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ぷらすまいなす  作者: 夏みかん
第一章
1/9

優しさの弾丸 1

ありがちなストーリーですが、ふと頭に浮かんだ物語。

行き当たりばったりでご都合が過ぎるかもしれません。


それでも同居する中で芽生えるのは感情が先か、愛が先か。

自分を失った心美と両親を失った昴が2人で得るものは何か、お楽しみに。


全9話の短編じみた物語、始まります。

城之内の家系には代々、戦国時代から受け継いできた武術がある。刀を持った相手に素手で挑む、という武術だ。元は友人だった2人の男が発案して同時に腕を磨いてきたものだと言われており、1つは木戸無明流きどむみょうりゅう、もう2つは城乃内流となって互いに競い合って腕を磨いてきた。その1つである城乃内流こそがこの家系の祖であり、やがて刀剣も扱うようになって刀と拳をもって乱世を生き抜こうとし、実際に名のある大名に仕えてその功績を残して江戸時代には名家として名を馳せるほどに大きく発展していった。あくまで人を殺す流派となった木戸無明流とは交流はなくなり、城乃内流はその技と伝統を1冊の書物にまとめて代々男子に受け継がせてきた。その書物を『超戦事武術』と呼び、その本はやがて流派の名前となって現在となった今でも脈々と受け継がれている。15歳になった城乃内の男子は皆これを継ぎ、心と身体を鍛えてきたのだ。城乃内家は明治維新を期に政府中枢や大企業内部にも進出してさらなる発展を遂げている。そのため今でもその権威は残っており、本家の人間は医者や自衛官、消防士などをはじめ、官僚など公務に携わる者も多い。現在の当主は城乃内早苗であり、齢88になる老婆である。その早苗の89歳の誕生日を3日後に控えた夏、城乃内昴は4日分の着替えをリュックに詰めて新幹線のホームに立っていた。いつもこのお盆を前にした時期には家族揃って本家のある長野県の田舎へと向かうのが慣わしになっていた。だが、今は1人である。10ヶ月前に交通事故で両親を亡くし、その初盆を本家で行うこともあっての帰郷だ。静かにお盆を過ごしたいと思うが、早苗の言葉は絶対である。嘘か真実か総理大臣や警視総監ですら彼女には頭が上がらないというだけあり、昴もまたため息をつきつつ新幹線に乗り込んだ。高校2年生ながら親の遺産でマンションでの1人暮らしだ。その暮らしにも慣れて料理もようやくレパートリーも増えて味も良くなってきた。こんなとき彼女でもいればと思うが、それは叶わぬ夢だ。今は1人で生きることでいっぱいいっぱいなのだから。顔はイケメンの部類に入ると言われているが、社交的でないせいかあまりモテない性分だった。それに男友達とつるんでいたほうが楽しいとも思う。流れていく景色を見つめつつ、本家や他の分家の面々を思い出して深いため息をついた。今回も総勢25人の親族が本家のお屋敷に勢ぞろいする。話すことも、きっと両親のことなのだろうなと再度深いため息をついた。ただ、今回は早苗から大事な話があると言われているのが気になっていた。分家の曾孫でありながら随分と可愛がってくれていることもあり、怖くも優しくもある早苗に会えることは嬉しい。だが、会いたくない人物とも顔を合わせることが辛かった。特に本家の血を継ぐ2つ年上の存在がその最たるものだった。


「どうせ、ろくな話じゃねぇだろうけど」


ペットボトルのオレンジジュースを口にしながらそう呟く昴はバッグからゲーム機を取り出すとそれに集中するのだった。



新幹線を降り、そこから在来線を乗り継いでさらにバスに乗る。そのバス停に見慣れた顔が多いのも仕方がないと思えた。親族が皆揃うとなれば、こうもなろう。もっとも、学生にとっては夏休みでも今日は平日だ。そのため、女性や子供ばかりに会う。明日は土曜日で男性陣が揃うが、昴は久しぶりに会う親戚のおばさんたちから熱烈な歓迎を受けた。元々、親族の女性に受けはいい方だ。軽い感じの昴だが、しっかりした考えもあって大人びて見られたせいだと自分でも思う。両親のことなどを話しながらバスに揺られること1時間、石垣の前にあるバス停に到着したバスの乗客はここで全て降りた。城乃内前、そう呼ばれるバス停だった。石垣は2つに分かれ、その間から階段が見えている。階段の中腹に門があり、さらにその上に大きな昔ながらの屋敷が聳え立っている。これが城乃内本家のお屋敷だった。現在は早苗とその長女夫妻、さらには長女夫妻の長男家族が同居している。それでも部屋の数は充分に余るほどであり、昔は子供たちでかくれんぼをしたが外でするよりも難易度が高いほどだった。階段を上って門を超え、その先にいる人物を見てあからさまに顔をしかめた昴は両手に持ったおばさんたちの荷物を落とさないようにしつつその人物の前に立った。今時オールバックの髪型とは、そう思う昴だが顔に出さずに軽く会釈をしてみせた。


