12 騎兵隊
「いやです」
むっつりとした表情のままで拒否をしたのは第二航空艦隊の急降下爆撃隊に所属するザシャ・デーゼナー少尉だ。
「できるできないの問題じゃありません。それは規則違反です」
素っ気ないほどあっさり相手の提案を突き放した彼女は、ハニーブロンドの巻き毛を肩の上で揺らしながら立ち上がった。
九月の初旬に転属してきて以来、ザシャは随分と部隊の面々の中になじんだ様子だった。時折怒る様子を見せるところを見る限り、彼女はそれなりに中隊のパイロットたちに心を開いている様子だった。
ちなみに、彼女に家族のことを聞くことはすっかり禁句と化しているため今ではそのことを誰も聞いたりしない。
「だいたい、高度一六四フィート以下の低空飛行は訓練では禁じられてるはずです」
「よくそんな細かいこと覚えてるなぁ……」
感心したような男の言葉に、ザシャはむっとしたように緑の瞳をあげた。
「短足のヒヨコ」
付け加えられたギーゼブレヒトの言葉に、ザシャの堪忍袋の緒が切れた。
昨年末以来、すっかり「短足」扱いされているのだが、もちろん決して彼女が短足なわけではない。身長の割りに腰の位置も高いほうで、足は長い。
「いつまでそんなくだらない話し引っ張るんですか! だいたい、わたしが短足なんじゃなくて、皆さんが”ウドの大木”みたいに馬鹿でっかいだけじゃないですか!」
年上の少年少女たちと共に学んできた彼女は元来、負けず嫌いで、頑固で我慢強い性格の持ち主だ。だからザシャだって負けてはいない。
悪態には、悪態で言い返してからぷりぷりと怒りながら踵を返した彼女に、フロレンツ・ギーゼブレヒトは笑いながら長い腕を伸ばした。
「まぁ、そう怒るな」
長いハニーブロンドの巻き毛を掴んで引き寄せる。
こうされては紙を引っ張られた痛みでザシャは立ち止まるしかない。
「引っ張らないでください!」
「おまえの髪が長いから引っ張りやすいんだよ」
悪びれもせずに飄々として告げた男にザシャは眉をつり上げた。フロレンツ・ギーゼブレヒトはいつもこうだ。もっとも、引っ張ったとは言っても、彼女の髪が抜けるほどの勢いで引っ張ったわけではない。
「引っ張るためにあるわけじゃないんですけど……」
憮然とした彼女の瞳に、ギーゼブレヒトは笑うとザシャの頭をぐりぐりとかき回した。転属してきたばかりの頃は、部隊の男たちにどこか遠慮したような立ち居振る舞いをしていた彼女だったが、四ヶ月もの間彼らと生活をしていて慣れたらしい。
そんな彼女に、懲りもせずダイブブレーキなしの低空飛行を提案した隊員が、ザシャに素っ気なく拒絶されたという次第だった。
ちなみに、超低空飛行は急降下爆撃隊の醍醐味みたいなもので、訓練では多くの隊員がまるで腕を競い合うように低空飛行を披露した。それはスペイン内戦当時からの急降下爆撃隊の伝統で、誰もが畑に車輪の跡を残して飛び去っていったり、樹木のてっぺんを目標に急降下したりすることは日常茶飯事だった。
自由自在に彼らは急降下爆撃機を飛ばす。
この上背の低い女性パイロットは、ポーランド戦役が終わり、年が明けることにはすっかり中隊のマスコット的な立場におさまっていたが、それについて、彼女自身は本意ではないようだった。
背後からギーゼブレヒトに羽交い締めにされたザシャはもがいてその腕から抜け出そうとはするものの、いかんせん、絶対的な体格差から、男の腕はびくともしない。
「あんまりくそまじめに規律規律って守ってると、いざってときに融通聞かなくて敵に殺されるハメになるぞ、ヒヨコ」
「そんなこと、”撃墜されなければ”いいだけのことじゃないですか」
もっともらしいことをザシャは告げるが、それは彼女が言うほど簡単なことではない。戦闘機よりもずっと低空を飛ばなければならない急降下爆撃機はスピードも遅いため、多くの砲火に晒される。
「そりゃごもっともだけどな」
「それより腕を離してくれませんか?」
「明日の勝負に参加するなら離してやる」
「いやです」
「じゃ、このままだな」
羽交い締めにされて、のど元を強い腕に締め付けられることになったザシャはばたばたとギーゼブレヒトの腕の中でもがいて抵抗を示した。そんなくだらない会話を交わしている隊員たちは、不意に低い声が響くのを聞いた。
「何の勝負だって?」
中隊長のカスパル・ファルだ。
「た、隊長……っ」
慌てた様子で、ザシャを囲んで談笑していた男たちは姿勢を正してから敬礼をする。ザシャも周りの隊員たちに倣って、カスパル・ファルに敬礼を返した。
