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ぷらすまいなす  作者: 夏みかん
第一章
2/9

優しさの弾丸 2

翌日もまた晴天であり、日差しがきつく暑かった。早苗の誕生日は毎年いろんな催しが行われる。これは城乃内家の伝統行事だ。当主の誕生日を親族全員で祝う、その余興は団体で行ったり個人で行ったり。合唱や演舞など様々だ。毎年のことながら、昴は手品を見せた。手先が器用なこともあってその腕はいい。拍手喝采の中で手品を終え、次は修太郎と貫太郎の演舞になっていた。ゆっくりした動きで戦いを行い、型を披露する。昨日のショックを感じさせない見事な舞に拍手が鳴り響き、昴もまた心からの拍手を送るのだった。そうして催しは終わり、女性たちが料理の支度をする。昴は子供たちを引き連れて近くの小川に向かった。メダカが泳ぎ、蛙が跳ねる。トンボが飛び、バッタが跳ねる、そんな田舎の風景が目一杯広がっていた。邦彦が小川に入り、膝まで使ってザリガニを取る。そうして夕方まで遊んだ面々は一緒に風呂に入り、今日の汚れを落とした。湯船に浸かりながら子供たちを先にあげて母親たちに預けた邦彦もまた湯船に浸かった。ちょうどいい湯加減に満足しつつ、夕日の照り返しを受けた水面がキラキラと輝くのがどこか幻想的だった。


「正直な話、君でよかったと思う」


邦彦の言葉にそっちを向くが、夕日が眩しすぎた。


「修太郎じゃ、心美ちゃんを幸せにはできないだろうからね」

「俺でも無理ですって」


その言葉に邦彦は笑った。昴は顔にお湯をかけ、手で水滴を落とす。


「好きな子でもいるのかい?」


からかう風ではない。だからその言い方にはちゃんとした返事が必要だと感じた昴は浸かりながら移動して邦彦の正面にやってきた。


「そういう子はいないですね。でも、だからって・・・・」

「彼女の幸せ、見つけてやってくれ」

「自分の幸せも見つかってないのに?」

「一緒に探せばいいさ」

「・・・・・あいつと、ねぇ・・・・難しいにもほどがある」


嫌とは言わない昴が好きだった。昔から昴に好感を得ている邦彦にすれば早苗の決断は正しいとしか言えない。


「君ならできるさ」


心からそう思う、そんな笑顔を残して邦彦は湯船を出た。何故みんな自分に期待するのかがわからない。そんなに出来た人間ではないことはみんな知っているはずだ。昴は頭のてっぺんまで湯船に沈み、そしてゆっくりと出る。そのまま湯船を出つつ眩しい夕日を見つめるのだった。



今日も宴会だ。地元にいる者の中で漁師がいたり問屋がいたりで食べ物には困らない。それに近所の差し入れもあって食材は豊富だった。お酒も大量にあって早苗の89歳の誕生日を盛大に祝っていた。そんな中であっても心美はせわしなく働き、動き続けている。昴は子供たちの相手をしつつ酔っ払った邦彦たちの相手もしていた。修太郎とはあれ以来会話もなかった。やがて子供たちや酔っ払いから解放されてお腹も膨れ、ちびちびとジュースを飲んでいるといつの間にか横に心美が座っていた。


「仕事、終わったんだ?」

「いえ、瑞樹おばさまがあなたの傍にいろと」


要するに命令を受けたのかと瑞樹を見れば嫌な笑みを浮かべている。ため息をついた昴は小皿を取ると適当に食べ物を載せ、それからジュースを入れたコップを心美の前に置いた。感情のない顔だが、疑問を持った目をしているのは分かる。


「食べなよ」

「自分で取ります。あなたはいりますか?」

「いらねー。満腹だ。欲しいのあったら取ってきてやるよ」

「いえ、自分でやります」


抑揚の無い声でそう言い、丁寧な手つきで刺身を食べる。綺麗な指だと思う。炊事をしているにも関わらず。


「綺麗な手だね。すごく炊事とか頑張っているのにさ」

「おばあさまがお薬をくれました。それを毎日塗っています」

「へぇ、そうなんだ」

「あとで好きな食べ物とか、嫌いなもの、食べられないものを教えてください」

「なんで?」

「一緒に暮らすにあたっての最低限の情報はいただかないと」

「なるほど」


納得している場合ではないと思うが、とりあえずやりたいようにさせようと思う。しばらくは腹の探り合いが続くのだろうし。そう思う昴は正座をして背筋の伸びた心美の食べ方が綺麗だと思ってしまった。


