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5 強さの証し

「……――で」

 基地に戻ったカスパル・ファルはひどく機嫌悪そうに眉をひそめたまま隊員たちを問い詰める。

 原因になっている人物はそこにはいない。

 報告書をまとめる段になって、見事なピンポイント爆撃を披露した当人がいないのだ。また戦果報告せずにしらばっくれるつもりなのかと目をつり上げながら、彼は、ザシャ・デーゼナーと最も親しいルッツ・ハーラーを見やった。

「知りませんよ、隊長」

「……そうか」

 首をすくめて告げる彼に、ファルは肩を落とした。

「本人が自分の戦果だと報告したくないんならそれでもいいんじゃないですか?」

「部下の戦果は認めてやらないといけないからな」

「それは本人が望んでいれば、の話しでしょう?」

 ルッツ・ハーラーは、物怖じもせずにカスパル・ファルに告言い返せば、がりがりと頭をかきまわしながら溜め息をついた。

「……俺は、ザシャの戦果を報告してやりたいんだがな」

 女性パイロット。

 彼女の戦う姿を見ない多くの兵士や下士官、そして将校たちは彼女の飛行技術を「どうせ女だから大した事などないだろう」と侮るのだ。偏見に満ちた視線を向ける将兵らと同様のことを感じていたのはファルも同じだったから、なおのこと彼女に対する偏見がよくわかる。もちろんファルもまだほんのわずかの間しか作戦行動を共にしていないが、それでもザシャの優れた飛行技術はよくわかった。

 女性パイロットなど所詮使い物にならない、宣伝のための飾りではないのか。

 度胸もないのではないか。

 数週間前、カスパル・ファルが感じていたことと同じことを感じているはずなのだ。

「ヒヨコは、そんなこと望んでいないと思いますよ」

「わかってるさ」

 ハーラーに応じながらカスパル・ファルが憮然として鼻を鳴らした。

 それでも、彼女の飛行技術や爆撃の技術を知らない男たちを見るとそれをなんとかしたいとすら思う。

「それでもあいつは俺の部下だからな」

 部下が偏見に満ちた侮蔑に晒されているという状況は、上官であるカスパル・ファルには我慢ならないというのに、当人はそれらの評価に対して無言の微笑で受け入れてしまっている。本人と、彼女に関わった人間の思惑はどうあれ、ザシャ・デーゼナーというパイロットを知らない者たちは中傷を重ねるのだ。

 ドイツ空軍の熟練パイロットたちから見ればまだまだひよっこでしかない彼女は、空軍のホープと呼ばれているが、それはあくまでも宣伝のため脚色されたもので、実際の飛行技術は大した事がないのだろう。

 冷静にそうした指摘をするだけならば良いが、そうした中傷の中には「お偉方に体を使って取り入った名声なのではないか」というものまである。さすがに、花も恥じらう乙女にそんな中傷など聞かせたくないというのが上官としての親心だった。

 おそらくそれらの中傷は彼女に対する評価と、才能、そしていきなりドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)の花形である爆撃隊に抜擢されたということにも関係しているのだろう。

 男たちで無理だったそれを、まだ年若い少女のような彼女がその地位を射止めた。

 爆撃隊のパイロット。

 溜め息混じりに日誌を小脇に挟むと、彼はシャツの胸ポケットに万年筆を刺したままで歩きだす。

 休憩時間だからどこにいても咎められる筋合いはないが、テントにいないとしてもなにがあるかわからないのが軍隊で、さらに前線基地ともなればいつどこに敵が潜んでいるとも限らない。ざっと辺りを見渡してから、カスパル・ファルは眉間にしわを寄せたままでフンと鼻息を鳴らす。

 基地内でザシャがうろつくところなどたかが知れていた。

 夕暮れ時――。

 スツーカの整備を行っている木陰に足をすすめた彼は、整備兵の男が唇のところに指をたてて「しーっ」と笑っているのを見つけた。

 次の出撃に備えて整備を受けるスツーカが並んでいるのは壮観な光景だ。そんな中を整備兵の下士官や、兵士たちがひっきりなしに行き来している。運ばれる爆弾を機隊に取り付け、ガソリンを補給する。パイロットも機銃手たちの訓練もぬかりはないが、整備兵らのプロ意識も見事なものだ。