「どうも、久しぶりッス」

「ふん・・・そうだな」


腕組みをした白いポロシャツのその男は本家の当主になるであろう人物、城乃内修太郎だ。やや細い目にやたらでかい鼻が目に付く。昴はそんな修太郎の脇をすり抜けようとし、それを見た修太郎の目つきが変わった。仕掛けてくる、そう思う昴がどうするかを悩んだ時だった。


「ありがとうね、昴くん」


にこにこした笑顔はずっと変わらない。殺気を消した修太郎の舌打ちが聞こえたが無視をし、近づいてくるその女性、修太郎の母親である瑞樹に頭を下げた。


「いえ。お久しぶりです、瑞樹おばさん」

「ホント。元気そうで嬉しいわ」

「元気だけが取り得だしね」


微笑む昴に少し涙ぐみながら並んで歩く瑞樹の背中を睨むようにした修太郎はその場に唾を吐いてからその後を追うのだった。



本家の玄関はかなり広い。田舎の屋敷の造りは皆こんなものなのだろうが、ここは特に広かった。その玄関を上がって数人のおばさんたちの荷物を集めた場所に運んできた荷物を置けば一斉に礼を言われる。昴はにこやかに対応してその真向かいに自分の荷物を置いた。1人身のせいか、荷物の小ささが目立った。皆家族を連れているために結構な大きさのバッグが複数になっているからだ。だだっ広いその部屋もどこか荷物置き場のようになってきている。明日になればまた少し荷物が増えるが、もうここは荷物部屋でいいと思う。部屋は他にたんまりとあるのだから。ここでは来た者から順番に早苗に挨拶するしきたりもあり、昴は早苗の部屋へと向かった。列ができていたがいつものことだ。少し待てばすぐに自分の順番となった。自分の後ろに人がいない分、気が楽だった。


「昴です、入ります」


襖の前で正座をし、相手に見えないでも礼をする。それから両手で少し襖を開け、さらに両手の指を使って静かに襖を開いた。一礼してから中に入り、また静かに襖を閉める。自分に背を向けて座っている着物の女性の前に歩み出て正座をし、また一礼をしてみせた。


「よくきたね、昴」

「ばあちゃん、元気そうだ。嬉しいよ」


砕けた言い方に早苗はしわくちゃの顔をさらにしわくちゃにする。息子娘の嫁や夫、孫夫婦ではありえない挨拶だ。礼儀を知りながら、それでいて親族ならではの砕けた感じを早苗は好いていた。昴が本家の人間でないことが悔やまれるほどに。


「元気でもないさ・・・今年は暑いからね」

「千葉も暑いよ。でも、ここはまだましかな」


そう言う昴に笑みを見せ、それから早苗は背筋を伸ばした。


「今晩、宴会が終わったら私のところへ来なさい」

「はい」


その言葉に正座をしたまま一礼する。さっきまでの砕けた言葉が嘘のような態度だ。


「では、失礼します」


昴は礼をしたままさらに頭を下げて畳みに額を当てる。それから立ち上がって早苗に背を向けた。


「もう・・・大丈夫なのかい?」


その言葉に動きが止まる。だがそれは一瞬のことで、昴は早苗を振り返るとにんまりとした顔をしてみせた。


「慣れたよ、やっとね」

「そうかい」


早苗はなんともいえない表情をし、昴はますます笑みを濃くした。そのまま一礼し、部屋を出て行った。閉じられた襖を見つめる早苗は小さなため息をつき、それから襖の向こうから聞こえる女性の声に返事をしてみせるのだった。



長い廊下だと思う。そのせいか毎回、小学校を思い出す昴はその縁側に沿って存在している廊下の半ばで足を止めた。縁側の向こうにある庭に設置された井戸から水を汲んでいる女性の背中を見つけたからだ。昴は少し表情を硬くしてからわざと軽い口調で声をかける。


心美ここみ


名前を呼ばれた女性、いや少女は振り返ると表情もないまま丁寧な仕草で頭を上げた。昴は軒下にあるスリッパを履くと心美の傍に歩み寄る。1つ年下のその少女はテレビなどで見るアイドルグループなど問題にならないほどの可愛さと美しさを持っていた。これで感情というか、愛想が良ければ完璧だろう。無表情のまま昴を見上げる心美は人形のようである。


「元気そうだね」

「はい」

「今日から3日ほど忙しいと思うけど、ま、俺も手伝えることは手伝うよ」


にんまりと微笑む昴を見つめるその顔に変化は無い。


「いえ。ここでは女性が家事を取り仕切るしきたりです。男性はおくつろぎ下さい」


機械的にそう言い、心美は頭を下げて自分の作業に戻った。年に1、2度しか顔を合わさないが、初めて会った時からずっとこんな調子だ。笑った顔はおろか、怒った顔も悲しい顔も見たことがなかった。