「見習うべきところは、見習うかな」

「はい?」

「なんでもないよ」


微笑む昴に無表情で返し、心美は丁寧に食事を進めていった。優雅な振る舞いは早苗の躾けの賜物だろう。これでもっと自分を出してくれれば言うことはないのにと思う。今のままでは同居の家政婦にしかならないことは目に見えている。


「子供は結婚してからになりますか?」


突拍子もない言葉に目が点になる。疲れた顔をする昴の前では邦彦がビールを飲みつつニヤニヤした顔をしていた。


「一緒に住むけど結婚はしない」

「そうですか」

「そう」


納得したのか、心美は何も言わず自分で煮物を取った。


「何で結婚しないのか聞かないの?」

「聞いてもよろしかったのですか?」

「疑問に思ったら言葉にしてよ。思っているだけじゃ、相手には伝わらないんだし」

「わかりました」

「よろしく」


そのなんとも言えないやりとりを見つつ、邦彦はどこか嬉しそうに微笑んでいた。


「お似合いだよ」


2人には聞こえない声でそう呟き、空になったコップを片手に席を立つのだった。



昴にあてがわれた寝室は6畳の小さな部屋だった。大部屋は子供を持つ家族たちで使用しているためにこうしてここを選んでいるのだ。一緒に寝ようと子供たちに誘われたが、1人の方が落ち着くために丁寧に断っていた。それに、ゲームをしたかったからだった。子供たちの前でゲームをすることはできない。寝ないからだ。ようやく落ち着いた自分の時間を満喫していた昴は片方の耳にだけつけたイヤホンから流れるゲームサウンドを口ずさんでいた。そんな時、自分を呼ぶ声がした気がしてイヤホンを外す。だが聞こえてくるのは虫や蛙の鳴き声ばかりだ。気にせずイヤホンをつけようとした時だった。


「昴さん」


心美の声にギョッとしつつ、逆夜這いかと焦りまくる。だが冷静にこんなところでそれもないかと身を起こし、返事をした。


「なに?」

「入ります」

「ど、どうぞ」


声が上ずった。ゆっくりと襖が開き、浴衣を着た心美が正座をしていた。綺麗だと思うが、だからといってときめきはない。それが自分でも不思議だった。どんなに近くにいてもドキドキしない。それは心のどこかで心美を女として、いや人間として見ていない証拠なのかもしれないと思えた。そんな思いを否定した矢先、心美は部屋に入ると襖を閉じた。


「で、な、なにかな?」


動揺はありありと出ていたが、心美はそんな昴を見ても平然とし、正座したままさらに近づいた。


「明日、出発ですが・・・私の荷物は明日新居へ運ぶようにとおばあさまがおっしゃいました」

「新居って・・・さすがにそれは早いって」

「ですが・・・」

「俺の引越しが終わってからになるでしょ、普通」

「はい」


分かっているのかいないのか、困った昴は頭を掻いた。


「ちょっと待ってて」


そう言い、バッグから手帳を取り出すと住所を書いて心美に渡した。新居の準備は出来ていると言ったが、だからといってすぐに住めると思っていたのは心美の方か早苗の方か。


「まずはここに送って。帰ったら不動産、っても坂本さんのところなんだろうけど、そこに行こう」

「はい」


まじまじとメモを見つめ、心美はそう返事をした。相変わらず感情はない。


「では失礼します」


心美はそう言うと、一礼をして部屋を出た。作法はよくわからないが時代劇っぽいなと思う。閉じられた襖を確認し、それから深いため息をついた。


「コンピューター人間ってか?」


疲れたようにそう呟くとゲームをする気力を失って電源を落とし、寝転がって天井を見上げた。夏休みの宿題を早々と終わらせていて正解だと思った。これでは帰ってからが忙しすぎる。父親の友人で不動産をしている坂本は城乃内家の持つ土地も扱っている。おそらく話はいっているのだろうが、引越しに新生活となるとすることは多い。それに、クラスメイトにどう説明すればいいのやら。悩みが多く、疲れているのになかなか眠れなかった。


