6 ひとつの終幕
小柄なザシャは異なる部隊のパイロットたちからは「吹けば飛ぶような女」と表現される。ひどい言われようだが、よくもまぁその体格で軍事訓練などについてこれたものだ、と言われ続けている。
もちろん、偵察部隊にいたときは、似たような中傷はされたものの、そこまでひどい言われ方はしなかった。なぜならば、偵察部隊の彼女は基本的に直接敵と相まみえなかったからである。だから「女でも」良かった。
しかし、急降下爆撃隊は違う。
それこそ男の世界だ。
普通の社会ですら「男たちの世界」に女が入り込む事は煙たがられるというのに、よりによって戦闘に関わる軍隊だ。
空軍において女性の存在はそれほど珍しくはないが、それでも主に女性が関わるのは最前線の兵士としてではなく婦人補助員としての補助的業務だ。
男たちと同じようにカーキ色のつなぎを身につけ、救命胴衣とパラシュートを装備する。ブーツには拳銃と信号弾。飛行帽と手袋、そしてマスクを手にしてカスパル・ファルの説明に耳を傾けている。
そんな彼女は中隊の面々と体格を比べれば一回りどころか二回りほど小さく華奢だ。
男たちの中に並ぶとそのまま埋没してしまっている。
ちらちらとした視線を感じて、ザシャは無言のままで左手で首筋の裏を撫でる。自分を見やる視線に気がついていないわけではないが、今は目前の作戦に対して彼女は意識を集中させていなければならない。
本来、ザシャは集中力は高いほうだが、余りにも好奇に満ちた眼差しを向けられればいやでも気になるというものだ。戦時下という異常な状況であればなおさら。
こと、軍隊は常日頃から女日照りで、誰も彼も女と見ればあわよくば体の関係を持とうと血眼になっている。
とはいってもザシャも軍人のひとりであり、これから作戦行動にあたろうというのに、その程度の事で集中を乱させてしまうようでは、カスパル・ファルからお小言をもらう可能性の方が遙かに高い。
うろうろと視線を泳がせるザシャは当然のように、カスパル・ファルにぎろりと睨まれて首をすくめる。
「集中しろ、”新米”」
低く告げられて、彼女は短くはっきりと返事を返す。
「はい」
作戦には常に死がつきまとう。
自分の命だけではない。
同じように作戦を共にしている仲間の命も危険にさらす事と同じだ。だから、目の前の任務に集中しなければならないのだ。
そればかりではなく、エンジントラブルなどの機械的な原因によって墜落する危険性もある。だからこそ、自分にできる最大限の努力をしなければ、戦場では生き残っていけない。
「これまでは」誰もがたまたま生き残ってきた。これからも同じようにたまたま生き残れるとは考えられない。
そう考えた方が妥当だ。
地図を前にして作戦を聞き終えたザシャはそうして仲間たちと同じように自機へと向かった。そんな彼女の横には後部機銃手のヘクター・デューリングがいる。
ザシャにあてがわれた機体――赤のJ。
「快進撃ですね、陸の奴らは」
デューリングに言われて彼女はわずかに片目をすがめた。
ドイツ空軍の歴史は浅い。だからこそ、陸軍や海軍に所属する者たちからは、おまけとして見られることが多い。それが空軍に所属する者たちにとっては気に入らないのだという。もっともコンドル軍団のスペインの派兵についてはザシャも若干の疑念を抱いている。
陸海軍に対する当てこすり。
ザシャの脳裏にちらりとそんなことが飛び交った。
「……そうね」
空飛ぶ砲兵とも呼ばれる急降下爆撃隊はこのたびのポーランド戦での要とも言えた。
地上部隊の血路を切り開き、その道の先を往く。
それが彼女らの使命だった。
「ポーランド軍も、もう後がないのはわかっているはずです……」
ワルシャワは、四方から攻められてすでに後はない。航空機に乗って上空から陸軍の動きをつぶさに凝視するザシャにはそれらの動向がよく見えすぎた。さらに上空からの爆撃によって、戦力も喪失しつつあるポーランドは背後からソ連軍の襲撃を受けた。その首都ワルシャワが陥落するのは時間の問題だろう。
もっとも、だからといってポーランド軍の抵抗が弱まるわけではなく、物量で押しつぶされそうな中、彼らは頑強にワルシャワを防衛していた。