「今時流行らないけどな、そういうの」


井戸から水を汲むその仕事を手伝おうとはせずにそう言った。手を貸すことは心美の仕事を奪うこと、つまりはその存在そのものを否定することだともう何年も前に悟っている。


「俺の嫁に何の用だ?」


イラッとするのはその言葉のせいではない。声色、言い方、すべてが不快にさせていた。昴は右側を見るように顔を動かし、それからとぼけたような顔を作った。


「へぇ、結婚したんだ?」

「するんだ、近い将来な」

「ふぅん」

「心美は本家の跡継ぎを産む。そのための女だ」

「まるで人形扱い、だな」

「人形みたいなもんだろ?心を閉ざし、感情もない。いい体といい顔だけの女だ」


そう言いながら水を汲み終えて桶を地面に置く心美の体を舐めるように見やった。下衆の顔で。


「じゃぁ諦めたら?」


意外な昴の言葉に細い眉がピクリと動く。親戚とはいえ本家の跡取りに対する態度ではない。プライドが揺らぐ。それはすぐ顔に出ていた。


「どういう意味だ?」

「あんたにはもったいないってこと」

「本家の意思だ」

「彼女の意思じゃない」

「女に意思などない」


心美は自分のことでもめている自覚があるのかないのか、桶を両手に持つとさっさと台所へと向かって歩き出した。その体を見つめる修太郎は服の下の裸体を想像し、ニヤニヤした顔つきになった。


「人形でいいならビニールの人形でも抱いてあそこ握ってな」


その言葉に修太郎の顔が悪鬼に変化した。同時にその間合いが一気に詰まる。右手が動くが、それはフェイントで下から右足が舞った。だが昴はそれを読んでいたのか既に下がっている。修太郎はその場で左足を軸に一回転し、そこから昴めがけて飛んだ。舞うように蹴りを見舞い、拳も混ぜる。演武、そう形容するのがピッタリだ。昴はそのすべてを受け、かわし、そして反撃をしない。修太郎はニヤリと笑うと右手の人差し指と中指を昴の喉を目掛けて突き出した。その刃が昴の喉を突き刺すほんの一瞬前のことだった。


「それまで!」


空気を震わせる言葉に修太郎の手が止まった。昴の喉から2センチほど手前で静止した指がある。声がなければ確実にその喉を突き破っていただろう。


「大ばあ様」


修太郎は動きを止めたまま顔だけをそっちに向けた。廊下に立っているのは早苗だ。


「さすがは百年に1人の逸材」


そう言われて薄く微笑んだのも一瞬だった。


「・・・と言いたいところだが、まだまだ修行が足りんわ!」


さっきよりも空気を震わせ、修太郎を睨んで怒鳴りつけた。修太郎は面食らいつつ、自分の右手を見る。早苗が止めなければ確実に昴の喉を裂いていた。もちろん、触れたところで止めるつもりだったが。なのに何故自分が罵られるのかがわからない。


「昴・・・お前は甘すぎる」


疲れたようにそう言う早苗に苦笑し、ふせていた顔を挙げた。その顔を見た修太郎が表情を変える。よく見れば、昴の左ひざが自分の股間に触れる数ミリ手前だったのだ。


「修太郎の突きは昴の右手で捕まれたろう。だが、その前に股間を強打されていた・・・わざと喉を突かせて、隙を見せてな」

「わざと?」


震える声は驚愕からか、屈辱からか。


「やだなぁ、ばあちゃん・・・偶然だよ、偶然。それに、俺が負けてた」


くるっと早苗の方に体を向けてにんまり笑った昴を見て苦笑する早苗はもう何も言うまいと顔を横に振った。それを見た昴は早苗に頭を下げてから廊下に戻り、さっさと行ってしまった。その後ろ姿を見送る修太郎は右手を下ろすと血が滲むほど強く握り締める。生まれた時から天才と呼ばれ、小中高と空手の全国大会では上位に食い込んでいた。超戦事武術を使えば優勝どころでなかったろうが、それは仕方がない。使えば死人は出ないまでも大怪我をさせていただろうから。百年に1人の天才と呼ばれたそんな自分が分家のガキに負けるなどありえない。キッと早苗を睨むが、静かな眼力でそれを制したために修太郎は怒りの火を消した。


「失礼します」


そう言って頭を下げて歩き出そうとしたときだった。


「本家の跡取りならば、もっと大きな心を持ちなさい」

「はい」


暗い声でそう言い、修太郎は庭の方に消えた。その消えた場所を見つめてため息をついた早苗は濃い青の中に浮かぶ白い巨大な入道雲を見上げるようにしてみせた。


「あれが百年なら、あの子は千年の逸材よな」



夕方から始まった宴会は17人の大人数で展開されていた。明日は午前中に昴の両親の初盆を執り行い、昼からは早苗の誕生日会の準備になっている。女性陣が準備した夕食は煮物や焼き魚など、田舎特有のものばかりだった。男連中は昴を除いて皆成人しており、ビールだ酒だと騒いでは次々に空にしていった。上座に座った早苗も楽しそうに雑談している。一番隅っこに座った昴は煮物を突きつつ親戚の顔ぶれを見ていた。それからお酌をしたり料理を運んだりしている心美へと目をやる。誰に何を言われても感情はなく、ビールを注いだ拍子に修太郎に肩を抱かれようがどさくさに紛れて胸を触られようがまったく嫌がる素振りもない。昴はそんな心美から視線を外すと刺身を食べた。食事は美味いがどこか心は暗い。