「いっそ欲望に負けた方が楽なんだろうけど」


そうなってしまえば事実婚だろう。だが、そうはしたくない。それをすれば負けだと思っていた。何に対して勝った負けたかは定かではない。だが、絶対にそうならない自信もあった。


「前途多難だなぁ」


他人事のようにそう呟いた昴が目を閉じる。聞こえてくる虫の鳴き声に耳を貸すうち、いつの間にか眠りについていた。



田舎で過ごす最後の朝はあわただしかった。観光に回る家族が多く、皆、朝食後に早苗に挨拶をして帰っていく。総勢26人いた人数もわずか12名にまで減ってしまっていた。昴は昼にでも帰るとしてその準備をするが荷物が少ないためにすぐに終わってしまった。午後1時にはここを出るが、まだ軽く3時間はあるためにどうしようかと思った矢先、瑞樹に呼び止められて台所へと向かった。そのままそこにある椅子を勧められて座れば、麦茶を出してくれた。


「お昼食べたら帰るの?」

「ええ。到着は遅くなるけど、ま、いっかなって」

「心美ちゃん、一緒よね?」

「晩飯はファミレスでも行きます」


そう言って麦茶を飲む昴を見つつ、瑞樹は小さな封筒を昴に差し出した。厚さはそうないとはいえ、お金ではないと思いたい。目で開けろと告げる瑞樹に促され、昴は封筒を手に取った。どうやら何かの書類のようだ。


「開けてみて」


言われるままに開けて中の書類を取り出した。


「なんなの、これ?」

「私の持つ土地の所有書。あなたたち2人に一部を譲渡しますってことね」


ため息をつく昴はわずか数日で億万長者になった自分を呪う。心美を得て本家の財産の一部、瑞樹の私財の一部を貰ったのだ。総資産は軽く数十億にのぼるだろう。


「なんでまた・・・」

「結婚祝いよ」

「いや、まだしないし・・・・するつもりもないし・・・」


うんざりしたようにそう言いつつ、昴は書類を封筒に戻した。瑞樹は小さく微笑み、それから真剣な目で昴を見つめた。


「あの子をお願いします・・・私はずっとあの子に娘のように接してきた。それでも、あの子はあのままだった。けど、昴くんは違う。あなたなら、あの子の心をこじ開けることができると思う」


何を根拠にそう言うのかがわからない。そんな顔をしていた昴を見た瑞樹は椅子から立ち上がると昴の横に立った。昴はゆっくりと瑞樹を見上げるようにしてみせる。


「1年後、来年のおばあさまの誕生日に会う2人を楽しみにしてる」

「楽しみにされても・・・・ま、頑張るよ」


瑞樹に手を握られ、昴は苦笑を混ぜてそう言った。何を頑張るのか、自分でもよくわかってはいない。それでも、それは正しい答えだという風に瑞樹は微笑んでいた。



結局、屋敷の周囲を軽く散歩しただけで汗だくになり、ゲームをして時間を潰すことになった。そうして昼食時間となる。いるのは早苗に瑞樹たち家族、そして心美と昴というシンプルな人数になっていた。そうめんを食べつつ早苗が隣り合うように座っている昴と心美へと言葉を投げた。


「心美は田舎暮らしで都会の暮らしはさっぱりだ。昴、しっかり支えてあげてね?」

「夏休みの残りはそういう感じで終わりそうだし、ま、頑張るよ」


表情もなくそう言ってそうめんを食べる昴に満足そうに頷く早苗とは違い、修太郎は憎しみのこもった目で昴を睨んでいた。それをあえて無視しつつ、お茶を飲む。


「心美は賢い子だから、大丈夫だよね?」


瑞樹の言葉に頷く心美だが、本当に大丈夫かどうかは心配だ。従順すぎるほど従順な心美は都会でどんなトラブルに巻き込まれるかわかったものじゃない。とにかく夏休みの間に出来るだけの知識や認識を叩き込む必要があると思えた。