 そんな整備兵のひとりが人差し指で一機の偵察機を指さした。

 シュトルヒ。

 並んだスツーカの横に数機の偵察機や戦闘機、輸送機などが並んでいる。

 彼女が最も愛する機体。

 その脚の下に丸くなるようにしてザシャが眠っている。

 カーキ色の飛行服を腰の周りにおろして、汗のにじんだシャツで金色の巻き毛を地面に散らしたままで横になっている。枕代わりになっているのはゴーグルだろうか。男たちと比較すれば小柄で華奢にも見えるが、一応、彼女は飛行学校でれっきとした軍事訓練を受けた正真正銘の兵士だった。

 体が痛くなるんじゃないのか、と余分な心配をしたカスパル・ファルだが、そんなことは市井の女性相手ではないから口にはしない。

 そんな彼女の頬に涙の痕があるのは見間違いだろうか……?

「……おい、新入り」

 カスパル・ファルの低い声がどやすように響いた。

 男でも新兵ならば神経的にやられることが多いのだ。看護婦を志すような女性なら、なおのこと戦場での殺戮の光景に心を痛めるだろう。

 それをファルはよく理解している。

 それでも「彼女の将来」を思いやるからこそ、今、ここで甘やかす事などできはしない。彼女――ザシャ・デーゼナーは軍人なのだ。

 軍靴の爪先でこつりと軽く彼女の頭を蹴った。

「……?」

 少し寝ぼけているのか、ザシャはぼんやりと目を開いてから目の前に軍服を着た男の脚を見つけて驚いた様子で飛び起きた。

 一応、私的な時間だからなにをしていてもいいのだが、カスパル・ファルは彼女の上官だ。

「た、隊長……?」

 立ち上がって敬礼をした彼女に、ファルは鼻白ませる。

「今回の戦果は報告する。いいな?」

 暗に、確かに俺が見たからな、という中隊長の言葉にザシャはなにか言い足そうに口を開けたり閉めたりしていたが、結局諦めたようにうつむいた。

「俺はな、おまえがこのまま誰にも評価されないというのは我慢ならないんだ」

 自分の部下だからこそ。

 本当ならば、正当に評価されたい。

 誰もがそう思うだろうというのに、彼女自身がそれを望んでいない。

 その矛盾が、カスパル・ファルを不機嫌にさせた。

 何度も飛び級をして、女の身でありながら軍学校に入学し最高の成績をおさめた。その後すぐにスペインのコンドル軍団で偵察部隊に所属して一度として被弾することなく任務を遂行した。そんな鳴り物入りでデビューした彼女が配属されたのが第七七急降下爆撃航空団第Ⅱ飛行隊第五飛行中隊だった。

 多くの将校たちが、彼女に注目していたというのに、彼女は自分の戦果を報告せずに爪と牙を隠す。

 経験を重ねて、熟練すれば彼女は誰よりも素晴らしい戦闘機、あるいは爆撃機のパイロットとして名を馳せるだろう。

 上官として、そんな彼女の将来を夢に見る。

「それとな、こんなところで寝るな。軍隊ってのは女に飢えてる奴ばかりだ。自分が女だって言う事を自覚しろ」

 渋面のまま、彼女の胸元を指先でなおしてやってはだけたシャツをあわせてやる。

「……あ、すみません」

 ぺこりと頭を下げた彼女に、カスパル・ファルは「フン」と鼻を鳴らした。

「これだから部下に女がいるのはいやなんだ」

 ぶつぶつとつぶやいた彼はそうしてのっしのっしと闊歩するようにザシャの前を立ち去っていくが、そんな二人のやりとりを眺めていた整備兵にしてみればほほえましいものにしか見えなくて、クスクスと声を潜めて笑っていた。

