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10 鉄の鷲

「プライバシーの侵害です」

 ザシャはそう答えた。

 急降下爆撃隊に入ってから一度として家族の話などしたことがない彼女に、「家族はどんな人たちなのか」と問いかけたパイロット仲間に、ザシャはそう言った。

「いいじゃないか、少しくらい話してくれても」

 恋人はいるのか、とか、両親はどんな人なのかとか、兄弟は何人なのか、とか。そういった他愛もない世間話だ。

 同じ中隊に配属されているパイロットとしてみれば、もう四ヶ月近くも共に生活している仲間の身の上に興味を持ったとしてもなんらおかしなことではない。そして、会話のきっかけとしては悪意もない割とまともな内容だ。そんな気楽な男の問いかけに、ザシャはひどく迷惑そうな緑の瞳をあげて眉をひそめるとそう言葉を返したのだった。

 いつもは穏やかにほほえんでいる彼女だというのに、問いかけに対して返ってきた言葉はひどく素っ気なかった。

「寄宿学校で育ったので、恋人はいません。家族ともほとんど交流がないので今どこでなにをしているのかも知りません。これでいいですか?」

 穏やかで、いつもにこやかな笑顔を浮かべている「空の騎士」。そんな印象すらある彼女の返答がひどく不可解で、その場にいた同世代のスツーカパイロットは顔を見合わせて怪訝な顔をする。

 いったいなにが彼女の逆鱗に触れたのだろう。

 よくよく考えれば、それはザシャが彼らとなんら変わりのないありふれた人間らしい態度だと言うこともすぐに思い至れるのだろうが、いかんせん無粋な軍隊という特殊な集団の中にあって荒くれ者の軍人たちではそうした配慮を期待するだけ無駄と言うものだろう。

 それをわかっているザシャだったから、ばっさりと相手の言葉をはねのけたし、なによりも仲間たちの心情に配慮してやれる余裕などザシャ自身にもありはしなかった。

 ――家族のことは、できる限り触れてほしくはないことだった。

 家族とすら正常な関係を築いて来れなかった自分の不甲斐なさと、負い目。それをザシャは自身の心に深い傷のように抱え続けていた。

「おまえは家族関係もまともに構築できないのか」

 そう陰口をたたかれることを、彼女は恐れていた。

 ――天才のくせに。

 ――頭ばかり良くても、人間としては……。女としては欠陥品だ。

 ザシャは思わず自分の耳を塞ぎたくなって、きつく下唇を噛みしめる。冬へ向けて、冷たくなりつつあるドイツの空気に彼女はかすかに眉間を寄せた。

 完全無欠の笑顔でほほえんだ彼女はそう言ってから立ち上がる。

 家族とはほとんど交流がない。

 そうあっさりと言い放った彼女は、自分の宛がわれたスツーカに向かって歩いて行く。

「お父様とうまくやっていけないのは、わたしのせいじゃない」

 口の中だけで、ザシャはぽつりと独白した。

 自分のせいではない。

 自分が悪いわけではない。

 どこに行っても陰口ばかりだった。

 ギナジウムでも、アビトゥーアの試験の会場でも。

 ザシャは後ろ指を指され続けた。

 異端過ぎる天才児として。

「……わたしがほしかったものは、こんなものじゃない」

 ごしごしと手の甲で目元を擦ると、愛機の風防を睨み付けた。そこには、険しい表情の自分が映りこんでいてそれがまた彼女の心に暗い影を落とした。

 他者とうまく関係を構築することもできないまま二十年以上生きてきた彼女は、そんなどうしようもない自分を変えたいと思うのに、どうすれば自分を変えられるのかもわからない。愛想笑いを浮かべて、自分の心を押し隠すのは慣れてしまった。

 「孤独」は、「楽」だった……。

 彼女の後ろ姿が、それ以上の問いを拒絶しているように感じられて、パイロット仲間のひとり――ダーヴィト・アルトマイヤーはあんぐりと口を開いたまま彼女を見つめた。

 雑巾を片手にコックピットにかけられているはしごを身軽に登ると、ザシャは風防のガラスを無言で拭き始める。

 時折、無意識かザシャは片手で自分の金色の巻き毛を強く引っ張っている。まるでなにかに苛立っているような様子に、フロレンツ・ギーゼブレヒトは目を細めた。

 自分の髪を強く引っ張って、抜けそうなほどの勢いに痛みで我に返る。

 そんなことを何度も繰り返していた。

「ヒヨコ、はげるぞ」

 幾度もそんなことをしている彼女の機体に上がって、ギーゼブレヒトがザシャの自分の頭髪を引っ張る手を押さえつけると、少女のように小柄な彼女は驚いた様子で顔を上げてから、まるで初めて自分が髪を引っ張っていたことに気がついたようにその手を止めた。