「引っ越したら連絡しなさい」

「はいよ」


箸を置いた昴がそう言い、それからごちそうさまと告げた。心美は食べ終えた器を重ねつつ、それらを持って台所に消える。そんな後ろ姿を眺めつつ、修太郎は嫌な形に口を吊り上げた。


「返品するなら早めにな」

「心配ないよ、そんなことはしない」


くつろぐような体勢を取った昴の言葉に歯噛みしつつ、修太郎は立ち上がると居間を後にした。


「さて、んじゃ準備すっかな」


そう言いながら立ち上がると心美の消えた台所へと向かう。荷造りが済んでいるのかを確認しに行ったのだ。残された早苗と瑞樹は微笑みあうが、貫太郎と慎太郎は暗い表情のまま黙々とそうめんを食べていた。やがて場の空気に耐え切れず、そそくさと席を立つと奥に消える。そんな男性陣を見つめつつ、早苗は夏でも熱いお茶を好むため湯気を上げる湯飲みを手に持った。そんな早苗を横目に見た瑞樹は表情を堅くした。


「心美ちゃん、大丈夫かしらね」


昴との関係が、ではなく、都会の暮らしの話だ。


「大丈夫、昴がいる」


その意図をちゃんと汲んでの言葉はさすがだと思う。それに、早苗の中で昴は絶対的信用のおける人間だった。


「お母さんは昴くんを跡取りにしたいんでしょう?」


本音を聞いてみた。次に当主になるのは66歳の老いた自分だとは思っていない。娘婿である慎太郎であろうことは明白だ。このままいけばやがて修太郎が跡を継ぎ、城乃内の家柄は落ちぶれる可能性が高いのだ。


「次はあなた、その次は慎太郎」


お茶をすすりつつそう言った言葉を聴きつつ、年老いている自分が継ぐのはどうかと思う。今の時代だからこそ、若い世代の力が必要だと思うのだ。


「けれど・・・」

「もし親族内で異議があれば、その時は話し合って決めなさい。修太郎か、昴か・・・ま、結果はどうあれね」


結果はどうあれ、もめる、その言葉を言わなかった早苗を尊敬する。


「あの子はおじいさんによく似ているから」


瑞樹はそう言い、笑顔が素敵だった父親の顔を思い出した。厳しく、それでいて優しかった。息子や娘、孫に曾孫まで超戦事武術を教え込み、最後は病に倒れて帰らぬ人となった。その最期の一瞬まで威厳に満ちた人だった。そんな父親に、昴は似ていると思う。


「昴なら、きっと心美の堅い扉に穴を穿つ。優しさという名の弾丸は、きっと心美の凍った心を砕くさね」


早苗は微笑みながらそう言うと湯飲みを置いた。昔から優しい子だった。両親の教育というよりも持って生まれたものだろう。優しく、まっすぐで誠実だ。歪んだ部分はあれど、それを自分で修復できる。両親を失いながらも自分を保ち、懸命に生きているのだから。


「修太郎を歪ませたのは私たちみんなさ。本家の人間だと、跡継ぎだと囃し立ててね」


眉を寄せてそう言った早苗の言葉が胸に響く。小学生の時に母親を失い、心神喪失状態だった修太郎を支えてきたのはその言葉だ。人の上に立つ人間だから強くなれ、そう言ってきた結果がこれだ。持って生まれた武術の才能もあって、彼は慢心した。その対極の位置にある昴を憎んでいたことも知っている。


「昴には心美が必要だ。心美にも昴が必要。けど、お互いに認め合うまでにいろいろあるだろう。いろいろ失って、いろいろ得る。それでも、その先に幸せがあると信じたい」


早苗は憂いに満ちた表情でそう言い、立ち上がった。足りないものを補い、いらないものを捨てて成長しあう。あの2人にはそれができると信じていた。



広い玄関にずらっと並ぶ面々に丁寧に頭を下げた。肩より少し長い髪が大きく動くのを歯がゆい表情で見つめるのは修太郎だった。自分の嫁になるものだと信じて疑わなかった。だが、裏切られたのだ。毎晩のように風呂を覗き、時には強引に一緒に入った。だからといってキスもできずに終わったが。そう、瑞樹の目が光っていたからだ。服の上から胸を揉んだこともあるが、そこまでが限界だった。いや、この誕生日会の集まりが終わった後で強引に関係を結ぶ気でいたのだ。こんなことならさっさとしておけばよかったと歯噛みする。だが、後の祭りだ。一番奪われたくない人間に奪われる屈辱。その憎しみの目を昴に向け、修太郎は両手に握った拳を限界まで握り締めた。