「どうぞ」


不意にそう声をかけられ、そっちを見ればジュースの瓶を持った心美がいた。清楚な顔立ちは可愛く、いい香りがしている。だが表情はない。注いでもらったジュースを手に持ち、昴は微笑を心美に返した。


「ありがとう」


心美は頭を下げ、自分はろくに食べずに酌に回る。そしてひとしきり回ったところで再度修太郎に捕まった。肩を抱き寄せ、酒を注がす。ため息をつく昴は何も言わずにただ刺身を口にしていた。人形、確かにそう思える。可愛いが表情もなく、感情もない。もっとも、この家に引き取られた時からそうだったし、何より親族全てを事故で失い、自分だけがほぼ無傷で助かった身だ。だから彼女は心を閉ざしたのだろう。生き残ってしまった罪悪感か、それともただ単にショックだったのか。同じように事故で両親を失ったが、幼児だった心美と高校生である自分とではそのショックの度合いが違う。修太郎に肩を抱かれても、周囲の酔っ払いに何を言われようともまったく反応を返さず自分の仕事をこなしていた。話かけても機械的なことしかしゃべらず、笑いもしない。早苗から料理や礼儀作法、その他女性としての振る舞いを叩き込まれてきた心美は最高の嫁になるだろう。だが、そこに彼女の意思も感情もない。昴はそんな彼女から視線を外した。そのまま刺身を乗せた皿とジュースの入ったコップを手に取って縁側に腰掛けた。


「で、お前らいつ結婚するんだ?」


誰かの声がした。昴はそっちを見ずにただジュースを飲み、食事をする。隣にやってきた瑞樹と両親のことを話す昴を見つめていたのは早苗だけだった。


「大学を出たらすぐに、かなぁ」


さっきよりも強く心美を抱き寄せながら嬉しそうにそう言う修太郎がいた。この地元から大学に通いつつ、父親のしている不動産を継ぐのだ。本家として、いずれはその跡取りとして。常日頃から心美は城乃内の誰かに嫁がせると早苗が言っていただけに、本家の人間がそれに相当すると暗黙の了解があった。修太郎にしてみれば早苗が亡くなれば自分の祖母である瑞樹が継ぐだろうと予測できる。おそらくその次は父親である慎太郎か、それとも自分か。しかし年齢的に考慮すれば次代は瑞樹ではなく若い慎太郎なのかもしれない。そうなれば40代ぐらいで自分が当主にもなれよう。そうなった際の莫大な財産と権威を想像しつつ笑いを噛み殺した。


「いいなぁ・・・料理も家事も完璧だ。容姿もいいし、いい子を産むぞ」


酒のせいで顔を真っ赤にした男性がそう言い、照れた顔をする修太郎がチラッと昴の背中を見て勝ち誇った笑みを浮かべたときだった。


「誰も修太郎の嫁にするとは言っておらん」


お茶を手にした早苗の一言に騒然としていた場がしんと静まり返った。昴を除く全員の手が止まる。どうせ本家や近所に住んでいる者たちだけの話だと、昴はイカの刺身を箸でつまんだ。


「でも、城乃内の嫁になるべき女なら、当然、本家の・・・」


早苗の長女である瑞樹の夫、貫太郎はそこで言葉を飲み込んだ。婿養子だから早苗には逆らえない、からではない。年齢を感じさせない鋭い眼光に萎縮したのだ。


「彼女は城乃内の嫁にすべく教育してきた、それは確かだ。つまり、家の名を持つものならば全てがその該当者になる」

「だから、本家である・・・」


今度は修太郎がそう言ったが、早苗は静かにお茶を飲んでいた。まるで意見など聞かないといった風に。これは面白くなってきたと内心微笑みつつ、昴はジュースを口に含んだ。悪そうな笑みを浮かべつつ。


「心美は昴の嫁にする」


お茶を置いてそう言い放った瞬間、修太郎は顔を真っ青にして昴を見やり、貫太郎は驚愕に染まった顔を早苗に向ける。瑞樹は微笑み、昴は盛大にジュースを縁側に向けて噴き出した。むせ返る昴にその場にいた全員が注目していた。瑞樹に背中をさすってもらっている昴に心美がそっとタオルを差し出す。それを受け取り、呼吸を落ち着けた昴は涙目のまま無表情な心美を見つめた。