「なにを苛ついてる」

 男であれば多少はげたところで心の傷は浅くてすむが、ザシャはまだ年頃の娘だ。いくら職業軍人だからといって、はげてショックを受けない女性がいるとは思えない。

「別に、苛ついてなんていません……」

 言い訳するように呟いた彼女はもう一度自分の髪を引く。

 やはり無意識だ。

「普段、そんなことしないだろう。それが苛ついてなくてなんなんだ」

 ハニーブロンドの巻き毛に指を絡めて強く引くのは、恐らくなにかに対する不満を抱いているのだろう。ギーゼブレヒトはそんなことを思った。

 彼女の心が、なにかを拒絶している。

 顔色も、表情もほとんど変わらない彼女はギーゼブレヒトの指摘にぎくりと顔を上げて唇をわななかせた。

「アルトマイヤーは悪い奴じゃない」

「……わかっています」

 聡明で頭の回転の速い彼女だ。

 ダーヴィト・アルトマイヤーの質問に悪気がないこともわかっている。

 そう言いながらうつむいた彼女は、自分の巻き毛が視界に入って軽くかぶりを振った。

「おまえ、もしかして家族とうまくいってないのか?」

 ギーゼブレヒトはザシャよりも年長だ。

 だから彼女の反応を見ればなんとなく察するものがあった。

「……――」

 世間体を気にしているというわけでもないだろうが、ザシャはそう問われて思わず沈黙した。自分の身内のことを聞かれてこの反応ということは、家族とはうまくいっているとは言い難い。ギーゼブレヒトは肩をすくめてから溜め息をついた。

 クリスマスも近いこの時期なら、いくら軍属の人間とは言え、家族と過ごすクリスマスを夢見たりするものだ。だから、世間話としては無難なはずだった。

「全く、自分の髪見て家族を思い出すのが嫌ならいっそ切っちまえ」

 投げ捨てるような彼の言葉にザシャは困惑した様子で視線を彷徨わせる。この日の訓練はすでに終わっていて、明日の訓練のための準備に入っていた。

 誰にだって振り返りたくない過去のひとつやふたつはあるものだ。

 ザシャにとって、触れられたくない過去とは、まさに家族のことなのだろう。

 まさかそんなことを言われるとは思わなかったのだろう。

「切りたくないなら、その手癖はやめておけ。」

 無意識に自分の巻き毛を引いている彼女に、男が告げる。

 家族のことを聞かれてその手癖がでる、ということはおそらくザシャは両親のどちらかとそっくりなのだろう。だから、それを無意識に嫌悪して自傷しようとする。

「……すみません」

 肩を落としたザシャは、雑巾を持ち直すと無言でキャノピーを拭いている。まるで自分の気持ちを整理しているかのようだった。

「おーい、俺もいいか?」

 下から声が聞こえた。

 ダーヴィト・アルトマイヤーだ。

 ザシャとギーゼブレヒトが視線を向けると、アルトマイヤーは機体の後ろにある乗降用のステップを登って来てスツーカの翼に座り込んだ。

 ぶらりと足を下におろして格納庫の外を見つめた。

「申し訳ありません、アルトマイヤー少尉」

「いや、人間生きてりゃいろいろあるよな」

 どんなに問題がなさそうに見えても、個人の中には問題を抱えていることもある。ザシャもそうだ。

 飛行技術や知性といった面からは完璧な人間を取り繕っているようにも見えるが、そんな彼女の中にも何があるのかは周りにいる人間にはわかりはしない。

「俺なんか、二年近く予備訓練してたから、飛行学校卒業したてのピヨピヨのひよっこがいきなり来てスツーカで最前線に出てきたおまえが羨ましいやら妬ましいやらでよ。ポーランドのときはそれが面白くなかったんだ」