「そういえば、知ってます?」
「……?」
知っているかと気さくにデューリングに問いかけられてザシャは首を傾げた。
「アカの奴ら、やりたい放題らしいですよ」
「……そう」
曖昧に、言葉を濁したザシャは「やりたい放題」という言葉の内容を想像する。おそらくは「そういうこと」も含まれてはいるだろうとも思うが、現実としてドイツ人の彼女にはソビエト連邦の「一般庶民」の知的レベルを知りはしない。だから、正確にソビエト連邦赤軍のことを分析を行うことは不可能だったし、仮に本当にソ連赤軍による掠奪やごろつきめいた行動を想像するには難しい。
良くも悪くも、彼女は地上戦で行われる殺戮を知りはしない。
ただ空から見下ろすだけだ。
だからそんなことを知ったとしても、彼女にはどうしてやることもできない。そもそもポーランド人にとってみれば、ドイツ空軍に所属しているザシャも敵でしかない。
「少尉も、男だったらわかりますよ」
戦っていると気持ちが高揚する。
そういったことがあるのだと、ヘクター・デューリングはザシャに告げた。
「……わたしには、男の気持ちなんてわかりません」
ポーランドの各地では市街戦が行われている。
それによって犠牲になるのはいつも女と子供、そして老人だ。もしも自分が、彼らと同じように力ないポーランド人だったならば、同じような目にあっていたのだろうか。
とりとめのないことを考えながら自分の機体の前まで移動した彼女は、瞠目してから瞬きを数回繰り返す。
丁度、操縦席から手を下ろせば触れられそうなところに鶏のヒヨコが描かれている。
くちばしに砲弾をくわえて、本来は飛べないだろうはずの翼でパタパタと飛んでいる。物騒なヒヨコの姿に、ザシャは目をまん丸にしてから吹き出した。
戦闘機隊の有力なエース・パイロットは自分の機体にパーソナルマークを書くこともあるが、爆撃隊のパイロットはそうした自己主張をほとんどすることはない。
ついでに言うなら、機隊に描かれているヒヨコが無駄に愛らしいのが腹立たしくなるほどだ。
「なんですか、これは」
ヘクター・デューリングも目を丸くしている。
確かに、搭乗主のザシャらしいマーキングと言えば、ザシャらしいとも思えるがそれにしても緊張感がなさ過ぎだ。
「でもまー、爆撃隊にヒヨコありって知らしめてやれるからいいんじゃないですか?」
実のところ、戦果報告をほとんどしないザシャ・デーゼナーにやきもきしているのは、カスパル・ファルだけではない。後部機銃手の戦果はきちんと報告をするのに、自分の爆撃の報告をしらばっくれるパイロットがどこにいるのだろう。
ヘクター・デューリングも、カスパル・ファルと同じように彼女の消極的なまでの「慎ましさ」に頭を抱えるひとりだった。
「……きっと敵さんは、どんなパイロットが乗ってるのかって思いますよ」
愉快そうに笑う彼に、ザシャは眉間を寄せた。
「そして言うんでしょ、ヒヨコのスツーカに乗ったパイロットはブスの女でしたって!」
もしくは飛べないひよこが乗っているとでも言うのだろうか。
ザシャは憮然として邪推した。
「なに言ってるんですか、ブスって自分を過小評価しすぎじゃないですか? だいたい、謙虚すぎるのは世間的には嫌みになるんですよ。少尉」
ハニーブロンドに童顔の彼女。
長い睫毛を揺らして、どこか影のあるほほえみを浮かべている姿は、まるで天使のようだ。天使というのは言い過ぎかも知れないが、それでも婦人補助員の逞しい女性達と比べればずっと可憐だった。
機体のチェックをしてから機体のエナーシャハンドルを回す整備兵を見守る彼女はは、無駄口をたたくのやめてガラスの向こうをじっと見つめた。
これから、戦闘も本格化する空域へ向かうのである。
大々的な攻勢に出る事がなくなってきたポーランド軍とは言え、それでもまだ楽観視する事などできはしない。
爆撃機の腹に、爆弾を抱え部隊は空を飛んだ。九月二十四日までの期間はただ、淡々と爆弾を抱えてワルシャワ市街上空に飛び立っては爆弾を落とす、という行為がドイツ空軍急降下爆撃隊の主要な仕事だった。