「ありがとう」


ガラガラの声でそう言うのが精一杯だった。


「な、何故です?何故?」


うろたえる修太郎を見た早苗はそれから全員を見渡す。呼吸を整える昴の背をさする瑞樹を始め、女性陣は皆ニヤニヤとしていた。男性陣も修太郎と貫太郎、そして修太郎の父親である慎太郎だけが顔を青くしていたが、他の面々はどこかホッとしたような顔をしている。それほど修太郎は人格的に嫌われていたのだ。


「理由はない。だが、私が決めた、それが理由じゃな」


早苗は再度お茶を飲むとこれ以上の意見は無用といった鋭い眼光を全員に向けた。


「昴、心美、あとで私の部屋に来なさい」


静かにそう言い、席を立った早苗は部屋を後にした。呆然とする貫太郎と慎太郎を慰める者はいない。本家の人間だと横柄な態度をとっていたのを嫌っている者が多かったからだ。早苗の娘である瑞樹だけは人格者であり、亡き修太郎の母親である嫁の郁子を可愛がってもいた。城乃内の嫁であろうとした郁子を普通の嫁として接してきた瑞樹にしてみれば、今の本家に嫁ぐ心美は修太郎の奴隷にしかならないことを知っていたのだ。女に不自由せず、金にも困っていない。こうまで甘やかしてしまったのは母親を亡くしたという同情のせいだが、今更その性格は変えようがない。それに、瑞樹は心美を昴のお嫁さんにしようと思っていた。早苗が亡くなった後でその権力を手にするのは自分だからその言葉は絶対的威力を持つ。だがやはり早苗は自分の母親だと思う。男を、人を見る目は全く衰えていない。微笑む瑞樹は片づけを始める心美を見て、それから慰めの言葉をかけあう貫太郎たちを見つつそっと昴に耳打ちした。


「片づけが済んだら行きなさい」


そうして2度昴の肩を叩き、心美を手伝って片づけを始める。同情の言葉を掛けてくれた何人かの男性と一緒に部屋を出て行く修太郎は怒りと憎しみに満ちた目を昴へと向けるのだった。



片づけが終わったようで、男性陣は入浴時間になっていた。大浴場とも言える広さを誇る風呂場は亡き早苗の夫である勝男の趣味だ。風呂は心と体を洗い流す場所、だから広いほうがいいとの信念に基づいてのことである。よって家族で入っても充分な広さを持っているのだ。女性陣は片付けも終わってくつろぎながら広い居間でテレビを独占していた。だが、話題は全て心美のことだった。


「瑞樹さんには悪いけど、英断だったと思う」


分家の智美の言葉に苦笑しつつ、瑞樹はおかきの袋を開いた。今から女性陣のスイーツタイムが始まるのだ。


「修太郎じゃ、心美ちゃんが可哀想だったしね。私もこれでいいと思う」


孫の性格を知っているだけに、瑞樹はそう言って笑った。心美は言いなりに動く人形だ。武家社会における嫁そのものだった。


「おばあ様も、あの子の心を開きたくての行動だったのだろうけど・・・裏目に出た感じね」


おっとりした口調でそう言うのは瑞樹の妹である桜だ。


「でも、昴くん、承諾するかしら?」

「承諾も何も、我が家系において当主の言葉は絶対よ?」

「修太郎くん、どうするのかねぇ?」

「ま、心美ちゃんを賭けて戦っても返り討ちだろうし」

「でも修太郎くんってさ、百年に1人の天才児でしょ?」

「昴くんの方は超天才だからねぇ・・・おじい様が木戸の継承者と決着つけたかったってほどにね。まぁ、夢で終わっちゃったけどね」

「木戸?城乃内の祖の友人だったっていう?あっちもまだ伝わってるんだ?」

「まぁ、それはいいとして・・・・・心美ちゃんを幸せにできるのは、心を開けるのは昴くんだけでしょうね」


瑞樹はそう言い、お茶を飲んだ。そうしていると若い女性陣も集まり、恒例の各家庭の愚痴大会が開始されるのだった。



襖を開けて部屋の中に入れば、正座をした早苗が正面に、そこからやや離れた右横に心美が正座をしていた。肩より少し長い黒髪を揺らし、丁寧に頭を下げるのをバツが悪そうに見やり、それから早苗の前に正座をした。


「さっきも言った通り、この心美をお前の嫁にする」

「断る、っても無理なんですね?」

「当主の決め事は絶対だからね」


にこやかに微笑み、早苗は目の前にあるメガネを手にとってそれをかけた。


「なんで俺なの?」

「より強い血を残すため」

「本家の方が濃いでしょう?」

「その強いではない・・・超戦事武術の強さだよ」


やっぱりそれかと思う昴はがっくりと頭を下げ、それからジッと無表情を貫く心美を見やった。可愛い顔だが可愛げはない。それが昴の心美に対する印象だった。


「お前はいいのか?」

「問題ありません」


機械的な言葉にため息しかでない。


「そうじゃなくって・・・お前は好きでもない男の嫁になれるのか?」

「私は城乃内の人間の嫁になる女ですから」

「俺がどえらい変態でも?裸で買い物に行けとか言ったりしても行くのか?」

「あなたが望むのなら、なんでもいたします」

「・・・・・ばーちゃん、俺、やっぱ無理・・・」

「これを」


うなだれる昴の言葉を制し、早苗は封筒を手に取ってそれを昴に差し出した。大きめの封筒に眉をひそめつつ、昴はそれを受け取ると早苗を見やった。その目が開けろと命じている。仕方なくその場で封を切り、中から分厚い書類を取り出した。


