5
簫子はあらゆる可能性を試していた。
毎回繰り返す度に「今回こそは助けられる」と思うのだ。
しかし、匚太は卒業式の日に死んでしまう。
今度は何をしたらいい?
これは試したっけ?
突然の心臓発作なんて、どうやって防げる?あらかじめ病院に行っていたのに、その病院で通り魔に遭うなんて予想がつく?
簫子は、50回目のループを繰り返していた。
その頃になると、益々兄のことしか考えられなくなっていった。
匚太の薄い唇、長い指先。
気が付くと、視線の先には匚太がいた。
血管が薄らと浮き出た腕に抱きしめられたら、私はどうなってしまうのだろう。
そう考えると体が火照り、自室で一人、自分で自分を慰めて火照りを治める行為に耽ってしまう。
簫子の兄に対する尊敬の眼差しが恋情へと変化したことに、自分でも異常だと気付きながらも手が止まらなかった。
51回目のループ。
隣の席を見れば涼しそうな顔をしたしろがねが本を読んでいた。
しろがねは簫子の方をチラリと見ると、またすぐに本に視線を落とす。
「あら、またお会いしたわね。」
皆には聞こえないように、細々と呟くように言った。
「どうしてしろがねは精神を病まないの?なんの薬を使っているの?」
簫子は机に項垂れながら話す。
薬の副作用のせいで、起き上がるのも気怠い。
周りを見渡せば、有川がクラスメイトと楽しそうに談笑している。
ただ、この世界の有川は女子だった。
「飲んでないわ。悩んだ時期もあったけれど、今は悟りを開いた感じよ。」
「有川が女になっても?何も感じないの?」
有川はスカートを膝上まで短くして、髪はゆるくウェーブを掛けている。
薄く化粧を施した顔はとても可愛かった。
本当に私と一度は男女の関係に陥った有川と、同一人物なのだろうか。
「感じないわ。不群は不群。例え女子であっても、私は不群が好きなのよ。」
「そう…。」
簫子は鞄から錠剤を取り出し、水もなく飲み込んだ。
口から出そうになった不安を押し戻すように。
「…もう少し前向きに考えなさいな。愛する人と永遠に同じ時を過ごせるのよ。
永遠に進まないストーリーの中で、学生というモラトリアムを謳歌しましょう。」
そんな簫子の様子を見兼ねて、
愛する人と歩む人生を、しろがねはもう諦めてるのかもしれない。
でも私は…
「ねえ、今日の放課後に親睦会でカラオケ行くんだけど、雷さんも灰田さんもどう?」
巻き髪をゆるりと揺らして、有川が二人の前に現れた。
「行くわ。よろしくね。」
しろがねは有川を真っ直ぐ見据え、柔らかく笑みを湛えた。
簫子もそれに続いて、首を縦に振った。
しろがねの歌声を何十年かぶりに聴いてみたいと思ったのだ。
「お兄ちゃんただいま…」
両親はなにやら怒鳴っているが、今はただの喋る人形という認識でしかない。
兄の姿が見えないので、真っ直ぐ兄の部屋へ向かう。
「入るよ。あ…」
部屋に入ると、兄は机に突っ伏して寝ていた。
読みかけの本にはしおりが挟まれており、読書の最中に夢の世界へいざなわれたようだ。
窓から柔らかい春の風が吹き込み、匚太の髪を揺らす。
雪のように白い肌とすっと通った鼻筋。兄はこんなにも官能的で、肉欲を掻き立てられる存在だっただろうか?
簫子はそっと匚太の唇に指を這わせる。
そして、静かに目を閉じて匚太の唇に己の唇を重ねた。
別に、バレても構わないと思った。
「簫子…?」
匚太は目を覚ましていた。
「お兄ちゃん、好きだよ。」
簫子は構わず匚太に迫る。
匚太の瞳が揺れて、その中に自分が写っていた。
そこにいた自分は、やつれていた気がした。
「好き。私にはあなただけ。」
シャツを肌蹴させて迫れば、匚太は固まった。
受け入れてはいけない理性と、男としての情欲を抑えきれず、拮抗している状態のようだ。
そうだ、私は兄を愛しているんだ。
その2年後、兄は病死した。
「もう薬は飲んでいないの?」
何百回目の入学式が終わると、隣の席にはしろがねがいた。
相変わらず涼しい表情で本を読むしろがねは、簫子に目を向けることなく尋ねた。
「飲んでない。私はもう満たされている。薬が一錠も入り込む余地もないくらい、心がいっぱいなの。」
簫子は巻き戻す度に兄と性交をする関係になっていた。
ある時は姉だったが、簫子にとって性別など関係なかった。いつかのしろがねの言葉も、今なら理解出来る。
「そう。もう貴方も先へ進もうとは思わなくなったようね。お互い、永遠の時を楽しみましょう。」
しろがねは初めて簫子にほほ笑みかけた。
自然と簫子も笑顔になる。初めて心から友達と言える存在が出来たように。
好きな人と永遠の時を過ごせるなんて、なんて幸せなのだろう。
もう先になんて進まなくていい。私はこの無限の回廊を兄と一緒に回って行くのだ。永遠に。
「お兄ちゃん、好き…」
真夜中の行為の後、簫子は兄の背中に縋り付く様に抱き着いた。
滑らかな肌に、じんわりと伝わる体温。
兄の表情は見えない。兄はこの関係を良しとはせず、だが性欲が勝ってしまいとても悩んでいるようだった。
「簫子…俺は…」
何か紡ごうとしたその唇を簫子は遮る様に強引にキスをした。
何も言わせない。自分が聞きたくない言葉は、言わせなければいい。
「ずっとこうしていようね…。ずっと、ずうっと…。」
もうすぐ春が来る。
あと2か月もしない内に、兄はまた死にゆくだろう。
死んでもいいんだよ。だってまた巻き戻せばいいのだから。
抱きしめる手に自然と力が入った。