「お世話になりました」

「いつでも戻ってきなさい、昴と一緒にね」


1人では戻ってくるなというその言葉を理解しているのか、心美は早苗に頷いてみせた。


「困ったことがあったらすぐに連絡しなさい」

「はい。瑞樹さんもお元気で」


機械的にそう言い、再度頭を下げる心美をギュッと抱きしめ、それから昴を見た。


「心美ちゃんをお願いね」

「任せとけ、とは言えないけど、頑張るよ」


素直な言葉に苦笑し、それから昴を抱きしめた。その耳元にそっと声をかける。


「あなたならできるわ」


昴はかすかに頷くと離れる瑞樹に笑みを返した。


「じゃ、また来るよ」

「ああ、またいらっしゃい」


早苗の言葉に2人は頷くと、昴は心美の荷物が入った赤いキャリーバッグを持った。心美の荷物は思ったほど少なく、キャリーバッグが2つだけだ。あとは午前中に昴の家に送っている。心美は自分のバッグを持つ昴を不思議そうに見たが何も言わず、靴を履く慎太郎の方へと顔を向けた。


「じゃ、駅まで送ろう」


その言葉に丁寧に頭を下げ、それから再度早苗の方を向いた。心美が再度丁寧に頭を下げる。


「お元気で」

「今生の別れみたいだねぇ・・・またおいで、待ってるからね」

「はい」


やはり感情もなくそう言い、もう一度頭を下げた。そうして屋敷を出て階段を下りていく。手を振る昴に手を振り返しつつ、ふと横を見れば修太郎の姿はなかった。


「寂しくなるなぁ」


貫太郎の言葉に頷く瑞樹だが、ここにいるよりかは心美は幸せになれるはずだと思う。


「年に一度は帰ってきますよ」


早苗はそう言うと階段のギリギリ手前に立った。その目が少し潤んでいる。白いワゴン車に乗り込む心美を見ていた早苗と瑞樹は自分たちに向かって右手を向け、親指を突き出す昴を目にする。それを見た2人は顔を見合わせて微笑みあった。やがて昴も車に消え、ゆっくりと動き出す。そして車は電車の駅に向けて走り去っていくのだった。



午後3時半の新幹線に乗り込み、まずは東京を目指す。2人の間に会話らしい会話もなく、ただ黙ったまま座っているだけだった。切符を買う時などは会話はあれど、それ以外はどう声をかけていいかがわからない。好きなことが何かを聞いて話を広げようとしたが、特にないと言われてはどうしようもなかった。だから昴はゲームをし、心美はただひたすらに景色を眺めている。かといって険悪ではないものの、2人の間にある距離感はかなり大きいことが浮き彫りになった。ゲームにも集中できず、早々とセーブをして終わらせた。ゲーム機をバッグにしまう昴を見ていた心美は膝の上に両手を置いたまま顔だけを昴に向けている。


「なに?」


視線に気づいた昴がそう言うが、心美はなんでもありませんと機械的に言い、これまた丁寧にペットボトルのお茶を飲んだ。もうため息しか出ない。前途が多難すぎる予感を胸に、窓の外の景色に目をやった。そうしていると東京に到着する。お盆前だというのに既に帰省の人間で溢れかえっていた。これを考慮してお盆前の土日を帰省日にしていたが、早苗の誕生日がお盆前だというのがいかにありがたいかを知った。人ごみに飲まれていく心美を心配し、一旦人の少ない場所に行くとバッグを持ち、空いた手で心美の手を引いて在来線のホームへと向かう。行き交う人は多く、皆歩く速度も速い。ぎゅっと心美の手を握りつつなるべく人の少ない場所を選んでホームに立った昴は大きく息を吐くと手を放した。