「土地の権利書、お金の譲渡、その他、2人で生活するためのものが揃っている」


その言葉を耳にしながらも書類をめくっていった。桁違いな金額が記載されている他、東京や千葉の土地が自分名義になっていることに驚く。これだけあれば一生遊んでもお金には困らないだろう。本来であれば飛び上がって喜ぶことだが、昴は書類を封筒にしまうと早苗に付き返すようにして差し出した。


「受け取れない」

「それは無理だよ」

「それに心美も嫁にしない」

「それも無理」

「じゃぁ、俺は城乃内をやめる」

「それもまた無理な話~」


歌うように却下するおちゃめなばあさんだが、その意向は絶対だ。深い深いため息をついた昴は封筒を膝の上に置き、疲れた顔を早苗に向けた。


「明後日、心美を連れて千葉に帰れ。家は用意させている。今の家は狭いだろう?」

「・・・もう好きにしてくれ」


ため息混じりにそう言い、昴は立ち上がった。


「一緒には住む、命令だからね・・・でも、嫁にはしない」

「年頃の男が可愛い女を、どこまでも尽くす女を前にどこまで我慢できるかねぇ」


意地悪い言い方をするが、それがわざとだと理解している。挑発に乗らず、昴は深々と頭を下げると部屋を出て行った。早苗はにこやかにその背中を見送ると今度は心美に目の前に座るよう手で示した。



その日、彼女は言葉と感情を失った。親戚一堂揃っての旅行、その途中におきたトンネル崩落事故に巻き込まれて乗っていたバスが崩れた天井に押しつぶされたのだ。幼稚園児だった心美だけが瓦礫とバスとのわずかな隙間に入り込み、かすり傷だけで済んでいた。だが幼い彼女の心は悲鳴を上げ、涙も出ずただ両親の葬式を行ったのだ。身寄りを全て失って1人だけになった心美は施設に送られることになったのだが、近くに住む早苗が引き取ることにした。名家の当主であり、人格者である早苗の意向は決定事項となって心美は城乃内本家へとやってきた。養女にはせず、預かりの身としたのは三崎の性を残すためか。だが心美は心を閉ざした。壊れてしまったのかと瑞樹は思ったが、そうでもないらしい。食事はちゃんと摂るし、幼稚園にもちゃんと通っている。半年ほどして言葉は戻ったが、無気力であった。何かと気を回す瑞樹だったが、早苗は違った。厳しく接し始めたのだ。小学生になったばかりの女の子に礼儀作法を仕込み、家事を徹底的に教え込んでいく。立ち振る舞い、味付け、全てを自ら教え込んだのだ。


「いつか城乃内の嫁になりなさい。その時、これぐらいできないとダメ」


心美は言われたとおりに行った。聡明な少女だった。だが相変わらず感情はなく、表情もない。それでも修太郎が彼女に恋をしたのはその儚くも美しい容姿だったからだろう。早苗の目があるために悪戯こそしなかったが、命令はなんでも聞く心美を嫁にしたい、本家の継承者である自分こそがその資格の持ち主だと信じていたようだ。まるでメイドや奴隷のような感覚で心美に接する修太郎を諌めたりもしたが効果はない。目の届く範囲でずる賢く良い子を装っていたのを知っている。中学を出て進学をせず完全に家政婦となった心美の風呂を覗いたり下着を盗んでいたことも知っている。服の上から胸を触った時は叱ったが、それでもそれで何かしらの感情が戻ればとある程度は無視をしていた馬鹿な自分を呪う。そんなある日、あることに気づいた。昴、彼の存在だ。


「何故お礼を言うのでしょう?」


2年前の早苗の誕生日の際、14歳の心美は無表情でそう言った。お酒を注ごうが食べ物を取ろうが修太郎たちはそれが当然と礼など言わなかった。なのに昴は礼を言った。1つ1つの心美の行動にありがとうと言ったのだ。心美にすればお礼を言われるようなことはしていない。だが昴はお礼を言った。


「それが当然のことなのよ」

「はい」


理解はせず、何も感じない。それでも、それを疑問に思った。それは大きな進歩だと思った瑞樹は早苗にそれを報告した。おそらく、その時に早苗の腹は決まったのだろう。この日、その発表をすることを。