「おい、こいつの機体はどうなってる」

 そんな笑い声に気がついたのか、カスパル・ファルが怒ったように整備兵を怒鳴りつけると、笑いをこらえている男はおどけた調子で敬礼を返した。

「明日には飛べます、大尉」

「わかった」

 背中まで届くハニーブロンドの長い巻き毛と、胸の谷間まで無造作に開かれた白いシャツはまだどこか彼女が寝ぼけているような様子さえ感じさせる。

 胸はそれほど大きな方ではないが、白い胸の谷間がシャツの隙間から見えるのは、チラリズムも手伝ってどこか悩殺的だ。

 満足する答えをもらった中隊長は、シャツの胸ポケットから万年筆を抜きながらなにかを考え込むように歩き去っていく。

 そんな上官を見送ったザシャは、やがてカスパル・ファルが見えなくなってから溜め息をつくと、地面に転がったままのゴーグルを拾い上げた。シャツのボタンを上まで留めて腰にわだかまる飛行服のもたつきを直すと袖を通した。野戦基地で過ごす夜は少しばかりの寒さと緊張感とに満ちている。ズボンの砂を手のひらでぱたぱたと払ってから、手櫛でもつれた巻き毛を梳くと、シュトルヒを振り返る。

 大きな緑色の瞳が不安げに揺れた。

「わたし、人殺しにはなりたくないよ……」

 ぼろぼろと新たな涙が溢れる。

 止めようと思っても止められない。

 自分は軍人だとわかっていても、心が嘆く。

 任務で何人の人間を殺したかわからないというのに、それでも「殺したくない」と泣く。手の甲で涙を何度も拭って必死に涙を止めようとするのに止まらない。

「シュトルヒ……、助けてよ」

 中隊の仲間がいるところでは、彼女はそんな顔を見せる事はない。仲間の前で嘔吐しても、泣いても決して弱音を吐いたりしない。

「帰りたいよ……」

 シュトルヒの前に立ち尽くす彼女はそうして暗くなるまでただ泣き続けた。



  *

 翌日の早朝。

 まだ明るくもなっていない時間帯。

 ザシャは鳴り響くサイレンの音に飛び起きた。

 浅い夢の中で、彼女はJu87に搭乗していた。出撃した先で、彼女は急降下爆撃を繰り返す夢。

 何度となく。

 荒い呼吸に胸を押さえながら、彼女は自分の体にかけられていた毛布を掴んで辺りを見回す。中隊の仲間たちの男の体臭にわずかに眉をひそめてから飛行服のポケットの時計を探った。

 針は朝の三時を差している。

 爆撃隊の飛行士としてはそろそろ準備を始めなければならない時間帯だった。簡易ベッドから脚をおろして、大きな溜め息をつく。

 手早く飛行服を直すとテントを出た。

「昨日は、いっぱい泣いた! 今日は大丈夫……っ!」

 ぱちりと両手で自分の頬を軽くたたいて、意識を切り替える。

 ザシャは軍人としてのあるべき姿を取り戻す。

 もう九月も半ばを過ぎた。

 九月十七日、ソ連が「ソ連・ポーランド不可侵条約」を破棄して侵攻を開始した。おそらく、これに乗じてドイツ軍も陸と空から大攻勢を仕掛ける事になるだろう。

 激しくなるだろう戦闘を予感して、ザシャはぞくりと背筋を震わせた。

 まだ、新米の軍人でしかない自分が耐えていけるのだろうか……。

「おぅ、泣き虫。もう大丈夫か?」

 ルッツ・ハーラーの声に彼女は振り返る。

「泣いてません」

「今日はまだ、だろ?」

 皮肉げに笑ったハーラーに、ザシャはむっとした様子で唇を尖らせると腕を伸ばして彼の頭髪を引っ張った。

「泣きたくて泣いてるわけじゃありませんっ!」

「けど、昨日は吐いてなかったな」

 少しだけ強くなった彼女をハーラーは知っている。軍人として、必要とされていることは女であるザシャには余りにも過酷で、それが、気の毒に思う事もあるが、それでも部隊の仲間である以上は前を向いていてもらわなければならないのだ。

「……は、い」

 昨日の任務の後、彼女は沢山泣きはしたが嘔吐しなかった。それがまたザシャを困惑させる。

 自分はひどい人間なのだろうか、と。

「ヒヨコがゲロしなくなったのは、自分が自分の心を守ろうとしてるからだ。ヒヨコがひどい人間なわけじゃない。人として当たり前のことだ。俺たちだってそうやって乗り越えてきてるんだ」

 心を凍らせて、彼らは戦う。

 街を空爆するということは「そういう」ことなのだと。

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