制空権は完全にドイツ側にあり、そして軍司令部からの命令は非情なもので、たとえば避難民の中に爆弾を撃ち込み後方部隊を攪乱せよというものまであった。
職業軍人であるザシャはその命令に対してしかめ面をしただけで結局なにも口にはしなかったが、中隊長のカスパル・ファル大尉は彼女の心中を正確に察していた。
民間人を装って政府の要人が逃亡を謀るという事もあるのだ。だからこそ、軍上層部のそういった決定もやむを得ないのだが、避難民のほとんどは「ただの避難民」でしかない。
そして、九月二十四日には一一五〇機ものドイツ軍機がワルシャワ市街を爆撃、もしくは攻撃し、ポーランドの首都とポーランド軍は壊滅的な被害を被る事になる。
九月二十二日にワルシャワ東南にあるルブフ市が陥落。
次いで九月二十八日にワルシャワが陥落する。このワルシャワ北部にある要塞もまた翌二十九日にドイツ軍の猛攻に晒されて約十六日間にも及ぶ長く激しい戦闘の後降伏する。
壊滅的な被害を受けたポーランド軍は何度となく再編を繰り返して、死にものぐるいの死闘を繰り返したが、それでも、ソ連とドイツの両国を同時に相手にする事はままならずにじりじりとポーランド最北部のバルト海を望むヘル半島まで追い込まれた。
戦線の移動に従って、航空隊の出撃目標も変わっていく。
当然、ザシャの所属する爆撃隊も半死半生のポーランド軍に決定的な一打を加えるために連日の出撃を繰り返していた。
そしてルブフ市から西にあるルブリン市郊外に展開していたポーランド軍最後の抵抗の地となり約四日間の激戦を繰り広げた十月六日。ポーランド戦は終幕を迎えた。
けれども、どれだけの血が地上で流れる事になったのか、実のところザシャたちは知らない。
なぜなら、ソ連軍による虐殺や、それだけではなくタンネンベルクと呼ばれる組織が国家保安部によって暗に構成され彼らは保安警察、もしくは親衛隊保安諜報部によって指揮された。さらに国防軍やドイツ系ポーランド人によって構成された自衛団などにもよって作戦が決行され、ポーランドの知識人たちが逮捕、及び銃殺された。
その数はなんと六万人を越える。
これらのタンネンベルクによって行われた「タンネンベルク作戦」とその前後に行われた大量虐殺によって多くのポーランド人にが命を落とした。
もちろんそれらの多くは「秘密作戦」という名目だったから、軍部内に知らない者がいてもおかしくはないのだが、国防軍や親衛隊による殺戮は空軍の耳に入るには充分だった。
ただでさえ、空軍の爆撃隊は激しい無差別攻撃を行っていたのだから、噂が耳に入らないわけはない。
*
そして、ポーランド戦において最後の市街地爆撃の時、ザシャは遭遇してしまったのだ。
サイレンを轟かせて急降下していくその瞬間。
銀色の頭髪をなびかせた少女が崩れかけたビルの窓から外を眺めていたのを。鋭い瞳を燃えさかる街に向けて。
襲来する鷹のような爆撃隊を睨むように見つめていた少女。
まだ十歳くらいだろうか。
いけない、と思う間すらなかった。
すでに投下された爆弾が、炸裂する。白と黒の煙がもうもうと上がりそうしてなにもかもを飲み込んでいく。
少女が立っていたはずのビルも煙に包まれていた。
ダイブブレーキのおかげで自然と機首が上がっていく。その動きに体を任せたままで、ザシャは呆然と緑の瞳を瞬かせた。
そう。
自分は人殺しだ。
ザシャはそれを認識させられてしまった。
どうして空襲の激しい街中に少女が崩れかけたビルの中に立っていたのか、とか、そんなこともちらと考えたが、それ以上はなにも考えられなかった。
「……余分な事は考えるなよ」
無線からカスパル・ファルの声が聞こえた。
小さな子供はもうとっくに避難しているはずではないのか。なのに、彼女はきつい眼差しに憎悪を浮かべて燃えさかる街を見つめていた。
そんな少女の姿が目に焼き付いて離れない。
「少尉、しっかりしてください」
異様な無言に陥っていたザシャに気がついたのか、デューリングが告げると彼女は我に返る。
「……大丈夫よ」
「ならいいんですが」
そうして世界地図の上から「ポーランド第二共和国」という国が消えた……。