無事初盆を終え、ホッとした昴は常にそばにいる心美にうんざりしつつあった。早苗の命令か、自分の世話をメインに焼いているようだ。もちろん宴会の準備になればいなくなったが。それでもこれから毎日こうかと思うとぞっとする。心美のことは嫌いではない。だが、人形のような彼女とどう接していいかがわからないのだ。17歳で嫁を決められた、それもかなりの美少女だ。はっきりいって周囲は羨むだろう。だが、それが彼女の幸せとは思えない。彼女を幸せに出来る自信もない。そんな状態で結婚しても上手くなどいかないだろう。ため息をつく昴の前に険しい表情をした修太郎がやって来た。ますますめんどくさいと思いつつ、会釈をする。


「手合わせ願おう」

「昨日やったじゃん」

「正式な仕合だ」

「ヤだ」

「大ばば様の許可もある。御前仕合だ」


その言葉にため息も出ず、縁側に座る早苗を見やった。その笑みの意味するところは何か。


「勝った方が心美を嫁にする」

「え?そうなの?ばーちゃん、そうなの?」


昨日、書類をもらった。2人で住めと言われてもいる。みんなの前での宣言もある。釈然とせず、頭を掻きつつ早苗の元と歩いた昴は目で本気かと投げかけた。早苗は目を細めて微笑み、それから修太郎を見やった。


「道着を着なさい。場所は庭。勝てばあなたの意見を受け入れます」


改めてそう言うと修太郎は満足そうに微笑んで家の中に消えた。遅れてつい先ほど屋敷にやってきた各おばさんたちの旦那さんが怪訝な顔をする中、宴会の準備をしつつ女性陣が説明をしていく。中には賭けをする者もいたが、ほぼ全員が昴に賭けていたためになし崩し的にそれは無しになる。昴は勇んで部屋に入っていく修太郎の背中を見つつ疲れたようにつぶやいてみせた。


「おいおい、マジかよ・・・」

「修太郎は心美を嫁にする気じゃよ?お前が負ければ、あの子は今夜にも処女でなくなるじゃろうて」

「当主の言葉とは思えませんね・・・それに貞操観念に疑問も生じるよ」


早苗にしてみればやる気のない昴を焚きつけようとしての言葉だ。その真意を知りつつうんざりしたようにそう言う昴に心美が道着を差し出した。


「お前な・・・・戦えってか?分かってる?お前、商品にされてんだぞ?」

「それが問題ありますか?」


その感情のない言葉に昴の顔つきが変わった。


「ならお前を連れて帰る。俺がお前を教育してやっからな!」


決意に満ちた目は怒りにも似ている。ひったくるように道着を掴んで屋敷の中に消えた昴を無感情な目で見送る心美を見やる早苗の口元に優しい笑みが浮かんだ。そうして5分して、2人が出てきた。3メートルほどの距離を置いて白い道着の2人が向かい合った。


「邦彦おじさん、こんな田舎でも救急車はすぐ来てくれるよね?」


東京で消防士をしている邦彦にそう言った修太郎は既に勝ち誇った顔をしていた。邦彦は頷き、修太郎も満足そうに微笑んだ。


「本気で来いよ?負けた言い訳は聞きたくない」

「同意」


そうとだけ言い、構えを取る修太郎を見やった。昴は手をだらりと下げたまま突っ立っている状態だ。


「始め!」


早苗の声が飛んだ。親戚すべてがギャラリーの中、修太郎はじりじりと間合いを詰める。貫太郎は自分が戦っているかのように拳に力を込めるが、慎太郎と瑞樹はどこかリラックスした感じでいる。と、修太郎が駆けた。すさまじい速さの蹴りを見舞うが、一瞬で昴の姿が消える。目を見開いた矢先、しゃがみこんでいた昴の体がぐんと伸びた。同時に右足が修太郎の胸に置かれた。蹴ったのではなく、置いたのだ。そこで立ち上がるバネを利用して右足を伸ばす。密着した状態から蹴りを見舞ったような感じになり、修太郎は勢いよく後方に吹き飛ぶ。それでも冷静に着地を決めようとした矢先、空中にある体に拳がめり込んだ。腹部を打ち抜く衝撃に意識が飛びかける。背中から地面に倒れこみつつも受身を取ったのはさすがであり、そのまま地面を転がって片膝立ちになった。そこで動きが止まる。


「勝負あり!」


目の前にある足の甲が鼻先に当たるギリギリで止まった。勢いがあったために蹴りの風圧が髪を揺らす。途端に背筋に冷たい物が流れた。早苗が止めなければ顔面を蹴り抜かれていただろう。完敗だった。昴は右足を下ろし、修太郎に一礼し、それから早苗に一礼をした。両膝をついてうなだれる修太郎はその実力の差に言葉もなかった。