「ここはいつもこんなに人でいっぱいなのですか?」


手を繋いでいたことなど意に介さず、心美は列を作っている人をまじまじと見つめていた。


「今の時期は特にね」

「そうですか」


わかっているのかどうかよくわからない返事をするが、いろいろショックを受けているようにも見える。ドの付くほどの田舎から出たことがないだけに仕方がないだろう。近くにある町も、都会に比べれば小さい規模でしかないのだから。昴は表情もなく駅を見渡す心美を見つつ必要最低限の都会での暮らしの知識を授けることを決めた。しかしそれは明日からだ。今日は自分も疲れている。そうしてやってきた電車に乗り込むが、こちらも人でいっぱいだった。昴は心美を車両の真ん中まで連れて行くとそこに立たせる。ドア付近は人で押し合っていたからだ。無言のままで時間は過ぎ、千葉駅でさらに乗り換えるが、今度の電車は普通に混んでいるだけの状態だった。こうして長い時間を電車で過ごし、ようやく最寄り駅に到着した2人は駅を出た。にぎやかな駅前はタクシーとバスのロータリーもあり、デパートもあって大きく開けた街だった。ネオンがきらめき、裸に似た格好の女性が男性を伴って歩いている。家路を急ぐサラリーマンや自転車に乗った子供、それらをじっと見ている心美だったが、感情らしきものはなかった。


「とりあえず飯にしよう」

「外食ですか?」

「ああ、すぐそこにファミレスがある」

「ファミレス?」

「・・・・・・・現代に生きる日本人の台詞じゃねーな」

「私は日本人です」


その返事に苦笑し、昴は心美のキャリーバッグを1つ持つと駅のすぐ目の前にあるファミレスへと向かった。心美は残ったキャリーバッグを転がしながら昴の少し後を着いていった。


「並んで歩いてよ」

「いいのですか?」

「ばあちゃんがそうしろって?」

「はい。夫の一歩後ろを歩けと」

「俺、夫じゃねーから横でね」

「・・・はい」


何か言いたげだったがそれを言わず、心美は昴の横に並んで歩いた。こういうところは素直で助かると思うが、何せ自我が無い。言われた通りに動く人形だ。とりあえず店に入るが意外とすんなり席を案内される。2人だけだったのが良かったようで、家族連れや友人同士の大人数をよそに先に通されていた。


「順番はよろしかったのですか?」


案内された座るなりそう言う心美にいいの、とだけ言い、メニューを開いて心美に渡した。待っている人の順番を抜かしたことを気にしているような口調だが、顔には出ていない。


「好きなの頼んでいいよ」

「はぁ」


言葉は困ったようだが全然そんな風には見えない。しばらくページをめくった後、そっとオムライスを指差した。これで足りるのかと思うが、そこはあえて何も言わなかった。昴はメニューを受け取ると開きもせずにテーブルに置き、ベルを鳴らした。すぐに男の店員がやってくる。


「オムライス1つと煮込みハンバーグ1つ。あとサラダとスープセット2つとドリンクバー2つね」

「はい。ご注文は以上ですか?」

「はい」


店員が注文を復唱し、去っていった。心美は店員が手にしていた機械をじっと見ていたが、去ってから昴を見つめる。


「あの機械で注文を取ったのですか?」

「そう。じゃぁドリンクバーに行こう」

「ドリンクバー?」

「・・・とにかく、おいで」


今時ファミレスもドリンクバーも知らないとは頭が痛くなる。確かに田舎にいたが、早苗たちはこういう場所にも行かなかったのだろうか。昴はそう思いながらコップを機械の下に置いてオレンジジュースのボタンを押した。途端にコップにジュースが注がれる。それをまじまじと見ていた心美は昴に言われた通りにコップを置いてボタンを置いた。