 けれども同じ中隊のパイロットとして共に生活するようになってから次第にその考え方は変わっていった。

 毎日、異常とも思えるほどハードな毎日の中に晒されていて、ザシャは時折高熱を出すこともあった。

 急降下爆撃機の訓練だけではない。

 双発型爆撃機や戦闘機などの予備訓練まで受けさせられている彼女。

 空軍司令部がなにを考えて新米同然の女性パイロットにこれだけの訓練を強いているのだろう。

「けど、ヒヨコは本当によくやってるよな」

 もちろん、高熱を出すときは決まって休日だけだ。

 男たちと比較すれば、足りない体力を気力だけでかろうじて補っている。アルトマイヤーはそう言ってからザシャを見やると肩をすくめてみせる。

「つくづく、新米とは思えん」

「これでもスペインでコウノトリを飛ばしてたんですよ」

 新米という言葉に反応してほほえんだザシャが言えば、アルトマイヤーは面倒臭そうに拳で彼女の頭を軽く小突いた。

 スペインに派遣されたコンドル軍団。

 その名前に、ダーヴィト・アルトマイヤーは片目を細める。

 彼女の年齢でコンドル軍団に配属されていたと言うことは、やはりほとんど予備訓練など受けていないと言うことになる。

「いきなりぶっつけ本番って、おまえな……」

 軍学校を卒業したての士官たちは、普通、パイロット候補生として再教育されることが多い。けれども、ザシャはそうではなかった。

 軍の飛行学校を卒業してすぐにスペインのコンドル軍団に派遣されたということは、空軍司令部になんらか思惑があったのではないかと思わせる。

「天才、というのはあながち間違いじゃないのかもな」

 非凡な才能がなければできないことだ。

 いくら偵察任務とは言え、自分に向かって対空砲火もあれば戦闘機による攻撃もある。その中を軍学校を出たばかりの士官が偵察機を飛ばすなど狂気の沙汰だ。

 けれども、彼女と作戦を共にして、日々訓練を受けている彼らはそれとなく理解した。

 彼女ならばあり得ない話しではない。

 そうも思えてくるのだ。

「ヒヨコが男でなくて残念だよ」

「……え?」

 面と向かって言われた言葉が意外だったのか、ザシャは小首を傾げた。

「おまえは、おまえの髪が嫌いかもしれないけどな、俺たちは嫌いじゃないんだぜ?」

 そう言ってアルトマイヤーが笑って彼女を見ると、ザシャは下唇をかみしめてから肩にかかる巻き毛を指先でつまんだ。

「そうだな」

 アルトマイヤーの言葉にギーゼブレヒトが同意したように相づちを打ってから肩をすくめた。

「だから、イライラして抜こうとなんてするな。俺たちなんて抜く毛すらないんだからな」

 短く刈り込んだ頭を指さしたギーゼブレヒトにザシャがクスリと笑った。

 本来なら軍人はそうあるべきなのだ。

 長い髪は不潔の原因だ。そのために最前線の兵士たちは髪を短く刈り込むのだ。今のところ、ザシャにはその必要もないしそういったことを求められていない。

 存在そのものが特例なのだ。

 今さら特例である事項のひとつやふたつ増えたところで誰も気にしない。

 大柄な男が二人と、それに比べるとずっと華奢なひとりの女性パイロットがスツーカの上で話しをしている図、というのはどこかほほえましい。

「もう日も暮れる、戻るぞ」

 翼に座っていたアルトマイヤーが地面に飛び降りると歩きだす。風防を閉じて、ザシャもスツーカから飛び降りた。

 単座の戦闘機を難なく操る彼女だったから、運動神経も人並み外れている。華奢に見えるのは、周りの男たちのがたいが良いせいもある。確かに身長に比べると体重は軽いが、それとこれは話しが別だ。

 身軽に地面に降り立った彼女を確認してからギーゼブレヒトもはしごをおりるとポケットに両手を突っ込んだままで歩きだした。

 大股にゆっくりと歩きながら、カーキ色のつなぎを着たままのザシャの背中を見つめている。コンパスの違いから、アルトマイヤーに追いつくこともできない彼女は、自分の後ろにいるギーゼブレヒトを振り返ってから緑の瞳を瞬かせた。

 顎をしゃくって前を指し示した彼に、ザシャは二人の同僚に歩調を合わせることをあきらめて自分のペースで歩きだした。

 体格の違いからくるそれらの差異はどうあっても埋められないのだ。

 もっとも、こんなにも体格の劣るザシャにそう簡単に追いつかれたのではたまらない、とも思うのだった。

「行くぞ、チビ。とっとと歩け」

 背後からあっという間にフロレンツ・ギーゼブレヒトに容赦なく追い抜かれて、ザシャ・デーゼナーは溜め息をつく。

 軽く背中を叩かれた。

「む、無茶苦茶言わないでください……」

 先輩パイロットに言われて、早足で二人の男に追いすがろうとしながら、けれどもかなわずに次第にその距離が広げられていく。

「早く来い」

 途中で立ち止まったダーヴィト・アルトマイヤーがザシャを振り返る。大股に自分のペースで歩いていたギーゼブレヒトも立ち止まる。

「足の長さが違うんだから仕方ないじゃないですか」

 必死で彼らに追いつことして小走りになるのが笑いを誘った。

「短足だなぁ……」

 ギーゼブレヒトの溜め息に、ザシャが怒鳴った。

「違いますっ!」

「じゃ、比べてみるか?」

「中尉たちと身長全然違うじゃないですか!」

 ぷりぷりと違う意味で怒っているザシャの肩に腕を回してギーゼブレヒトが笑う。

「とにかく、とっとと行くぞ」

 機嫌の直ったらしいザシャをつれてダーヴィト・アルトマイヤーとフロレンツ・ギーゼブレヒトは再び歩きだした。

 ――まだ、仲間たちとの距離感がつかめない。

 友達などいなかったから。

「ギーゼブレヒト中尉、アルトマイヤー少尉」

「どうした」

 小走りに駆け寄った彼女は睫毛を伏せる。

 金色の睫毛が夕日に輝いていた。

「……その、わたし、皆さん……、みんなみたいに強くなれるんでしょうか」

「第五中隊は最強だ、心配すんな」

 空を駆る鉄の鷲――スツーカ。

「俺たちは、最強だ」

 ザシャの問いかけにギーゼブレヒトとアルトマイヤーがにやりと笑った。

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