「心美は昴の嫁とする。今後、異議申し立ては受け付けぬ!」


はっきりとそう言い、早苗は昴に手招きをした。暑さからくる汗を拭い、昴は早苗の前に来て片膝をついて頭を下げた。


「優しすぎるな、お前は」


その言葉を受け、昴は顔を挙げた。その表情はどこか複雑で、困ったようだった。昴は立ち上がると一礼し、それからふぅと息を吐く。拍手を受け、数名が駆け寄る中で心美を見れば相変わらず無表情のままじっと自分を見つめているだけだ。ため息をつき、そのまま大人たちに付き添われて屋敷に戻る。修太郎も立ち上がり、早苗に一礼してみせた。


「本来であれば最初の蹴りで終わっておったな」

「はい」


うなだれたままそう返事をするが、心はそこにない。そう、その通りだ。最初の蹴りを本気で撃っていたなら、そこで勝負はついていた。肋骨は折られ、血反吐を吐きつつ倒れこんでいただろう。だが、昴はそうしなかった。それは優しさではない、屈辱を与えたのだ。実力の違いを本気で見せつけた結果がこれだった。怪我をさせないようにした、それを優しさだと早苗は言った。だが、修太郎の心を砕くには最高の一撃となったのだ。


「精進せい」


早苗はそう言い、奥に消えた。修太郎は慎太郎に付き添われて屋敷へと消える。その目に光るのは悔し涙か。



宴会はいつもと変わらぬ調子で始まった。本家の跡取りである慎太郎の息子が心美をモノにしたいと思っていたのは誰もが知っている事実だ。その修太郎は人格者でもなく、権威を傘に着るような人間であることも知っている。だからといって本家の人間にそうそう口出しは出来ない。ここは田舎であり、名家の人間なのだ。都会の、今時の常識など通用しないのだから。


「しかし昴くんは強いなぁ。うちのチビたちもこうなって欲しいよ」


邦彦の言葉に愛想笑いを返すしかない昴は大人数になって広間になった宴会場の端っこに座っていた。長いテーブルを2つくっつけて向かい合わせに座り、さらに丸テーブルを3つ用意して料理やお酒を置いているほどだ。女性陣が大人数で頑張った食事は美味しいが、昴としてはあまり食事は進まない。修太郎は普段通りだったが、それでも昴と視線を交わすことをしなかった。当然だろうと思うが、それがどこか居心地の悪さを与えていた。何故かビールを勧めてくる警察官の良雄がいたが、丁重にそれを辞退して程よいタイミングで縁側に座った。男たちは仕事の話をし、女たちは世間話に没頭している。幼い子供たちが走り回り、にぎやかな状態になっていた。熱帯夜ではないにしろ、少々暑い。時折風が涼しさを運んでくるものの、汗がうっすらと滲んできていた。そんな昴に一定の風が当たる。そっちを見れば、心美が扇風機を用意してくれていた。


「ありがとう」


にこやかに微笑んでそう言う昴をじっと見つめた後、心美は宴会場の方に消えた。そんな心美を見送ることもせず、真夏の月を見上げた。何も言わなくても先に動き、尽くしてくれる。嫁にするなら最高の女性だと思う。だが、嫁にしたいとは思わない。好きだという想いの果てにそれが成り立つと思っている。確かに心美は可愛いが、それだけで恋愛感情は持てなかった。かといって修太郎のように欲望にまみれた想いもない。小さい頃から知っている女の子でしかないのだ。ぼんやりと月を眺めていた昴は近づく気配に振り返る。そこにはにこやかな笑みをたたえた早苗の姿があった。


「見事な仕合だったよ」

「そう、かな」


歯切れが悪い昴は再度月を見上げる。早苗は昴の横で正座すると同じように月を見上げた。


「ずっと、もうずっと前から決めてたんだよ」

「何を?」


分かっていてそうたずねる自分をずるいと思う。そんな昴の心を読んだかのような笑みを浮かべた早苗はそっと昴の手を取った。


「あの子を、よろしくお願いします」

「よろしくって・・・・」

「お前しかいない・・・優しいお前だからこそ、託したい」

「他にもいるっしょ?」


苦笑する昴の顔を見た早苗はますます優しい笑みを強くした。昴は戸惑うが、それでも早苗を見つめたままだった。


「別に優しくねーしさ」

「自分のためじゃなく、あの子のために仕合を受けた。それが優しさでなく何なのか?」


昴は早苗の目を見られず月へと向ける。だが月は雲で隠れつつあった。


「一緒に暮らしても、何も変わらないけどね」

「それならそれでいい・・・けど」

「けど?」

「あんたらの子供の顔は見たい」

「・・・・・ばあちゃんには勝てないね」


苦笑した昴に対し、早苗は大声で笑った。宴会をしていた全員が注目するほどの大笑いだ。やがて早苗の笑いが収まるとまた周囲は騒がしくなった。早苗はゆっくりと立ち上がり、それから月を見上げた。


「あんたしかおらん、それだけは確かなんだよ」


見上げる昴にそう言い、早苗は上座に戻っていった。昴は再度月を見上げるが、そこに月はなかった。

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