「何度でも飲めるから好きなのを飲んでいいよ」

「はい」


席に戻り、ジュースを飲んだ。喉が渇いていたのか心美も一気に半分近くを飲んでいた。


「こういう、まぁ、外食みたいなのはしなかったの?」

「ありましたが、お寿司や洋食屋でした。あとは出前ですか。基本的には家で作っていましたから」

「まぁ、食べに出るより作る方、だったな」


早苗が外食を好まなかったことを思い出す。料理は自分たちで作って食べるもの、それが早苗のモットーだったからだ。よくそんな状態で都会の自分の下へ心美を送ったと思うが、今更それを嘆いても仕方がない。昴は周囲が騒がしく盛り上がっているのをいいことにこういう場所でのマナーを教えていった。ドリンクバーにサラダバーなど、まるで子供に説明するようにわかりやすく丁寧に。心美は質問もよこさずただ頷いていたが、ちゃんと理解している風に見えた。そうしているとやってきたオムライスを前に、心美は何もせずじっとしている。


「食べたら?」

「あなたより先には食べられません」


もう言葉もない。いつの時代の人間だと思う昴はスプーンを取り出すと心美に差し出した。困った風にしながらも無表情でスプーンを受け取る心美はそれでも固まったように動かなかった。


「待つ必要は無いよ。順番に来るんだから、食べたらいいんだ」

「けど・・・」

「俺たちは対等な立場だからさ」

「それは違います」

「俺がそう決めた」


やや強い口調に心美は黙り込んだ。主人と家臣、そんな関係は嫌だった昴は手で先に食べろと指示する。ためらいを見せたが異議を唱えず、心美は両手を合わせるといただきますと言ってオムライスを食べ始めた。サラダの時は来たのが同時だったために気づかなかったが、やはり心美の中の常識と自分の中の常識が違いすぎる。対等と言いながらも今のように命令に近いことをしないと心美は動けないのだから。どうするかを思案しているとハンバーグがやってきた。途端に顔を緩める昴をじっと見ていた心美に気づかず、すべてが揃ったかを確認する店員に頷く昴はナイフとフォークを手に取った。


「ハンバーグ、お好きなんですか?」


ここでじっと自分を見ている心美に気づく。


「ここの煮込みハンバーグは好きだな」

「失礼とは思いますが、一口いただけますか?」

「ん?まぁ、いいけど・・・」


その言葉を聞き、失礼しますと言った心美は少しだけスプーンでハンバーグをすくうようにするとソースを多めに載せたそれを口に入れた。味を噛み締めるようにしている。心美はこれだけで昴の好きな味を知った。今後の料理に生かすための行動だったのだ。


「美味いだろ?」

「はい。ありがとうございました」


心美は丁寧に頭を下げる。周囲の目を気にしつつ愛想笑いを返し、昴もまた食事を開始した。だがはやり会話はなかった。ただ黙々と食べているだけだ。ここでも優雅な手つきで食事を進める心美を凄いと思う。気品に満ち溢れ、芸術的とさえ思える仕草だ。


「とりあえず明日は不動産に行って新居を見る。あとは買い物だなぁ」

「わかりました」


本当にわかっているのかと思いながらも食事を進める。そしてそのまま会話もなく食事を終え、昴はジュースのおかわりに立った。


「いれてきます」

「いいって。俺が行く。お前のもいれてきてやるよ」


そう言って空になった心美のコップを手に取った。


「ありがとうございます」


またも頭を下げる心美に鼻でため息をついた昴はこういうのも直していく必要があると思っていた。しかし疲れる。心美がいることで自分にとってマイナス面しか見えてこない。不安も大きくなる一方だ。箱入り娘というか、田舎者というか、とにかく常識が少しずれているのだから。それでもそれを顔に出さず席に戻る。


「礼はいい」


頭を下げようとした心美を制し、昴はストローを突っ込んで一口飲んだ。


「そんなに礼ばっか言うことはないよ。持ちつ持たれつでいこうよ」

「ですが、城乃内の人間に対して失礼です」

「俺は修太郎みたいに本家の人間じゃないし、別家も、そのまた別家の末端だ」

「それでも・・・」

「だから、1つの行動に1つのお礼でいい。細かい行動に礼もいらない。俺とお前は同居人。遠慮もなし。気遣いもなし」


命じるでもなく、静かにそう言った。ここで初めて心美の空気が揺らぐ。表情に変化はないが、明らかに戸惑っているといった空気を出していた。昴はそれ以上何も言わずにジュースを飲んだ。心美も同じようにし、そのまま会話もなく店を出ることにしたのだった。

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