「いえ、なんでもありません」
まじめくさった顔で上官に言い訳をする男たちがなんだかおかしくて、ザシャは横目に戦友たちを見つめてからクスクスと笑い出す。
「……ザシャ」
ぎろりとカスパル・ファルに睨み付けられたが、そろそろ彼の小言にも慣れてきたザシャは動じない。
夕食後の自由時間だ。
別になにをしていても怒られる謂われはない。
「なんでもありません、隊長」
「そうか。おい、おまえら、……”超”低空飛行だけが腕の見せ所じゃないからな」
しっかりと聞かれていたらしい。
隊員たちに釘を刺すと、カスパル・ファルはふんと鼻を鳴らしてから彼らに背中を向けた。
「了解しました!」
隊員たちの威勢の良い返答を耳にして歩きだしたファルは小脇に日誌を挟んだままで厳しい眼差しでじっと前方を睨み付けた。
年が明けたからと言って、なにかめでたいことがあるわけでもない。
そんな暗い廊下を歩くカスパル・ファルの後ろ姿に、若い娘が追いすがる。
「隊長、待ってください」
「どうした?」
足を止めてゆっくりと振り返ると、部隊唯一の女性パイロットが彼の背中を追いかけてくるところだった。
中隊にはなじんだものの、相変わらず言葉使いは軍人のものとは思えない。「どこぞの良家のお嬢ちゃんじゃあるまいし」と、口の中でぼやきながら、ファルは頭一つ分以上小さな彼女を見下ろした。
もっとも規律の厳しい寄宿学校で幼少期を過ごしたとなれば、気品のある身のこなしを徹底的にたたき込まれていたとしても不思議な話ではない。彼女は、寄宿舎の教師たちから理想的なドイツ人女性としての躾を受けてきたのだろう。
「隊長はどうしてわたしが転属になったのか、ご存じなんですか?」
「知らん」
即答するように言葉を返した彼に、ザシャはまるで探るような瞳を彼に向けてからなにか言いたそうに眉をひそめる。
「嘘は言ってないぞ。そもそも、この人事は俺が決めた事じゃないし、俺はただの”中間管理職”だからな。上の事情までは知らん」
「……そうですよね」
彼が人事を担当しているわけではない。
それをザシャもよくわかっていた。
ポーランドとの戦争が終わってからもう四ヶ月近い日々がたっている。一向に、ザシャが偵察部隊へと戻る辞令は出されず、未だに急降下爆撃隊の所属と言うことになっている。
「俺だって、おまえを元の部隊に帰してやりたいんだぞ」
彼女の内心を察してファルが告げれば、ザシャは明らかにがっかりした様子で肩を落とした。
ザシャが常々、偵察部隊へ帰りたがっていたのは知っていたカスパル・ファルとしては、腕の良い爆撃機パイロットを失うのは手痛いと思いながらも、優しい感性を持つ彼女を戦闘任務とは関わりのない部隊へ帰してやりたいとも思いもする。なによりも、突出した飛行技術を持つ彼女が最前線で死ぬかもしれない、という悲劇的な可能性に危惧をした。
女性のパイロットであれば、後進の指導などにも手腕を発揮してもいいはずだ。人材の有効活用というのは、なにも前線に限った話だけではない。
良い教官がいれば、良い後進のパイロットを育てることができる。
そう考えれば、そんな優秀な飛行技術を持つザシャの命が危険にさらされていいはずがない。
「今のところは、おまえに関する辞令はきていない」
「……はい」
がっかりとした様子で肩を落としたザシャは、けれどもそれ以上ファルを追及することはなかった。
もしかしたら、子供のようにありもしない不審を抱いて問い詰めることを恥じたのかもしれない。
空軍司令部はなにを考えているのか。
そんなことはカスパル・ファルにだってわからない。
どうして彼女のような女性パイロットが最前線勤務を想定としている急降下爆撃隊になど所属させているのだろう。
「俺が、おまえを手放したくなくて上を押しとどめているわけじゃない。もしも辞令がきたらすぐに渡してやるから心配するな」
わかったな。
そう告げられて、ザシャはうつむいたままで頷いた。
「はい」
「あんまりしょぼくれているとまた殴るぞ」
良いながらカスパル・ファルが勢いよく拳を振り上げる。
「……そ、それは勘弁してください」
思わず頭を両手で抱えるようにしてから、ザシャはカスパル・ファルを見上げると焦った様子で緑の瞳に動揺の光を瞬かせた。
「冗談だよ」
ほほえんでから彼は振り上げていた右手をそっとおろすと、くしゃりとザシャの金色の髪をかき回す。
「おまえは男共と比べると体力がない。しっかり休めよ」
そう言ってからファルは彼女に背中を向けた。




