表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

今後予想される日本語の変化

作者: 鱈井 元衡

・形容詞

 現在、基本形「~(し)い」と副詞「~く」の区別は大概、整然と行われている。しかし、一つ例外をあげるとするなら、「すごい」という言葉がある。この言葉は、「すごい」という基本形のままで、副詞の用法があるのだ。近い将来、恐らく他の形容詞も「すごい」にならって基本形がそのまま副詞に転用される現象が増えていくものと意われる。

 また、「~しい」という語尾で終わる形容詞に関しては、俗っぽい言い方で「~し」に縮む現象が今後発生するであろう。これは一見先祖がえりであるかのようだ。だが古語「~しき」が再び用いられるようになるとは思われない。恐らく、「うつくし ひと」「おそろし はなし」のごとく、古代における基本形そのままの形で名詞につながる。

 不思議なことに、これは柿本人麻呂の和歌(長々し夜)にもみられるが、上代ではいまだ形容詞において終止形と基本形の区別がはっきりしていなかった事例を彷彿とさせる。まあただの偶然だ。

 ク活用形容詞の末裔にして「~い」で終わる形容詞の内、「-ai,oi」で終わる物はくだけた会話で「-ē」という形になることがある。もう近世日本語(特に江戸)でこの現象は始まっている。かなり後のことになりそうだが、そのように変化した形容詞――「たかい」は「たけー」、「あまい」は「あめー」のごとし――が一般化していくのではないか。「-ī」という変化も「-ui」の語尾の形容詞を中心に、次第に増加する傾向にあるものと考えられる。

 もしそのような形しか伝わらなくなれば、過去形は形容詞に「~かった」をとりつけるだけの非常に単純なものになる。「たかかった」を「たけーかった」という感じにだ。

 同様に、形容詞の接尾辞「さ」、「げ」などは語尾を取り除いてとりつける、などという手続きを経ないであろう。「たかさ」が「たけーさ」という風に……。

 最終的には、形容詞の活用は完全に崩壊し、形容動詞と似た存在になるものと意われる。すると形容動詞からの類推で、「たけーだった」という言い方も生まれるかもしれない。


・形容動詞

 前述したように、多分今から百年くらい後には形容詞の活用がほぼ退化し、形容動詞と見分けがつかなくなる。

 すると逆に形容詞の類推で、「静かかった」という用法も現れるだろう。


・動詞

 肥筑方言などですでに始まっているが、動詞活用の五段化が急速に進む。かつて下一段活用であった「ける」は現在すでに五段活用に変化しているし、他の一段活用動詞でも五段活用になるものが現れていくだろう。下二段「まかす」>下一段「まかせる」が徐々に五段「まかす」に変化していったこととはまた別である。(下一段「はせる」も五段が主流になりそうな希ガス)

 中国地方では一段活用動詞の命令形がエ段で終わることがあるが、それは総じて動詞の活用が崩壊しつつあることに他ならず、その過渡期にあるものと推測される。かろうじて生き残るのはカ変動詞やサ変動詞くらいだろう。

 現在否定形においては「~ない」と「~ぬ」から派生した「~ん」が並立しており、特に後者は口語で使われるが、最終的にはこの二つの競争に「~ん」が勝利する。人々は短くて発音しやすいものを選ぶからだ。否定過去形「~んかった」は現在主に関西周辺の方言だが、他の地域でも収斂的にこのような形になっていくのではないか。

「~たら」と「~ば」の間で行われる戦いも、前者の勝利に終わるであろう。

 助動詞「う/よう」は短縮され、「-o/yo」という形が支配的になる。上代東国方言において四段活用動詞の連体形が「-o」だったことを彷彿とさせる。

 可能形に関しては、今のところよく分からない。


・コピュラ

 現在、「である」と「だ」が並立して使われている。「だ」に関して言うと、古語「あり」がたどった運命と同じく、「だ/な」の区別は消滅し、「だ」がそのまま連体形としてもちいられるようになるかもしれず(東北の一部の方言では現にしかり)、あるいは「な」に一本化されるとも予測する。

「である」の逆は「ではない」になるが、後世、人々は類推から「ではない」を「ではん」と言うかもしれない。過去形は「ではんかった」となろう。いや待てよ、「じゃん」というのは何だ? これは「ではない」から派生した形であるはずなのに、なぜ中間の形がないのだろう?


・格助詞

 原始的な日本語においては格助詞というものはほとんど必要とされなかった。またそれは平安時代の日本語にも受け継がれた。なぜか現代の文章語では、格助詞はなるべくつけた方が美徳とされるらしい。だが口語ではなお格助詞の省略という現象は続いている。

 将来的に一番消えそうなのが「は」と「を」だ。本来日本語においてこの二つはたいして重要じゃない。漢語との接触により、自国の言語の体系化が必要となった結果、この二つがよく使われるようになったんだと思う。事実、「を」はもともと格助詞でもなんでもない。しばしば言語は時代が進むほど簡略化されていくと言うが、これは逆に複雑化していった稀有な例だ……。つまり格助詞が衰退するのは、一種の先祖返りに過ぎない。


・発音

 現在日本語では母音の弱化、あるいは消滅が著しい。ほとんどの場合、語末の「す」は母音を抜いて発音される。逆に母音を入れる方が不自然になる例さえある。このような現象は恐らく、加速し続けるだろう。

 自分の邪推では、多分語末の「く」「つ」「る」も母音を抜いて発音されるようになると思う。特に「る」に関しては、語末の音ははじき音からそのまま舌をつけつづけるような音に変貌するだろう。「と」も、語末においてはかなり弱い音になるであろう。

「っ」についても、今は一つのモーラとして認識されているが、言葉の短縮が進む中で他の音節につく補助的位置に落ち着くものと推測される。


 これは個人的意見だが、ひょっとしたら世界中の言語が簡略化と複雑化を繰り返してるんじゃないかと意う。簡略化され続ければ、必ず区別がなくなっていく。すると話者のほうで人為的に区別をつくらなかればならない。そこに言語が複雑化していく要因があるのではないかと……。

 上に書いた変化は、もしかしたら「乱れ」と批判されるだろうが、いずれにせよ我々は理想的な平安時代の言葉から察れば相当乱れた言葉には違いないから、五十歩百歩だね。

ちなみに僕は言語学にはまったくくわしくありません。また、現在では言語がかなり機関によって統制されているので、短い期間に著しい変化が起こることはないでしょう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