いたずらか、それとも別の意図があってのことか、とにかくあなたは自分が賀古みらいだと気づいてもらうために、ヒントをくれたんだ」


「んー。せいかーい! 少年には満点をあげよう!」



 両腕を広げて、刑事――いや、賀古みらいは賛辞を送る。



「そうです。お姉さんは本物の賀古みらいだったのでしたー! いぇいいぇい! はい握手ー!」



 そう言って、賀古みらいは手を差し伸べてくる。

 思わず手を伸ばしかけて……久遠の冷たい手が、それを止めた。



「あれ? 美少女ちゃん、嫉妬した? 嫉妬しちゃった?」


「その行為は危険だと判断しただけだ」


「ぶーぶー! 差別よくなーい! お姉さんだって女の子なんだぞー! 傷つくんだぞー!」



 口をとがらせて抗議してから、賀古みらいは笑顔になる。



「でも、いいね! 少年少女! 総合点だと及第点ってとこだけど、お姉さんにとっては満点だよ! 理想的だよ! 素晴らしい!」



 ん……及第点?

 推理は満点なのに?

 不吉な予感が脳裏をよぎる。


 直後、背筋に悪寒。

 とっさに久遠をひっつかんで横っ跳びに逃げる。

 直後、暴風のような音とともに、賀古みらいの腕が直前まで居た空間を薙ぎ払った。



「反応が遅ーい! 想定が甘ーい! だから及第点しか上げられないんだよ!」



 女は笑う。

 ぞっとするほど魅力的な笑顔で。

 ぞっとするほど虚無的な笑顔で。


“黄泉返り”は、ここまで人を装えるのか。

 感情のない状態で、ここまで表情をつくれるのか。

 心がないにもかかわらず、ここまで美しく在れるのか。



「――油断してた? お姉さんは殺人鬼“人狼”なんだよ? 真相を当てて、お姉さんに気づいて終わりなんてありえないでしょ? なにせ、これは少年少女を主人公にした探偵物語なんかじゃなく、お姉さんを主人公にした猟奇物語なんだから!」



 指を折り曲げて、獣の爪を象る。

 みち、と、骨が筋肉が悲鳴を上げた。そこに込められた恐ろしい力を示すように。


 真相を暴くべきじゃなかった?

 いや、たとえ真相を暴かずとも、きっとこうなっていた。

 相手のホームグラウンドに踏みこんだ時点で、真実を暴こうが暴くまいが、俺たちはまな板の上の鯉だ。


 賀古刑事を信じすぎた。

 人を装う“人狼”の知恵に絡め取られていた。



「あらためて、少年少女には、お姉さんの5番目と6番目の獲物になってもらおうかな! 喜んで。これまでの誰よりも奇麗に、誰よりも美しく――咲かせてあげるから!」



 獲物の前で、舌なめずりするように。

 賀古みらい。いや、殺人鬼“人狼”は、顔の前で鍵爪を作り――わらった。




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